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キヴォトス  作者: ととこなつ
第二部 ~色街の黒ネコと色街の野良ネコ篇~
153/923

番外編 色街の黒ネコと色街の野良ネコ 4


 エレナは、スーパーから帰ってきた。

 しばらくレトルト生活を続けていたが、やはりどう考えても自分で作ったほうが安上がりだ。


 エレナは昨日から自炊を始めていた。たいしたものは作れないが、昨日テレビでやっていた素麺くらいは、作れそうだと思ったのだ。料理の本は読むことができないが、テレビでやっているものは画像で見られるため、分量はともかく、作り方はだいたい見当がついた。


 マックスのおかげで計算機の使い方も分かったし、だいたい、食費は手持ちの金で間に合いそうだ。


 部屋に入り、ジュリ、ただいま、と言いかけて、全身が強張った。

 ジュリの部屋から聞こえてくる音に、全身から血の気が引いた。


 ジュリの奇声、男のうめき声。なにをやっているかは明白だ。ジュリは声を押し殺すなんて真似はできないから、喘ぎ声はいつも派手。


 エレナは逆上してジュリの部屋に飛び込みかけたが、すんでで押しとどまった。


 だまって自分の部屋へ入り、部屋の鍵をかけて布団へ潜り込んだ。なぜなのだろう。あんな声、慣れているはずなのに震えが止まらない。


 やがて、扉が閉まり、男が玄関を出ていく音がした。

 エレナは小走りで玄関へ行き、鍵を閉めてチェーンをかけ、部屋へもどった。

 素っ裸のジュリが、部屋から出てくる。


「今のは――だれだい」

「お隣さんの、お隣さん――? ん? お隣さん」


 エレナには容易(たやす)く予想がついた。あの薄気味悪い男か。たまにすれちがうが、いつもこちらをじっとりと眺める、気味の悪いヤツ。L45から来たとかいう――まっとうな人間ではないのは、エレナにもわかった。


「どっちから誘った。あんたかい」

「――うん。あたし」


 どうしてコイツは、いつもあたしの神経を逆なでするようなことをするんだろう――。


「ジュリ」

 エレナはかろうじて、怒鳴らないようにした。でも、怒りで頭が破裂しそうだった。

「アンタが男なしでいられないのは知ってる。でも、この部屋であんなこと二度とすんじゃない」


「でも、ここあたしの部屋……、」

「あたしの部屋でもあるんだよ! マックスさんに言われただろ!! あんな男連れ込むんなら、アンタは出ておいき! 二度とこの部屋には入れないよ!!」


 ジュリは、泣きだした。泣きながら、服をかき集めて着、出て行った。


 予想できないことではなかった。ジュリが男を連れ込むことは。

 今は遊郭時代とは違う。自分の身は自分で守らねばならない。


 マックスが、娼婦だと周りに言うなと言った意味は、エレナには痛いほどわかっていた。


 周りは紳士ばかりではないのだ。犯罪を起こしたら宇宙船を降ろされるという罰則は、皆にとって平等だが、こちらにも隙があれば、その気のある男どもが寄ってきてしまう。


 けれど、ジュリに何度言っても無駄なのだ。素性のしれない男を、部屋に連れ込む危険性など、説明したって分からない。


 いったい、どうしたらいいのだ。

 あたしは、おとなしく暮らして、借金を返して、地球に行きたい。

 あのバカ女は、みんなそれをぶち壊す――。


 エレナは、どっとくたびれて、リビングの床に尻もちをついた。


 二日後の、夜だった。


 ジュリは、出て行ったその日、帰ってこなかった。明日帰らなかったら、マックスに電話しようとエレナは思っていた。


 その次の日の夜、ピンポンピンポンとチャイムが鳴るので玄関へ行くと、向こうから酔っぱらったジュリの声がした。エレナはまだ怒っていたが、しかたなく開けてやった。


 目のまえにいたのは――ジュリではなかった。

 見も知らぬ、複数の男たち。エレナは戦慄した。


 男たちは笑いながら無遠慮に、部屋に踏み込んでくる。エレナを無視してだ。ジュリが、たくましい男に抱かれて、はしゃいでいた。


「ここ、あたしの家~」


 エレナは、入ってくるなと叫びかけたが無駄だった。ジュリは、どこでこの男たちを連れてきたのだろう。男どもは勝手に部屋に入ってき、ジュリは男と自分の部屋に入って、さっそく始めた。


 エレナは、その時点で逃げるべきだった。何を捨てても、逃げるべきだったのだ。


 残った三人の男が、エレナに近寄る。


「おまえ、L44から来た娼婦なんだってな」


 エレナは目を見開いた。金が、目のまえにばらまかれた。男たちの手が伸びてきて、服を引きむしった。

 叫び声さえ、出なかった。


 ――エレナは、リビングの床上で、呆然と天井を仰いでいた。


 夜が明けた。カーテンの向こうから朝日がこぼれてくる。

 自分の裸の上に、紙切れが散らばっていると思ったら、それは紙幣だった。何枚かの紙幣が、手に握らされ、あるいは体の上に散らばっている。


 おかしな笑い声がした。どこから聞こえているのかと思ったら、自分が笑っているのだった。その笑い声は、やがてすすり泣きに変わる。


 男たちは、おまえはL44の娼婦なんだろ、とエレナを嘲笑った。下卑た言葉で罵りながら、エレナを犯した。金を払ったんだから、役員にはいうなと、写真まで撮っていった。


 やつらは酔っていた。カネをばらまく。あんな侮辱は初めてだった。男たちは、L4系の住民ではない、エレナにもわかった。小奇麗な服装をした、――おそらく、裕福な星の者たちだ。


 エレナは、のろのろと起きあがって、紙幣をかき集めた。

 笑わせる。

 まったく、笑わせる。

 中級娼婦をさんざ犯しておいて、これっぽっちかい。


 エレナは素っ裸のまま、ジュリの部屋のドアを蹴飛ばして入った。巨躯の男とジュリが裸で寝ている。エレナは、男を叩き起こした。


「昨晩はずいぶんお楽しみのようだね」

 エレナは言い放った。

「中級娼婦はお安くないよ。三万はおいていきな」


「……おまえは、いくらだ?」


 ロミオというでかい男は言った。エレナは男の股間を見て片眉を上げ、「あたしは四万だよ」と言った。


 ジュリは、エレナが妊娠してからおかしくなったと思っていた。だが、エレナが壊れたのは、実際この日からだった。


 エレナは、ジュリの部屋でロミオの相手をしたあと、財布の金を奪い、ロミオを追い出し、ジュリを殴りつけた。

 本当は殺したかったのだが、そうしては、自分が宇宙船を降ろされる。


 泣きわめくジュリに、「二度とタダで寝るんじゃないよ!」と叱りつけ、「あいつらはどこで拾った」と問い詰め、白状させた。


 ジュリは、K34区のラガーという店でロミオに会い、酒と食事を(おご)ってもらったのだと白状した。


「……いいかい? あんたが男と寝るのは勝手だ。だけどね、今度この部屋に男を連れ込んだら、アンタには本当に出てってもらう」


 エレナの声は、静かだった。ジュリはようやく、エレナを恐ろしく怒らせていることを理解した。


「あんたの金なんぞ知らないよ。あんたが勝手に好きにしな。マックスさんにいって、部屋を別にしてもらう。あんたは勝手に金を使って、好き放題遊んで、男らと寝ればいい。あたしはもうあんたのことは知らない。口も利かないし、あんたが問題起こしてもかばわない。勝手に、満格楼(まんかくろう)へ帰されて死にな」


 ジュリはわめいた。


「……っごめんなさいごめんなさい……! もう、もうしません! しません……!」


「アンタの言うことは信用できない」

 エレナは冷たく言った。

「あたしは犯された。あんたが昨日連れてきた男どもにね」


 ジュリは、それを聞いて蒼白になった。

 エレナがそんな目に遭っていたなんて、酔っていて、分からなかった。昨日は気のいい親切な男たちだったのだ。ジュリにお酒をくれて、おいしいものを食べさせてくれた。だから、ジュリの部屋に行きたいと言ったのを連れてきたのだ。


「マックスさんがあれだけ言ったのに、娼婦だとばらしたのもあんただね」


 ジュリは、大粒の涙をこぼしてうつむいた。そのとおりだ。酔っていて分からなくなって、言ってしまったのだ。


 エレナの裸には、暴力を受けたあとがあった。


 ジュリも、乱暴な客に当たったことがある。そのあとしばらくは、身体がきしんで苦しかった。エレナの青あざだらけの裸を見て、ジュリはようやく、自分のしでかしたことに気が付いた。


「……ご、ごめんなさいエレナ。ほんとうにごめんなさい……」


 震えながら謝ったが、エレナの笑いは、恐ろしかった。ジュリは、こんなエレナの笑い方を見たことがなかった。


「……そんなに男と寝たいなら、好きなだけ寝させてやる。そのかわり」


 エレナは、浴室に向かいながら吐き捨てた。


「あたしの言うことを聞くんだ。――いいね」


 ジュリは、必死で首を縦に振った。エレナに見捨てられたら、どのみち生きていけないことは、自分でもよくわかっていた。





 エレナは、金庫へ金をしまった。

 昨日男たちがばらまいていった金と、ロミオの財布から抜いた分、十万。


 ロミオは、財布から金を抜いてもなにも言わなかった。あの三人の若いやつらは、ロミオは名前も知らない。勝手についてきたのだと言っていた。


 エレナは、ロミオがL5系から来たプロレスラーだということを聞き、ほくそ笑んだ。金回りはよさそうだ。ロミオは、エレナのような細くて華奢な体の持ち主より、ジュリの頑丈な体のほうがいいと言った。

 これから毎回ジュリと寝るときは金を払いなというと、ロミオはうなずいた。


 エレナはその足で役所へ行き、マックスに会った。

 レイプされた事を告げると、人のいい老人の顔色は、見るだに蒼褪(あおざ)めた。


 マックスはすぐ手配した。ロミオの証言と、エレナの身体の青あざ、そして病院の検査結果、なにより彼らの携帯電話の写真の記録で犯人はあっけなく御用となった。


 愚かしくも、彼らは写真を撮ったことで、図に乗っていた。またエレナを脅そうとしていた。


 L44育ちの娼婦が、そんなに甘っちょろいものか。写真がなんだ。それを使って脅す相手は、どこにもいない。エレナには身内と呼べるものがもうないに等しい。


 L6系出の若者たちは、宇宙船を降ろされ、警察星へと出発した。

 エレナは嘲笑った。あのときの彼らと同じように。


 今すぐ居住区を変えよう、とマックスは主張したが、ジュリといるかぎり、どこへ行っても同じことだとエレナはマックスに告げた。


 一年間は、我慢する。

 エレナは、マックスにも、自分にもそう言い聞かせた。

 なるべく早く借金を返したい。だから一年間はここで我慢する。


 エレナの強固な意志に、マックスはそれ以上なにも言えなかった。


 ――エレナが、ラガーに通うようになって、数日が過ぎた。


 ロミオに連れてきてもらったラガーは、薄暗くて、「商売」をするには都合がよかった。


 やがて、ラガーに来る客の間で、L44から来た娼婦が金さえ払えば寝てくれるといううわさが立った。 


 それはそのとおりだった。

 ラガーの奥まった、個室をのぞけば分かる。

 アフロヘアの、褐色の肌で大柄な女と、黒髪の色白の細い美人がいて、好きな方を指名すればいい。


 ボックス席で、いつものようにジュリがロミオとイチャついている。エレナは、それを見ながらグラスの酒をちびちびと舐めた。


 ロミオはいるときもあればいないときもあった。ロミオはジュリだけでなく、何人かの女と関係を持っているようだった。

 ロミオがいないとき、ジュリは別の男と寝た。

 エレナは、ジュリが寝た相手から、金をとるのを忘れなかった。


 今日のジュリの「お得意様」はロミオだから、エレナがだれかと寝る。億劫(おっくう)だ。意外と客はいるもので、毎日ラガーに通い詰めても、客が切れない。


 このラガーに来て、ほかの人間と話すようになって分かったことがある。


 地球に行くのには試験があって、その試験に合格しないといけないこと。それは、二人ひと組のパートナーで受ける。一緒に乗った相棒でなくてもいい。どんな試験かはわからない。


 それから、この宇宙船の中では、運命の恋人が、見つかること。


「……いるか」


 コイツにも運命の相手っているのかと思うような、薄汚い、ネコ背の男がやってきた。

 風呂に入っているのかいないのか。エレナたちレベルの部屋も風呂も与えられているはずなのに、なぜかこの男はいつも不潔だった。エレナは舌打ちしたくなった。コイツは嫌だが、毎回、金はちゃんと払っていく。しかも五万も。

 ジュリに投げたかったが、ヤツはエレナが気に入りだ。エレナの、白い肌が。


「ん」


 ろくに物も言わずに、紙幣だけを差し出す。ちゃんと五枚あった。エレナはだまって一緒に二階に行く。ラガーの二階は、ラブホテル仕様の小部屋だ。サッサと済まそう。一時間は一緒にいないと、客はごねるが、こいつの臭さったら尋常じゃない。

 L44で仕事をしていたころ来る客も、これほどひどいのはいなかった気がする。


 十分でコトをすませ、男が、時間がまだだと騒ぐのをしり目に部屋を出た。一万だけ返してきた。耐えられなかったのだ。


 奥のボックス席へもどると、ロミオとジュリはいない。上に行ったか。


 そこには知らない男が足を組んで座っていた。酒を飲みながら。エレナは、それを一目見て上客と踏んだ。


 ロミオとは違うが、背の高い男で、バランスよく鍛えられた体躯は、エレナでさえうっとりする男らしさだ。服装も小ざっぱりとしていて、趣味は悪くない。短い銀髪の下の目は鋭すぎて怖かったが、どうでもよかった。

 いい男には、変わりがない。


「エレナ?」


 声もいい。渋い声は、エレナの好みだ。さっきの息の臭い小男と比べたら、だれだって天国だが、コイツは別格だ。だが、安売りはしない。


「そうだけど。あんたはどっち? ジュリが好み? あたしが、」


 あえて高飛車な声で聞くと、「おまえだ」とぐっと腰を引き寄せられた。エレナは、男の胸に倒れこむ。淡い香水の匂い。エレナは、金をもらわなくても抱かれてもいいかな、と少し思った。


 男が、エレナに札束を握らせる。ぎょっとしてエレナは体を離す。プラスチックのように折り目のない紙幣が、分厚い札束になって自分の手の中にあった。


 男を睨んだまま、おそるおそる、札束を数える。……数えるのにだいぶかかった。男が途中で、「百万だ」と告げた。


 なに考えてんだこの男。

 あたしを高級娼婦かなにかと勘違いしてないか?


「これでおまえを一晩買う。足りないか」


 まさか――いい男のくせに、特別なプレイがお好みなのだろうか。

 だが、この目の冷酷さは、女を痛めつけて喜ぶタイプのサディストに多い。


「じゃあ行くぞ」


 男は席を立つ。一緒に来いと言っているようだ。


「お待ちよ。ここの二階でなきゃしないよ」


 ジュリはいつもロミオから金をもらってくるのを忘れる。自分がいて見張っていなきゃいけない。


「ホテル代も俺が払う。来い」


 男は聞かずに、エレナの腕を引っ張った。それでもエレナがグズると、「来ねえなら、金を返せ」と言った。


 エレナはあわてて、金をバッグへ入れて立った。

 まあ、いいだろう。

 今日ぐらいは、ジュリがもらい損ねても。


 近くのラブホテルへ入り、先に風呂へ入らせられた。まあ、前の男のいろいろなものが残っているから、エレナとしては助かった。シャワーを浴びて、バスローブを着て部屋にもどると、男がホテルの電話機からだれかに電話していた。


 エレナはベッドに座った。

 男がもどってくると、エレナは男の首に擦り付いた。今日はいっぱいサービスしてやってもいい。金払いはいいし、それにちょっと怖いがかなりいい男だ。

 命令口調が気になるが。

 多少ケガをしても、病院行きになる前にやめてもらおう。それさえ気を付ければ、なんてことはない。


「……あんた、あたしをいじめたいんでしょ」

 きっと軍人だ。エレナは男の唇を、長い爪でなぞりながら甘く囁いた。

「いいよ……? あたしを、たっぷり苛めて……?」


 言うと、男がニヤリと笑う。ほら、当たりだ。


「いいのか。じゃあ、遠慮なくいたぶらせてもらう」


 男はひょいとエレナを膝上に抱え上げた。そして――、


「おまえ、K37区のルシアンで売春したな?」


 ひやりとして、エレナが身を離そうとすると、男の腕がしっかり腰を抱き寄せてきた。胸板も頑丈だが、腕の力も尋常ではない。


「役員かい!? 信じられないだましやがって!! 離しな!!」

「黙れ。俺の話を最後まで聞かねえと、役所に突き出すぞ」


 暴れたが、腕は緩まない。冷たい声が、エレナの頬を打つ。男は笑みを崩さない。エレナのか弱い抵抗を楽しんでいるのだ。

 とんでもないのに、捕まってしまった。


「俺は役員じゃない。ルシアンってクラブで警備員のバイトしてる。ラガーで売春してるエレナって女が、ルシアンにきて売春したってンで、ルシアンで売春してた女どもが怒ってる。知らねえのか?」


 エレナは、驚いて暴れるのをやめた。自分以外にも、こんなことをしている人間がいたなんて。


 たしかにエレナはK37区のルシアンというクラブに行った。ロミオに連れられて。そのときナンパされた若者と寝たが、ただでは寝ないと、金をもらった。それきり、ルシアンには行っていない。


 それだけのことだ。アイツとはそれで終わって、もうエレナもルシアンに行っていない。


「大ごとになりゃ、みんなそろって宇宙船を降ろされる。ルシアンの支配人に頼まれたんだよ。様子を見てきてくれってな」

「……」


 エレナはそっぽを向いていたが、グレンの強靭な指が、ぐいと顎をつかんだ。痛かった。


「ちゃんと聞け」

「聞いてるじゃないか。痛いよ、離しておくれよ!」

「いたぶっていいって言ったろ」


 そういう意味じゃないとエレナは言いかけたが、男の冷たい目にぶつかって口をつぐんだ。


「おまえ、娼婦はL44だけだと思ってんのか?」


 違うのか。


「そういうのはな、どの惑星にもいるんだよ。L44から来たおまえらだけが特別に娼婦なんじゃねえ。商法って知ってるか? そういうもんがあってな、勝手に宇宙船の中で商売しちゃダメなんだよ。ほかの星で娼婦やってきた女は知ってたけどな」


 知らなかった。エレナがそういうと、グレンはためいきを苦笑いに変えた。


「だろうな。知ってたらやらなかっただろうし。ラガーの店長も、知ってて知らぬふりしてたんだ。だが、そろそろ潮時だってんで、ルシアンの支配人の話に乗った。おまえ、ずいぶんがめつい商売してるそうじゃねえか。そろそろもめ事のひとつも起きるころだ。……どうだ? わかったか? 手を引くか」


「……わ、わかったよ。やめるよ」

 エレナは、ひどく脱力して、うなずいた。

「あたしらは、宇宙船を降ろされんのかい」


「ギリギリセーフだ。これでやめねえなら、降ろされるとこだ」


 エレナはほっとした。金は欲しいが、宇宙船を降ろされることになったら元も子もない。


「なあ」

 グレンが、軽い口調で聞いてくる。

「――おまえの名、ほんとにエレナって言うのか?」


 おかしなことを聞く男だ。


「そうだけど、――なんだい」

「で、相棒はジュリ?」

「ああ――」

「ふうん。娼婦のエレナと、ジュリね」


 ヘンな男だ。


 エレナは、男の膝から解放してもらったので、しかたなくバッグからさっきの札束を取り出した。返せと言われる前に出した。これで心証は少しでも良くなるだろうか。


「あ? ――L44の娼婦はずいぶん(しつけ)がいいんだな」

 普通はしまっとくぞ。俺が返せと言わなきゃな。


 グレンは笑って、受け取らない。エレナがさっきから感じていた威圧感は、男が破顔一笑(はがんいっしょう)したとたんに消えていた。


「それは俺の金だ。おまえにやるよ。――おまえ、男と寝るのが趣味で、売春やってんじゃねえんだろ?」

「……なんでわかったんだい」

「俺が抱き寄せただけで怯えた顔しやがって。嫌なんだろ、ほんとは男と寝るのが。じゃなかったら俺のプライドが傷つくな。俺限定で嫌がられてるってことになるからな」


 そんなこと、客のだれからも言われたことなどなかった。たしかに男と寝るのは好きではない。だが、それを悟られないようにしてきたつもりだ。

 図星だったせいで、思わず声が上ずった。


 アンタが怖かったんだよ、そうに決まってる!


「バ、バカお言い! こちとら、八年も娼婦やってんだ。フリに決まってんだろ」

「フリね」


 グレンは鼻で(わら)う。エレナはカチンときた。


「こちとら仕事なんだ! 好きも嫌いも言っていられるかい!」

「ああ、わかったよ。おまえは娼婦を八年やってきたプロ。……じゃあ、俺は帰るか」

「な、なんだって!?」

「約束したぞ。もうウリは仕舞いだ。俺にウソついても、ラガーの店長が見張ってるから、悪さはできねえぞ」


 プライドが傷ついたのはこっちだ。寝ないで、帰るつもりか。


「少しくらいサービスさせな! ひ、百万も寄越しといて……!」


 急にグレンがこちらへ向かってきたので、エレナは全身でビクついた。体格のいいグレンが大股で寄ってくると迫力がある。壁際に追い詰められて、エレナの華奢な身体がすっぽりと抱きかかえられた。


「な、なんだい、す――」


 するのかい、と言いかけたエレナの唇に、ちゅっと、一瞬だけ唇が重なった。


「おまえが“エレナ”じゃなかったら、ヤれるだけヤリまくったな、多分」


 百万のキス、と口笛を吹いて、グレンはさっさと立ち去った。


「ああ、それから」

 グレンはドア近くで言った。

「今度ラガーに来るときは、俺と一緒にいろ。ちゃんと守ってやるから。じゃあな、おやすみ、エレナ」


 エレナは、ずるずると壁に体をもたせかけて、崩れた。

 キスだけで。

 ……素人じゃ、あるまいし。



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