70話 鳳凰の卵と、イアラ鉱石 2
中央区役所に着くころには、すっかり夕方だ。雪はみぞれになり、まだまだ休むことなく降りつづいていた。
パスカードでお金を払い、pi=poのタクシーから降りたあと、ルナはまっしぐらに、三階にある派遣役員執務室に向かった。
受付で「ミヒャエル・D・カザマさんはいますか?」と尋ね、パスカードを見せて、カザマが自分の担当役員だと証明したあと、廊下のソファでしばらく待った。
「あらあら、まあまあ、ルナさん」
執務室ではなくて、廊下の向こうから、カザマが駆けてきた。
「どうなさったの」
「こんにちは!」
ルナは元気よくあいさつをした。
カザマの誘いで、ルナは一緒にお夕飯を食べることにした。お土産を渡しに来ただけだったのだけれど、今日はアズラエルもいないし、カザマがおいしいステーキのお店に連れて行ってくれるといったので、ルナはウサ耳を立たせる以外に返事はなかった。
カザマの娘、ミンファをロビーで待ち、学校帰りの彼女と合流して、中央区の有名店に向かった。中央区役所から歩いて五分ほどの場所だ。ルナはほっぺたが落ちるほどお肉が美味しかったので、ぜひともアズラエルをそそのかして連れてこようと決意したのだった。
「まあ、鳳凰の卵!」
ルナがお土産をカザマに渡すと、親子そろって顔が輝いたので、ルナは思わず聞いた。
「知ってるんですか?」
「ええ。これ、とっても美味しいんですもの。もう一度食べてみたいと思っていて」
「わーい! やったー! 鳳凰の卵だ! ルナさんありがとう!!」
親子の喜びようが尋常ではないので――特に、人見知りが激しくて、ほとんど口をきいていなかったミンファが倍くらいの声量で大喜びしたので、ルナはもうひと箱買って来ればよかったと思ったものだった。
なにせ、ブランド品ばかりの土産が羅列する中、この鳳凰の卵だけはふつうの観光地値段だったからだ。銘菓万歳。
しかし、このお菓子は、鳳凰城限定商品で、あそこでしか買えない銘菓だそうだ。
それを、ふたりが知っているということは――。
「はい。一度、宿泊したことがございます」
「ほ、ほんとですか!?」
なにせ一泊三百万である。ルナだって、タキおじちゃんが招待してくれなければ、一生行くことなどなかっただろう。
カザマは苦笑しつつ言った。
「何度かVIP船客の方を担当したことがあります。そのおともで、二回ほど、中に入ったことはあるのです」
担当していた船客がカザマの分も払ってくれて、一度だけ宿泊したことはある、と。
「ママがお土産に買ってきてくれたこれがすっっっごいおいしくって! もう一回くらい食べたいなあって思ってたけど、二回目は買ってるヒマなかったんだもんね……」
「あのときは、船客さんをお城までお送りしただけで……ほんとう、これ、鳳凰城でしか売っていませんから、食べたいと思っても、ねえ」
「通販とかもないんだよ。うわーホントにうれしい! また食べられると思ってなかった。ありがとう、ルナさん……!」
こんなにも喜んでもらえて、ルナも嬉しかった。
「ところで、ルナさん、最近、身近で何か変わったことはございませんでしたか?」
カザマは担当役員の顔にもどって聞いた。
ルナはちょっと考えた。サイファーのことがあったからだろうか。
アンジェやサルーディーバさんと会ったこととか、いろんなことがありすぎるけれども、現在は、おだやかな日常だと思う。
「いまのとこは……特に……」
首をかしげてルナが言うと、カザマは微笑んだ。
「そうですか」
それ以上の追及はなかった。
ミンファは菓子箱を胸に抱きしめてしばらく感激を表したあと、ふと思いついたように言った。
「そうだ」
ミンファは母の顔を見、それからルナに向かって微笑んだ。
「ルナさんに、いいものあげる。お菓子のお礼。リリザの特別な場所でしか買えない一級品だよ」
「えっ……えええ? お礼なんかいいよ!」
そんなつもりで買ってきたわけではない。ルナが土産を買うのは趣味なのだ。旅行の楽しみの一環なのだ。
「ううん。もともと、あげようと思っていたものだから」
「え?」
ステーキ店を出て、近くのシャイン・システムで、カザマ親子の住むマンションに向かった。
「お、お邪魔します!」
「どうぞ」
どこのマンションとも変わらないシンプルな室内だったが、ミンファの部屋だと案内されたドアの向こうの光景に、ルナは思わず歓声を上げた。
「わあ……!」
部屋の壁一面に、透明でちいさな引き出しのついた棚がずらりと、並んでいる。
「この子、こういったものが好きで……」
カザマの苦笑。ルナは圧倒された。
ちいさな引き出しの中にあるのは、すべて宝石や、鉱石の類だ。
人工石に、ビーズに天然石――いったい、何百種類――いや、千は超えているのではないか。
それらがライトに照らされて、キラキラ光り輝いている。宝石箱の中に足を踏み入れたみたいだ。
「あたし、世界中の石をあつめたいの」
ミンファは、ひとつひとつの引き出しを開けて説明してくれた。
「これ、ミケリアドハラドの採掘鉱山で見つけた石。中に火が燃えてるでしょう」
ミルク色の石の中で、青い火が燃えている。
「だいじょうぶ。熱くはないから。触ってみる?」
「いいの?」
ミンファはルナの手のひらに石を載せてくれた。不思議だった。なかで火が燃えているのに、熱くはない。
「すごい石!」
「中の火は半永久的に消えないんだって。それからこれ、アストロス産エメラルド。地球のと、すこし違うの。わかる?」
ルナにはまったく分からなかった。
やがてミンファは、脚立を持ってきて、高いところにある引き出しから、ひとつの真っ白な石を大切そうに取り出した。まるで鳳凰の卵みたいに楕円形の石は、くすんだ金の枠でペンダントヘッドに加工されている。
「ルナさん、イアラ鉱石って知ってる?」
「イアラ鉱石?」
初耳だった。
イアラ鉱石は、三千年前くらいから、地球、アストロス、ラグ・ヴァダ惑星群の一部でのみ出土されるようになった鉱石だ。この石は、三つの星で共通して取れる唯一の石として、「マ・アース・ジャ・ハーナの神の石」と呼ばれている。
実際のところ、L系惑星群で取れるといっても、出土されるのはリリザのみであり、リリザはL系惑星群の統治下なので、ラグ・ヴァダ産ということになっている。
発見者は考古学者のメイアラ・M・ヘムズワースという女性で、彼女の名を取ったと言われている。
しかし彼女がイアラ鉱石と名付けた所以は、地球の「Earth」、アストロスの「Astoros」、ラグ・ヴァダの「Lag vada」の頭文字から取ったという説の方が有力だ。
またの名を「三つ星のきずな」と呼ばれるこの石は、神聖なものとして扱われ、L03あたりでは、よく祭事につかわれる。
「真砂名神社の階段が、イアラ鉱石の白でつくられてるの。すごく貴重なのよ」
イアラ鉱石は、基本的に、宇宙色とも言われるほど黒く青く、星々のきらめきのような気泡がたくさんあるのが普通だ。そちらは小さなものなら比較的安価で、パワーストーンとしても売られている。
真っ白な、気泡もないイアラ鉱石は最高級とされ、特別な場合にしかつかわれない。値段も高額で、たった一粒の結晶すら、一般人には手に入れがたいものだった。
そして、神の石として崇められる第一の理由は、神ならぬ身が持つと、身を亡ぼすとまではいかないが、いつのまにか持ち主の手から消えているからである。なくしたり、落としたり。盗まれたり。そうして、神のもとにたどり着くまで旅を続ける石だ。石のほうが持ち主を選ぶともいう。
「そ、そんな石、あたしがもらっちゃっても大丈夫なの!?」
「うんこれ、実はあたしが見つけた石なんだけど、なんとなく、ルナさんにあげたいなって思っていたから」
ミンファはあっさりといった。
イアラ鉱石は、リリザのイアギアラ山脈というところで取れる。鉱石好きに的を絞った「イアラ鉱石採掘ツアー」というものがあり、毎年、地球行き宇宙船がリリザに到着する一ヶ月前後に渡って組まれている。ミンファはそのツアーに参加して、今年で五年目。
「毎年行ってるんだ……」
「うん。けっこうイアラ鉱石の原石、集まったよ」
ミンファは、両手いっぱいのイアラ鉱石を見せてくれた。こちらは宇宙色と呼ばれる方だ。
山自体は、そんなに峻嶮ではなく、ふつうの登山スタイルで行ける。トレッキングシューズがあれば十分と言った具合。
ツアー日程は二泊三日。最初の日は山へ登り、決められた場所でイアラ鉱石を採掘する。その日は山小屋で一泊。翌日早朝から山頂に行き、夜明けとともに、イアラ鉱石の収得を神に感謝し、下山。その夜はホテルで一泊。
自分が見つけた原石を、ホテル内の加工場で、加工してもらう。
翌日、朝食を終え、できあがったイアラ鉱石のアクセサリーを手に、解散だ。
「二年前のツアーのときにね、場所が良かったのか、白いイアラ鉱石がいっぱい発見されたの」
そのときは、ミンファだけでなく、白イアラを見つけた人間が数名いた。
ミンファは、ペンダントヘッドにして持ち帰ったが、どうも自分はつける気がしない。ずっとしまいこんでいたのだという。
「カザマさんは?」
ルナが聞くと、カザマはスーツの胸元につけたブローチを見せてくれた。
「え? あ、これ、白イアラ?」
「そう。ママも二年前、あたしといっしょにツアーに行って、見つけたの」
ミンファはペンダントヘッドの金具と似た色の鎖を、引き出しをさぐって見つけ出し、通してくれた。
「金属アレルギーとかはない?」
「だいじょうぶ」
ルナの首にそっとかけた。
「……うん! やっぱいい。ルナさんの方が似合う」
ミンファは満足そうにうなずいた。
「い、いいのかな? こんな、高いってゆってたけど……」
「石自体の値段はないの。どんなイアラ鉱石を見つけても、持って帰れるの。自分で発掘するし、ツアー料金の中に含まれてるから。でも、すごいでっかい原石とかを発見しちゃったときは、ツアー会社が高い値段で買いあげてくれる場合もあるし。白イアラも、見つけたけど売っちゃったひともいたよ。すごい値段だったね」
「そうでしたわね……」
カザマもそのときのことを思い出したのか、肩をすくめた。
ルナはペンダントを見つめ、それからにっこりと笑顔を作った。
「ありがとうございます! 大切にするね」
「うん」
ミンファも、微笑んだ。
その数時間前。
K23区を散歩していたミシェルが、ひとつの露店まえで立ち止まったのは、雨雲がさあっと通り過ぎたあとだった。
芸術家の区画と呼ばれ、中世のような、古びてモダンなアパートが立ち並び、水路が街をつなぎ、芸術家たちが自分の作った作品を路地で販売している。
K23区の世界は、ミシェルが船内で一等好きな世界だった。
一瞬区画を過ぎ去った雨雲がなければ。
雨宿りのために、近くの軒先に飛び込まなければ、ミシェルはその露店には気づかなかったかもしれない。
露店は、色とりどりの鉱石を置いている店で、天然石でつくったアクセサリーがずらりと並んでいた。
ガラスや綺麗な石は大好きなミシェルだ。思わず店内を覗き込み、ピタリと――照準を合わせるように、目が留まった石があった。
真っ白な雫型で、ペンダントになっている。年代物といえばそうとも言えるような。黒ずんだ、古い鎖がつけられていた。
「お姉さん、目が高いね。そりゃ、白イアラだよ」
「白イアラ?」
「イアラ鉱石って知ってるかい」
「ぜんぜん」
丸眼鏡をかけた、学者然とした男は、ガラス越しに目をきらめかせながら白イアラの伝説を語った。
「へー……神様の石ねえ」
ミシェルは恐々、のぞきこんだ。触る気にもなれなかった。だのに、目が離せない。
「値段書いてないじゃない」
「いいよ。ただで」
「は!?」
「その石は、持ち主を転々とする。俺は預かっていただけだよ。その石はあんたのもとに行きたがってる」
男は、ミシェルの返事も聞かずに、安っぽい紙袋にペンダントを放り込んだ。
無造作につき出され、「……えっ」と受け取ってしまったミシェルは、「毎度ありがとうございました」の店主の声に押し出されるように、店をあとにした。
もっと、いろいろ見たかったのに。
「千年待ったぜ。ようやく、次の持ち主が見つかったってことだな」
「千年!?」
店主のボヤキに思わず振り返ったが――。
「――え?」
さっきまであった露店が、あとかたもなく消え失せていた。
「セルゲイ、その時計いいな」
グレンに左腕をつかまれ、何事かと思ったら、彼の目はセルゲイがしている腕時計を見ていた。
「どこのだ」
「――よくわからない。私はブランドとか分からないって、知ってるだろ? むかし、お義父さんからもらったんだよ」
セルゲイは首を傾げた。
「ウィルキンソン家に代々つたわる腕時計なんだって」
「この盤面、鉱石なんじゃねえのか」
「よくわかったね。イアラ鉱石っていう貴重な石らしいよ。なかでも白は最高級だとか」
「ふうん。どこで売ってんだろうな」
「知らないよ」
代々受け継がれているものとあれば、買い上げるわけにもいかず、グレンはあきらめて手を離した。
どうしてか知らないが、その時計は、ものすごくいいものに思えるグレンだった。




