81話 ハン=シィクの風 1
車内でルナは、やっとくわしい説明を受けた。
アズラエルはまだ、ルナの夢のことで気になることがある。だが、家に帰れば訪問客が引きも切らないので、別の場所にしばらく滞在し、落ち着いて考えたい。
連泊型のホテルやアパートも考えたが、いいことを思いだしたのだった。
グリーン・ガーデンだ。
セレブの避暑地で、以前クラウドとミシェルがしばらく滞在していた場所。
クラウドだけでなく、アズラエルもつかってくれと、ムスタファからカードキーを渡されていたのを忘れていた。
ラッキーなことに、宿泊費はタダだ。
「ただ!!」
ルナは絶叫した。
「親父さん、あそこを長く空けておきたくねえんだと。だから、しょっちゅう友人につかわせてる。最低でも一ヶ月はいていいって話でな」
「一ヶ月!!」
「今は冬で、景色もあまりよくねえから、だれもつかいたがるヤツがいない。昨夜電話したら、だれもつかってないって。むしろバンバンつかってくれって歓迎されたよ。冬の間いていいって――さすがにそれは、無理だが」
冬なのでプールはつかえないし、食事代は自腹だが、宿泊費は無料だ。サービスも施設も使い放題。着替えは、行ってから通販で買えばいい。
ルナが寝たあと、ムスタファに連絡していたのか。ルナは口を開けて固まった。
「K08区からなら、ハンシックも近いしな」
もってこいだ、とアズラエルは笑った。
ルナが久しぶりにメールをチェックすると、ミシェルにエレナ、ルーイ、レイチェル、シナモンと大量に入っていた。そろいもそろって、「いまどこにいるの?」だ。
ルナはグループメールで、レイチェルやエレナに、旅行で、しばらく家に帰らないというメールを送った。すぐさま、残念だけど、帰ったらすぐ連絡をちょうだいとの返事が返ってきた。
アズラエルが返事をしなかったからだろう。めずらしく、クラウドからも、ルナにメールが入っていた。
アズラエルが近くにいたら、電話に出ろといってくれ。
「クラウドにも昨日、電話したよ」
ルナがそれをいうと、アズラエルが嘆息した。
「おまえの夢が“正夢”かもしれねえって、思うようなことを聞いてな」
「えっ?」
「白龍グループで、L46に行ったことがあるやつで、信頼できる傭兵はいねえかって聞かれたよ。メフラー商社がL46の管轄じゃねえのはアイツも分かってるからな。どうしてもL46の情報が欲しいらしい。電子装甲兵かって聞いたら食いついてきてな」
ルナは深刻な顔でアズラエルを見た。
「軍事惑星じゃ、ヒューマノイド禁止法と人権問題で電子装甲兵はつくれねえ。つまりは、研究も中途半端ってことだ。対処のほうも見つからねえってンで、そろそろ、ケトゥインもヤバいそうだ。軍部の機能が鈍くなってるってトコにこれだ。もしかしたら、L18の軍がL46から撤退するかもしれねえって話まで出てるそうだ」
「ふえっ!?」
「クラウドからもと職場に連絡したそうだが、心理作戦部もずいぶん忙しくしてるそうだ。クラウドが協力してくれるなら渡りに船ってやつで、いま調べる方に回ってるらしい。やっぱりあの野郎、自分の担当でもねえのに首突っ込んでたみたいだな。L46のDLとL43のDLは仲が悪いから、電子装甲兵の技術がよそに流れるってことはねえだろうが、このままじゃL46のDLの勢力が拡大するって、話が止まらなくてな……」
――大変なことさ。ひとつの星の勢力図が塗り替えられてしまう。
夢の中で、クラウドライオンが言っていた言葉がよみがえる。
しかし、ピンクのウサギは、のんきなことを言っていなかったか?
――考えすぎじゃないの。
「まァでも、ひとつ大事なことが分かった」
「ふえ?」
「クラウドが捜してるのは、電子腺を発明した科学者。アレクサンドル・K・フューリッチって男だ」
ルナのウサ耳が、これでもかと――勢いよく、立った。
「まさか」
「そのまさか、かもしれねえな」
アズラエルも、信じがたい顔をしていた。
「バンビが、“アレクサンドル”かもしれねえ」
――バンビが、電子腺を発明した科学者、アレクサンドル・K・フューリッチ?
「バンビが!?」
「どうも、……そうは見えねえけどな」
だとしたら、シュナイクルたちにとって、バンビも憎しみの対象なのではないか。
電子腺でつくられた電子装甲兵のために、家族と仲間を、失ったのだ。
電子腺の発明者なんて、もっとも憎むべきかたきといっていいだろう。
どうして、いっしょに暮らしているのか。
シュナイクルたちは、バンビがアレクサンドルだということを知っているのか。
ジェイクもなにか関係があるのか。
ルナとアズラエルは、急に深刻になって、無言になった。それぞれ、ぜんぜんちがうことを考えていた。
やがてスクナノ湖が見えてきて、ルナがやっとウサ耳を立たせた――今度は、ご機嫌のために。
ちいさな脳みそを悩ませていた深刻な小難しいことを横によけて、冬のスクナノ湖に目をやった。
「冬の湖も、よいね!!」
「そうだな」
湖の周囲をぐるりとまわり、雪深いが、ていねいに除雪された道を通って、アズラエルの車はグリーン・ガーデン敷地内に入った。大きな別荘が立ち並ぶ中、一件の、開かれた門の内側へ入っていく。
「アズラエル・E・ベッカーさまですね。お待ちしておりました」
Pi=poが車のキーを預かって、車庫に入れる。そのあいだに、人間のコンシェルジュが玄関まで案内した。
「お仕事でご使用と伺っておりますので、サービスは最低限にさせていただきますね。お食事のほうはいかがなさいますか」
「しばらく出っ放しになるかもしれん。その日のうちに帰宅できたらする。夕食と昼食はいらない。朝食だけは頼めるか?」
「承知いたしました。なにか御用があれば、内線でお呼びくださいませ」
「ああ」
「では、ごゆっくり」
母屋は暖かかった。
「アズ、お仕事で借りるってゆったの?」
「ああ、そのほうが、まとわりつかれなくていい」
サービスは最低限と言ったが、部屋に入れば、テーブルに飾られた大輪の花束と、熱々のコーヒーと紅茶のサーバーが設置され、菓子と果物、宝石みたいなチョコレートの小箱がずらりと並べられていた。
冷蔵庫にはミネラルウォーターとコーラ、ジュースにワイン、ビールなどが常備されている。
「ふえあああ」
ルナは、はじめてここに入ったときのミシェルのように、目を輝かせて、あちこち見てまわった。
プールには雪が積もっていて使用できないが、周りを囲む生垣と、綺麗に並んだ大小の雪だるまには、夜、イルミネーションがともされる。
部屋からは、真冬のスクナノ湖が見える。冬でも真っ青な湖面に、ルナはウサ耳をぴょこたんさせたが、テラスは雪が積もっていて、そのまま出るのは寒そうだ。
「ねえアズ、探検してきてもいい!?」
「おう。じゃあ、おまえの日記借りてもいいか」
「よいよ!」
ルナは勢いよく叫んだ。どうせ日記は、たいしたことは書いていないし――うん――アズラエルの悪口は――たぶん、書いていない。
ルナはつかいすぎた脳みそをほぐすように、ぺっぺけぺと、上機嫌で、探検に出かけた。
古びた高級ホテルのような別荘だ。ランプの薄明かりと赤いじゅうたんの廊下を駆け、ガラス戸から見える中庭を見ながら、あちこちの部屋をのぞいた。
たくさんのゲストルーム。ルナがミシェルとクラウドとここに来ていたら、泊まるかもしれなかった部屋だ。ルナはぜんぶ見てまわった。
外は雪が降りだしていた。
プールサイドに向かう廊下以外は、壁のある廊下でつながっている。そこここに飾られた現代アートの値段を聞いたら、ルナはまた腰を抜かすだろう。
シアター・ルーム、バーベキューテラス、ちいさなバーとビリヤード台が設置された部屋。
ひとはどこにもいなかった。キッチンに一台のpi=poがいて、「なにかご用ですか、お客様」と聞いてきたのみだった。
ルナが部屋にもどってきたのは、小一時間もたってからだった。
「アズ、お風呂すごかった!!」
シャワーブースと浴室が両方あって、お風呂はなんだか絢爛豪華だった。金でできていた。壁は一面ガラス張り。向こうにスクナノ湖が見えた。
アズラエルは、広い部屋の床に、ルナが作ったZOOカードをならべ、ルナの日記を片手に、頭をひねっていた。
「ベッドもすごいぞ」
「ベッド!!」
ルナが寝室のほうへ行くと、天蓋つきベッドに、可愛らしい白とピンクの花が敷き詰められていた。
「ひぎい」
ルナは落ち着かなくなって、アズラエルのいる部屋にもどってきた。
まるで鳳凰城リターンズだ。
鳳凰城は一泊二日だったので、ホテル内を歩き回るだけで終わってしまったが、地下のグランド・ロケーションという施設に行くと、リリザ全域を上空から見られるところがある。ちょっぴり豪華なpi=poがそう言っていた。次回はたぶんないだろうが、次に行ったら、ぜったい行ってみたい場所だ。
「ルゥ、どこに行ってもいいが、別荘の外には出るなよ」
「なんで?」
「近くに、アンジェラの別荘もある」
「ぴぎ」
ルナは、首をすくめた。
アズラエルがカードとにらめっこして唸っているあいだに、部屋に備え付けのパソコンで、下着と着替えを注文した。パジャマなどは備え付けがあるし、クリーニングサービスもある。二、三日の分の着替えを着まわせばいいだろう。
通販は一瞬で届く。
ルナは部屋に現れた衣服の包装をはがし、タグを取り、クローゼットを開けて収納した。
それからコーヒーをカップに注いでアズラエルのそばに置き、自分はメープルシロップを入れた紅茶をすすりながら、テラスに出た。
寒いが、ストールを羽織れば平気だ。この寒さが、熱っぽい頭を冷やしてくれる気がした。
シュナイクルやジェイクにバンビ、アンディ、ふたりのルシヤたちとの関わりを、考えていた。
ハン=シィクの樹を中心にそろった、不思議な組み合わせだ。
電子腺をつくった者。
その電子腺をつかって兵器にされたアンディ。
電子腺が作った兵器に、滅ぼされたシュナイクルたち。
怪盗ルシヤに、まつわる者たち。
(今度の夢は、いったい、なんの意味があるの)
だれかが、助けを求めてるの?
ルナは、自分になにができるか考えた――が、ちいさなうさこたんである自分には、なにもできる気がしないのだった。
九庵が言っていた。
自分に出会ったものは、「愛」、「癒し」、「縁」、「革命」のいずれかをさずかると。
ルナに今直感として分かるのは、ルシヤの名を持つ女の子たちと、ハン=シィクの樹を中心にした、不思議な「縁」だ。
しかし、それがなにを意味するのかは分からない。
もしかしたら自分自身かもしれない、ルシヤの前世。
それがいったい、どんなふうに関わってくるのか、ルナにもさっぱり、わからないのだった。
もし自分の前世がルシヤだったなら。
あの、怪盗ルシヤだったなら。
(あなたは――あたしは――なにを望んでいるの?)
さあ、と風が吹いた気がした。不思議な風だった。
ひどく冷たい――ふだんのルナであれば、縮みあがるような寒さの風だが、まるで目を覚まさせるかのように澄んだ、体内の気迫と強さを奮い起こすような風だった。
(あ――これは)
――ハン=シィクの風だ。
ルナはなぜかそう思った。これは、ルシヤの記憶だろうか。
透き通るような冷たさの風を吸い込み、目を閉じる。
ふと、L46の雪原で、ハン=シィクの樹の下に立つ、ルシヤの姿が浮かんだ。その姿が、パルキオンミミナガウサギに重なる。
(鮭サンド!)
記憶の中のルシヤが、叫んだ気がした。




