77話 ハン=シィク 2
「待たせたな」
四人が運んできた豪勢な食事の数々に、アズラエルでさえ、目を見開いた――同時に、腹の虫が鳴った。
食事はハンシックで取ろうと、昼食も抜きに店を探し、もう夕方五時を過ぎていた。
アズラエルの好みともいえる香辛料の匂いが鼻腔をくすぐっていく。食欲をそそる匂いだ。ルナも「おいしそう!」と叫んだ。
テーブルをふたつくっつけ、それでもスペースが足りないほどの品数が、どんどん運ばれてくる。
見るからにうまそうな肉の塊に、野菜たっぷりの半透明なソースがかかった丸ごと魚のソテー、大皿に山ほど盛られたエビからは、ガーリックの匂いがこれでもかとする。
サラダは、具沢山のヨーグルトソース。キノコのシチュー、こんもり盛られたチャーハンらしき米料理。ラグバダ・ビールにエラド・ワイン。
すべての料理がそろうと、シュナイクルがひとつひとつ説明してくれた。
「肉の塊は、シシム牛のステーキだ。八百グラムくらいいけるだろ。魚はズッカ・カレイのソテー。L44は、遊郭の星ってだけじゃない。魚貝が最高だ。星の大半が海だからな。エビはフィフィ族の好きなガーリックいためだ。最近、うちで人気でな。地球人の口に合うらしい。サラダはうちのオリジナル。クセのある野菜があるかもしれんが、食ってみてくれ。シチューはアノールのきのこシチューだ。で、こいつはジャーヤ・ライス。炒めた米だ。うちのオリジナル」
「常連客には一番人気よね」
バンビが付け足した。
「白いメシが欲しけりゃ出そう。地球の日本の米とラグバダ、アノールの米がある。選んでくれ。パンもある。飲み物は、コーヒー、紅茶、ダルダ・ソーダとラグバダ・ビール。エラド・ワイン、ケトゥインの発酵酒、マケロッタの発泡酒があるだろ――それから、」
「じいちゃん、メニュー表を渡せばいい」
ルシヤがメニュー表をルナに渡した。
「そうだな。食い足りなかったら言ってくれ。冷めないうちに食おう」
シュナイクルは、どっかと威勢よく、ルナの隣に座った。ルシヤはルナの真向かいに――ジェイクはアズラエル、バンビはシュナイクルの向かいに座った。
「よかったわね、あんたたち」
バンビが壁にかけてあるカレンダーを顎でしゃくった。
「今日うち、定休日よ」
ルナとアズラエルはカレンダーを見て、口を開けるところだった。ルナはともかく、アズラエルまで。
どれもこれもが、ほっぺたが落ちそうなくらい美味しかった――ルナは夢中で食べた。無言になるくらい、夢中で。ルシヤもシュナイクルも、ジェイクも、そんなルナをうれしげに、あるいは微笑ましい目で見ていた。
ルシヤは自慢げに言った。
「じいちゃんが、つくったメシは、最高!」
「うん!」
シュナイクルは、自ら肉の塊を切り分け、取り皿にのせていく。一センチ以上もある分厚さだ。
「そら、行儀が悪いが、かぶりついてもいい。このくらいの厚さが一番うまい。そうだな――ソースもあるんだが、まずは塩だけで食ってみろ」
手ずから、ルナとアズラエルの肉の皿に、岩塩を振りかける。赤身肉は驚くほど柔らかく、味は申し分なく美味かった。
「おいぴい」
ルナのお口が、もっきゅもっきゅと動いた。ルシヤは言葉通り、両手で持って食らいついている。シュナイクルは、自身も豪快に肉片を咀嚼し、
「船に乗って、いろんな牛を食ったが、俺はシシムの牛が一番うまいと思った」
「正解かもな」
ローストビーフに似た肉片を、アズラエルはナイフとフォークで切り分け、満足そうに口に運んだ。
塩もいいが、エラド・ワインを煮詰めたソースも、また絶品だ。
ジャーヤ・ライスは、夢で、ピューマが食べようとしていたメニューだった。アズラエルが好きそうな、トウガラシが効いた香辛料をつかったチャーハンだ。米はバトルジャーヤの米、たくさんの野菜と、塩漬けの豚肉をみじん切りにしたものといためている。
案の定、アズラエルは気に入ったらしく、こんもり取り皿にのせていた。
ルナはエビのガーリックいためのために白米まで頂戴したし、アズラエルはラグバダ・ビール三本目のあとは、ジェイクにすすめられた発酵酒を飲んでいる。
ルシヤはアノールのパンにエビをたっぷりのせて頬張っていたし、ふたりだけでなく、バンビ以外は三人とも、たいそうな食欲だった。
「これ、モジャが入ってる!」
ルナがサラダを口にして叫んだ。
「入れてみたんだ。なかなかうちのサラダに合う」
「うん、とってもあう!」
ルナはもりもり、サラダを食べた。きゅうりと、セロリみたいな野菜と、トマト、ルナの知らない野菜があと三種類、豆、コーン、モジャが入っている。さっぱりしたヨーグルトソースが、食欲をますます増進させてしまう。
バンビは肉を食わなかったが、そのかわり、サラダの大半をひとりで平らげた。サラダが足りなくなると、厨房に引っ込んで、追加分を持ってきた。ジャーヤ・ライスも。
「――うますぎる」
いちいち唸らずにはいられないほど、美味かった。
長い距離を、時間をかけて雪の中、食いにきたくなる魅力だ。
アズラエルは、いささか言葉を失うほどの量を食った。夢中でフォークを口に運んでいた。
残りのサラダを、バンビとルナの皿に取り分けて、テーブルの上からはすっからかんに料理がなくなった。
もうお腹がいっぱいで、なにも入りそうにないのに、なくなってしまったことが惜しくなるくらい。
「とっても、おいしかったです!」
「満足か。それはよかった」
シュナイクルはルナの頭を撫でた。
店員たちは、手際よくテーブルの上の皿を片付け、アイスクリームの乗った焼きリンゴと、コーヒーを人数分持ってきた。
「はい、ルナちゃんの分」
ジェイクに手渡されたものの、もうおなかがはちきれそうなルナだった。
「ゆっくり、食べて」
アイスが溶けかけたころに食べると美味しい。
ルシヤもそう言った。
デザートを持ってきたはいいものの、だれも手を付けなかった。それだけ、満腹なのだろう。
「いやあ、久しぶりにあんなに食べたわ」
バンビも腹をさすって天井を見上げた。
「シュンに作りすぎじゃないって言ったけど、あいつらはきっと食べるから大丈夫だって。あたしもつられて食べすぎちゃった」
「俺も久しぶりにこんなに食ったよ」
アズラエルも、自分にあきれ果てたように言った。
「マジでうまかった」
「そりゃあ、うれしいな」
シュナイクルは破顔した。
満たされた沈黙が、しばし店内に訪れた。やがて、ルナが立った。
「これ――見てもいいですか」
店内に入ったときから気になっていた、壁に飾られたたくさんの写真を指した。
「ああ」
ルナはカウンターに近いほうから、順番に見ていった。
ハンシックの四人が、収穫したての野菜を持って映っている写真。店内で宴会でも開いたのだろうか。
大勢の客が、カップを掲げている写真。
いまよりもっと若いシュナイクルが、赤子を抱いている写真。赤子はルシヤだろうか。
ルナは、店の外を映した写真に目をとめた。
端に見えるのはおそらく、ハンシック。一面の雪原で――ちいさく、なにかが映っている。
ルナは顔を近づけ、目を凝らした。
「あっ!」
ルナの声に、ルシヤが立ち上がった。
「どうした? ルナ」
隣にかけてきて、聞いた。
ルナは写真の中央に見える――目を凝らさなければ見えない小さな動物の輪郭を指して言った。
「これ、パルキオンミミナガウサギ?」
まさかと思った。L23と、ハン=シィク地区にしかいないはず――。
しかし、鳥の羽根のように長く、キラキラした耳を持つこのウサギは、間違いなく。
「地球行き宇宙船にもいるの?」
「驚いたな。これを見て、一発でウサギの名を当てたのは、おまえだけだ」
シュナイクルが感心して言った。
「ルナ、見たことがあるのか!?」
ルシヤも驚いていた。
「う? う~ん、ず、図鑑で?」
まさか、夢でウサギの存在を知ったとは言えない。
「図鑑だろうが、見たことがあるとはね」
こちらも驚いたことに、話に乗ってきたのは、食事中はほとんどしゃべらなかったバンビだった。
「こいつはめずらしいウサギよ。原住民だって、こんなウサギは見たことないって、名前も初耳だっていう連中ばかりよ」
「L23原産で、マリタニ・ネズミとの交配説があります」
ルナは言った。
「ずいぶん詳しいのね。動物学者でも目指してるの」
「う、ううん……ただ、ウサギが好きなので」
ルナはそういうほかなかった。
「そうか。ゲンブツを見たことがあるなら、どんなか聞こうと思ったのに」
バンビは残念そうに言った。
「え?」
「コイツを見たことがあるのは、俺とルシヤだけだ」
シュナイクルが写真を親指で指した。
「滅多に人の前に姿を現さないウサギだ。俺も、まさか船内にいるなんて思わなかった。駐車場で雪かきをしていたら現れてな――思わず、買いたての携帯電話の写真でとったよ。あれ以上近づいてこないし、写真も、小さくしかとれなかったが、あの耳は、まさしくパルキオンミミナガウサギだと思った。特徴的だし、光を受けるときらめくんだ。神秘的だろう?」
ルナは、ウサギの耳が、羽みたいにひらひら揺れて、きらめくところを想像した。
「船内の役所で聞いたら、この宇宙船にはあらゆる動物がいるはずだから、パルキオンミミナガウサギもいるはずだって」
「でも、実際、役所の動物研究課の職員も、見たことないんだとさ」
バンビもそばに来て、熱心に写真を見つめた。――思い入れでも、あるように。
「パルキオンミミナガウサギは用心深い。人前に姿を現すことなんてほとんどない。だからハン=シィク地区では、神の使いとされていたんだ。――なァ、まるで、ルシヤみたいだろ」
シュナイクルがニヤッと笑った。ルナのウサ耳がにょきん! と立つ。ジェイクだけが、不思議そうにルナの頭頂を見た。
「やっぱり、ルシヤは、ハン=シィク地区のお生まれですか?」
敬語になってしまった。ルナの問いに、シュナイクルがうなずく。
「そうだ。ルシヤは誇り高きルチヤンベル・レジスタンスの女で、俺たちの祖でもある」
「そ!!」
「おまえも傭兵なら、俺たちが生き残りだと、なんとなくわかっていたんじゃないのか」
シュナイクルは、アズラエルに向かって言った。特に警戒しているわけでもなく、胸襟を開いたまま。
アズラエルは、肩をすくめた。
「ああ――まァ」
「アズほんと!?」
「右のほうの写真見てみろ」
アズラエルが示した方には、シュナイクルを中心とした、たくさんの男たちが映った写真があった。おそらくこの中で一番古い写真で、ところどころ染みがつき、焦げている部分もある。
ルナは息をのんだ。
彼らが掲げた旗には、しっかり「ルチヤンベル・レジスタンス」の文字がある。
「――ルチヤンベル・レジスタンスは、このあいだ滅亡したよな」
「新聞を見たのか」
シュナイクルはうなずいた。ルナは初耳だった。
「半分は正解だが、間違っている。ルチヤンベル・レジスタンスは壊滅した。だが、ハン=シィクである、俺とルシヤは、生きている」
「そうだな」
ルチヤンベル・レジスタンスは先日、壊滅の報が、軍事惑星の新聞の片隅に載った。
シュナイクルとルシヤは、いつからこの店をやっているのだろう。地球行き宇宙船の役員になって店をひらくには、地球に到達していなければおそらく無理だ。ならば、最低でも、四年以上前にはこの宇宙船に乗っていなくてはならない。
だとしたら、ルチヤンベル・レジスタンスを脱退したのか?
「おまえらも、そうなのか?」
アズラエルはジェイクとバンビに聞いたが、ふたりは首を振った。
「俺たちは居候。この宇宙船で、シュンさんたちに出会ったんだ。ルチヤンベル・レジスタンスは、シュンさんとルシヤさんだけだ」
シュナイクルは静かに言った。
「俺たちは、軍事惑星を敵視していたわけじゃない。傭兵もな。内部の思想は、おまえらがとらえているほど単純じゃない。それに俺は、軍事惑星に助けを求めたおかげで、こんなところにいる」
「なんだと?」
「まあ、食え。アイスが溶ける」
シュナイクルはルナに、ガラスの器を差し出した。
「いただきます!」
ルナは、すっかり溶け切ったアイスにスプーンを入れた。
勘違いかもしれないが、さっきからシュナイクルは、ルナが食べるところを見て、泣きそうな顔をするのだ。
嫌な顔や、つらい顔ではない。
むしろ、とてもしあわせそうな顔をするのだ。
だからルナは、「もうおなかいっぱいで……」とはなかなか言えなかった。
ほっぺたをパンパンに――リスみたいにふくらませて食べるルナを、シュナイクルが愛おしげに見つめ――アズラエルも、それに気づいた。
シュナイクルの目が、うるんでいることに。
「うまいか?」
「うん、とっても!」
ウソではない。アイスと焼きリンゴは、とてもおいしかった。おなかがいっぱいでも、さっぱりしていて入る。
ルナの返事と同時に、シュナイクルの笑みが深くなる。
彼はアズラエルの視線に気づいて、苦笑し、そっと立ってカウンターへ入り、鼻をかみ、眉間を押さえた。
「すまんな――どうも、娘と重ねてしまう」
もどってきた彼はそう言って謝った。ルナのスプーンも止まった。
「あんた、いくつなんだ?」
アズラエルは素朴な疑問を口にした。シュナイクルはこともなげに言った。
「今年で四十三になる」
「あたしのパパよりずっと若い!」
ルナは叫んだ。
「俺の娘は、生きていたら、あんたと同い年くらいだろう」
若く見えるじいちゃんは言った。ルシヤも、アイスをすくう手を止めて、神妙な顔で祖父とルナを交互に見ていた。
「娘のサリヤは、俺のめのまえで餓死した」
シュナイクルは衝撃的なことを、淡々と告げた。
「メシを提供する店を始めたのは、家族の魂をなぐさめるためだ」




