69話 二つの結婚式と、二つの贈り物 1
「ハッピバースデートゥーユー♪ ハッピバースデートゥーユー♪」
アンジェリカは、鼻歌を歌いながらオーブンの中のチキンの様子を見た。
オッケー、オッケー。きつね色。照りも最高。
バターチャイをカップによそい、五分かけて、キッチンからサルーディーバの待っているテーブルに運んでくる。
「ハッピバースデーディアねえさ~~ん♪」
「アンジェ、その歌はなんですか?」
サルーディーバが、部屋中に響くアンジェリカの調子外れの歌を、不思議に思って聞いた。
運ばれてきたバターチャイに口をつけて、料理ができるのをおとなしく座って待っている。
そう。彼女は、サルーディーバ。
L03の次期君主である。スプーンより重いものは持ったことがない。畏れ多くてだれも言えないのだが、実はかなり不器用で、ドジっこなので、座っていてもらった方が自他ともに被害は少ないのだ。
「誕生日を祝う歌だよ。L7系とか、そのあたりではポピュラーだね」
アントニオが、大皿のサラダに手製のドレッシングを回しかけながら言った。
「そうなのですか」
「そ。サルちゃん、チキン取り分ける皿取ってきてくれる?」
「はい。分かりました」
サルーディーバは素直に立って、階下の戸棚に皿を取りに行った。
彼女なりに、皿を運んだり、テーブルを拭いたりとお手伝いはしている。
ここは、休業日のリズン。二階の、アントニオの住まいだ。
今日は大みそか。サルーディーバの誕生日でもあった。
L03にいたときは、年越しもかねて、星をあげて盛大な祝いをするのが常だった。サルーディーバも、神殿の中央に座って、一日、祝辞に訪れる人間の相手をする。一日が終われば、疲労困憊して倒れるように眠るのが恒例だった。
今年は、アントニオが自分の家で、サルーディーバの誕生日を祝ってくれる。
無論、屋敷でもそれなりに盛大な誕生祭は祝われたが、ほぼいつも通り――サルーディーバは、祝ってくれる皆に気遣いばかりをし、ここで見られるようなリラックスした表情はなかった。
マリアンヌのことがあってから、アンジェリカもサルーディーバも、ずっとふさぎ込んでいた。マメにアントニオが訪ねてきてくれなかったら、自分たちはいまごろ、通夜のような年越しを迎えていただろうな、とサルーディーバは思った。
(こんなに穏やかで、しかも楽しそうな誕生日ははじめてかもしれません)
今日のこの誕生日パーティーの準備に、アンジェリカはものすごく張り切った。
無理してほしくはなかったが、アンジェリカが久々にはしゃいでいるのを見ると、何も言えなかった。
アンジェリカが元気を出してくれたことが、サルーディーバにはなにより嬉しかった。
アンジェリカも、いろいろな事が立て続けに起こり、心塞いでいた。マリアンヌのこともあるし、自分の婚約者であるメルーヴァが、L03のお尋ね者として行方不明になっていることも――。
(メルーヴァのことが、心配でしょうに)
――マ・アース・ジャ・ハーナの神よ、どうか、愛し合っているふたりを引き離すことはなさらないでください。
サルーディーバは、何度神殿で祈ったかしれない。
いくつかの皿を持って、サルーディーバがもどると、パーン! とめのまえでなにかが弾けた。キラキラと星屑みたいなものが降ってくる。
「ハッピーバースデー! サルちゃん!!」
サルーディーバは目を白黒させた。皿を落とすところだった。
「な、なんでしょう? いまのは――」
小さな花火でしょうか? サルーディーバが立ち尽くしていると。
「クラッカーだよ」
アントニオが、小さな三角の、紐がついた紙の筒をサルーディーバに渡した。
「ここ、紐を引っ張るんだ」
サルーディーバが言われた通り紐を引っ張ると、パン! という弾けた音がして、さっきの星屑が出てきた。
「まあ――!」
サルーディーバが顔を輝かせたが、サプライズはそれだけではなかった。
「姉さん! 姉さん! 誕生日おめでとう!!」
「これは、俺とアンジェからね」
二人が、金色に光るリボンをつけた紙包みを、サルーディーバに渡した。サルーディーバは、「ありがとうございます」と床に膝をついて深々と頭を三度下げ――L03の、感謝の意を表す正式な挨拶だ――それを、心を込めて行ってから、ていねいにリボンを解いて、包み紙を開けた。
「まあ――これは」
サルーディーバは、驚きと喜びで、思わず目を潤ませた。そこには、思いもかけないプレゼントが入っていたのだ。
ラベンダー色のニットと、ストライプのシャツ。ジーンズ。ベージュと茶の、細身のコート。ショートブーツ。
どこからどう見ても、そのあたりに売っていそうな、普通の洋服だが――。
「アントニオが見立ててくれたの。……姉さん、一回でいいから、こういう服着てみたいって言ってたでしょ?」
「はい……でも」
サルーディーバは、服を愛おしそうに抱きしめ、でも、と、つぶやいた。
「いま……L03が大変な時に、星の模範となるべきわたくしがこんな――伝統衣装を着ずに、この服で誕生日を迎えてもいいものでしょうか……」
「……ね、姉さん」
それを言われると、アンジェリカも困ってしまう。
「何言ってんだよ。いいんだよ。俺がいいって言ってんだから、いいの! 俺からのプレゼントは――まあ、つまりは、真砂名の神からのプレゼントだぞ。受け取れないっていうのか?」
「ま、まさか……! そんなことは」
あわててサルーディーバは言い、頬を染めてうつむいた。
「で、では、ありがたく、着させていただきます」
「サルちゃん、どうせなら、それに着替えてからケーキ取りに行ってくれる?」
「ええ!? この服で外出せよというのですか!?」
「どうせ大晦日だし、外、だれも歩いてないって。ケーキを予約しているから、取りに行って。お金はもう払ってるし」
サルーディーバは困ったように、服と、アンジェリカと、アントニオを見比べ、
「……わ、分かりました。行ってまいります……」
いそいそと、隣室に着替えに行った。しかしその顔は嫌そうではない。むしろ、嬉しそうだ。
「よかった。姉さんに本気でヤダって言われたら、あたしそれ以上言えないもん」
「まあねえ。多分、サルちゃんの性格じゃあ、俺たちの前で一回着たらきっとそれで終わりだよ」
アントニオの意見ももっともだと、アンジェリカも思った。
きっと、これだけ強引に計画しなければ、あの服で外に出ることはないだろう。サルーディーバにケーキを取りに行かせる計画は、アントニオが立てていた。そうでもしないと、サルーディーバはあの服を着て、外出することは絶対にない。
星の模範たる己が民族衣装を着ないでいてどうする、というのが真面目な彼女の持論であるからして。
「せっかく買ったげたんだから、どうせなら着倒して欲しいもんだけど」
「家でだったら、こっそり着るかもよ?」
アントニオとアンジェリカがウワサしているあいだに、サルーディーバが服を着て現れた。
ニットの上にシャツを羽織っていたので、アントニオはシャツを中に着るよう訂正しなければならなかったが、(ちなみにボタンをすべて掛けちがえていた。)それを抜かせば、服はぴったりだった。細身のニットもジーンズも、すべて彼女の丈に合い、色合いも似合っていた。
「姉さん! ステキだよ! すごく似合う!」
「ほ、ほんとうですか。おかしくはありませんか?」
「いや、似合う。綺麗だよ。K27区あたりを歩いてたら、即ナンパまちがいなしだね」
「ナンパとは――なんでしたっけ?」
「デートに誘われるってこと」
「ああ……、そうです。そうでした。わ、わたくしがナンパされるのですか? 私は、男女という性差を超越した存在なのですよ? そんなことがあったならば、失礼ですが丁重にお断りせねばなりません」
「うん。まさしくそのとおりだ。ンでも綺麗。サルちゃんは美人だねえ」
「アントニオはマジでスケベだよね……」
「なんで!?」
「だって、なんで姉さんの服のサイズ、分かったのってこと。こんなにぴったりなやつ」
「そりゃまあ、真砂名の神のたまもの――」
「なんでも真砂名の神って言えばいいって思ってない? 普段から姉さんのこと、エロい目で見てんだろ、姉さんのバスト、いくつか言ってみろあんた、巨乳がいいって言ってたじゃんか!」
「う、うええ……! 苦しい……!! ひ、貧乳には貧乳の良さが……!」
「お、おやめなさいアンジェリカ!」
アンジェリカに首を絞められているアントニオを、あわててサルーディーバが助けに入る。アンジェリカは、アントニオをしぶしぶ離した。
「――ひんにゅうとは、なんです? わたくしは、それに該当するのですか?」
「……」
「…………」
アントニオも、アンジェリカも、それ以上の説明はできなかった。
(アントニオも、アンジェリカも、たまにわたくしの分からないことを言います。やはり、わたくしにはわからないことが、世の中にはまだまだたくさんあるのですね)
サルーディーバは、軽い足取りで、ケーキ店へ向かっていた。
リズン内のシャイン・システムからK03区へ。
最初は、サルーディーバの屋敷でパーティーをする予定だったので、そちらの地区のケーキ店に予約したのだった。結局、屋敷では、こんなにくだけたパーティーはできないので、リズンにしたのだけれど。
牡丹雪が、もさもさと降ってくる。これは明日までに、また積もるだろう。すでに、積雪は一メートルを軽く超えている。
サルーディーバはコートを着、傘を差し、すでに雪を掻いて道を作られた歩道を、さくさくと歩いた。せっかく雪寄せした道も、新しい雪が次から次へと積もっていく。
商店街は、二、三台のタクシーが止まっているだけで、ひと気はまったくない。
シャッターが降りている店がほとんどで、夜も近い、日も沈みかけたこの時刻には、みんなおとなしく家で年が明けるのを待っているのか。
サルーディーバは、人目をはばかるように、傘を短めに差し、少し緊張しながら、それでもどきどきと弾む胸の高鳴りを押さえられずにいた。
……多分、いまのわたくしをみても、だれもサルーディーバとは気づくまい。
なんだか、いたずらをしているような気分になって、楽しくなった。
案の定、ケーキ店で、びっくりされた。お誕生日おめでとうございますと言われ、さっきのクラッカーをおまけにつけてくれた。
L03では、一日のうちに何百回もそれを聞く誕生日だが、今日ほど、「おめでとうございます」の言葉が嬉しかったことはない。
サルーディーバはますます楽しくなって、振ってはいけないケーキを振りながら、ちょっと離れたシャイン・システムまでの帰り道を、のんびりと歩いた。
もうすこし、この姿で、外を歩いていたい。
道の前方に、一台のタクシーが止まった。
背の高い、黒いコートを着た男が降りてくる。髪が、まるで輝くような銀髪だ。まるで、積もりたての新雪のよう。
サルーディーバは、目を疑って立ちすくんだ。
なぜ――ここに、あの方が。
男は、あたりを見渡し――このひと気のなさに呆れているのか――それからサルーディーバを見つけて、ようやく、この無人商店街で人を見つけた、とでもいうように、大股でこちらへ歩いてきた。
サルーディーバは、この場から逃げようとした。でも、足が棒のようになってしまい、動けなかった。
落ち着いて。
落ち着くのです。
いまのわたくしは、――きっと、サルーディーバとは思われない。
それに――あの方を助けたとき、あの方は意識不明の重体で、わたくしの顔は見ていない。
彼は、わたくしがサルーディーバとは、分からない。
でも――。
……あのとき、わたくしの目を綺麗だと、言ってくれた。
(わたくしの、顔を見た?)
「失礼」
白い息を吐いて、グレンがサルーディーバを見下ろした。
「この近所のひとですか?」
グレンは、この寒空の中、少し鼻の頭を赤くして、コートの下はネクタイをしっかり締めた、スーツ姿だった。マフラーを長く垂らして、手に、菓子の箱を持っている。
サルーディーバが以前見た彼は、大やけどで死にかけた軍装姿だった。でも、見誤るはずがなかった。
「このあたりにサル―ディーバ様の本宅があると伺った。ご存じないですか」
サルーディーバは、思わず目を上げ、あわてて伏せた。このオッドアイで気づかれてしまうかもしれないと思ったのだ。グレンの視線は、いぶかしんでいる気配はない。
……気づいている気配もない。
やはり彼は、自分の顔を知らない。
「い……いいえ。知りません」
硬い声音で告げると、「やっぱり、ダメか」とためいきが返ってきた。言葉遣いは、急に砕けた。
「さっき、タクシー運転手にも言われたんだ。教えられないってね。アポがないとダメらしい。……まあ、当然だよな。サルーディーバだもんな。菓子持ってひょっこり会いに行ける人間じゃねえってことは」
俺の友人が、あんまり簡単に、サルーディーバに会った話をするものだから、とグレンははにかんだ笑みを見せた。
「真砂名神社のほうが、会える確率は高いかな……」
悩ましげな顔をするグレンに、サルーディーバは尋ねた。
「あなたは――どうして、サルーディーバ、……さまに?」
グレンが、にっこり笑った。
彼の、笑顔を見られるなんて。
サルーディーバは、自分の顔が火照っていないか、心配だった。
ダメだとは思っても、彼ともう少し話がしたかった。
「俺は、グレンと言います。もと、L18の将校です。以前、L03で戦争があったとき、俺はサルーディーバさまに命を助けられました。……ああ、いや。今の現職のじゃなく、その跡取りだというひとです」
「そう――でしたか」
「この宇宙船に乗ってるって知ったんで、一度くらいちゃんと礼を言いたかったんだ。だけど、運転手は教えられないって言うし、担当役員もダメだったし、K05区に来てみりゃなんとかなると思ったんだが――だけどまあ、仕方ないですね。会えないんじゃ。……あげるよ、これ」
ずい、と菓子箱を押し付けられる。
「い、いけません、そんな、受け取れません……!」
「これ、有名な店のなんだ。俺はケーキなんてそう食わねえし、持って帰ってもゴミ箱行きだ」
「そ、そんな、もったいない――」
そういわれて、サルーディーバは思わず受け取ってしまった。捨ててしまうというのはもったいない。
グレンは、はたと、今気づいたように言った。
「よく考えたら、サルーディーバって、ケーキ食うのかな」
「た、食べます! とても好き――だと聞いています」
それを聞いて、グレンの笑みが深まった。
「……あんたも好きか?」
サルーディーバは、うなずく。
「じゃあよかった。食ってくれ」
ケーキを渡し、踵を返して行こうとするグレンを、サルーディーバは呼び止めた。
「あ――あの!」
グレンは振り向く。迷惑顔はしていない。ほっとして彼女は言った。
「あなたは――宇宙船を降りようとしてらっしゃる?」
「……あんたも、予言師か」
「そ、そうです。L03の、高等予言師です」
「あんたも、宇宙船を降りるなって?」
「はい。――宇宙船を降りてはなりません」
サルーディーバは、せっかく彼がここに来たのだから、なにかしてあげたかった。
自分は、サルーディーバだと名乗ることはできない。彼に、この恋心を悟られるわけにはいかない。自分は、遠くから、彼の幸福を願うことしかできないのだ。
彼の心はいま、後悔と寂しさで曇っている。だれか、身近な人を亡くしたのか。それはサルーディーバにもわかった。彼女は不躾に人の心を覗き見る真似はしないし、いまやその力も薄れてはいるが、彼の心が曇って涙に濡れているのは分かった。
――少しでも、その心を晴らせてあげたい。
彼はまだ、宇宙船を降りようかと迷ってはいても、降りる決心はついていない。
どこまで言っていいものか見当がつかなかったが、サルーディーバは言うことにした。
真砂名の神は、止めてはいない。
「貴方は、宇宙船を降りてはいけません。貴方には大切な役目があるのです。……宇宙船を降りようと思っても、むしろ、降りることは叶わないでしょう」
貴方は、宇宙船を降りることはできません。真砂名の神がそれを許さない。
なぜなら――。
サルーディーバは、必死で言った。
「貴方が、貴方が愛する少女を、どうか大切にしてあげてください」
グレンは帰りかけた道を引き返してきた。
ちょっと苦笑すると、「それは、大切にしたいけど」と悲しげな顔を作った。
「彼女は、ほかの男を愛してる」
「いいえ」
サルーディーバはきっぱりと言った。
「彼女は、必ず、貴方と結ばれます」
「おいおい。言い切るなあ」
グレンがさすがに呆れて言った。
「本当です。なぜなら、貴方が愛する女性は、貴方との間に、ひとつの惑星を救う人物を生むからです」
グレンは口笛を吹き、「……そりゃ、大げさなことだ」と肩をすくめた。
信じられないのも無理はない。信じてもらえなくてもいい。だが、きっとそうなる。
ルナさんは、貴方の子どもを産むのだ。
「でも、ま、希望が持てるのはいいことだよな。で、さっきから思ってたんだが」
グレンは、自分のマフラーを外し、ふわりと、サルーディーバの首に回した。
突然のグレンの所作に、サルーディーバはうろたえた。動揺して、予言のすべてが頭から吹っ飛んでしまった。
「襟元が寒そうなんだよ。あんたも出身星がL03ってンなら、寒いのは平気だろうが、女のひとがカラダ冷やしちゃいけねえぞ?」
貴方は。
貴方の目には、わたしが女性と映るのですか。
女としての自分は、わたくしにはもうないはずなのに。
幸せに慄きそうになる足を叱咤し、サルーディーバは、手の震えをかじかんだことにしてごまかした。
「あの……!」
「いいから。予言の礼だ。じゃあな」
今度は、足早にグレンは雪道をもどっていく。待たせていたタクシーに乗り込み、サルーディーバに手を振って、去っていく。
サルーディーバは、マフラーに顔を埋めた。まだ、グレンのぬくもりが残っている。
ぽろぽろと涙がこぼれた。嬉しかった。一番うれしい誕生日だった。
マ・アース・ジャ・ハーナの神が引き合わせてくれたのだろうか。
彼と親しくなってはいけない。サルーディーバだと名乗るわけにはいかなかったけれど、でも、彼と出会えるなんて、思わなかった。
おそらく、もう二度と会うことはないだろう。
このところなにも予言が見えなくなったサルーディーバだ。彼が今日ここを訪れることは教えてはもらえなかった。なんというサプライズだろうか。
――わたくしの愛する、グレンさん。
神様、彼の元気な姿を、ひと目でも見られて、わたくしは幸せです。
グレンさん、きっとだいじょうぶ。
ルナさんは、貴方と結ばれる運命にある。今はアズラエルさんと一緒にいますが、彼はきっと、ルナさんのもとを離れざるを得なくなるのです。
それはきっと、だれにもわからない、いにしえからの、魂のいたみのせいで。
ルナさんを愛するがゆえに、アズラエルさんはルナさんを置いて宇宙船を降りるでしょう。彼は、ルナさんを愛すれば愛するほど、失うときの痛みを思い出す。
数えきれないほどの過去で、ルナさんを失ったときのいたみを。
アズラエルさんの運命の女性はほかにいます。彼は彼で、幸せになれるのです。
無理に、ルナさんを恋わずとも。でも、彼の魂は、ひどい苦しみを伴うほどルナさんを恋うている。グレンさん、貴方も。
ルナさんは貴方の妻になる。
グレンさん、貴方は、アズラエルさんが宇宙船を降りたあと、ルナさんと結ばれる。
そうして、ルナさんがイシュメルを産むのです。
メルーヴァの革命が起こす戦争を唯一止める、「安んずるもの」イシュメルを――。
マ・アース・ジャ・ハーナの神は、そう、予言されました。
グレンさんが愛するお方と結ばれたとき、イシュメルは生誕すると。
グレンさんが愛した方が、イシュメルを産むのです。
わたくしは祈ります。
グレンさんとルナさんが結ばれるように。
神よどうか、グレンさんの、孤独な魂を癒してください。
せめて、たったひとりの愛する女性だけでも、彼に与えてください。
マ・アース・ジャ・ハーナの神よ。
わたくしのちっぽけな恋の願いを叶えてくださって、ありがとうございました。
なんという最高の贈り物だったことでしょう。
あの方に、プレゼントまでいただいてしまいました。
ふたつも、贈り物を。
大切にします。ずっとずっと、大切にします。
これでわたくしは、心置きなく、ルナさんとグレンさんの幸せを祈れます。
――ありがとう。
なかなか帰ってこないサルーディーバを心配して、アントニオが駆けつけたとき、サルーディーバは雪の中で、マフラーに顔を埋めて、嬉し涙にむせかえっていた。




