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キヴォトス  作者: ととこなつ
第二部 ~色街の黒ネコと色街の野良ネコ篇~
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67話 再会 Ⅳ 3


「セルゲイ、あのね、――エルウィンさんは覚えてる?」

「エルウィン? ……いや」

 セルゲイは首をかしげた。

「多分ね、大きなバスみたいな車の中で、セルゲイの手当てを最初にしてくれた、女の軍人さん」


 セルゲイは少し考え込んだが、「……いや、ごめん、思い出せないな」


「その人がね、あたしが一緒に宇宙船に乗ってきたキラっていう子の、お母さんなの」


 セルゲイは目を丸くした。


「それは――本当かい? デレクは知ってるの?」


「ううん」

 ルナは首を振る。

「知らないと思う。キラも何度かここにきてるけど、キラもデレクと自分のお母さんが同僚だったなんて知らないし、デレクのほうも、キラがエルウィンさんのこどもなんて、気づいてないと思うんだ」


「そうか――」

 セルゲイは、「この宇宙船は、不思議なところだよね……」とつぶやいた。


「笑ってもらってかまわないけど、私は、この宇宙船で出会ったみんなとは、きっとかなりむかしから――そう、地球に人類が住んでいたときから――浅からぬ縁があると思ってるんだ」


「地球に人類? 相当の昔だな」


 グレンが笑ったが、セルゲイの言葉を否定しているようには見えなかった。


「そう――私はね、ルナちゃんだけじゃなく、グレン、アズラエル、君たちふたりも可愛いんだよ。大好きなんだ」


 アズラエルが威勢よくワインを吹き、向かいのグレンの顔を汚した。


「……やっぱり病院でアタマ見てもらえ、セルゲイ」


 アズラエルが憮然(ぶぜん)と口を拭い、グレンは忌々しげに紙ナプキンで顔を拭うと、「お前が言うと、本気っぽくてコエーんだよ」とぼやいた。


「私は本気だよ? 嘘はついていない」

 セルゲイは目をぱちくりさせて言う。

「もちろん、ルナちゃんに対する可愛さとはちがうよ」


 グレンとアズラエルは苦虫を噛み潰した顔をした。


「……でもね、私はもう、ルナちゃんを独り占めしちゃいけないんだ」


 セルゲイのつぶやきに、ルナは顔を上げた。セルゲイは、ひどく穏やかな顔でルナを見つめていた。

 その顔に、ルナは戸惑う。


 ――もう大丈夫なんだね、おまえは。アズラエルもグレンも、怖くない。寂しかったのは、私なのかもしれないね。

 ――おまえがいなくなることが、いつでも不安だった。


 あれは、いつセルゲイが言った言葉だったろう。

 夢の中で? 

 ――それとも、過去? はるかな昔?


 ……思い出せない。


「ルナちゃんを愛してる――だれよりも。だからもう、悲しい思いはさせたくない。閉じ込めたいわけじゃなかった。ルナちゃんは、ふたりきりが、すこしさみしかっただけ」


 アズラエルもグレンも、言葉を失ってセルゲイを見つめていた。


 何を言っている、頭がおかしくなったんじゃねえかと、言えたらどんなにかよかったろうが、ふたりとも、まるで、呆けたように口から言葉が出なくなってしまっていた。


 ふたりとも、それがなぜなのかは分からない。

 ルナとセルゲイはこの宇宙船内で「はじめて」出会ったのだ。

 どうして、「過去」があったような言い方をするのだろう。


 くだらない、と失笑できるほどの内容なのに、やけに胸に染み込んで、笑い飛ばすこともできなかった。


「それが分かっていたのに、私は、ルナちゃんをだれにも渡したくなかった。でも、もうそろそろ終わりにしなきゃ。今はきっとできる。長い年月をかけて、ようやく――」


 それは、不思議な宣告だった。


「きっと私は、君たちを憎んでいた。でも、長い間君たちと出会って別れるのを繰り返すうちに、いつしか君たちのことも大好きになってしまったんだね。だから思うんだ。可愛い君たちになら、ルナちゃんをあげてもいい」


「……まるで、ルナの兄か父親みたいだな」

「……そうだね。それを言うなら、君たちは、きょうだいみたいだ」


 グレンは苦い顔をしたが、アズラエルのほうは、顔が一瞬、強張った。それはだれの目にも止まらない一瞬のことだった。 


 ――なぜなのだろう。

 ふいに、思い出したのだ。

 アズラエルが昔から見ていた、常夏(とこなつ)の島で船を修繕している夢。

 そこにいる男のひとりの顔が、グレンと重なったのだ。


 あれは――弟だ。

 アズラエルは、だれに教えられたわけでもないのに、そう思った。

 グレンは、――弟だ。


 船大工の、息子が二人。兄は自分、弟は、グレン。


 そうだ。

 あれが、――すべての始まりだったと、なぜ、そんなふうに思うのだろう。


「ルーナっ!」


 アズラエルははっとして、分かるほどに肩をビクリと揺らした。真向かいのグレンが怪訝(けげん)そうにアズラエルを見た。アズラエルは、相手に隙を見せたことを悔やみ、あわててグラスを手に取った。


 弟……? コイツが弟? グレンがだと?

 コイツは俺よりひとつ上だ。何を考えている。

 バカらしいにも、ほどがある。


「シナモン!」


 ルナに話しかけてきたのは――この個室にルナの姿を見つけて飛び込んできたのは、ルナの部屋の隣人、シナモンだった。すっかりできあがっている。

 シナモンは、この個室に、ルナの恋人であるアズラエルだけでなく、見たことのないいいオトコを二人も見つけて、目を丸くした。


「アズラエルー! メリークリスマス! 今日も渋いわね! ……ヤダ、なにルナこのイケメンたち! ンもう! 最近す・ご・いわよあんたぁ! いつの間にか周りイケメンだらけじゃない! うらやましー!! 知らないうちにイケメン傭兵と同棲はしてるしさー!! どこで知り合ったのー!!」


 イケメンを連呼するシナモンは、自他ともに認める面食いである。ルナをがっしりとつかみ、ルナの頭がぶれるほど、ぶんぶん揺らした。

 かなり酔っている。


「シ、シナモン声でかい……」

「あっはじめまして! あたしルナの隣に住んでるシナモンです! そちらのイケメンさんはだれですか!?」

「あ? ……俺か? 俺はグレンだ。よろしくな」

「グレン! あなたも軍人さん?」

「まぁ――元、な」

「元少佐だ」


 アズラエルがわざというと、グレンはしかめっ面をした。余計なことを言うなという顔だ。


「少佐ー!? すごおおいい!! じゃ、じゃ、あなたは? お名前は?」

「私はセルゲイです。よろしく」

「軍人さんですか!?」


 セルゲイは苦笑し、「残念ながら、軍人ではないです。医者ですよ」


「キャー!!」

 シナモンが歓声を上げる。

「ルナ! ルナ! なんなのあんた、医者に軍人ってうらやましすぎ……ぶっ!!」

「ワリ、ルナ。兄貴。もう完全できあがっちゃってるんで。邪魔してゴメン」


 背後からシナモンの口を両手で(ふさ)ぎに現れたのは、ジルベールだった。ジルベールはなぜか、初めて会ったときから、アズラエルのことを「兄貴」呼ばわりしている。


「俺たちが来た時間には、もうご機嫌だったろ」

「え? アズ、シナモンがいたの分かってたの?」

「入ってきたとき、すげえ笑い声したじゃねえか。どっかで聞いたことあるな、と思ったら」

「さすがっすね兄貴! 声で分かるなんて!」


 なぜかジルベールは、体育会系のノリでアズラエルと会話する。


「……いや、……一度聞いたら忘れられねえ声だぜ?」


 たしかに。

 シナモンの歓声は、リサと並ぶ甲高さだ。超音波に近いものがある。


「ひっどおい! アズラエルったら! ンもう、離してよジル!」

「うっせえよ酔っ払い。兄貴にメイワクかけんなよ」


 もはや、そのスジのひとと勘違いでもしているようなジルベールのセリフである。アズラエルは、「俺はただの傭兵なんだけどな」と何度ぼやいたかしれない。

 ちなみにジルベールには一切悪意はない。むしろアズラエルに憧れているようだ。

 自分はアズラエルの「舎弟」だと勝手に決め込んでいる。


「やあ、こんばんは」


 エドワードとレイチェルも顔を出した。

 レイチェルは、まだアズラエルが少し怖いらしいが、見た途端に逃げ出すことはなくなった。進歩である。不機嫌に応対してレイチェルを気絶させたお詫びにと、レイチェルに、ケーキを焼いたのが功を成したらしい。


 今夜は彼女たちもここで飲んでいたのか。

 レイチェルが、「ルナも誘おうと部屋に行ったのよ。でも、外出してていなかったから」と少し拗ねた顔で言った。


 今日はアズラエルと午後からショッピングに行って、そのままここへ来た。ごめんね、とルナは謝り、あした一緒にスーパーいこ、というとレイチェルは満面の笑顔で微笑んだ。


「ねえ、ね、グレンとセルゲイ、三十一日の夜って空いてる!?」

 シナモンが叫ぶ。


「三十一日? ルシアンのバイトは入ってなかったな」

「大晦日ね。うん、――私もあいているよ」


「じゃあ、私たちのパーティーに来て!!」


 シナモンはごそごそとバッグを漁ると、中から宛名のない招待状を二枚、取りだした。ルナとアズラエルも、このあいだもらったものだ。


「結婚――パーティー?」

「結婚するの? それはおめでとう。――でも」


 セルゲイとグレンは顔を見合わせた。それはそうだ。今知り合ったばかりの自分たちが行っていいものか、戸惑っているのだ。


「結婚式と言っても、格式ばったものじゃないんだ」


 エドワードが言った。


「ちゃんとした結婚式は、来年停泊する星で、互いの親族を招いて堅苦しいヤツをやらなきゃいけないんだ。それに、船内の友達は呼べなくてさ。だから、マタドール・カフェを貸し切って、ともだちだけで派手なパーティーをやろうと思って。あまり俺たちのことは気にしないで、酒を飲みに来てくれたらいいんだ。大勢のほうがカウントダウン・パーティーも盛り上がるだろ?」


 ジルベールも続けた。


「ご祝儀とか礼服とかいらないし。だけどちょっとだけオシャレして来て。会費だけ払ってもらえば、あとは飲み放題食い放題。楽しくやるだけ」


 よかったら来てよ、とジルベールは笑った。


「……ね! グレン、セルゲイ、絶対来て! それであたしと一曲踊ってね♪」

「もう! シナモンたら。花嫁って自覚あるの!?」


 レイチェルが頬を膨らませる。


「なによお、独身最後なんだからいいじゃな~~い」

「ったくよ。だれと結婚すんのか、わかってんのかよ」


 夫となるはずのジルベールは、呆れて言った。いつものことだ、と思っているようだ。


「え~~? どうする? 当日、あたしを奪いに来るオトコがいたら――」

「夢を見んのは勝手だよな。さ、帰るぞ。じゃ、兄貴、ルナ、グレンさんセルゲイさん、おやすみ!」

「え~~、もすこしここで飲みたい~~グレンさ~~ン」

「エド、シナモンのそっち持って」

「もう、シナモンたら酔い過ぎよ」

「酔ってないってばあ~~~」

「じゃあ、おやすみなさい」


 エドワードとレイチェルも、ルナたちに礼をして、席を後にした。エドワードとジルベールに、両脇を抱えられて引きずられていくシナモン。


「……結婚って、だれとだれがするんだ?」


 グレンが、当然のことを聞いた。だいたい見当はついたようだが、グレンとセルゲイは本当に初対面なので、彼らの関係すら知らない。ルナはあわてて説明した。


「あ、えとね、あのひとたちは、あたしのアパートの隣の部屋の子たち。宇宙船に乗ったときから仲良くしてるんだ。一番に話しかけてきた女の子がシナモンで、その彼氏がジルベール。アズのこと兄貴って呼んでたコ。で、あとから来たのがエドワードとレイチェル、シナモンがジルベールと結婚して、エドワードがレイチェルと結婚するの。この宇宙船で結婚式挙げようって、この宇宙船に乗ったんだって」


「ルナちゃんも出席するんだろう?」

「うんもちろん! アズもだよ」

「そう。じゃあ、ルナちゃんとアズラエルと、新年を迎えられるんだね」


 アズラエルはワインをこぼした。レイチェルなら裸足で逃げだす凄みのある顔で睨んでも、セルゲイはにっこり微笑むだけだ。なんてやつだ。

 アズラエルは、セルゲイを危険人物としてグレンより上に、配置した。アズラエルの危険人物計測トライアングルには、今頂点にセルゲイがいた。


「可愛い俺もいるんだぜ。忘れるなよセルゲイ」

「あ、ごめん。そうだったね――」


「ねええ?」

 子ウサギは、「さっきの話だけど――」と、その可愛い顔を疑問にしかめさせて、つぶやいた。

「セルゲイがアズとグレンを可愛いってゆうのはさあ? もしかしたら前世で、アズやグレンがセルゲイの奥さんだったりしたこともあるんだよねきっと?」


 たまらず、グレンとアズラエルは酒を吹きあい、同士討ちした。


「――、なん、な、なんてこといいやがるこのチビウサギ……!」

「……おまえの思考には、ついてけねえぜ」


 ルナはめいっぱいほっぺたを膨らませた。


「だって! それは逆もありえるんだよきっと!? セルゲイがグレンの奥さんやってたこともあるかもだよ? あたしがアズの旦那様とかしてたかもしれないじゃない! アズが可愛いおんなのこで、あたしがみんなみたいにでっかい大男で、恋人同士だったらどーするの!?」


 どうもしねえよ。

 軍人ふたりは、酒にむせながら心の中で突っ込んだ。

 想像力が貧困な自分では、ルナが大男になった姿など想像もできない、ついでにめのまえのむさい傭兵が可愛い女の子になるところもな、と皮肉紛れにグレンはぼやいた。


「う~ん、でも、それはあるかもねえ」

 のほほんと、セルゲイはルナに賛同した。


「俺は、ルナが小さくて可愛いほうがいい」

 アズラエルは酒の残りを口にした。


「いや、そうじゃなくて。君たちがもし私の妻だったらってことだよ」

 セルゲイは真剣な顔で言う。

「前世のことだろ? 今の私じゃなくて、憎しみを抱えたままの私が、君たちを妻になんかしたら、――う~ん、考えるだに恐ろしいなと思ってね」


 グレンが、ぐっと酒をのどに詰まらせた。 


「恐ろしいって、どう――」

「私は意固地で執念深いから、君たちが「女」としてトラウマになるようなことをやってのけたんじゃないかと思うとね――あは、冗談だよ。そんな怖い顔しないで」

「……」

「…………」


 笑顔で、そんなことをさらっというな。

 グレンとアズラエルは心の中だけで思ったが、この笑顔の奥に隠されたものが妙に怖くて――、グレンはおとなしく出そうとしたタバコをひっこめ、アズラエルは飲む気も失せて、自分の分のワインをルナのグラスに注いだのだった。




 

「んにゃ……むにゃ……」


 能天気子ウサギは、アズラエルの腕の中ですでに安眠だ。グレンとアズラエルに付き合って飲んでいたらつぶれたのだ。めずらしい。たぶんこのなかで一番強いのに。


 ルナがつぶれるのと同時に、宴席はお開きになった。

 グレンとセルゲイはおとなしく帰った。

 眠ってしまったルナをアズラエルは抱きかかえ、歩いた。


 外は雪がやんでいたし、マタドール・カフェからルナの部屋までは、タクシーを使うまでもない距離だ。


 ルナが寝言を口走る。

 たまねぎ、たまねぎ、アズ、タマネギ食べ過ぎちゃダメだよ。たまねぎはタバコじゃないよ。


 いったい何の夢を見ている。


 アズラエルは冷静に突っ込んだ。ルナは目覚めない。


 ――あれ?

 さっき、……そうだ。夢のことを考えていた。グレンが――なんだ?

 ……思い出せない。


 自分にしてはめずらしい物忘れだ。グレンが関係していることは分かっているが、思い出せない。


 ――別にいいか。ヤツのことなんぞ考えなくても。

 

 帰ってきた部屋はひやりと冷たかった。この冷気の中では、常夏の島のことなど、思い出せそうにない。




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