67話 再会 Ⅳ 1
ルナが口ずさんでいるのは、定番のクリスマスソング。
今日は、クリスマス・イブ。
アズラエルは、ノートパソコンのディスプレイとにらめっこ。
一日数十件は入ってくるメールを流し読みして、消す。ここ数日、ほったらかしにしていたので、件数も膨大に膨れ上がっていた。それでも一応目を通さないと、重要なメールもあったりするから、この二時間、目頭を押さえながらデジタルの文面を読んでいた。
仕事の内容ばかりだが、目に留まるものは少なかった。
認定の傭兵は、グループを組んで仕事の依頼をこなしている。アズラエルが所属する「メフラー商社」というグループの総元締めは、カダックという老傭兵だ。
バーガスとロビンも、アズラエルの仲間だ。なかでもロビンは、認定の資格はないが、メフラー商社のナンバー2という役どころを背負っている。
グループ内で、稼ぎ頭が三人も宇宙船に乗ってしまったので、メフラー親父も困っているだろうとバーガスは言っていたが、そうでもなさそうだ。ちなみにメールは、ほとんどが、今L18で起こっている出来事の報告と、カダックの娘であり、現社長のアマンダの愚痴だった。
アマンダの愚痴も、無理はなかった。
軍事惑星の新聞は取り寄せて読んでいるが、どうも我が故郷は、きな臭い状況になってきている。
宇宙船に乗っていても、できる仕事があれば、アズラエルは手伝いたいと思っていた。そうでもしないと、腕がなまるを通り越して、腐りきってしまう。
だが、アマンダからのメールも、メフラー商社からのメールにも、アズラエルが手伝えそうな仕事の話はなかった。
アズラエルはきりきりする目頭を押さえつつ、一件のメールを開いた。
『あたくしのメフラーちゃんを探しています』
アズラエルは件名を見て、吹き出しかけた。
内容は、これでもかというくらい太ったネコの捜索願いだ。悪趣味な洋服を着た、デブネコ。ネコと同じくらい丈夫なL5系の金持ち夫人が、一緒に映った写真が添えられて。
差出人はオリーヴ。
おそらく「アダム・ファミリー」――自分の家族の傭兵グループにきた依頼だろう。たまに、認定の傭兵を人探しもする便利屋だとでも思っているのか、見当違いのメールが送られてくることもある。
「相変わらずだな」
妹のオリーヴは、相変わらず茶目っ気たっぷりの悪戯娘だ。
アズラエルは、「バーカ」と返信すると、そのメールをアマンダと、それからバーガスとロビンに送った。アマンダは、ふざけるなと怒りそうだが、ほかのやつらは爆笑するだろう。
百数十件になってしまったメールのほとんどを消去し、最後にそのバカげたメールを消して、アズラエルはノートパソコンを閉じた。
そろそろ、来るころだ。
「アズ――!!!!!!」
そう思っていたら、ぱたぱたぱたと小さいのが駆けてくる足音がして、バッタンと扉が開かれた。
「ごはんだよっ! 今日のお昼はミートソース!」
「おう。うまそうだな」
見てはいないが、ルナのつくったそれなら、うまいとわかる。
「今夜は俺がメシをつくるか。クリスマスだし」
今夜はイブだ。
午後から買い物に行って、ルナにプレゼントを買って、とっておきのシャンパンを開け、ケーキとチキンを用意する。
雇い主とボディガードのクリスマスにしては、なかなか上出来ではないだろうか。
ルナの好きな、チョコレートソースがとろりと出てくるフォンダン・ショコラがいいか、ブッシュ・ド・ノエルか。オーソドックスな、生クリームとイチゴたっぷりのケーキも、ルナは好きだし――。
ケーキはなにがいい、と聞くと、ルナは、「エビフライ!」と即座に言った。
エビフライ? ケーキのことを聞いたはずだったが。
「エビフライがいっぱいたべたい。山盛り。エビフライのツリーつくるの。あとね、あのね、電話なの」
ルナの手には、携帯電話が握られていた。
「電話なの。セルゲイから」
「は? セルゲイ?」
どうして俺に。
「おまえにじゃなくてか」
「うん。アズにかわってってゆった」
なんだか、嫌な予感がする。
アズラエルが盛大なためいきを吐くと、ルナは言った。
「アズ、そういうためいきはだめです。あたしのなかのウサギが十円ハゲになる」
「L77じゃ、そういうことわざでもあるのか」
「うん! いまあたしがつくった!」
アズラエルは、ルナのほっぺたをつまむことで留飲を下げ、電話を受け取り、保留ボタンを解除すると電話に出た。ルナがぱたぱたとキッチンへ走りもどっていく。
「……なんの用だ?」
わざと不機嫌に出てやると、相手が電話の向こうで苦笑いした。
『やあ。今すこし、いいかな?』
グレンは、冷蔵庫から水を出して、一リットルを一気に飲み干した。
部屋を見渡し、感心する。
エレナのおかげで、部屋がとてもきれいだ。
彼女は綺麗好きで、ジュリの尻を引っぱたきながら、三部屋すべて掃除してくれる。掃除に関しては、pi=poの出番はほとんどなかった。
彼女は妊婦だし、無理はするなとみんな言ったが、掃除は好きだからいいと言って聞かない。たしかに気分さえ悪くないなら、だまって座っているより、多少動いたほうがいいそうだが。
診察のたびにみんなそろって病院に行くので、エレナの父親は、いまだひとりに限定されていない。
部屋に、小さなツリーが飾られているのを見て、グレンはかすかに笑った。
(そういや、今日はイブか。クリスマス・イブ)
すでに形骸化された祭りで、ほとんどみんな、ろくに意味もわからずイベントにしているが、あれはエレナが飾ったのだろうか。
このあいだ、「どんなおみこしが出るの?」とエレナが口走り、みんなで笑った覚えがある。
時計をみると、正午近くになっていた。
午後三時から、護衛術の臨時講師のバイトがある。そのまえに射撃場とジムにも行くつもりだった。
(メシは、あっちで食うか)
グレンは服を着るために部屋へ向かいかけたが。
電話が鳴った。
なんの躊躇もなく電話に出、そして後悔した。
出るまえに、ナンバーをたしかめるべきだった。
『メリークリスマス! 元気かね、グレン』
「――ユージィン叔父」
相手は、同じドーソンの姓を持つ、叔父。
父バクスターのいとこである、ユージィン大佐だった。
「へべれけっへべれけっ♪ アズはへべれけー」
子ウサギは、たいそう上機嫌だった。
ぴこぴこと奇妙な歩き方をしながら、その足取りは弾んでいる。
とっても。
へべれけなのはてめえだろう、と苦々しいセリフを吐きたいが、ルナは酔ってはいない。酔わずに、意味不明の歌がよくあれだけ口から出てくるものだ。
アズラエルだって、ルナのマヌケな口ずさみを、いまさら目くじら立てるほどではない。
だが、不機嫌にもなりたくなろうというもの。
ウサギのせいではない、決してないが。
「アズ! 眉間にしわよってるよ!」
ルナが、アズラエルの眉間にズビシ! と小さな指を突き刺した。
「機嫌悪いからな」
今機嫌を悪くせずして、いつ悪くしろというのだろう。
セルゲイから来た電話は、ルナとアズラエルを、夕食に誘うものだった。
それだけなら、アズラエルは断っていた。
今日はイブだ。ルナと二人きりで過ごす。なにがあってもだ。
だが、状況はアズラエルには非情だった。セルゲイは、言葉という名のライフルの照準を、ピタリとアズラエルに合わせた。
『ルナちゃんが、私の夢を見たって聞いたんだけど』
セルゲイに言ったやつはひとりしかいない。刻んでやりたい。
『夢っていうか――そう、過去っていったほうがいいのかな。私も、ルナちゃんからその話を聞きたいんだ。ダメかな?』
ダメかな? と一応聞く姿勢は取っているが、ダメだと言ったらこの男はどうするのだろう。
「……ダメだと言ったら?」
『しかたないな。君の仕事中に、こっそりルナちゃんに聞きに行くよ。グレンと二人でね。ついでにルナちゃんとリリザで遊ぼうかな。あ、そうだ、椿の宿とやらにも一緒に。温泉があるんだってね』
「わかった。場所はどこだ」
『マタドール・カフェで。午後七時ころ。ルナちゃんによろしく』
――この男のほうが、ルナよりよほど、得体が知れない。
セルゲイとグレンと食事ができる、と聞いたルナは途端に明るくなり、アズラエルを不機嫌のどん底に陥れた。
L18では、クリスマスは、恋人同士過ごすことが多い。ルナの星ではさまざまだが、ルナ自身は彼氏がいたためしがなかったため、友達と食事にいくか、家族で、というのがほとんどだった。だから、セルゲイやグレンがいても、なんの違和感もない。むしろ大勢は楽しい。
俺とふたりきりのクリスマスは、嫌だって言うのか?
アズラエルの歯ぎしりは、ルナには聞こえない。
マタドール・カフェに来るのは久しぶりだ。
一階はすでに満席で、デレクと老マスターはパニック状態だった。辛うじてルナとアズラエルに気がつき、目で「二階だよ」と合図してくれた。見ない従業員が二、三人走り回っているところを見ると、臨時で雇ったのか。今日は忙しそうだ。
イブなのだから、しかたない。
セルゲイは、二階の個室を予約しておいたらしい。よくこんな時期に取れたな、予約取れなきゃよかったのに、とアズラエルはまだぐずぐず唸っていた。
アズラエルとルナが二階に行くと、五つある個室がすべて満席だった。どこからもにぎやかな笑い声が聞こえてくる。
電飾の絡まった特大ツリーが真ん中に置かれ、サンタを織り込んだ幕が個室を仕切っている。店内のBGMも、今朝ルナが口ずさんでいたクリスマスソングだ。
クリスマスたけなわ。
「こっちだよルナちゃん」
セルゲイが手招きしている個室の方へ、ルナがててててっと走っていく。
アズラエルも、深々とため息をついて、気の進まない席へ向かった。
「よお、メリークリスマス。クソ傭兵野郎」
「いい聖夜だな。来年もてめえのハゲが進行することを願うぜ銀色ハゲ少佐」
互いの悪口は言いつくした感があるので、いつも通りの表現しか出てこない。
「メリークリスマス。グレン、セルゲイ♪」
「メリークリスマス。ルナ、座れよ。今日も可愛いなおまえは。愛してるよ」
「人のウサギを堂々と口説くな」
「メリークリスマス、ルナちゃん」
セルゲイは、大人げないふたりをすっかり無視して、ルナに紙包みを渡した。
「抜け駆けすんなセルゲイ」
グレンもいい、ルナに小さな小箱を渡す。
「あとで捨てんじゃねえぞ」
捨てられるとしたら、アズラエルの仕業だろうが。
「うわあ……! かわいい……!!」
セルゲイのほうは真っ白なニット帽と、ふわふわ手袋のセット。グレンのほうは、可愛いハートに羽のついた形の、ルナもよく知るブランド物のネックレスだった。
「あ、あたし今すごいビンボーで……。こんなのでごめんね」
ふたりが何を気に入るかもわからないし、ふたりがいつも身に着けているものは、ルナなど手も出ないブランド品ばかり。
思い余ってアズラエルに相談したが、「なにもやらんでいい」というオーソドックスな返答が返ってきたので。
ルナがラッピングした細長い箱がふたつ、セルゲイとグレンに手渡された。
中身はサンタとひいらぎのクッキーが乗せられた、手作りのブッシュ・ド・ノエル。
箱をあけ、グレンは口笛を吹き、セルゲイは、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。ほんとにすごいねえルナちゃんは。なんでもつくれるんだね」
「持って帰ったら、みんなに取られちまうからな。ここで食って帰る」
グレンは、「ありがとう、ルナ」とルナの手を取って指先にキスした。アズラエルの文句が間に合わないほど、素早かった。
セルゲイが予約しておいた料理が運ばれてくる。
玉ねぎやスパイスを詰めた丸ごとの鶏や、スープにオードブル、クリスマス・プディング。チキンはセルゲイが切り分け、ワインのコルクはグレンが抜いた。
オードブルの中にエビフライがあるのを見て、ルナが、「今日ね、エビフライタワー作るつもりだったの」と言って、エビフライを見つめていた。
「エビフライタワー?」
セルゲイが不思議そうに聞いた。アズラエルも首を振った。分からん、という意思表示だ。
「エビフライをひゃっことかつくって、いっぱい積み上げてみたかったの!」
目をキラキラ輝かせるルナに男たちは。
――そうか。
と遠い目をした。
その百匹のえびは、だれが食うんだろう。ルナが全部食えるとは、到底思えなかった。
「……」
うさこはだまってエビフライを見つめている。「いいから、食え」とアズラエルがタルタルソースをたっぷりのせてルナの皿へ置くと、ルナはやっとエビフライにフォークを突き刺した。
「ところで」
軍人の食事は早い。健啖家のふたりは、大きなチキンを十分ほどで三分の一にして、ワインで口を湿らせた。
「――グレンおまえ、なんでセルゲイに言った?」
ルナの、夢のことを。
アズラエルは単刀直入に聞いた。この面子で、世間話が延々と続くような、なごやかなパーティーなどする気はない。
グレンは言った。
「ルナがセルゲイの夢を見たってンなら、セルゲイも俺たち同様、ルナに関わりがあるってことだ。だったら、セルゲイにも言っとくのがスジだろう」
「それだけじゃねえな」
アズラエルは、グレンが器用に肉と骨を切り分ける手元を見ながら言った。
「たしかに、それだけじゃねえな」
グレンの指はまったく汚れていない。フォークとナイフを使う手つきはさすがに上品だ。グレンは切り分けた肉を、ルナの皿へやった。さっきからルナは、うまく骨と身を切り分けられなくて苦心していた。ルナは喜んで、グレンが切ってくれたチキンをフォークに突き刺した。
「ルゥ。箸使うか?」
ルナは首を振った。一生懸命、チキンと格闘している。
「――L18が、かなりまずい状況になってきてるってことだ」
「おまえの一族がだろ」
「俺の一族がヤバいってことは、L18がヤバいんだ」
グレンははっきり言った。アズラエルも、それを否定する気はない。
「そうらしいね。はっきりとは書いていないけど、新聞を読んでいればわかるよ。最近、なにか変だね、L18は。反射神経が鈍いというか、テロにすぐ対応できてない」
セルゲイもチキンを口に運んで咀嚼し、飲み込んでからうなずいた。
「そうだ。そのせいで、最近、L4系の治安が急激に悪化してきてる」
「ああ」
新聞はもとより、アマンダの愚痴メールのほとんどがそれだったからだ。
L4系のあちこちでテロが勃発し、それが、先月の三倍に増えた。それなのに、L18が、いままでのようにすぐ鎮圧に向かわない――向かえない、と言ったほうが正しい。
L18の動きが、反応が、恐ろしく鈍くなっている。
それも当然だ。L18の中枢でドーソン一族の高官が何人も罷免され、後任の引き継ぎだのなんだので、L18自体がパニック状態になっているからだ。
メフラー商社も、軍部から依頼が来た途端にキャンセルされたり、同じ依頼が三度も来たりと、振り回されている。メフラー商社だけではない、ほかの傭兵グループもそうらしい。
軍部がおかしい、と皆、口をそろえて言っている。
「ルナを守るなら、味方は多いほうがいい。だろ?」
グレンの主張を、アズラエルは、仕方なく認めた。
「おまけに」
グレンは、おしまいだ、というように両手を広げて天井を仰いだ。おおげさに。
「俺は身内に狙われている――んだが、いよいよ、この宇宙船にも追手がかかりそうだ」
「なんだって?」
セルゲイだけではない、アズラエルも、グレンを見た。ルナも、フォークを取り落としてしまった。
「……冗談じゃねえぞ?」
「だ、だれも冗談だなんておもってないよ! いったい、どうしたの!?」
「カワイイなあ、ルナ。俺の心配か? ン? おクチにタルタルソースついてんぞ」
今度はグレンの指が届く前に、アズラエルが拭った。ルナが自分で拭おうとしたナプキンは追いつかなかった。秒刻みの抗争である。
「今日、ユージィン叔父から電話があってな。帰ってこいって言われたんだ」
「ユージィンって、――もしかして、ユージィン・E・ドーソン?」
「そう」
「一度L18の首相にならなかった? 私がL19にいた学生時代だ」
「ああそのころだな。たった三ヶ月だったけどな」




