80話 ルシヤの夢と鮭サンドと、クラウドが探している誰か 3
「多分ね、アンディさんとルシヤちゃんは、軍事惑星にもいたことがあるみたいなの」
「本当か」
アズラエルが天井からルナに視界を移した。
「ルシヤちゃん、インビスが好きで、でも、アンディさんは軍事惑星を思い出すから嫌いって。それから軍人と傭兵は、天敵だって」
アズラエルは考え込んだ。ルナはあわてて言った。
「でも、ルシヤちゃんはそう思ってないよ? この宇宙船はどの星から来た人も仲良くできるからって、アズともきっと仲良くできるって信じてるみたいだった!」
だが、アズラエルが考えていたのは、まったく別のことだった。
「――つまりあいつは、――まあ、電子装甲兵だとして。DLにいた時点で、地球行き宇宙船のチケットが当選したわけじゃねえんだな?」
「へ?」
「なんらかの理由で、DLを脱走したのかもしれねえ。娘とふたり――脱走に成功したのだとしたら、とんでもなく“運のいい”野郎だ。DLは脱走を許さねえ。追っ手をまき、軍事惑星に逃れたか。でも、おそらくいつけなかった。――なぜだ? 軍事惑星には入星できたんだよな? 生体認証はパスした。でも軍事惑星から出た。なぜだ。まったくわからねえ……タトゥは消せるはずだ」
アズラエルは、脳みそ筋でも動かしているような顔をした。
「地球行き宇宙船のチケットが当たったのは、DLを出て、軍事惑星に来て、そのあと、なんじゃねえか?」
ルナはこくりとパスタを飲み込み、それから言った。
「ルシヤちゃんのママはね、ルナ・B・ガルシエっていうんだって。それで……」
一度、言葉をつまらせた。
「電子腺? が適合しなくて、亡くなったみたいなの……」
その夜、ルナはふたたび夢を見た。
先日見た、メルカドの夢だ。
ずいぶん賑やかで、きらびやかで、目がチカチカするような光の集まりだ。ルナが目を凝らしても、果てが見えないほど向こうまで、商店街が続いている。たくさんの人――いいや、動物でにぎわっていた。
と、いうことは。
「おっと、ごめんよ」
ラクダの親子連れが、ルナをよけて商店街へ入っていった。たっぷりの電飾でかざられた門構えには、「市場」と大きく書かれている。
「めるかど?」
ルナは後ろを振り返った。夜の闇の向こうには、観覧車やジェットコースターが見えたので、やはりここは遊園地の中なのだった。
例の、動物ばかりの遊園地の夢。
「ちょっと! 気を付けてよ」
ちいさなモグラの三姉妹を乗せた、イワシが運転手のタクシーが、ルナの足元をすり抜けていく。
「いわし!!」
ルナは思わず叫んだ。
ルナがぽっかり口を開けているあいだにも、動物たちがどんどん、ルナを追い越してメルカドに入っていく。ルナも背を押されるようにして、足を踏み入れた。
「星の結晶パウダーがかかったジェラートだよ! こんなのはここだけ!」
「焼きたてのシュレビレハレ・パンケーキはどうだい?」
「揚げたてのコロッケはいかが」
「ジャスミンが入ったレモネードだよ。土星が浮いてる。ほらごらん!」
立ち並ぶ店の表には、ちいさな屋台が出て客引きをしている。食べ物の店ばかりではない。服にアクセサリー、雑貨、占いの店や、なんの店かも分からない、怪しげな外観の店までたくさん。
ルナはキョロキョロ、辺りを見回しながら歩いた。
ふいに、肩を叩かれて止められる。見れば、巨大なカブトムシだった。ルナよりずっとでかい。クマくらいあるのではないだろうか。
「ウサギさん、この店を知らないか」
彼が持っている地図には、「ハンシック」と書かれている。ルナはどこかでそれを聞いた気がしたが、思い出せなかった。
「ごめんね、分からないの」
「そうか、ありがとう」
カブトムシは礼を言って、人混みに消えていった。
ルナは歩き続ける。人波に押されて、左側に寄せられていった。
店はけっこうぎゅう詰めに建てられているが、あちこちに小路もあった。小路をのぞくと、不思議な店が立ち並んでいる。
あそこは危険だといわれたのだった。
ルナは身震いして、足早に通り過ぎた。
「ウサギさん、そこのウサギさん、味見くらいしていってよ」
鮭とシャチに呼び止められて引っ張り込まれたのは、ちいさな屋台だった。
「さけとしゃち!!」
ルナは絶叫した。
等身大のサーモンとシャチが、Tシャツとジーンズを着て、立っている。縦に。
「そうだよ、俺たち、鮭とシャチだ」
「君だってウサギじゃないか」
ルナはいつのまにかもふもふの毛皮になっていた両手を見て「ウサギだ!」と叫んだ。
「俺たち、心配しなくても仲はいいよ」
鮭は自慢げに言った。
「そう。僕、鮭のことをおいしそうだなんて思ったりしないよ」
そう言いつつも、シャチは涎をぬぐった。
「どうぞ。おいしいよ」
ルナもさすがになにか突っ込まずにはいられなかったが、鮭を見て涎を流していることを除けば、人のよさそうなシャチがサンドイッチを差し出してきた。
黒パンに焼いたサーモンと野菜を挟み、二つ折りにしたサンドイッチだ。油紙に包んである。鮭はどことなくスモーキーで、マスタードがきいたマヨネーズソースが美味しい。ゆでたジャガイモも入っている。
「とっても美味しい!」
ルナはそう言ったが、やっぱりシャチは鮭を見て涎をぬぐっている。大丈夫かなとルナは思った。食べられるのも時間の問題な気がした。
「僕、鮭のことを食べたりしないよ。鮭が好きなのは、こいつだよ」
ルナの視線に気づいたのか、シャチが慌てて言った。
「シャチのやつが好きなのは、俺じゃなくてカルビ・サンドさ。鮭だって、美味しいと思うのに……」
鮭が思いつめた顔でうつむくので、シャチは困って、鮭の肩らしき部分にヒレを置いた。
「うちのサンドイッチが、なかなか売れないわけは?」
「イクラが足りないのかもしれない」
そう言って、やがて気を取り直した鮭が、
「コーヒーもどうぞ」
紙コップでくれた熱々のコーヒーもおいしかった。
「美味しい!」
「今日のところは、お金はいいよ。また来てくれたり、宣伝してくれれば」
鮭のサンドイッチを作った鮭は言った。
「カルビ・サンドは、ワインも合うんだ」
シャチもそういい、店のチラシをルナに渡した。鮭だけでなく、たくさんの種類のサンドイッチがある。
「うんわかった。ごちそうさま」
ルナはチラシを折り畳み、ポケットにしまった。
数々のお誘いを受けながら、ルナは人混みをてくてく歩いた。
彗星にトリップできるサイダーとか、一度だけほかの動物に変身できるチーズのお菓子とか。水星の波の音が聞こえる電子の貝殻とか、みんなが差し出してくるのは変わったものばかり。
心を惹かれつつも、これ以上の寄り道は無用とルナが歩いていくと、急に開けた場所に出た。
メルカドの真ん中にある中央広場だ。ルナはマパを見なくても分かった。
噴水の近くで休憩しようとすると、ライオンが走ってきた。眼鏡をかけたライオンで、ルナはそれがクラウドだと、なんとなくわかった。――
「――ルゥ! ルゥ!」
ルナが遠くのクラウドを見つめたところで、パッと目が覚めた。
「ルゥ起きろ!」
重たいまぶたを開けると、アズラエルがルナを揺り起こしていた。
「ぷ?」
「ぷ、じゃねえ。とっとと起きて、朝食食って、出るぞ」
「へ?」
――時刻は、午前六時半。
ルナは夢を見ていた。先日の夢とまったく同じ夢だ。
ちがうのは、カラスが出てこなかったことと、小路を覗き見なかったことだ。
アズラエルが叩き起こしたせいで、途中で終わってしまったけれども。
「あの夢は最後まで見るべきでした!」
ルナがぷんすかするのをなだめるアズラエルにも、理由があったのだった。
「悪かったよ」
朝食ビュッフェは六時半からで、すいていた。
ルナはたまごやきとゆで卵とスクランブルエッグと温泉卵と、皿をたまごだらけにしながら、ごはんと味噌汁と、たらこの小鉢を取った。
そしてふと思った。
やはり、夢の中のメルカドでは、「一度だけほかの動物に変身できるチーズのお菓子」が売っている店があるらしい。
その店は、どこにあるのだろう?
考えごとをしながら、がら空きのレストランを見回す。窓際の席に陣取ったルナは、あとからのっそりついてきたアズラエルに聞いた。
「なんでそんなに急いでるの? 用でもあった?」
「いいや? とっとと起きて移動する。移動先はK08区のグリーン・ガーデンだ」
ルナはごはんを口の端からこぼした。味噌汁でなくてよかった。
「卵以外も食えといってるだろ。サラダを食え」
「……」
ルナは呆れてボケウサギで、アズラエルになにも言えなかった。やがて、サラダを持ってきたアズラエルは、ルナのたまごだらけのトレイにサラダの小鉢を押し込み、席に座って自分の食事を開始した。
ルナがなにか聞きたげに――でも、あまりのことに口が食べるかしゃべるかおぼつかないのを見て取って、アズラエルは説明した。
「家に帰れば、エレナやレイチェルたちの突撃訪問を受けるぞ。クラウドにも会いたくない。今アイツのおしゃべりにつかまったら、俺の考える時間がなくなる。なんつうか、なんか、分かりかけてんだ。あとちょっとだ。――つまり、家に帰る気はない」
「どこいくの」
「グリーン・ガーデンだ」




