72話 消え入りそうなナターシャと、バーベキューの計画 3
「……だからね。みんなバラバラだから大変だと思うの。みんな一斉に会えればいいんじゃないかって思うんだよね」
昼時を過ぎた午後二時ころ、ルナとアズラエルは、リズンにいた。
ミシェルから、用があるから昼は行けない、と電話があったし、アズラエルもムスタファのところへ行かなくてもいいので、久方ぶりの,ふたりだけのランチだった。ふたりだけでお昼を食べているのも、もしかしたらとんでもなく久しぶりかもしれなかった。
「ひとりひとりと会うからね、ぎっしり詰まった感があるの。おうちにずっとたくさんの人がいるような気がして落ち着かないの」
「そのぎっしり詰まった感とやらはよくわからねえが……。ようするに、ともだち全員集めて一回で会えればいいなってことなんだろ?」
「うんそう。ぎっしり詰まった感なのは時間なの。時間がぎっしりみっしりなの」
「ますます分からねえ。もうそのぎっしり感とやらはいい」
「意外と、エレナさんとレイチェルとか、気が合うと思うのよね」
「そうか? まあ、みんな一斉にか、――パーティーでもするのか?」
「バーベキューとか。いっぺんやってみたいな」
「したことないのか?」
「うん」
「へえ。俺ンちは何かあればしょっちゅうバーベキューだったけどな。郊外のキャンプ場で」
「家族で? いいなあ。アズのおうち、家族多いもんね」
「肉の取り合いが熾烈だけどな」
少しでもコンロから離れると食い損ねるぞ、とアズラエルがいうので、ルナは笑った。笑い――視線の先に、見覚えのある顔を見つけて、ルナは思わず手を振った。
相手もルナに気付いていた。
アルフレッドと、ナタリアだ。
ルナだけではなく、アズラエルも一緒なのでふたりはすこしためらっていたようだが、ルナが行く前に、こっちの席へやってきた。
「久しぶり」
ルナにあいさつしたあと、アルフレッドは「はじめまして――ア、アルフレッドです、よろしく」とアズラエルに向かって緊張した顔で言った。
ナタリアに至っては、声も出ないようだった。
レイチェルのこともあったし、こういう反応は慣れているアズラエルは、
「アズラエルだ。……座れよ」
と嘆息しつつも、ルナの隣の席を示した。
「そんなにビビらなくてもな、取って食ったりしねえって」
「あ、あはは……」
アルフレッドは笑うが、その笑顔はぎこちない。
「……」
「……」
二人が黙ってしまったので、ルナはあわてて言った。
「ケ、ケヴィンは元気?」
「あ、ああ。元気だよ」
「……」
それで会話はまた途切れた。
ルナは、アルフレッドもどちらかというと、あまりしゃべらないタイプだったのを思い出した。
ケヴィンのほうが、明るくてよくしゃべるタイプだったのに対し、アルフレッドはそんなケヴィンに相槌をうつ方が多かった。ナタリアもそうだ。こちらから話しかけない限りは、まったくといっていいほど反応を示さなかったような――。
「ケヴィンってだれだ?」
アズラエルが聞いてくるので、「あ」とルナとアルフレッドの声が重なった。二人で顔を見合わせ、アルフレッドが、「ぼくの兄」と言った。
「双子なんだ。……このあいだ、宇宙船を降りちゃって」
「ふうん。なんで?」
「えっと、……ケヴィンは小説家を目指していて。宇宙船の中で小冊子にコラム書いてたんだけど、それがこの宇宙船に乗ってた編集者に認められて、彼と一緒に降りたんだ」
「へえ……コラムね」
アズラエルが「おまえも書いてンのか?」と聞くと、アルフレッドは大あわてで首を振った。
「ぼ、ぼ、ぼ、ぼくはそういう才能なんてないから……!」
ナタリアは曖昧に微笑むだけで、口を開かない。
アルフレッドは、そんなナタリアをちらちらと見ながら、なにか彼女に促しているようだった。でも彼女は俯いたままなにも言わない。
しびれを切らしたように、アルフレッドが言った。
「あ、あの、ルナちゃん……」
「なあに?」
「あのさ、ナターシャと、ともだちになってくれないかな?」
ナタリアが、顔を真っ赤にして、アルフレッドを泣きそうな目で見上げた。なんでいうの、と責めているようにも見える。
「だって、ナターシャが言ったんじゃないか。ルナちゃんとともだちになりたいって」
「あ、あたしだって、言おうとしてたわ! で、でもタイミングってあるでしょ?」
「だって、さっきからずっと黙ったままじゃないか」
「……だ、だって!」
ふたりの、どこか遠慮がちな会話を聞きながら、アズラエルは仕方なく立った。
「わかった。……とりあえず、俺は散歩してくる。その辺をだな」
アズラエルは、自分がいたからふたりが話せなかったと思ったらしい。席を外そうとすると、
「ま、待って!」
ナタリアが叫んだ。ものすごく小さな声で。
「そ、そうじゃないの……。い、いてもいいの。あの、いてください……」
小声で付け足す。下手をすれば、店のバックミュージックにぜんぶかき消されそうな小声だった。
アズラエルは座り直し、「俺はいてもいいって?」と尋ねると、ナタリアもアルフレッドもうなずいた。
「ご、ごめん、気を悪くさせて。ぼくたち、べつにあなたのこと怖いわけじゃあ、」
「怖いんだな。言っておくが、俺は“あなた”じゃなくてアズラエルだ。アズって呼ばなきゃ、どんな呼び方でもいい。だが、そのあなた、だけはゴメンだ」
首筋がかゆくなる、とアズラエルが言うと、アルフレッドは、やっと普通に笑った。ぎこちない笑みではなかった。
「レイチェルとスーパーで買い物してるアズラエルは怖くなかったよ。……意外と、普通の人なんだなって思った」
アズラエルは絶句し、ルナは思わず大声で笑ってしまった。
「――なるほどな」
ルナの百倍は口下手であろうナタリアが、しどろもどろに説明を始めたのは、ルナが大声で笑ったあとのことだ。
「ようするに、おまえは双子の妹と手を切りたいって、そういうことか」
アズラエルのセリフに、めずらしくルナが突っ込んだ。
「なんかアズが言うと、組織から足ヌケするみたいだね」
ルナの冗談には、アルフレッドしか笑わなかった。ナタリアは、真剣な顔でうなずいた。
ナタリアは、この旅行は、二度目の参加である。
以前、ルナがナタリアに試験のことを聞いたが、ジュリが邪魔したため、くわしいことは聞けずじまいだった。
じつは、ルナよりずっと前に、ケヴィンやアルフレッドも試験のことをナタリアに聞いたことがあった。ナタリアは、まえの旅行のことは、彼らにもほとんど言わなかった。
理由は、恥ずかしかったからだ。
ともだちができなくて、二ヶ月もたたないうちに宇宙船を降りた――なんてことを言うのは、恥ずかしかったから。
もちろん、宇宙船に二ヶ月しかいず、そういった情報をもたらしてくれる友人もできなかったのだから、試験のことなど知るはずもない。ナタリアは、試験があるかもしれないなんて、アルフレッドと付き合い始めてから分かったことだった。
「あ、あたしとブレアは、双子なんだけど、性格は正反対で。ブレアは気が強いし、つきあうともだちも、あたしとは気が合わないの。だから辛くて……」
ブレアは、つきあうともだちも、どちらかというとガラの悪い連中が多かった。この宇宙船に乗ってイマリと出会い、彼女のグループといつも遊んでいる。
ナタリアは、イマリたちとは気が合わなかった。イマリたちのグループには溶け込めないし、だから放っておいてくれれば、ナタリアも気が合う友人を自分で見つけられるのだが、ブレアは、ナタリアの友人作りを邪魔するのだった。
それは、いまに始まったことではないらしい。
昔からブレアは、ナタリアが、ブレアの気に入らない子をともだちにしようとすると、躍起になって妨害してくるのだった。
「あの子と一緒にいると、あたし、もうずっとともだちできない気がする。ずっと自信がないままで……また宇宙船降りちゃうような、気がするの……」
「ナターシャには悪いけど、ブレアは性格悪い」
アルフレッドはきっぱりと言った。
「ケヴィンは別れて正解だったと思う。あいつがケヴィンと別れてから、今度はぼくとナターシャの仲を悪くしようと思って、いろいろ嫌がらせしてくるんだ。ぼくも、ナターシャがちゃんとこのことを話してくれなかったら、別れようと思ってた」
ナタリアは、いまにも泣きそうだった。
「アルは、あたしがブレアのこと話せた最初の人なの……。だから、……嫌われたくなかった」
「やっと、ナターシャがちゃんと話してくれたから。ぼくも向き合うことにしたんだけど。……でも、ここからはナターシャの問題なんだ。ぼく、ナターシャは一回ブレアと離れた方がいいと思うんだ。だから、ぼくがナターシャと暮らそうと思ってるんだけど、ブレアがうるさくってさ。ナターシャを無理やり連れてくなら、役所に通報するとか、宇宙船降りるとか、そんなことばかりいうんだ。ナターシャは、ブレアにわめきちらされると黙っちゃうし……」
ナタリアはついに涙ぐんだ。
「……あの子に騒がれると、もう、あたし……パニックになっちゃって……」
今まで、何回も離れようとしたのだという。でも、そのたびにブレアに泣かれたり、ヒステリックに怒鳴られたりして、いつもナタリアが折れる形でいままでやってきた。
そのうち、自分もブレアから離れたらひとりになってしまう、自分はともだちができないんだと思い込みが深くなってしまって、なかなか今の状況から抜け出せなかったのだと、ナタリアはべそをかきながら、つぶやいた。
「まえも――そうだったの」
まえ、とは前の地球行旅行のことだろうか。
「まえのときもね、隣の部屋の子と仲良くなって、一緒にリズン行こうって約束したら、ブレアが怒って――。その子に、あたしがその子の悪口言いまくってるって言って……。それで、近所の子からもあたし、無視されるようになって……、」
ルナは、なんだか嫌な予感がした。
「ルナちゃん……たちのこともすごく悪口言ってるの。イマリさんたちの間で。リサさんとか、ミシェルさんのことも。だから、……レイチェルさんだっけ? すごく怒ってたわ。ブレアは嘘つきだから、きっとまた、あることないこと、言って回ったのよ。レイチェルさんて……あの人怒ると怖いのね」
「レ、レイチェルが???」
ルナは、あのお嬢様然としたレイチェルが怒るところなんか想像もつかなかった。
「アイツはけっこう気が強いぜ」アズラエルはぼやいた。「伊達にエドワード尻に敷いてるだけある」
エドって、尻に敷かれてたんだ……。
ルナは見えざる関係に、今度から刮目することにした。
でもやっぱり、自分は陰口を叩かれていたのかと思うと、少し落ち込む。学生時代、何かと目立つリサと比較され、要領も悪かったせいで、陰で笑われたこともあったルナは、気分がもやもやした。
いやなことを思い出して、へこみそうになったところを。
「ルゥ」
アズラエルにほっぺたをつままれた。
「おまえには、いいともだちがいっぱいいいるだろ? ロクでもねえ連中のことなんか気にすんな」
不覚にも、ルナが泣きそうになってしまった。ナタリアも、泣きそうな顔でルナを見つめている。
「あの――ごめんなさい。……変なこと言って。でも、あたし、ルナちゃんとともだちになりたいの……。だめですか……」
後半は、消え入りそうな声だった。実際、最後のだめですか、はだれにも聞こえなかった。
(やっぱり、バーベキュー、しよう)
ルナは、ナタリアに、「あたしでよかったら、ともだちになって」と答えながら、心の中で決心していた。
みんな呼んで、しよう。この公園とかで。
ミシェルズと、クラウドとリサと、キラとロイドだって一回会いたいし。レイチェルたちと、エレナさんたちも。
アズは怒るかもしれないけど、グレンとセルゲイも。みんな、みんな。
サルーディーバさんたちや、カザマさんも来てくれるかな。
きっと、そうすればナタリアにもともだちができるんじゃないかとルナは思った。ともだちができれば、彼女がブレアから離れる勇気もできるかもしれない。
ぜんぶがうまくいくかどうかわからないけれど、ルナは盛大なバーベキューパーティーを決行することにした。




