73話 エーリヒの鼻歌と、正気のメフラー親父、そして新たな始まりの予兆 2
「……うん。……うん、うん。わかった。じゃあ、とりあえず安静にね」
メフラー商社の事務室では、アマンダが、今朝から電話応対に追われ、作業服に着替えたはいいが、一度も作業部屋に行っていなかった。
「……ンなこと言ったって、できちまったもんはしょうがないじゃないか。いいかい! おろすなんて、今度そんなバカなこと言ったらクビだからね!」
アマンダの大声は、聞きたくなくても作業場に届く。続いて、ガチャン! と電話を切る音が聞こえた。
エンジン検査のために、ものすごい音を立てて車のエンジンを吹かしているのだが、その音すらアマンダの怒声には負ける。デビッドはエンジンを止め、「休憩だ」とシドに言った。
そろそろ午前十時だ。コーヒーとビスケットの時間だ。デビッドとシドが、レンチを放り投げて事務室にやってきた。
「……どうしたんだ? おろすのなんのって」
事務所に着くなり、缶を開けてビスケットをかじったデビッドのセリフに、アマンダは大きなため息を吐いて、事情を説明した。
「レオナが、孕んだんだと」
「ええーっ!? レオナさんがスか!?」
魔法瓶からコーヒーを三人分注いで持ってきたシドは、己の大声に驚いてコーヒーを落としかけた。
「――孕んだって、バーガスの子か」
「あんた、あたしが妊娠したときも言ったよねそれ。俺の子かって。レオナに言ったら、首真後ろ向かせてやるからね」
「悪い。――で? おろすとか言ってンのか?」
「そうなんだよ。仕事で宇宙船に乗ったのに、こんなんなっちまって申し訳ないって。だって、赤ちゃんは、授かりものだもの。こればっかりは、しょうがないじゃないか」
レオナは、バーガスの妻であり、メフラー商社の傭兵のひとりだ。
地球行き宇宙船に夫バーガスとともに乗ったのは、仕事のためだった。
ある人物の、ボディガードのためだ。だが、彼らにボディガードを依頼した人物はすでに死亡していて、依頼主からの報酬はゼロ。しかも地球行き宇宙船は警備も厳重であることから、ターゲットは今のところ危険にはさらされていない。
そのターゲットも、まさか自分がバーガスたちにボディガードされているとは思ってもみない――そういう、あいまいな任務である。
ようするに、故人の約束を律儀に守って、こちらが勝手にボディガードをしているだけのことであり、報酬なしで、おまけにふたりの働き手がいなくなる、というメフラー商社にとってみれば損ばかりの任務なのだ。
バーガスとレオナの、宇宙船で毎月受け取る三十万が、報酬と言ってみれば報酬か。
それでも、それを依頼したのは、メフラー商社の馴染みの傭兵集団、「ホワイト・ラビット」のシンシアからの依頼であったので、メフラー爺は引き受けた。
白兎のシンシアは、軍事惑星でもっとも大きな傭兵集団、白龍グループの出だ。白龍グループに恩を売っておくのも悪くはない、と爺は言ったが、それは意地っ張りな爺の表向きの言葉で、本当は、亡くなったシンシアを不憫に思ってのことだったろう。
彼女は、メフラー商社によく出入りしていた。爺にとっては可愛い孫のような娘だった。
シンシアが地球行き宇宙船に乗るはずだったチケットで、バーガスとレオナが乗ったのだ。
亡きシンシアの依頼で、ターゲットを守るために。
メフラー商社は、ロビンとアズラエルとバーガス、レオナ、と働き手が四人もいなくなったが、それほど不自由はしていなかった。
L18の混乱のせいか、仕事は少なかったし。
ロビンも任務が終了したので、様子を見て帰る、と言ったが、帰ってきても仕事はない。
バーガスたちのほうも、ターゲットに今のところ危険はない。宇宙船内の厳重な警備システムを見ても、これは大丈夫だろうということで、一年がすぎたら帰るつもりだったが、帰ってきても仕事がない。
長期休暇だと思って、しばらく宇宙船にいろとの命令だった。
必要なときは呼びもどす、と爺は言った。
そんな話をしていた矢先である。レオナの妊娠が発覚したのは。
いくら報酬なしの暇仕事とはいえ、仕事は仕事。もし、ターゲットが危険にさらされたら、孕み腹では肝心なときに動けない。仕事で宇宙船に乗ったのに、仕事ができないでは困る。だから、レオナはおろしたほうがいい、といって聞かないのである。
レオナも、子どもが欲しくなかったわけではない。
むしろ、以前は欲しかったのだ。しかし、体質のせいか、長いこと子どもができなかった。四十歳を迎えた今はすっかり諦めてしまって、自分は仕事に生きるのだと豪語していた矢先だった。
子どもができたと知ったバーガスは、「宇宙船万歳!」と叫んで、アズラエルやロビン、飲み仲間たちにおごりまくった。バーガスの喜びようも、それはそれはたいしたものだった。
なのに、妻はおろすと言い出した。
「バーガスさんとレオナさんも、デビッドさんたちと一緒で、いっつもバーガスさんが苛められてるみたいにしか見えねえスけど、やることやってたんスね」
シドのセリフには、アマンダのゲンコツが答えだった。シドは、頭がぶれるほどの痛みに、自分の失言を一瞬だけ反省した。
「バーガスもね、仕事は自分ひとりでだいじょうぶだし、アズラエルもロビンもいるんだし。レオナに安心して産めって言ってるんだけど、――でもね、あのこ、四十で初産だろ? いろいろ不安になってんじゃないかって思うんだよ。もともと、孕みにくい体質だから、今まで孕まなかったわけだし。もうあきらめてたんだよあの子も。妊娠しにくいってのは、傭兵に取っちゃ仕事がバリバリできていいって。なのにさ、今ごろできちまって。仕事の邪魔になるから、おろすとか抜かしやがるのさ。で、バーガスが困っちまって、あたしに説得してくれって」
「だって、今ントコ、ターゲットは無事で、仕事らしい仕事もしてないんでしょ?」
シドが口をはさむと、アマンダはコーヒーをすすりながらつぶやいた。
「そうなんだよ。結局、シンシアの地球行き宇宙船チケットがギャラみたいなもんで、いわばタダ働きみたいなもんだからねえ……。そんな気合い入れて仕事、仕事言わなくても、ターゲットがだいじょうぶなら、仕事にすらならないんだし。だからね、仕事を言い訳にして、あのこ、不安を隠してンのさ」
「……あの豪傑レオナさんにも、不安ってあるんですねえ」
「シド、あんた、うちに来てから失言で百回はクビになってるはずだよ」
「すんませんっした!」
「あたし、エマルに聞いてみるよ。レオナの相談に乗ってやってくれって。あたしは一匹しか生んでないけど、エマルはポコポコ三匹も生んだ母親だからね。あたしよりいいアドバイスしてやれんじゃないかって」
「一理あるな」
「宇宙船の中じゃ、せっかく仕事なしで、のんびり子育てできんだからさ。帰ってこなくていいから宇宙船内で生めって言ったのに、あのこ、迷ってるみたいなんだよ」
「まァな。四十で初産じゃな。なあアマンダ、地球行き宇宙船乗ったらガキできるってンなら、俺らもいっちょ、マックの弟か妹でも――」
アマンダはあっさり無視した。
「こういうとき、一番いい言葉かけてやれんのは、リンファンだったんだよね……。あのこ優しいしさ。あたしらみたいにすぐ怒鳴らないし。傭兵としては三流以下だったんだけど、」
デビッドは、妻の冷たい仕打ちには慣れている。いったいどのくらい、ご無沙汰なのだろう――デビッドは、ビスケットの甘さで切ない気持ちをごまかし、
「おまえも、おやっさんの懐古グセうつったんじゃねえのか」
「はあ? 冗談およしよ」
「ていうか、ボスはだいじょうぶなんスか?」
「ああ、だいじょうぶだいじょうぶ。あっちは平気だよ。ちょっと糖尿のケあるからね。ついでに検査入院してるだけ」
どうせ、酒もたばこも、甘いモンもやめないしさ、とアマンダは手をぶらぶら振った。
大晦日、うさこちゃんの写真を見てひっくり返ったメフラー親父は、そのまま病院に搬送されていた。酒の飲みすぎで肝臓がすこし悪かったのと、糖尿検査のため、ついでに入院しているが、彼本人はうんうん唸って寝ているわけでもなく、ピンピンしている。
「デビッド、アンタ午後から親父に着替え持ってってやってくれない? あたし、エマルんとこ行ってくるからさ、」
「エマル、仕事じゃねえのか」
「このあいだから帰ってるよ。ひとつきは仕事ないから、メシ行こうかとか言ってたんだ」
「そうか。じゃあ、おやっさんは俺が行ってくる。シド、午後からひとりだから、一台片付けて電話番しとけ。定時になったら店閉めて帰んな」
「了解っす!」
「つうかさあ……」
アマンダはコーヒーを飲み干して立ち上がり、背骨をボキボキ鳴らしながら後屈運動をし、言った。
「親父、身体のほうより、アタマが心配だよ。ボケちまったんじゃないかと思うんだよねえ」
「はあ? あのキレ者のおやっさんがか?」
デビッドが、タバコをもみ消して、休憩を終わらせた。
「何かの間違いだろ」
「だってさあ……病院のベッドで、日がな一日、あのうさこちゃんの写真、眺めてるんだよ?」
シドとデビッドが爆笑した。
「そりゃ、老いらくの恋ってやつじゃねえのか」
「若いッスね~! ボス!」
うさこちゃんめぐって、アズラエルさんと三角関係ッスか! とシドは笑ったが、
「笑いごとじゃないよ」
アマンダは嘆息した。
「変なこと言うんだよ。あのうさこちゃんは、リンファンの子だって。絶対、リンファンとドローレスの子だって、言ってきかないんだよ――」
――ベンへ。
案件B15497についての回答を。
L46バトルジャーヤ、ハン=シィク北地区において、ルチヤンベル・レジスタンスが消滅した件について。
詳細な情報を送ってくれ。
こちらも知っていることをおおまかに記す。
彼らは地球人移住者の末裔と言われているが、アノール、ラグバダ、ケトゥインなどL系惑星原住民との混血が進み、正式な血縁情報は得られていない。(DNA鑑定できず。生体認証も存在しない。)
彼らは自身を地球人の末裔と信じているが、証明するものは地球歴中世フランス発祥の武術、サバットが受け継がれていることしかない。
基本的に謎が多い民族である。
彼らはL18はじめ、軍事惑星の介入を拒んでいる。
おそらくそのことが滅亡につながった一因でもあるのではないか?
俺が在籍していたころも大規模な戦闘があったが、滅亡してはいなかったはず。
なにがあったのか、教えてほしい。
ハン=シィク地区の情報については、情報分析課ファイルL46-1643を参照のこと。
ルチヤンベル・レジスタンスと、L46に根を張ったDL第二の組織、ケトゥインの好戦的な部族が、長きにわたって勢力争いを続けている地区である。
またL46のDLは高度な科学技術を持っていて、軍事惑星では長年人権問題により実現化されてこなかった、電子装甲兵によって勢力を拡大しつつある。
ルチヤンベル・レジスタンスが消滅したということは、三つ巴が破綻したということだ。
おそらくケトゥインの息も長くはない。
軍事惑星が介入しているなら、できるかぎりの情報を。
それから、アレクサンドル・K・フューリッチ博士のゆくえはその後つかめただろうか?
ハン=シィク地区が全域DLに支配されたとなると、L46のDLはL43のDLより勢力が強まり、勢力図が一変する。
電子装甲兵をもとにL46そのものの支配に乗り出しかねない。
エーリヒも手を打ち始めているだろうが、最近、軍部の反応が鈍いと聞いている。
緊急用件だ。
なんでもいいから情報を頼む。
クラウド・A・ヴァンスハイト




