70話 鳳凰の卵と、イアラ鉱石 1
新年が、あけた。
L歴1415年だ。
ルナは、新しいカレンダーを壁にかけてじっと眺めたのち、ふと日記帳を広げて、地球行き宇宙船に乗ってまだ二ヶ月ほどしかたっていないのに気付いてぴょこーん!! と耳を伸ばした。
あんまりこの二ヶ月が濃すぎて、もう一年くらいは経ってしまっているような気がしたのだった。
「ルナぁ! 用意できた?」
「うん! いまいく」
大みそかのカウントダウン・パーティーはだいぶ盛り上がって、夜が明けるまで騒いでいたので、元旦はすっかり寝正月だった。
今日は1月2日。
故郷にいたころは、両親とツキヨおばあちゃんと、近所の真月神社に初もうでに行くのが恒例だった。
今年はミシェルと一緒に真砂名神社へ。
ちなみにミシェルは初の真砂名神社だ。
ルナはあわてて日記帳を閉じ、マフラーを巻いて玄関に向かった。
アズラエルとクラウドは、セレブ連中の新年のご挨拶パーティーにお呼ばれしているので、久々に女子だけでおでかけだ。
帰りは何時ころになるかわからないけれども、夕飯はお雑煮にしよう。この日のために餅つき機を買って、もち米も購入済みだ。
ルナはウキウキしつつ、献立を発表した。ミシェルはもちろん大喜びだった。
「ヤッター! 今日はおもち!!」
「アズはおもちが食べられるかな?」
「アズラエルはわかんないけど、たぶんクラウドは好きだと思う。あたしは、おしょーゆと砂糖でお願いします!!」
「海苔とバターもよいです。きなことあんこも!」
「お雑煮はどんなの?」
「おすましです」
今夜の夕飯で、アズラエルがもちを気に入って五十個食べてルナを慄かせ、クラウドがのどに詰まらせかけてあわや救急車を呼びかけることになるとは、この時点ではだれも予想していなかった。
さて。
昨年も、地球行き宇宙船に乗ってこのかた、大忙しだったような気がするのだが、イベントはまだまだ控えていた――今年もせわしなくなりそうだ。
ルナは真砂名神社で引いた、「大吉。なにかと慌ただしいことがつづくので、養生するように」と書かれていたおみくじを見、「やっぱり今年も忙しいんだ!」とウサ耳を立てていたが、まさしくその通りになろうとしていた。
一月の初め、ルナはいよいよ、鳳凰城に赴いたのであった。
うん。出発の前日まで忘れていたことは、だれにも教えない。
たった一泊二日の旅行は、ルナにとって驚きにあふれたものばかりで、口を開けている間に終わってしまったというのが早い。
リリザのグランポートから、特別旅客機に乗って、鳳凰城のエアポートに着いた。
一時間弱の飛行だったが、機内では、シャンパンや、リリザ特産のめずらしい果実が振舞われた。エアポートに着くと、専用のコンシェルジュに迎えられ、リムジンに乗って、城郭みたいなホテルへ直行。
ルナは終始「ああ」とか「うう」とか「ぷぎゅ」しか言えなかったが、だいたい受け答えしていたのはアズラエルだったので、ウサギはいるだけでよかった。
だいたい、ウサギというものは、そこにいるだけで良いものだ。
巨大な城のなかは、筆舌に尽くしがたいほど豪華なホテルで、とにかくセレブしかいなかった。
宿泊の部屋は、ワンフロアすべて。
部屋に入ったとたんに――だだっ広い部屋の中央、それだけ置かれたテーブルの燭台に、激しい音を立てて火がともる。火が大きく羽根を広げたかと思うと、ぶわりと羽ばたき、三メートル近い大きさの鳥になった。
鳳凰だ。
ルナが口を開けているあいだに、ぜんぜん熱くない火の鳥は、パーティー会場のような広い部屋を一周して、ルナたちの前までやってきた。
『ようこそ! 鳳凰城へ』
幻影の鳳凰がしゃべるのに、ルナは元気な声で「こんにちは!」とあいさつをしてしまった。
鍛えられたコンシェルジュは、友好的な笑顔に固めた顔面を、ピクリとも動かさなかった。
その鳳凰は決して暑くも冷たくもなかったが、羽ばたくたびに、ふわり、ふわりと絹のような感触が、ルナの頬に触れた。羽根が起こす風なのか、それとも羽は本物だったのか、ルナにはわからなかった。
それからは、室内を案内してもらったり、ウェルカムドリンクという名のシャンパンのサービスを受けたり、あちこち探検に出かけたりした。
宿泊部屋すべてを探検しただけで、あっというまに時間が過ぎていた。
夕食はめのまえで調理される、分厚いシャトーブリアンや新鮮な魚介の数々――一本数百万もするワインが、惜しげもなく振舞われる。
宇宙船に乗ってから、石油王ムスタファやアンジェラのもとで、それなりにセレブな経験もしてきたアズラエルが、一瞬硬直するほどの。
三本目あたりに開けられたワインは、たしかムスタファが「手に入らない」と嘆いていた幻のワインではなかったか――。
アズラエルはこのときとばかりに派手に飲んだ。
生のピアノ演奏を聴きながら食事をいただいたり、アズラエルがカジノでルナのお小遣いを十倍にしてもどってきたり、部屋に、ずらりと並んだサービスドリンク――紅茶にコーヒー、ジュース、アルコールの果てまで――と一緒にあった「鳳凰の卵」とかいう銘菓を食べてウサ耳をぴょこたんさせたり、アズラエルの分まで食べたり、とにかく忙しかった。
ルナがお土産をつめたトートバッグは、鳳凰を抽象的に模した絵柄で、どこぞの高級ブランドが出している帆布バッグである。
ちなみにこれは、バスローブが入ったノベルティだった。
ルナは、自分が持つにはちょっと派手かなと思ったが、意外とどんな服を着ても合うので、重宝している。
さらに、鳳凰の瞳という名前がついたルビーのアクセサリーだったり、化粧品のアメニティも赤い瓶だったり、赤いバッグに入ったバスローブとガウン、ルナとアズラエルの生まれ年の赤ワインまでもがノベルティとして籠に入っていた。
ルナは初エステも経験したし、湯船で泳いだ。アズラエルに呆れられた。
どんな場所に来ても物おじしないアズラエルもさすがに、「サービスしすぎじゃねえか」と眉間にしわを寄せた。
結局、ルナは驚くことしかできなくて、たいしたこともできなかったのだが、タキおじちゃんに手紙くらいは残そうと思って、丁寧に封をした封筒をコンシェルジュに預けたのだが、なんともどってきた。
タキがダメなら、あのシャンパオのおじいさんにでも――。
「申し訳ありません。礼状も、私的なお手紙も、受け取りを拒否しておられます」
コンシェルジュが困り顔でそう言った。ルナはしかたなく、お手紙をバッグにしまった。
お礼を言おうとしてはいけない――リリザのシャンパオで、そう言われていたのだった。
そうして、一泊二日のゴージャスな旅行は、終了した。
最後に、とんでもないオチがついている。
ルナはまったく気づかなかったが、アズラエルは最初から気づいていた――宿泊したフロアの入り口に、「プライベート・フロア」と書かれていた。
ようするに、あれは「ルナ専用のお部屋」になっていて、この先いつでも、ルナはあの部屋に自由に泊まることができるのだった。無料で。
コンシェルジュの説明を何とか理解すると、そんな感じになっていた。
一応ご予約は要ります。準備がごさいますので――。
さらに、丁寧なご説明とともに、ラッカ・グリシャという小島のリゾートホテルの無料宿泊カードをもらい、ルナは口を開けてうなずいた。
あんまり、理解できなかった。アズラエルが理解していたのでだいじょうぶだ。
ルナは気を取り直して土産を買おうとしたが、友人にどう説明していいか分からなかったので、ミシェルにだけ買おうとした。だがアズラエルが止めた。
「クラウドにバレたくない」
たしかにクラウドは、今回の顛末を、根掘り葉掘り聞こうとするだろう。ルナはミシェルに買うのをあきらめた。
カザマは担当役員なので、ルナが鳳凰城に来ていることを知っている。カザマと――それから、あとふたりにお土産を買って、ルナは帰路に就いた。
ルナに土産を買うなというのは、ウサ耳を立てるなと同義語である。
さて。まだまだ、鳳凰城の感動と興奮もさめやらぬうちに。
お土産――「鳳凰の卵」をバッグに詰めて、ルナはタクシーに乗った。
pi=poが運転するタクシーは、まっすぐに、星海寺のあるK04区へ向かった。
ルナは遅くまで寝ていたというのに、また眠ってしまったらしい。pi=poに、「お客さん、つきましたよ」と起こされた。船内のパスカードでお金を払い、降りると、門の向こうに九庵が見えた。
まさか、いるとは思わなかった。
ルナは会えないと思っていたので、お土産だけを置いて帰るつもりだった。九庵がいなくても、寺子屋で勉強を教わっているイハナ親子に会えるかもしれない。そう思っていたのだが。
予想は大きく外れた。
「九庵さん!」
「おや、ルナさん」
九庵も驚いて、ルナを出迎えた。
「お久しぶりです」
「会えるとは思わなかったです!」
「いや、ホントですねえ」
鯉に餌をやっていた九庵のうしろから、以前ルナたちをもてなしてくれた尼さんが現れた。
「あらあら、こんにちは!」
尼さんも目を丸くした。
「今度は、お会いできましたねえ」
「これ、美味しい」
尼さんの目がはっきり輝く。そうなのだ。銘菓、鳳凰の卵はじつに美味しかったので、ルナはお土産に選んだのだった。
真っ白できめ細やかな砂糖でコーティングされた、卵型のお菓子。ふわふわのカステラのなかに、ホワイトチョコで薄くくるまれたクリームが入っている。そのクリームのとろりとした甘さがたまらないのだ。
「これ、なんのクリームかしら。カスタードでもない、チョコでもないわよねえ」
包装紙にある製菓材料の欄を見ても、正体がいまいち分からない。
「食感がいいですねえ。外はサクサクで中がふわふわ、真ん中はトロトロ」
九庵も気に入ったようで、立て続けにふたつ食べた。緑茶も合う。
「あのう。イハナさんってここに通ってますか? もしよかったら、イハナさんにもって思って」
ルナがもうひとつの箱を示すと、尼さんが思い出したように言った。
「イハナさん――もしかして、二日くらい、寺子屋に来ていた方かしら」
九庵と目を見合わせた。九庵が、ごっくんと三個目を飲み干して、緑茶をすすった。
「イハナさんたちね、降りたんですよ」
「え?」
「宇宙船、降りちゃった」
九庵は、四個目の包み紙を剥きながら、笑顔でそう言った。
「ふえあああ」
帰りのタクシーのなか、ルナは声にならない呻きを上げ続けていた。運転手が人間でなくてよかったが、pi=poも異常を感じるくらい、ルナの奇声は激しかった。
「どこか具合がお悪いですか?」
「だいじょうぶです!」
イハナ親子が降りてしまった――宇宙船を。
また、なにか事件があったのかと思ったが、そういうわけではなく。
九庵の笑顔がいい証拠だった。
「いやいや、事件に巻き込まれたとか、またカツアゲとかそんなんじゃなくて、まあ、どっちかというとめでたいというか。寿降船?」
ルナはそんな言葉は初めて聞いた。
イハナは、かつて船内の果樹園でバイトをしていた。
マシオをリリザで遊ばせるための金を稼いでいたのだが、そのとき、L81から来た漁師の若者と出会った。イハナと同い年で、気が合ったのだった。彼はイハナがL44出身と知ってもおかしな目で見なかったし、他の人とイハナに対する態度を変えることもなかった。
いい人だと、イハナは思っていた。しかし、果樹園でバイトしていたときは、親切なバイト仲間という意識しかなかったという。
彼はイハナだけでなく、だれにでも親切だったし、優しかった。
若者らしく好奇心旺盛で、あちこちでバイトをしていた――イハナと出会った果樹園だけでなく、畑、港、ファストフード、商店街で。
それが、今年に入ってから、マシオとティアを連れたハンバーガー店で、イハナは彼と再会し、そのまま相手から求婚され、一緒に降りて彼の故郷へ向かってしまったとのこと。
漁師の彼は、果樹園で一緒にバイトしていたイハナが忘れられずに、ずっと探していたと――。
「へえっ!?」
あまりのスピード展開に、ルナのほうが悲鳴を上げてしまった。
「それから、担当役員のティアさん」
九庵は緑茶の二杯目を、人数分入れた。
「彼女も、いままで意識してなかった仕事仲間から交際申し込まれて。今、お付き合いしているそうですよ。十歳も下のイケメンですって」
ルナは言葉を失って、口を開けていた。
「だから言ったでしょう」
九庵は笑顔で、五つ目を口に放り込んだ。
「あなたに出会ったら、幸せになるって」
ルナは鼻をふごふごさせ、九庵から聞いた話を消化するように口をもぐもぐさせ、やがて深いため息をついた。
(――あなたに出会ったら幸せになるって)
そんなことを言われても。
ルナが何かしたわけではない。イハナと、L81の若者を取り持ったわけでもない。ティアのこともそうだ。
ルナがまったく、あずかり知らぬところで、ふたりに彼氏ができただけだ。
(あたしのおかげだってゆわれても? も?)
九庵から預かった、イハナ親子からの手紙を、ルナは何度も開いて読んだが、そのたびにため息がこみあげてくるだけだった。
字が書けないイハナの代わりに、マシオが書いた、ルナへのお礼の手紙。リリザで一緒に遊んだことは一生の思い出です。きっとまた会いましょう。最後に、イハナの名が、ミミズがのたうったような字で書かれていた。名前だけは、自分で書いたのかもしれない。
ルナが返事を書こうにも、手紙に住所は書かれていない。
イハナ親子に渡すはずだったお菓子は、星海寺に預けてきた。みんなで食べてもらえるように。結局、ひと箱は、九庵と尼さんとルナで食べてしまったし。
ルナは複雑な気持ちで、雪が降りはじめた外に目をやった。
イハナの結婚やティアのことはおめでたいが、なんだか素直に喜べない。
(あたしは――?)
あたしが、なにをしたっていうんだろう? 感謝されるようなことを?
ウサ耳が唐突に跳ねあがったと思ったら、ルナは思い出したのだった。
かつて見た遊園地の夢だ。
ミシェルとリリザに行ったときに、ホテルで見た夢。
ルナはあわてて、バッグから日記帳を出して開いた。
観覧車に乗っていたハムスターの親子と、カモメ。
あのハムスター親子が、イハナとマシオ、そして赤ちゃんのティアで、カモメがイハナの結婚相手だったのだろうか。
不思議な組み合わせだなあとルナは思ったものだが、イハナの結婚相手は漁師だ。
(漁師のZOOカードは、カモメなんだろうか)
カモメは海の鳥だ。あうと言えば、あう。
そして、イハナの担当役員のティア。
観覧車に乗っていく親子を見送る二匹のネズミ――いや、チンチラ。彼らが、ティアと、彼女の恋人だろうか。
ルナはちいさな頭を抱えた。
(いったい、この夢は何なのだろう?)
考えても、やっぱり答えなど見つかるわけはなかった。




