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キヴォトス  作者: ととこなつ
第二部 ~色街の黒ネコと色街の野良ネコ篇~
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番外編 色街の黒ネコと色街の野良ネコ 5


 それから三日ほど、エレナはラガーへ行かなかった。ラガーに行ったら捕まるかもしれないという恐怖もあったが、あの銀髪の男――グレンに会いたくなかったせいもある。


 どうも、あの男は苦手だ。怖い顔をするのに、自分のそばにいろ、守ってやるなどという。

 あたしと、寝もしないくせに。

 どちらにせよ、あのバーは危険だ。二度と行かないことにしよう。


 エレナは、スーパーへの買い物以外は、部屋に籠りきっていた。


 ジュリはロミオと行動しているのだろう。帰っては来なかったし、エレナとしても、それはそれで楽だった。何度も金庫を引っ張り出しては、金を勘定していた。


 グレンからもらった、折り目もない札束も、入っている。エレナは、自分の借金の総額がすでにたまっていることを確認して、思わず笑顔になった。


 ふたつきもたたずに、よくもまあ貯まったものだ。


 あのへんな銀髪男がこんなにくれたおかげで、一気に金が増えた。がめつい商売とあの男は言ったが、そのせいで金は相当貯まっていた。自分の分は、これでぜんぶ貯まったことになる。


 エレナは、ちゃんとジュリと自分の分は分けて数えていた。

 エレナは、その金をバッグに入れ、用心深く中央役所へ持って行った。マックスに会いに行くと、案の定、エレナが商売をしたことはバレていた。


 マックスは、怒りはしなかったが、そのかわり、ひどく悲しい顔をした。


 借金の額が貯まったことを告げると、マックスはだまって金を受け取った。優しいマックスだったら、よくがんばったねと言ってくれると思ったが、それがなかったのでエレナは少し拍子抜けした。でも、商売をすることはいけなくて、マックスにも迷惑をかけたのだから、そんなことを言われるはずもないとエレナは思い直した。


 エレナが金を稼いだ背景は、マックスは分かっている。なぜかマックスは、グレンがエレナにそんな大金を与えたことに関しては、不思議な顔をしなかった。


 彼は借金完済の書類を持ってきて、それにエレナはサインをした。自分の名くらいは、書ける。マックスは終始元気がなかったが、エレナは最高の気分だった。


 これで借金は終わったのだ。とにかく自分の分だけでも。


 マックスは、これで精いっぱいだという笑みを浮かべて、エレナを説得した。


「エレナさん、ほかの地区へ引っ越しませんか」


 せめて、K34区からは出ましょうと彼は言ったが、


「あ、いや、だって、ジュリの分まだだから」


 エレナに、マックスの悲しみの意図は届かなかった。

 そんなマックスとは裏腹に、ウキウキとした気分でエレナは席を立った。


「ありがとうマックスさん。それから、知らないでいて商売しちゃってごめんなさい。ほんとうにアレはあたし、知らなかったんだ。でももうしないから。ジュリにもさせないよ。それからね、これからあたしの金のぶんも、ジュリの分の返済に回してってください」


 大金をもらったあたしは運が良かった。それにもともと、宇宙船からもらってる金は、稼いだやつじゃないからね、とエレナは言った。


「……エレナさん」

「そうすりゃ、半年でジュリのもぜんぶなくなるだろ? そしたら、すっきり、ほかの地区へ住むよ。なるべく安いところ、お願いします」

「……」

「マックスさん、なんて顔してんのさ。心配しないで。あたしは大丈夫だから」


 知らないで商売して、迷惑かけたことは謝るけど。エレナはそう言って苦笑した。


「……そうですか」

 マックスは、元気のない表情で、かすかに笑みを浮かべ、

「私は、あさってからひとつきほど、研修生の指導のためにL55へもどらなくちゃいけません。その間、なにかあったらチャンへ連絡してください。すぐですよ」


 マックスは、メモにチャンの電話番号を書いて、エレナに渡した。


「……サラさんの具合は?」


 エレナは、マックスに元気がないのは、サラの容体が悪いためなのかと思った。


「ははは、サラは元気だよ。私の百倍はね。心配してくれてありがとう。だがほんとうに、病気のほうは、いまはなんともないのさ」

「そうか。よかったよ」


 いろいろ迷惑かけて、ごめんなさい。エレナはもう一度謝った。


「なるべく、おとなしくしてるよ。変なことにならないようにするから。じゃ、また」


 マックスは、なにか言いたそうな表情だったが、エレナは気づかず外へ出た。


 空は晴れ渡っていた。気分がいいと、空もさらに明るく見える。

 今日くらい、喫茶店かレストランでお菓子を食べようか。いいかもしれない。借金が終わったんだから。


 一度、自分の部屋にもどって着替えてからでかけようとしたエレナは、部屋に入ってまた戦慄した。ジュリの部屋から、すすり泣きが聞こえてくるのだ。

 最初は、またジュリがだれかを連れ込んだのかと思って、かあっと頭に血が上ったが、どうも様子がおかしかった。


 ジュリの部屋のドアは開けっ放しだった。

 部屋を覗き、エレナは目を見張った。


「あんた……! どうしたんだいそれ!!」


 ジュリが、ぺたりと床に座り込んで泣いていた。それだけならいつものことだ。だがジュリの着ているタンクトップの胸元からは、点々とした傷跡が見えた。その傷の形には覚えがある。


 エレナはあわててジュリに寄って、タンクトップをめくり上げた。案の定、腹には、いたいたしい青痣(あおあざ)があった。殴られたのか。胸の傷は、タバコを押し付けられた跡だ。


「だ、だれがやったんだい、だれ――」


 聞くまでもない。エレナはロミオがやったのだと直感で悟った。

 エレナが男たちに犯されていても、なにも言わなかった男だ。まともな男であるはずが、なかった。


「お言い! いったいなにがあったんだい!?」


 ジュリの話はメチャクチャで、たいていの人間は意味が分からずに終わるが、エレナは伊達に何年も一緒に過ごしてきたわけではない。ジュリのつぶやきを拾って、なんとか内容を理解した。


 ジュリの話は、ひどいものだった。

 この三日、ジュリはろくに食べるものも与えられずに、複数の男たちの相手をさせられていたのだという。ロミオの命令で。ロミオはその間、ほかの女と楽しんでいたのだと。

 そういう性癖の男か。気を付ければ気づけたはずだった。気づかなかったあたしが悪かったのだ。


「えれ、エレナ……おなかすいた……」


 よく見れば、ジュリは、頬がげっそりするほどやつれていた。エレナは絶句していたが、あわててキッチンに立った。昨日作ったうどんの残りがあったはずだ。エレナは、うどんを煮ながら、悔し涙を必死に我慢していた。


 シャワーも浴びずに追い出されたのだろう。ジュリからは()えたにおいがした。


 部屋でなにか食ってきて、また今夜ラガーに来いと言われたと、ジュリは言った。


 あんなことを、またするつもりなのか。

 悪魔のような男だ。

 なんてやつに、引っかかったのだろう。


 温かいうどんを出してやると、ジュリは夢中で食べた。よほどおなかがすいていたのだろう。いつもエレナが作っても、しょっぱいだの薄いだのうるさかったのに、(たしかにエレナは料理が下手だった)今日はおいしい、おいしいと、一滴ものこさず飲み干した。


「――いつから、食べてないんだい」

「わか……わかや、わか、ない……」


 言葉も、まえよりもっとたどたどしくなった気がする。


「と、とにかく病院いくよ! こんなケガ――」

「だ、だめ! だめエレナ!!」


 ジュリがエレナに追いすがった。


「だめだよ! 病院いくなってロミオに言われたの。このことバラしたら、役所にいいにいくって……!」

「言いに行くって、なにをだい」

「あたしたちが、ラガーでおカネもらってたこと……!」


 エレナは悟った。ロミオは、エレナたちの売春行為を、役所へ届け出るというのだ。

 グレンは、エレナたちが売春をやめれば、役所には届け出ないと言った。だが、ロミオに役所へ届け出られたら、エレナたちは宇宙船を降ろされることになってしまう。


 なんてことだ……。


 エレナは、顔を覆って座り込んだ。


「だ、だいじょうぶだよ……。ロミオはエレナにはなにもしないって。ロミオはね、あたしみたいなおっきい女がいいんだって。かんたんにこわれないから」


 ジュリに元気づけられているのか自分は。エレナは、ぼんやりと思った。


「み、みんな、あた、しがわるかったの……。だから、ば、ばちがあたったの……。エレナがひどいめにあってるのも気づかないであたし……。でも、あたしは男と寝るのすきだから、だいじょうぶ」


 ジュリは、笑いながらボロボロと涙をこぼしていた。


「ロミオはだって、あたしを愛してくれてるもん」

 だから、あたしにはなんでもできるんだって。


 胸を張って笑うジュリに、エレナはバカを言え! と怒鳴った。


 どうして、あんたはいつもそういう言葉に騙されるんだい!?


 エレナは怒鳴って、二人でわあわあ泣いた。


 ――もう、どうしたらいいか、わからなかった。





 その夜、エレナはジュリを連れてラガーへ行った。


 ジュリをひとり、行かせるわけにもいかないし、行かないでいれば、ロミオがこの部屋に来そうだったからだ。


 ロミオと話をつける必要がある。


 グレンがいたら、相談してみるつもりだったが、グレンはいなかった。


 ラガーの店長と、ちらりと目があったが、彼はなにも言わないし、エレナたちはこの店に出入り禁止になっているわけでもなさそうだった。


 以前、通い詰めていた奥のボックス席にはロミオがいた。あと、見知らぬ複数の男。若いのが数人、そしてあの、いやな臭い男も。


「来たかジュリ」


 ロミオが陽気に手を上げた。ジュリは、泣きそうな顔で後ずさりをした。それを見てロミオは優しい顔を作る。


「悪かったよ。ちょっとやりすぎた。派手なパーティーにしすぎたぜ。心配すんな、もうしねえから」


 そんなわけはない。こいつはそういう性癖の男なのだ。女が犯されるのを見て興奮する。

 L44に来ていた客にもいた。めずらしくなかった。

 こういうやつは、これからだって、何度でもやる。


「エレナ。お客様がお待ちかねだぜ」


 ロミオは、離れたところに座っている臭い男を示した。


「言わなかったかい。あたしはもう役所からいわれて商売はやめたんだ」

「じゃあ、ボランティアで寝てやれよ」

「冗談じゃない」


「寝るんだよエレナ」

 ロミオから、低く脅すような声が発せられて、エレナは体を強張らせた。ロミオの手には、五枚の紙幣があった。

「もらっちまったんだから、寝なきゃな、エレナ」


 ――-この、男は――!


 拳を震わせながらエレナは憤怒したが、どこにもぶつけようのない怒りだった。ジュリがあわてて言った。


「ロミオ、あたしが寝るよ。エレナの分も」

「ダメだ。おまえはこいつらの相手だ」


 ジュリがさっと青ざめた。五人の男が、立ってジュリに近寄ってくる。


「い、いや……、嫌だ」


 ジュリが泣きながら逃げ出そうとするが、男たちに捕まって口を塞がれる。ここは、ラガーの奥の、ベールで遮られた個室みたいな場所だ。騒げば気づかれるが、この程度のことではだれも気づかない。


 気づかれても――宇宙船を降ろされて泣きを見るのは、エレナたちだけだ。


 ロミオは降ろされても、L5系にもどるだけ。

 命の危険などなにもない。


 エレナは歯噛みした。

 もう――ダメなのだろうか。

 あたしらはずっと、この男に脅され続けるか――宇宙船を降ろされて、満格楼にもどされるしか、ないのか。


「そのセリフを聞いてるとさ、あんたが黒幕だって思っていいのかいロミオ」


 悔し涙が溢れそうになっていたエレナは、急に後ろからたくましい腕に抱きかかえられて、跳ねた。


(だれ)


 自分の腹に回された、白いシャツから覗いた腕の皮膚はきめ細やかで、一瞬、女かと思った。


 ロミオは、急に焦ったように紙幣を臭い男に突き返し、出て行けと足で合図した。


「そんなわけねえだろうが、カレン」

「あたしにはそう聞こえたけど? この子たちがやってんじゃなくて、あんたが売春させてたみたいにね。そう聞こえた」


 ちがうかい? と微笑んでエレナに尋ねた声の主の、絵画から出てきたような美しさにエレナは目を見開いた。


 今、あたしと言った気がする。


 カレンと呼ばれたそのひとは、エレナを離れて、ジュリのほうへ行った。五人の男たちが舌打ち交じりでジュリを離す。ジュリは泣きながら、カレンへ抱きついた。


「よーしよし、もうだいじょうぶだよ」


 カレンがジュリを撫でる。ジュリはカレンの顔を仰ぎ見て、涙も止まるほど驚いていた。

「王子様……」とジュリはつぶやいた。


 暗闇に流れるハスキーな声は、女と思えなくもない。

 だが、その身長と、肩幅は男と言って差し支えなかった。

 いい香りがする。グレンという男のにも似ていたから、やはり男だろうか。


 エレナもまたカレンに見とれていると、態度がでかかった五人の男たちの態度が急変した。


 エレナの背後を見、青ざめて、蜘蛛(くも)の子を散らすようにいなくなった。臭い男も、(ねずみ)のようにさっと逃げた。

 ロミオですら、腰を浮かしていた。


「……ンだ? 人の顔見て逃げやがって」


 今度ははっきりと男性の声だ。しかも、野太い、低い声。

 エレナは振り返って、自分も思わず逃げ出しそうになった。


 しかめっ面の大男が、エレナの背後に立っていたからだ。悪人面と言えば悪人面。ロミオより悪党面の、褐色の肌で顎鬚(あごひげ)つき、左腕の大掛かりなタトゥがいかめしい、恐ろしそうな男が、エレナの背後すれすれに立っていたのだ。


「アズラエル! 出てくんじゃねえよ! 人がかっこいいトコ見せようとしてんのに、みんな逃げちまったじゃねえか!」


 カレンがその悪党面に食ってかかる。


「俺はなにもしてねえ。おまえはかっこよかったよ。王子様でけっこうじゃねえか」

「見せ場はこれからだったんだよ! てめーのツラでみんな逃げなきゃな!」


 ロミオも、いつの間にか消えていた。

 顔を見せただけでロミオまで怯えて逃げる、この男はいったい何者なのだろう。


「あ、あの――」


 エレナがなにか言う前に、カレンがジュリとエレナを抱き寄せた。

 カレンが、エレナとジュリのこめかみに一度ずつキスをする。ジュリはそれで、蕩けちゃった、とでもいうように目を潤ませた。簡単なやつだ。さっきまでひどい目に遭おうとしていたのに。でも、エレナも顔が赤らむのを止めることはできなかった。


「あんたらふたり、あたしの女になりな。そうしたらあたしが守ってあげる。……ね?」


 ジュリは言わずもがな、ぶんぶんと首を縦に振った。

 エレナは、この一連の出来事に困惑していた。

 いったい、なにが起こったのかまだ把握できなかった。自分たちは、助けてもらったのか?


 エレナがカレンに肩を抱かれたまま連れて行かれたボックス席は、出入口間際の、明るい場所だった。今までいた奥の席と違って、喧騒の真っただ中。かなり賑やかな場所だ。


「よ。おーじ様!」

「なーにが王子様だよ。おまえに言われたって、嬉しかねーの」


 すっかり酔った茶髪の男がカレンをからかうように言い、カレンも呆れ顔で返す。カレンが促すので、エレナとジュリも、カレンをあいだに挟んで座った。


 エレナの隣に、アズラエルも腰を下ろす。エレナは、ドキドキしている自分に狼狽(うろた)えていた。


「君ら、L44から来たんだって? この店じゃ有名だよ」

 茶髪の男が言った。


 この店じゃ有名? 自分たちのしたことは、そんなにうわさになっていたのか。


 エレナは緊張で身を固くしたが、男はまるでかまわぬように手を差し出してエレナとジュリの手を握った。瞬時に手をひっこめかけたが、それはただの握手だった。なんの性的意図もない――。


「俺、ミシェル。L54から来た、探偵だよ。よろしく」


 探偵だと言ったミシェル、それから彼と一緒に乗った、保育士だったというロイド。


 それから、優しい目をした、医者のセルゲイ。彼はカレンの同乗者。


 助けてくれたカレンは、L20の少尉――軍人で、コワモテアズラエルは傭兵だと。そして、アズラエルの同乗者である軍人のクラウドは、カレンを上回る超絶美形だった。


 先日会ったグレンも、カレンたちの友人なのだと、エレナは知った。

 職業も、出身星もバラバラの集団。

 変わった集まりだねと、正直にエレナが言うと、みんな笑った。


「まあ、なかなかない組み合わせだよな」

「よろしく」


 エレナとジュリが頼んだカクテルに、セルゲイが笑顔でグラスを合わせてきた。


「よ、よろしく」ロイドも、はにかみながら。

「……よろしく」クラウドも、穏やかな笑顔で。


 だれも、エレナたちを(さげす)んでもいなかったし、邪魔だと思っている節もない。


「あたしらと一緒にいればさ、もう、だれもあんたらをひどい目に遭わせたりはしないよ」


 カレンは、そういって、細いメンソールの煙草を吸って微笑んだ。

 エレナたちは、自然に受け入れられた。

 この日から、エレナとジュリは、彼らの仲間になった。

 

 エレナは、アズラエルに誘われることを期待していたのだが、それはかなわなかった。なぜかというと、まもなくアズラエルに、アンジェラという女性から呼び出しがあったからだ。ラガーの店にまで電話をかけて、アズラエルに来いというその女は、相当アズラエルに入れあげているようだった。


 アンジェラはアズラエルの恋人?


 女性の出自を聞いてエレナは沈んだ。L5系の富豪だというアンジェラは、アズラエルの試験のパートナーでもあると。


 がっかりしたが、アンジェラがメチャクチャな性格の女だと聞き、別にアズラエルはアンジェラに本気で惚れているのではないと知って、エレナはすこしほっとした。


 せめて、アズラエルの、試験のパートナーにだけでもなれないだろうか。

 自分は地球に行きたい。試験には、絶対合格したい。

 どんな試験かはわからないけれど、エレナはどうしても地球に行きたかった。


 アズラエルは傭兵だという。

 傭兵は頭もいいし、世の中のことをたくさん知っている。L44に来る傭兵もそうだった。

 だからどうしても、エレナはアズラエルに試験のパートナーになって欲しいと思った。


 後日、ラガーでグレンにも会ったが、彼は相変わらず仏頂面で怖かったし、一緒にいてはくれても、手を出して来ないし、寝ようとも言わない。エレナはプライドをいたく傷つけられた。


 そのうち、彼はアズラエルとは仲が良くないと知って、エレナはますますアズラエルにべったりになった。


 ラガーにいるうちは、いつもアズラエルに引っ付いていた。アズラエルも、コワモテのくせに面倒見がよくて、エレナを面倒に思ってはいないようだった。


 でも、アズラエルはラガーに来ても、遅くまでいることはない。アンジェラに呼び出されて、すぐ彼女の屋敷に行ってしまうからだ。

 エレナは、アズラエルと寝たかったが、うまくいかなかった。


 エレナは昔、傭兵に見初められたことがある。


 彼は足しげくエレナのところへ通ってきて、エレナを身請(みう)けしてやる、と言った。エレナはそんなものは信じていなかった。そういう言葉に騙され、泣いている(ねえ)さんを何人も見ているし、自分はどうせ、この世界からは足ヌケできない、そういった達観(たっかん)のようなものもあった。


 その達観が、悲しいものに映ったのか、彼はいつも言った。


「俺も世の中じゃ、はぐれ者の傭兵だからよ、おまえみてえなのを放っておけねえんだ」


 三ヶ月もして、彼は大きい仕事に行くと言って、それきり二度と来なくなった。


 口さがない姐さんは、「ほら見てごらん、捨てられたんだよ」と言い、やさしい姐さんは、「傭兵ってのは、たいてい戦争の一番危ない場所に行かされるもんだからね、気の毒に、もう生きちゃいないんだよ」と言った。


 エレナは少し悲しかったが、悲嘆にくれるほどでもなかった。だが、傭兵の客には少し優しくなった。 


 かれらは一様に自分をはぐれ者だと言った。だからエレナの中では、傭兵イコールはぐれ者――自分たちと同じ、という刷り込みができあがっていた。


 アズラエルに惹かれたのも、アズラエルが傭兵だからというのも一要因ではあった。


 グレンは少佐だと――エレナはグレンの階級を知ったとき、怖そうなのも納得したし、やはり別世界の人間なのだと思いこんだ。


 エレナたちを買いに来るのは、軍人なら、兵、がつく階級がほとんどだ。


 少佐などの階級は、高級娼婦が御用達(ごようたし)。エレナたち中級を買う、身分の高い軍人は、普通の趣味とはいいがたかった。高級娼婦にはできないことをしたがる奴らがほとんどだ。


 思い込みがエレナにはあったし、なにより、少佐の身分の者が、中級娼婦をかまいたがる理由も、エレナには分からなかった。

 グレンには、からかわれているのだと、ずっと思い込んでいた。


 そしてカレンのほうは、ジュリと付き合うと言い出した。あたしはひとりしか愛せないからごめんねエレナ、と言われたが、エレナは別段、なにも思わなかった。


 エレナは、カレンを女性だと認識していたからだ。


 エレナたちの遊郭にも、もと女だという男は来たことがある。L20の軍人も来た。けれど、彼らはカレンとは違って、まったくの男だった。ヒゲを生やしている者もいたし、元女だとは、言われなければ分からない者が多かった。カレンのように綺麗な容姿はしていても、エレナたちを買いに来る者は、エレナたちを、ちゃんと色のついた目で見る。


 カレンは、彼らとはなにか違った。背は高く、男性体でも、なにか違う。具体的に説明はできないが。カレンは中性的なだけの、女性だとエレナは思った。


 エレナやジュリを可愛いというが、目に欲情の陰りすらない。

 これは、ジュリを抱かないな。

 エレナは娼婦としての直感でそう思ったが、やはりカレンは、ジュリとは寝なかった。


 ジュリはカレンを王子さまと呼び、夢中だったが、ジュリの欲求不満はどうしようもなかった。

 そのうち、ジュリはロミオとよりを戻し、ジャックという男とも関係を持った。


 ジュリはのど元過ぎればなんでも忘れる。アズラエルたちがいないとき、カクテルを奢られたぐらいで、すぐに機嫌を直してロミオを許した。カレンが抱いてくれないせいで、極度の欲求不満に陥っていたせいもあったのだろう。


 ロミオはまえのような横暴はしなかったが、ジュリを弄んでいることだけはたしかだった。


 エレナは腹が立ってどうしようもなかったが、ロミオの気がいつ変わって、役所へ例のことを言いに行くかしれないので、なにも言えなかった。完全に関係を切るのも怖かった。


 カレンは、ジュリの不節操ぶりにもちろん怒ったが、不思議とジュリを見捨てなかった。


 エレナのときと同じで、カレンを怒らせては縋り付き、許される。一見しては痴話ゲンカのようだったが、違うとわかっているのはエレナだけだった。


「あたしは、あのこを娼婦じゃなくしたいんだよ」


 カレンは表面的には男の嫉妬を装っていたが、エレナにはそう言った。エレナは、無理だと言った。あのこの男好きはもう変えられない。


 カレンが、ジュリの欲求不満を満たすほど寝てやれば、浮気はしないだろう。だからと言って、カレンにジュリと寝ろとは、エレナは言えなかった。


 カレンは、「そういう目」では、ジュリを見ていない。


 なぜかは知らないが、カレンにはカレンなりの事情があって、ジュリを見捨てられないのだ。


 カレンとジュリも、そうやって喧嘩を繰り返しながらも関係を切らさずに、日々が過ぎて行った。エレナもたまにラガーに行き、アズラエルと会った。


 アズラエルは優しかった。――抱いてはくれなかったけれど。


 ミシェルとロイドと一緒に、昼間、アズラエルとクラウドの部屋に遊びに行ったこともあった。アズラエルはコーヒーを淹れてくれた。粉を湯で溶かすのではなく、変わった機械で作ってくれた。


 すごく香ばしい、いい匂いがした。濃いミルクをたっぷりいれたカフェオレが、ジュリは気に入って、何杯もおかわりを要求し、やがてアズラエルに呆れられた。

「腹壊すぞ」と。


 和やかな時間だった。

 たわいもないことを話して、時間が過ぎて行った。

 男たちと、寝もしないのにこういった雑談をするのは、エレナは初めてだ。

 彼らが、どうして自分と寝たがらないのか、エレナは不思議だった。


 自分はこれでも、中級娼婦だった。あんたらから金は取らないのに、というと、ロイドは顔を真っ赤にして、「……ぼ、僕は、好きな人とでなきゃ無理……」と消え入りそうな声で言う。


 バカだねえ、男だろ、男だったら女がほしくなるのは当たり前。あたしが筆おろししてやるよ、というと、ミシェルがちょっと怒ったように言った。


「やめろ」


 怒られるとは思わず、エレナはあわててロイドをからかったことを謝ると、ミシェルは、「そうじゃない、寝たりとかしなくても、おまえはともだちだろ」と言った。


 ともだち。

 エレナは、言葉を失って黙った。


 今まで客か、雇い主か仕置き人か女衒(ぜげん)――がエレナにとっての男だった。


 男の口から、よもや自分を「友達」だという言葉が出てくると思わず、エレナは絶句した。


 エレナが答えなかったのにミシェルは気分を害したのか、「ああ、もういいよ。でも、おまえは男と寝なくても一緒にいられる関係を築けよ」と言った。


 男と寝なくてもいい関係? そんなものが、あるというのか。


 アズラエルはなにも言わない。


 なにも言わず、昨日買ったというケーキを出してくれた。

 イチゴの乗った真っ白なケーキを、エレナは食べた。アズラエルはケーキも作れるのだと、ロイドが言った。一度、アズラエルが作ったのを食べてみたいと。


 こんなおいしくてきれいなものを、作れるのか。

 アズラエルはすごい。ほんとうになんでもできる。

 アズラエルと一緒なら、きっと試験も合格できる。ぜったいに。



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