68話 二つの電話と、二枚の写真 3
「なになに――。皆さま、お元気ですか」
「ロビンさんからの手紙っすか」
「ああ。リリザの菓子です。食ってください。それから、まえデビッドさんに話してた、アズラエルの彼女の写真を送ります。アズラエルがメロメロの子ウサギちゃんです。ビビるなよ♪」
「アズ坊の彼女ォ!?」
アマンダは、夫の胸ぐらをつかんだ。
「アンタにはそんな話するのかい!? あのこたちは! あたしにはロクなメール寄越さないくせに!!」
「お、おめえが愚痴メールばっかやるからだろうが……! ホレ! 見たくねえのか……!」
デビッドは、写真という名のわいろを渡して、やっと暴君から解放してもらえた。
ぜえぜえと息をして気付けにビールをひと缶飲み干し、シドに、絶対嫁さんは、可愛くて優しい子をもらえ、L20の傭兵はやめとけ、と説教を垂れた。上司の身を張った教訓に、シドは重々しくうなずいた。
「あのこの付き合う女ってのはロクなのいないからねえ。化粧濃いだけのヤリマンばっかだろうが」
言いつつ、アマンダは封筒から写真を取り出し、それから、一時停止した。
「――いつかはやるだろうと思ってたけどね」
浮かない顔で振り向き、デビッドとシドに写真を突きつけた。
「ついにガキができちまったみたいだよ……」
ガキ?
デビッドとシドは、渡された写真を覗き込み、おのおの酒を吹いた。
そこには、アズラエルの彼女とは到底思えない――いや、思いたくない――アマンダがアズラエルの子と言いたくなるのもわかる――あまりに想像とはかけ離れた女が映っていたからだった。
栗色の長い髪の、十二、三にしか見えない童顔の少女が、ウサギ耳のついたパーカーを着て、口の端に生クリームをつけてビックリ顔で映っている。驚いた顔が、ますますその女を幼く見せていた。
体型からいっても、ずいぶん小柄だ。アズラエルが今までつきあっていた、化粧の濃い大柄な女とは程遠い――。
「アズラエルさんの彼女!? ウっソでしょ!? マジっすか!? なんすかこれ信じがたいんですけど!!」
「だけどおめえ、ガキってこたあねえだろ」
宇宙船乗って一年で、十二歳くらいのガキこしらえるってのか。
デビッドは、写真の裏にロビンの走り書きを見つけた。
『アズラエルの隠し子じゃないからね♪ 正真正銘アズラエルの彼女。L77から来た二十歳のキュートなうさこちゃんだよ~♪』
「L77!? うさこ!? 二十歳だってえ!? 十二歳くらいじゃないのかい!?」
「……地球行き宇宙船ってミステリーが多いって聞きましたけど、こんなミステリーもあるンスね……」
「アズ坊の――彼女――うさこちゃん――」
それぞれに、思い思いの感想をつぶやき、あまりの視覚の衝撃に、デビッドがぽろりと写真をとり落とした。メフラー親父は飴を舐めながらその写真を見――。
「これがアズラエルの彼女だとう!?」
と叫んで、――ひっくり返った。
「おやっさん!」「親父っ!」「ボスう!!」
三人があわてて駆け寄った。
――メフラー商社の年末は、一枚の写真でこのとおり、ひと波乱あったのだった。
「……うくっ、っ、クシュン! ぴぎっ!!」
ルナは、アズラエルがそばにいたら必ず、「どういうくしゃみしてんだ」と突っ込みたくなるようなくしゃみをした。とてとてとソファの上のティッシュを取りに行き、鼻をかむ。
(だれかきっとウワサしてるよ?)
だれだろう。
(……)
ウサギ脳は、ティッシュで鼻をかんだ体勢のまま五分ほど考え込んだが、結局思い当たる人物が浮かばなかったので、またとてとて、定位置にもどった。
ルナは、今朝届いた段ボールを開けて、ひとりご満悦だったのだ。
今日は十二月三十一日。宇宙船内では大晦日だから、ちょうどママやパパ、ツキヨおばあちゃんに電話をしようと思っていたところだった。
今朝、ママとツキヨおばあちゃんから、クリスマスカードが届いた。そして、パパからはクリスマスプレゼントが。
ルナのパパ、ドローレスは、大きな服飾会社に勤めている。有名なブランドも傘下には入っていて、毎年セールころには、従業員価格で可愛い服を買ってきてくれる。パパの部下の女の子たちが選んでくれるらしいが、さすが服飾関連の会社の子なので、センスがいい。ルナは、いつもその恩恵に預かっていた。
(今月貧乏だったから、来月は、リリザで、パパやママにも、ツキヨおばーちゃんにも何か買って送りたいな♪)
いつも、お世話になっている、パパの会社のひとにも。
ルナは、来年流行るというレースつきのワンピースや、ダッフルコート、ニットなどを並べて考えた。
カラータイツ。欲しかったんだ。ピンクのみずたま。あ、この帽子可愛い。
(この紺の水玉ニットとか、ミシェル好きそう)
こっちの赤いタータンチェックのシャツワンピは、リサが好きそうだな。
ルナは、いっぱいある洋服を、みんなにも分けようと、じゅうたんいっぱいに服を広げた。
「あっ」
広げたところで、ルナは気づいた。
「今のうちにパパにお礼の電話しよ」
アズラエルが留守のうちに。
ルナは、アズラエルと同居してから、なかなかうちに電話ができなかった。ルナの部屋に、男がいることが知れたら、どんなことになるか。
ルナは付き合っていないと言い張るのだが、まったくいまさらであった。
過保護の免許皆伝であるルナのパパは、ルナに彼氏はまだ早いと、口を酸っぱくして言っている。「パパと結婚する♪」というセリフに本気で顔を緩める親ばかだ。
そんな父親に、アズラエルの姿を見せるほど、危険なことはない。アズラエルがいないうちに電話するのが一番だ。
ルナは服をほったらかしにして「ちこたん」を呼び、テレビ電話の用意をした。ルナのうちのpi=poは食卓にあり、手の届く位置に置いていたらしい。すぐにつながった。
「パパあ?」
『ルナか。おはよう。もしかして荷物届いたのか?』
「うん! ありがとう!」
久しぶりのパパは何も変わっていない。短いプラチナ・ブロンドに、細いフレームのめがね。無口だけれど、ルナの前ではそうでもないし、ルナは、パパに怒られたことは一度もない。優しいパパが、ルナは大好きだ。
――あまりの過保護さに、たまに引くけれど。
『ぜんぜん電話を寄越さないからな。心配してたぞ。元気か』
「うん。元気だよ。このあいだ、リリザに行ったの! 来年また行くからおみやげ送るね!」
『そんなもの気にするな。服、どうだった。気に入ったものあったか』
「うん! あのね、レースのワンピ可愛かった! あとね~、」
「ルゥ、ただいま」
ぴょーん!! とルナの見えないウサギ耳が立ち、画面から消えた。ドローレスは、娘がいきなり画面から消えたので、驚いて姿を追ったが、すでにルナは居間にはいない。
ドローレスの眉が一気に険しくなる。
――今、男の声がしなかったか。
ルナはあわてて玄関先まで走ってきて、アズラエルを押しとどめた。声を低く、口に人差し指を立てて、
「アズ、アズおかえり! い、いまね、パパと電話してるの。ちょっと静かにしてて。すぐ終わるからここにいて!」
「パパ?」
アズラエルも顔をしかめ――それから、理解したように膝を打った。
「おまえの親父さん?」
「い、いえす。いえすあいどぅ」
「――そりゃ大変だ、挨拶しなけりゃ」
何を思ったか、アズラエルはまっすぐにパソコンのある居間へ向かう。
「ひぎゃ! らめ! いけません!! アズ!」
ルナはぎりぎりでアズラエルにつかまって止めた。ミニウサギの体重をかけた全力も、ライオンには非力だ。ルナを引きずったまま居間に入りかけたのを、泣きそうになりながら止める。
「だっだめー! アズ、パパが怒っちゃう。パパ、あたしに彼氏とか、すぐ怒るのおおお」
ピタリ、とアズラエルが止まった。
「はうぅ……、」
よかった。ギリギリだ。居間に一歩でも入ったら、アズラエルの姿が画面に映し出されて、パパに見られてしまう。
「やっぱり、あれだよな。『はじめまして、アズラエルです』」
――アズラエルが混乱している。なぜ。
「……自己紹介は基本だよな。『お世話になっております』――客相手か。『傭兵として雇われております』? フツーは驚くよな? ……いや、ダメだ。あ~、あたま真っ白で何も浮かばねえ……」
アズ、アズ、正気にもどって!
「アズ、おちつ――」
「……当たってくだけろってやつか。しょうがねえ!」
ライオンはウサギをがばっと抱き上げ、パソコンの前に向かった。
(ひいいいい!)
抱き上げられては、もはや為すすべもない。アズラエルがルナを抱えたままパソコンの前に正座すると――。
「……」
「はれ……?」
ルナも、画面を見た。画面は、真っ暗だった。通信は切れていたのだ。
「よ、よかったああああ~~~~……」
ルナは、ぺたーっとアズラエルの膝の上で伸びた。
「あら? 切っちゃったの? あたしも少しルナと話したかったのに」
リンファンが、エプロンを外しながら食卓に来たら、もうpi=poの画面は暗かった。
夫が、不機嫌そうにコーヒーを啜っている。背中から、なにかどす黒いオーラが漂っているのだ。滅多に感情が揺らがない彼にしては、めずらしい。
「――男の声がした」
リンファンは、夫の不機嫌の理由が分かって、プッと吹き出した。
「やあだ、リサちゃんにも、ミシェルちゃんにも彼氏できたんでしょう? あのこたちが彼氏と一緒にいたんじゃないの」
「部屋にはルナひとりだった。それに」
ルナただいま、と言った男の声が――たしかに聞こえた。
「まあーっ! あの子にも彼氏できたの!? ステキ! どんな子かしら!」
「知らん!」
「二十年、彼氏いなかったあの子にも春がねえ。やっぱり、ツキヨさんが言ってた通り、宇宙船はいろんな人がいるからねえ。リサちゃんの彼氏のミシェル君だっけ? あんな感じかしら。あのひともと公認会計士で探偵ですって! リサちゃんもイケメンばっかり彼氏にするわよね。ミシェルちゃんの彼氏なんて、芸能人かなにかみたいだったじゃない! やっぱりモデルさんよね、きっと。それとも、あれかしら、ルナのおとなりさんたちの新婚夫婦の。写真送ってきたじゃない、ほら、パーティーの写真。あのなかの――エドワードくんみたいな子だったらいいのにねえ……」
ママ、あの子みたいなのがいいと思う、と勝手にルナの彼氏を想像しているリンファンは、ぴこぴことペンギンダンスで、コーヒーサーバーをキッチンに取りに行った。
――いや、あんなタイプの男ではない。
ドローレスは、かつて「歩く冷蔵庫」と揶揄された、鉄壁の無表情をしかめさせて分析した。
声は低く太かった。あの渋めの声帯の持ち主は、戦場枯れした声――戦士の声ではないか――まさか、軍事惑星の男――いや、そう決めつけるのは早すぎる。声だけ渋いやつなど、いくらでもいる。だが、変な男に捕まっていないだろうな。それだけは心配だ。
あの子は、昔からどこかポヤンとしていて危なっかしい。
……やはり、地球行き宇宙船になど、乗せるんじゃなかった。
「……リン。コーヒー」
「はいはい。でも、同棲なんていいわねえ」
ドローレスは、呆然と目を見開いた。ルナが――可愛い娘が、男と、同棲?
「同棲くらいで目くじら立てないの! キラちゃんなんか、もう結婚まで話が出てるってよ!」
「俺より弱い男に、ルナはやらん!!」
もとメフラー商社ナンバー1傭兵は、無茶なことを言った。
「あなたより強い男なんてそうそういるわけないわよ。あなたより弱くて、へーぼんで、おっとりしたひとがいいの。フツーに幸せに生きていくのに、傭兵みたいな強さはいらないわよ」
「リンは心配じゃないのか。ルナがヘンな男に騙されていたら……」
「カザマさんが面倒見てくれてるもの。だいじょうぶよ。あの人、ルナがスーパーでコワモテの男に声かけられたって、そんなささいなことまで連絡くれるのよ? 一ヶ月に一回は必ずみんなの様子を報告してくれるし、ルナよりマメなんだから。ルナがそんなヤバい男と付き合ってるなら、真っ先に連絡してくるわよ」
女親というのは分からないものだ。行く前はあれだけ心配して、いろいろ理由をつけては反対していたのに、最近ではまったく心配のそぶりも見せない。
「……ツキヨさんは、聞いてるかな? ルナの、その、」
「多分聞いてないわねえ。あたしも初めて知ったもの」
リサちゃんちや、ミシェルちゃんちの家族なら、知ってるかも、というと、ドローレスはさっと立ち上がった。
「ちょっと、聞いてくる」
「じゃああたしも行くわ」
「……うん」
無表情でうなずくドローレスに、リンファンはコートを持ってきてあげた。
ドローレスはそのまま出ていこうとしていたのだ。むかしは「キレ者」と名高かった夫である。かなり動揺している証拠だ。
(リサちゃんちか、ミシェルちゃんちのお母さんに頼んで、ルナの彼氏の写真送ってもらおうっと。多分、あの子、パパに気兼ねして話さないんだわ。ツキヨさんにも)
まさか自分の娘の彼氏が、あのアダムとエマルの息子だとは知らず――今メフラー商社でナンバー3を名乗っている傭兵だとも知らず。
リンファンはご機嫌で、自分もコートを着て、おでかけ支度をはじめた。




