66話 リハビリ夢の中 Ⅵ ~東の国の騎士と、王様のお妾様~
むかしむかし、大陸のはじに、大きな国がありました。
そこそこ、豊かな国です。
その国の王様は、銀色の大きなトラさんでした。トラ王が即位したころは、大きな戦争もなく、国は平和でした。
トラの王様には、まだ正妻と呼ばれるお妃様はいませんでしたが、お妾さんは数人いました。
歴代の王の中では、トラ王様の後宮は寂しいほうでしたが、なかなかの粒ぞろい。
裕福な商家の娘のウサギさんと黒ネコさん、高級娼婦だった派手な野良ネコさん、貴族の娘のキリンさん、など。大臣たちが集めてきた美しい娘ばかりでした。
その中でも、トラ王は、小さくて可愛いウサギさんが大のお気に入りでした。
若くして即位した王様は、王様でありながら、有力貴族や大臣たちの顔色をうかがう生活。
孤独でした。
そんな中、奔放だけど純粋で、政治的駆け引きもいらないウサギさんは、王様の唯一の癒しでした。
王様が一番好き、と言ってくれるのです。王様は、ウサギさんに夢中でした。
ウサギさんは大きな商家のお嬢様で、とてもわがままでした。でも、そのわがままも王様にとっては愛らしいものです。トラ王様は、ウサギさんばかり可愛がりました。
本当は、トラ王様はウサギさんを王妃にしてもよかったのですが、その点この王様は賢かったので、ウサギさんをお妃さまにしてもうまくいかないことは分かっていました。
この子はまだこどもで、世間知らずですし、王様は、権謀術数渦巻く政治の中枢を、その女主になる証である妃の冠を、ウサギさんには与えたくありませんでした。
ウサギさんには、そういう醜い世界を、なにも知らないままでいてほしかったのです。
王様がウサギさんばかり可愛がるので、もちろん黒ネコさんと野良ネコさんは嫉妬していました。
キリンさんは賢い女性だったので、王様との結婚は政略結婚で、王様の愛がなくても正妻にさえなれればいいと思っていました。彼女は、王妃になれるだけの賢さと、ウサギさんにも嫉妬しないつよい理性とがありました。
彼女が妾たちを仕切っていましたが、ウサギさんにはいつも困らせられていました。王様の寵愛をいいことに、勝手ばかりするのです。
でも、ウサギさんが一番こどもで、商家の娘であることから、政治的権力はありません。
ウサギさん自身も政治とか権力とかに興味はありませんでした。難しいのは嫌でした。
家柄も、頭脳も、キリンさんの敵ではなかったので、ウサギさんはただの困った娘として、かなり大目に見られていました。
さて、王様はそろそろ正式なお妃様を決めねばなりません。いくら若い王とはいえ、後継ぎ問題は大切です。
黒ネコさんと、野良ネコさんと、キリンさんの間で、かなり熾烈な戦いが水面下で繰り広げられていましたが、ウサギさんはそんな中もどこ吹く風で、自由気ままに振る舞っていました。
一番愛されているのは自分。王様は、自分をお妃にするにちがいない。
そう信じて、疑いませんでした。
ですがネコたちもキリンさんも、あの賢い王様が、あのこどもを愛していてもお妃にはしないだろうと、分かっていました。
王様は、迷うことなく王妃を、賢いキリンさんにしました。それが、国にとって一番正しい方法だと思ったからです。
王様は、たいそうウサギさんを甘やかしましたが、お妃様にしてね、というウサギさんのわがままだけは聞き入れてくれませんでした。
ウサギさんは怒りました。あたしは王様が一番なのに、王様は、あたしを一番に愛してくれないの、と王様を責めます。
王様は、困り果てました。ウサギさんはたしかに可愛いけれども、可愛いだけでは、国を守る王妃はやっていけないのです。
黒ネコさんたちもいきり立ちましたが、どうしようもありません。
大臣たちの後ろ盾も得たキリンさんは、当然のように妃の座に収まりました。
王様は、後継ぎを作るためにウサギさんのところへは来ず、キリンさんのところにばかり赴くようになりました。
ウサギさんは初めて、寂しさに枕を濡らしました。
そんなウサギさんに、近寄る影がありました。
騎士の、ライオンさんです。騎士のライオンさんは、大きな褐色のライオンで、王様の側近でした。ウサギさんが、王様の妃になれないだろうことは、ライオンさんも知っていました。
この国では、王様の妾を、王様の意志で、部下や領主に下賜することができます。
ライオンさんは、ウサギさんが欲しかったので、王様にそれとなくお願いしてみたことがありました。キリンさんがトラ王のお妃になった後です。
でも、王様はウサギさんをくれませんでした。代わりに黒ネコさんをくれましたが、ライオンさんが欲しかったのはウサギさんです。ライオンさんはがっかりしました。
黒ネコさんは、どうせ後宮にいても、王様のお声はかからない。立派な騎士のライオンさんの奥さんになったことで喜んでいましたが、ライオンさんは黒ネコさんには手を出さず、大きな農場をもつ領主の、大きな犬さんのところへ嫁がせました。
黒ネコさんは、ショックで泣きました。でも、黒ネコさんの両親は、それを喜びました。そのほうが身分相応で、黒ネコさんが幸せになれると思ったからです。
野良ネコさんも、キリンさんのすすめで別のところへ嫁ぎました。大臣の一人である、黒い鷹さんのところへです。
ほかの妾達も、それぞれ、ほかのところへ嫁がせられました。
後宮に残ったのは、ウサギさんと、キリンさんだけ。
キリンさんは、ウサギさんもよそへ嫁がせようとしましたが、それだけは、王様は許しませんでした。
ただでさえ、ひと気が少なかった後宮は、みんないなくなってがらんとしてしまいました。
ウサギさんは、寂しくて泣きました。
そんなウサギさんの心に、ライオンさんが忍び込むのは簡単なことでした。
ライオンさんは、王様が来ない寂しさで泣くウサギさんを慰め、いつのまにか自分のものにしました。
王様に知られたら一大事です。でも、ライオンさんはウサギさんが愛しくて可愛くてならず、どうしてもどうしても、欲しかったのです。
三年が、経ちました。
キリンさんに、王様の子どもはできませんでした。大臣たちによって、キリンさんは里に帰されてしまいます。
トラ王さまの国は独裁政権ではありません。王様は、多数の大臣たちの言うことには逆らえないのです。トラ王様も、なにも帰さなくていいじゃないかといいましたがダメでした。
キリンさんは、お城を追い出されてしまいました。
キリンさんは、悲しみのうちに、若くして亡くなってしまいます。
そのあとにやってきたのが、パンダさんです。パンダさんは貴族の娘で、キリンさんより賢く、そして何よりもふくよかで、いかにも子宝に恵まれそうな体つきのひとでした。彼女は王妃になり、すぐに王様の子どもを生みます。
男の子。あとつぎの誕生です。
パンダさんはおおらかで心優しく、ウサギさんよりも年上でしたので、ウサギさんを妹のように可愛がりました。でも、とてもしっかりした方だったので、ウサギさんの過度なわがままは許しません。勝手に後宮を出て遊びに行くことも、パンダさんは許しませんでした。
ウサギさんは、後宮に閉じ込められた形になってしまいました。
つまらない毎日です。
後宮を出られなければ、ライオンさんにも会えません。
パンダさんに子どもができて落ち着くと、トラ王様は、愛するウサギさんの子も欲しくなりました。先にパンダさんに子どもが、しかも後継ぎができたので、いいだろうと思ったのです。パンダさんはウサギさんを可愛がってくれますし、パンダさんも、可愛いウサギさんの子どもなら、わたしも欲しいです、と喜んで王様を送り出してくれました。
久しぶりにウサギさんの部屋を訪れたトラ王様は、今まで寂しがらせた分、いっぱい可愛がってやろうとウキウキしながらウサギさんを腕に抱きました。
ところが。
無邪気で、考えなしのウサギさんは、とんでもないわがままを王様に言ったのです。
あたしを、ライオンさんのところへ嫁がせてください。
トラ王様は、激怒しました。
ウサギさんは驚いて、泣きだしました。いつも優しい王様が、こんなに怒ったのを見たことがありません。
王様は、ライオンさんをここへ引きずり出せと命令しました。
部下たちが、ライオンさんを連行してきます。後宮は、ハチの巣をつついたような大騒ぎになりました。もちろんパンダさんも、あわてて駆けつけました。
よく見ていろ、トラ王様は、ライオンさんにうなりました。トラ王様は、部下から刀剣を奪うと、ライオンさんの目の前で、ウサギさんの胸を刺し貫いたのです。
ライオンさんが吠え、パンダさんは、叫びました。パンダさんがウサギさんに駆け寄ります。トラ王様は、それをすごい力で弾き返し、愛おしそうに絶命したウサギさんを抱きかかえました。
だれにも、触らせまいとするように。
パンダさんは、かわいい妹の死に、号泣しました。
わたしのものだ、トラ王様は吠えました。だれにも渡さん。
賢明でしたが、いつも大臣たちの言いなりのおとなしいトラ王様に、こんな激情があったなんて、だれも思いませんでした。大臣たちが止めに入りましたが、無駄でした。暴れるライオンさんが、地下牢に連れて行かれます。
トラ王様は吠えます。そいつを殺せ、と。
パンダさんも王様にすがって止めましたが、聞き入れてもらえませんでした。
――やがて。
黒ネコさんは、城から遠く離れたブドウ畑で、ライオンさんが公開処刑されたのだと聞きました。王様の寵愛するウサギさんを殺した罪だと。
王様は、ウサギさんの死を嘆き悲しんで、ウサギさんの遺体を抱いたまま、一ヶ月も後宮から出てこなかったと犬さんは言いました。
黒ネコさんは、ブドウを取る手を休めて、夫からの話を聞きました。
どうしてライオンさんがウサギさんを?
黒ネコさんは分かりませんでしたが、もしかしたら王様が殺したのかもしれない、とふと思いました。
なんとなくでした。
行かなくてよかったのかい、と優しい犬の夫は言いましたが、黒ネコさんは首を振りました。もう過去のことです。
黒ネコさんは、あの小さなウサギさんを思いました。同じ商家の娘で、後宮に入ったころは、黒ネコさんと気があって、親しかったのでした。
自分たちに優しかった、賢いキリンさんを思いました。
それから凛々しいライオンさんと、銀色のトラ王様を思いました。
お茶にしよう、夫が言いました。そうでした。今日は午後から野良ネコさんと黒いタカさんが遊びに来ることになっていました。
いま摘んでいるブドウを、野良ネコさんたちと一緒に食べるのです。
この国はとても、平和なのです。




