80話 ルシヤの夢と鮭サンドと、クラウドが探している誰か 2
読めば読むほど、アズラエルの眉間にしわが寄っていった。
ルナは昨日、はじめてハンシックに行った。なのに、ここにはエラド・ワインだの、ジャーヤ・ライスだの、あそこに行かなければ到底知りえないメニューの名称が書かれている。
ハンシックのことを書いたチラシには、店名と簡易地図しかなかった。メニュー名はない。食べ物の写真は二枚あったが、名称は不明だったはず。
それに――。
「――こいつを読むと、クラウドがバンビを捜してるって解釈でいいのか?」
ルナは、アズラエルの眉間がたいへん危険な状態になっていったので、バカにされるか、「こんなもん読んでいられるか!」と叫ばれると思ったが(無理もない)、アズラエルの口から出たのは思いもかけない言葉だったので、ほっとして続けた。
「たぶんそうなの」
「だが、この夢の感じだと、バンビは居場所を知られたくない……」
「そうかも」
ハンシックの四人の中で、バンビだけが、唯一素性の分からない人間だった。
しかし、この夢の中のクラウドの言動を見ていると、バンビもL46にかかわりのある人間かもしれないということだ。
『贋作士のオジカはどこへ行ったんだ……』
『“贋作士のオジカ”?』
『そうさ、彼を一刻も早く探さないと……』
『探さないとどうなるの』
『大変なことさ。ひとつの星の勢力図が塗り替えられてしまう』
夢の中で、ルナとクラウドは、そんな会話をしていた。
ひとつの星の勢力図とは、L46のことだろうか。
「で、ルシヤふたりは、もしかしたら、おまえの娘かもしれなくて、アンディって男が、ルシヤの――つまり、おまえの夫だったかもしれねえ。忌々しいが、過去の話だ。ジェイクがお人好しってのは納得いくとして、バンビの贋作士ってのは、どういう意味だ」
「そこまでは、あたしも分からないの。贋作士って、ようするに、にせものをつくるひとってこと?」
「言葉通りにとればそうなるな」
アズラエルは早口で言い、「もうひとつ気になることがある」といった。
「おまえの過去か――言いたくねえが――つまり、ちくしょう、前世だと? ああ、いまいましい! 前世の夢とやらは、いくつかあって――」
「ほかのとこはみちゃだめ!!」
ふつうの日記も書いてあるのだ。ルナは真っ赤になって止めたが、アズラエルはすでにいくつか読んでいた。
ルナの過去の夢を。
「おまえはどの夢でも“ウサギ”って出てくるだろ。なんでこの夢だけは、“ルシヤ”なんだ?」
「へ?」
ルナはあわてて、日記帳をめくった。
――ウサギさんは、幸せでした。
目の前の海は、たしかに青です、碧がかった、鮮やかな青。
それはグラデーションによって地平線の彼方は群青、間近に打ち寄せる水は濃く深く、下が見えない海です。
たまにこんな荘厳な光景に目を奪われることがありました。――
――そんな、だれも来ないガソリンスタンドに、たまに小さなお客さんが来ることがあります。
それは、仲のいい、銀色トラお兄ちゃんと、ウサギちゃんの兄妹でした。ふたりは仲良く手をつないで、ライオンさんのところに灯油を買いに来るのでした。――
――むかしむかし、ウサギさんはパンダ伯爵に見染められて結婚をしました。
ウサギさんのおうちは、裕福な男爵の家柄でしたが、先代の浪費がたたって、いまはすっかり財産がなくなってしまいました。――
前世の夢かもしれない話は、どれもルナの存在が「ウサギ」として出てくる。
しかし、ルシヤの話だけは。
――ずいぶんむかしのお話です。
ひとりの盗賊が、世間をにぎわせたことがありました。
彼女の名は「ルシヤ」。
鳥の羽のような長い長い耳をなびかせた、一羽のピンクのウサギです。――
最初から最後まで、一人称がウサギではなく「ルシヤ」。固有の名前が出てくる。
「ほんとだ」
アズラエルが言ってくれなければ気づかない箇所だった。
そして。
「ルシヤだけ、ピンクの“ウサギ”じゃなく、ピンクの“パルキオンミミナガウサギ”だ――」
――結論として、分かったことはわずかなことだった。
だが、大きなことでもあった。
ルナとアズラエルは、ともかく、バンビの存在をクラウドに知られないこと――それを約束しあった。
クラウドに、ハンシックの存在を知られてはならない。そのためにも、ミシェルにも内緒にしなければならないということだ。
それから、鮭の――鮭の――鮭と、シャチのサンドイッチ店は、実際に探してみようということになった。
「あの夢は、なんのために見るのか、あたしもわからないの」
「おまえが分からねえんなら、俺が分かるはずもない」
エレナのことは、エレナを救うためにルナがあんな夢を見たということでアズラエルも納得したが、今回は、だれかを救うためとかではないとルナは思った。
なにせ、だれも困っていない。
「でもおまえは、なぜか夢を見た。意味もなく、あんなヘンな夢は見ねえだろうよ」
「アズはさ、じゃあ、エレナさんのときみたいな、なにか危険とか――だれかが困ってるとか、そういう意味があると思う?」
「さァな」
「じゃあなんで、あんな夢を見たんだろうな?」
「おまえが分からねえんなら、俺が分かるはずもない」
もっともだった。
「でもまだよくわかんないよ。鮭とルシヤが関わってるのはわかるけども」
「ルシヤな……」
ルナはどうにも鮭にこだわっているようだが、アズラエルは「ルシヤ」が問題の根源のような気がしてならないのだった。
「アンディさんのほうのルシヤちゃんはね、自分がルシヤだと思ってるの、怪盗ルシヤ」
「ハンシックのほうのルシヤだって、自分の前世がルシヤだって息巻いてたじゃねえか。ジェイクのやつ、マジで信じてたぜ」
そのとおりだった。
ハンシックのルシヤも、自分の前世は、怪盗ルシヤだと信じていた。
おそらく、難病だった次女のほうなのだけれども。
「からい!」
魚介のアラビアータなパスタは、けっこうな辛さだった。ルームサービスのピザとパスタを食べながら、ルナとアズラエルは今後の計画を話し合っていた。
「やっぱり明太子クリームにすればよかった!」
アズラエルは聞いていなかった。
「アンディ・F・ソルテ……な」
そっちの方が気になるらしかった。最初に、「人殺ししかしてこなかったヤツ」と見ただけはある。
「あいつ、もしかして、DLだったんじゃねえのか」
ルナはワインを吹くところだった。
「ディ、でぃえる!?」
「だって、そっちの――八歳のほうは、自分もルシヤと同じ出身地だって言ったんだろ?」
「――あ」
ルナはどこまでもボケウサギだ。
あれほど出身地を明かしたがらないルシヤだったが、やはり子どもだ。口を滑らせてしまったというほかない。
しかし、アンディがもとDLの兵士だったというなら、職業や環境まで、前世と同じなのか。
「DLだっていうならすべてに納得がいく。あの用心深さも――隠れながら生活をしていたかもしれねえってこともな」
そりゃ、盗みのひとつやふたつはしただろう。アズラエルは言った。
「あいつのグローブはDL認証証文をかくすためだ。手の甲と、肩にナンバーが刻まれてるんだ。今だったら、消そうと思えば消せると思うんだがな……ただのタトゥだ。DLをまねて刻むやつもいるし、一般の彫り師に区別がつくはずもねえ」
「そういうことが、分からないとかは?」
彫り師がタトゥを消せるということ自体を、知らないとか?
「ありえるかもしれねえな。なにせ、DLも外界を拒絶してる組織だからな。かといって、ヤツはルチヤンベル・レジスタンスでもねえだろう。あいつらは誇り高いからけっこう堂々としてる。シュナイクルもそうだろ? だがケトゥインでもない。言葉になまりがない。ケトゥインの都市部出身か? L46で、他星から来たやつが降りられるのは、ケトゥインの軍ステーションくらいだ。あそこはL18の軍があるし、一部は観光に開けてる。娘の共通語もずいぶん綺麗だからな。でも、世間知らずすぎるってンなら逆に合わねえ。やっぱ――DLか」
ルナはごっくんとパスタを飲みこんだ。
「ルシヤちゃんね……いっぱい勉強して、科学者になって、パパのメンテナンスをするんだって」
今度はアズラエルが目を見開いた。
「メンテ――あいつ、もしかして、電子装甲兵か?」
「でんしそうこうへい!?」
ルナは、シュナイクルの暗く重い過去を思い出し、うつむいた。
だとすると――彼ら親子は、シュナイクルたちの宿敵になってしまう可能性がある。
アズラエルは自分の頭を整理するために、室内のメモにペンを走らせていた。
「夢の中でクラウドがいっていた、ひとつの星の勢力図が塗り替えられるってのは、L46のことだろう。ルチヤンベル・レジスタンスが滅亡し、ケトゥインも、電子装甲兵にやられるのは時間の問題。それをなんとかするのに、バンビが関係あるってのか?」
ピザ片手に、眉間にしわを寄せて考え込んでいたアズラエルは。
「ああ」
うんざりしたように、天井を見上げた。
「今回クラウドをまったく頼れねえってのは、痛いな……」
アズラエルの知識にも限度があった。
L46は、ほとんどL18の軍しか行ったことはなく、アズラエルがいたメフラー商社は管轄外である。
だが、クラウドは軍の心理作戦部にいたので、L46の案件にも携わっているはずだ。クラウドの部署が関わっていなくても、あの暗記魔は、首を突っ込んでいる。絶対。少なくともデータは読んでいる。
アズラエルには、電子装甲兵も、L46の知識も、ほとんどない。




