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キヴォトス  作者: ととこなつ
第二部 ~色街の黒ネコと色街の野良ネコ篇~
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番外編 色街の黒ネコと色街の野良ネコ 2


 それから、二時間ほどのあいだに、立て続けに起こったことを、エレナはだいぶあとになるまで整理しきれなかった。


 エレナとジュリは、そのまま、ふたりの若い男女の派遣役員、――エレナたちと同い年くらいだろうか――に車に押し込められ、L44の首都セレナーデにある、スペース・ステーションまで連れて行かれた。


 橋のところに残ったのは、あの電話をしたマックスというじいさんと、エレナがぶつかった強面(こわもて)のスーツの男――無表情で、恐ろしかった――もと警察星の人間だと、若い役員は言った。

 あと、軍事惑星群で弁護士をしていたという眼鏡の男。マックスが「チャン」と呼んでいた。


 チケットを確認もされなかったし、どうして、自分がエレナだとわかったのか、エレナは不思議でならなかった。おまけに、この男女の若い派遣役員は、車の中で意味不明なことを延々としゃべっていた。


「もう大丈夫ですからね、マックスさんは優秀な派遣役員ですから、必ずなんとかしてくれます」

「チケットを持っていたなんて、すごいわ。みんな、チケットは紛失していることが多いのよ」


 自分たちが励まされているのは分かったが、言っていることはさっぱりわからない。


 チケットはなくてもよかったのか。みんな、チケットをなくすのか?

 はけんやくいん、とはなんだ。

 なんとかしてくれるってどういうことなのだ? 借金がなくなるのだろうか。


 派遣役員たちは、車の中で終始しゃべりっぱなしだった。

 特に男のほうがひどかった。自分はL6系出身で、マックスに憧れて、L4系の派遣役員にしてもらったのだとか、L4系のまずしい人々を救うんだとか、引っ切り無しにしゃべっていた。


 女のほうが、男に苛立っていることは、エレナにもわかった。女が、エレナの問いに答えようとするのだが、男の役員にさえぎられて――もともと、さっぱりわからない内容だ。


 正直、エレナには、どうでもいいことだった。

 自分は、L44を出られれば、いいのだ。


 そんなことより――自分は、人を殺してしまったのかもしれない。

 あの爺は死んだのだろうか。いや、死んだはずだ。すごくいっぱい血が出ていた。


 エレナはそれを考えて、震えた。

 人を殺したら、警察に連れて行かれるのではないだろうか。それとも、死刑だろうか。

 宇宙船に乗れなくなったらどうしよう。


 エレナは、不安でいっぱいだった。


 二時間ほど車に揺られて、スペース・ステーションに着いた。

 エレナたちが、ここに来たのは、はるかむかし、売られに来た幼少時以来だ。また、ここに来られるとは思っていなかった。

 しかも、出て行くために。


 ジュリが、ものめずらしそうにあちこち眺めている。

 エレナは、ジュリが勝手にウロつきださないように見張っているので、精いっぱいだった。


 派遣役員の男のほうが、小さな四角いおもちゃを耳に当てて会話している。あれはなんだと女のほうに聞くと、ずっと黙りっぱなしだったエレナが口を利いてくれたのが嬉しいのか、女は怒涛(どとう)のごとくしゃべりだした。


 あれは携帯電話、というものらしい。

 エレナは、知っていたが見るのは初めてだった。

 ああそうか、あれが携帯電話か。


 遊郭に来る男たちは、手荷物をいったん受付に預ける。携帯を部屋まで持ってくる男は少なかった。携帯がほしいと言った(ねえ)さんもいたが、エレナは、あれは、遊女は持てないのだとおかみに言われて暮らしてきた。


 役員の女が、自分のものだといって、エレナとジュリに見せてくれた。ピンク色で、可愛い花の模様がついていて、ときおりキラキラ光る。

 可愛いくまのマスコットもぶらさがっていた。


 女も、これを持てるのか。

 女は、持っちゃいけないのだと思っていた。

 でも、どう見ても、この可愛らしい形は、女のものだろう。


「宇宙船に入れば、あなたも持てますよ」


 とんでもない。エレナは呆れた。こんな高級なものを自分が持てるはずがない。


「いいえ。持てますよ」


 女は、言い含めるように言った。


「ごめんなさい、自己紹介が遅れて。わたし、ユミコって言います。あっちの――彼が、トーマス」


 男の名を呼ぶとき、ユミコの声には苦笑というか、苦みが混じっている気が、エレナにはした。


「あ、ああ――よろしく」


 自己紹介が遅れたのは仕方がないだろう。あのトーマスという男は、ずっとしゃべりっぱなしだったのだ。あるいは、あれが彼の自己紹介だったのか。

 トーマスが、電話を終えて、エレナたちのほうへ来た。


「はい、どうぞ」

 冷たい缶ジュースだ。エレナとジュリと、ユミコへ渡す。

「喉乾いたでしょう。あれだけ走れば」


 エレナたちが全速力で逃げてきたことを言っているのか。

 エレナは、財布をはじめ、風呂敷を大連宿(たいれんやど)に置きっぱなしにしてきたことに気付いた。


「す、すみません、お金が――」


 トーマスは、意外なことを言われたかのように、

「え? いや、いいですよ」

 飲んでください、と奇妙にさわやかな顔をして言った。


 ジュリは、そんなこともおかまいなく、さっさと缶ジュースを開けていた。ユミコは、男をにらんだまま、礼も言わなかった。


「今、マックスさんと電話をしましたけど、ぜんぶが片付いたそうです。マックスさんたちもこっちへ向かっているので、僕たちは先に宇宙船へ乗っていていいそうです。行きましょう!」


「か、片付いたって――」

 エレナがつぶやくと、


「片付いたんです。あなたたちは、なにも心配する必要はありません。じゃ、いきましょう!」


「ちょっと待ってよ」

 ついに、たまりかねたように、ユミコが(さえぎ)った。

「あり得なくない? さっきからあんた、すごい腹立つ。少しはエレナさんたちに、状況を説明するべきじゃない?」


 トーマスが、やれやれと言った風に、大げさに肩をすくめた。


「マックスさんから言われてるだろ。よけいなことは言わないこと――。僕たちの任務は、エレナさんたちを宇宙船に案内することだけだよ」

「余計なことを言えとは、だれも言ってないわよ。でも、いきなり連れてこられて、なんの説明もなしに宇宙船に乗れって言われたって、たいていの人は困惑するわよ。最低限の説明は必要でしょ!」

「最低限って? たとえば?」

「この宇宙船は四年周期で運航している宇宙船で、これからいくつもの惑星を経由して三年後に地球につきます、とか――」


「そんなこと、調べればわかることじゃん」

 男の言葉遣いが、急になれなれしくなった。


「はい、行きますよ、エレナさん、ジュリさん」

 トーマスが、話はこれで終わり、といったふうに手を叩いて、エレナたちを促す。


 エレナには、なんとなくわかった。さっき、車中でジュリのことを二人の役員に説明したばかりだった。ジュリは落ち着きがないけれども、我慢してやってくれと。そのときから、この男の態度は変わった気がする。

 さっき、ジュースをくれたときの笑顔は、その時の笑顔と似た感じだった。

 エレナとて、あまり気分のいいものではなかったが、今さらだ。

 いらぬ同情の目や、無知なものを見る(さげす)みの目などは、見慣れている。


「船内で生活してけばだんだんわかってくるしさ。いんじゃない」


 おいで、おいで、と男はジュリに対して手招きをした。まるで、幼稚園児かなにかを誘導するようなトーマスに、ユミコは、ついに怒った。


「あんた! お客様に対してなによその態度!」


 剣幕(けんまく)に、エレナたちのほうがびっくりして立ちすくんだ。


「役員になる研修のときに習わなかった? 基本的な説明は、必ず地球行き宇宙船に乗る前にすべての乗客に説明しなきゃいけない義務があるのよ? どんなベテランの役員だってそれは同じ。よけいなことって言ったらあんたがどんな気持ちで宇宙船の役員になったかなんて、くだらないことしゃべりまくって! それこそよけいなことじゃない!」


 トーマスが、顔を真っ赤にした。


「じゃあ君が説明すればよかったじゃないか!」

「だれかさんが、自分の話で時間を埋めなければね。とっくに説明は終わっていたわ」

「君は――!」


 トーマスは、絶句したが、うまい返答が浮かばなかったらしく、「じゃあ、ちゃんと手順踏めばいいんだろ!」と逆切れした。

 無言でエレナの手からチケットを奪った。強引な奪い方で、エレナが「あ」という間もなかった。


「えー、チケットを確認します。エレナ、エレナ、えーっと、」

 男は不思議そうに、チケットをのぞき、

「あれ? 苗字ないんだ……」とつぶやいた。


 エレナは、――顔から火が出そうになった。

 思わず、ぎゅっと着物の膝のところを、握った。


 ユミコが、本気でキレた。

 エレナには、女のこめかみがブチッと切れる音が聞こえたような気がした。彼女がまた怒鳴るまえに、べつの冷酷な声が、スペース・ステーションの人ごみの中からトーマスめがけて、ぐさりと突き刺さった。


「君はクビだ」

 言ったのは、チャンという、もと弁護士の派遣役員だった。

「担当船客のまえで醜い言い争いなどもってのほかだ。しかも、二時間も時間がありながら、まだ説明が終わっていないとは。そんな怠惰な役員などクビだ。いますぐ宇宙船を降りたまえ」


 眼鏡の奥の鋭い目に死刑宣告でもされたように、若い男の役員は凍りついた。


 チャンは、彼からエレナのチケットを取り返すと、「これは、あなたのものです」と、エレナに返した。


「このたびは、チケット当選、おめでとうございます、エレナさま、ジュリさま」


 チャンが深々とお辞儀をしたのに対し、エレナもあわてて頭を下げ返した。それを見て、ジュリも真似をした。

 チャンは、眼鏡を押し上げながら、説明を始めた。


「では、地球行き宇宙船のご説明をさせていただきます。この宇宙船は、四年の周期で運航しております。

 L44から今日、八月二十三日に乗船されまして、今年が一年目としますと、四年目の四月、地球に到着予定でございます。宇宙船内の日付は、L44とは微妙にずれますので、ただいま、船内は八月十七日の午後十時になっております」


 チャンは、ふたつの時計を見て、確認しながら言った。


「この宇宙船は、だいたい小さな惑星がそのまま宇宙船と名を変えたようなもので、なかでは普段通りの生活を営むことが可能です。時間は二十四時間で一日。春夏秋冬のめぐりは地球のある島国と同じ周期になっております。カレンダーがのちほど、マックスのほうから手渡されますので、ご確認くださいませ。ここまでで、なにかご質問は?」


 立て板に水、といったしゃべり方だが、だいたい意味は分かった。

 エレナは、ない、と言った。

 離れたところで、トーマスが顔を蒼白にしてうつむいていたのが気にかかった。


「この宇宙船は、毎回、L系惑星群およびS系惑星群より、およそ三万人の方が当選し、乗船しております」


「三万人!?」


 エレナは思わず声を上げた。地球行き宇宙船とはどういうものか、見当もつかなかったが、まさか、そんなにたくさんの人が乗っているなんて。


「はい。私たち役員の数もあわせますと、だいたい百三万人が生活していることになります」

「はあ――」


 エレナは、百三万人と言われても想像もつかなかった。すごく多いのだということは、分かる。


「さて、船内に入ってから説明してもいいのですが――気にされているでしょうし――エレナさまが一番気にかかっておられることからお話ししましょうか」


 チャンは、胸元から電子手帳を取り出して、言った。


「L5系から参りました、あのお客様のことですが」


 エレナは、一気に血の気が引いた。だがチャンは、表情も変えずに言った。

 彼は非常に有能で、正義感あふれる役員だったが、笑顔で船客を励ますことには不向きだった。


「結論から申しますと、無事です。多少頭を縫うケガはされていますが、たいしたことはありません」


「あたし――あたし、警察に連れて行かれるんですか」


 エレナは、声が(かす)れているのが自分でも分かった。チャンはあっさり「いいえ」と首を振った。


「私は、弁護士です。その点は示談で解決しましたので、訴訟には至りません」


 エレナが首をかしげているのを見て、チャンは、内容を噛み砕いた。


「私と、彼との話し合いで解決したということです。……もとはといえば、ジュリさまが、勝手にエレナさまの許可なしに私物を持ち出し、彼に売ったとのこと。この宇宙船のチケットは、エレナさま名義のものですから、ちゃんとエレナさまが彼に売る、といった書類を書かなければ、売れないのですよ。ハンコか、エレナさまの自筆のサインがないと、売ったということにはならないんです」


 そうだったのか――。

 エレナは、心底驚いた。そんなこと、知らなかった。


「しかも、あのご老公は、L5系のとある大企業の会長でしてね。L44で娼婦のチケットを取ろうとしてケガをしたなんてスキャンダルは――醜聞(しゅうぶん)は――まあ、おおざっぱにいえば、彼がL44で女遊びをしてるなんて事実は、明るみに出てはまずいわけです。彼の“特殊な趣味”も、公にさらされるということですからね。ですから、彼も裁判沙汰にはしたくなかったわけで。なので、今回のことは、ぜんぶ、最初からなかったことになるんですよ」


 エレナは、自分に起こっている現実が、信じられなかった。

 あのじいさんを、殺してしまったと思い――。

 絶対、警察に連れて行かれると思っていたのに。


「彼は、あの様子では入院の必要もありませんし、大事はありません。ここまでは、納得いただけましたか?」


 エレナは、何度も首を縦に振った。


「エレナさまのお荷物、それからジュリさまのお財布とお化粧道具、衣服ですか――は、のちほど宇宙船内に宅配で送られてきます。三日後になると思います。そのほかのくわしい説明は、担当であるマックスのほうからさせていただきます。ここまでで、ご質問はありますか?」


 エレナとジュリは首を横に振る。


「そうですか。では、これで私からの説明は終わりです。私は、チャン。――チャン・G・レンフォイと申します。もと、軍事惑星司法部の弁護士です。私はあなたがたの担当役員ではありませんが、なにかありましたら、ご連絡ください」


 そういって、エレナとジュリに一枚ずつ、名刺を渡した。


「こののちは、マックスが宇宙船までご案内差し上げます。――ああ、来たかな」


 人ごみの中、マックスと、いかめしいスーツの大男がこちらへ向かってきていた。


「では、私はお先に」


 チャンはまた深々と礼をして、颯爽(さっそう)と歩いて行った。トーマスが、とぼとぼと、その後ろをついていった。

 ユミコは、この場に残った。


「……嫌な思いをさせて、ごめんなさい」


 彼女は、マックスがこちらへ着く前に、小声でエレナに謝った。


「あの、――わたしのお母さんが、L44出身だったの」


 女の告白は、エレナにとって驚くべきものだった。エレナは彼女を見たが、彼女はエレナのほうを見なかった。


「あたしのかあさんも中級娼婦だったの。わたしもむかし、苗字、なかったのよ。さっきのあいつ、人目がなかったらぶん殴ってるとこだったわ」


 つとめて明るい風を装っていたが、彼女の目は赤かった。


「さっきの無礼は、チャンさんからマックスさんに報告されるわ。……わたしも、彼に成り代わってお詫びします」

 彼女はそれだけ言って、

「では、エレナさん、ジュリさん、よい旅を」


 チャンと同じく深々とお辞儀をし、(きびす)を返して、スペース・ステーションの人ごみに消えて行った。ユミコが涙を拭っているのは、後ろ姿から分かったが、エレナにはかける言葉がなかった。


 エレナとしては、さっきの男の態度は無礼のうちにも入らなかった。あんなことでいちいち苛立っていたら、娼婦生活など続けていけない。


 だが、彼女が娼婦の娘だということは、エレナには心に残った。


 娼婦の娘――。


 彼女が、どんな経緯でこの宇宙船の役員になったかは知らないが、娼婦の娘でも、宇宙船の役員になれるのか。

 あの、携帯電話、を持つことができるのか。

 娼婦でも。


 エレナは、彼女の後姿が見えなくなるまで目で追っていたが、マックスの声に、現実に引きもどされた。


「やあ、お待たせしましたエレナさん、ジュリさん。宇宙船に、乗りましょう!」





 スペース・ステーションの改札を通り、エレナたちは小型の送迎用宇宙船に乗った。

 目の前に広がる漆黒の宇宙に、エレナとジュリは口をぽかんと開けて、窓の外を眺めた。小さなころ、L44へ来るために、宇宙船に乗ったことはあるはずだが、覚えていなかった。

 宇宙船は、十分もせず、さっきのスペース・ステーションの構内と同じような場所に着く。


「もう、地球行き宇宙船の中ですよ」


 マックスは言った。L44のスペース・ステーションより、格段に人は少なかった。

 送迎用宇宙船を出て、改札口でパスカードをかざす。立て続けに音声が鳴って、開いた。


『未承認船客、エルミネイシュ=タイプ・マァレーL44 エレナ様』

『未承認船客、エルミネイシュ=タイプ・ケトゥインL44 ジュリ様』

『派遣役員マックス・K・ディモンド。エルミネイシュ=タイプ・アースL44。照会をします。派遣役員のパスカードをどうぞ』


 階段を上がり、長い通路を通ると、急に人がたくさんいるところへ躍り出た。

 高い天井の、ショッピングモール。外は、夜だった。空はさっきの宇宙みたいな漆黒の夜空。都市ということもあって、夜でも明るかった。

 どこからか流れてくる、派手な明るい音楽。ビルの壁面に貼り出されたデジタルの画面には、引っ切り無しに映像が流れている。


 この――人の多いこと……!


 エレナは驚愕(きょうがく)した。


 ほとんど洋服姿で、スーツ姿の女ももちろん歩いていたし、エレナのように着物姿の女性もいた。見たことのない民族衣装の女性も。楽しそうに騒ぐ若い男女の群れに、あれは家族連れだろうか、老夫婦に手を引かれている男の子がいて、その後ろから、若い夫婦がベビーカーを押しながら、歩いてくる。


 ここは、ほんとうに宇宙船の中?

 たしか、宇宙船というのは、大きな船みたいなもので、それが宇宙の中を移動して、地球に行くんじゃなかったか?

 そうだ、そのはずだ。


 マックスたちは早足で前を行くので、聞く相手もいなかったが、自問自答してしまうほど、この中が宇宙船の中だとは思えなかった。エレナたちがいた惑星と、まったく変わらないのではないか。チャンが、小さな惑星のようだと言っていたが、そのとおりだ。


 さっき乗っていた送迎用宇宙船は、惑星ではなく、視界では捕えきれない大きな灰色の機械のかたまりに乗り込んでいった。


 やっぱりここは、宇宙船の中なのか。


 マックスに促され、タクシーに乗る。コワモテとは、ここで別れた。

 ふかふかの座席シートも、お金を払ってタクシーに乗るのも、エレナとジュリには初めての体験だった。


「船内はね、タクシーがいっぱい走っています。自分の区画内だけなら、ジュース代と変わらない金額で乗れますから。どんどん利用してください」


 マックスの説明に、エレナはおそるおそるうなずいた。


(なるべく歩こう。でも、ジュース代で乗れるなら、一ヶ月に一度くらいは……)


 一時間ほどして、K34区画に着いた。

 そのあいだ、窓の外に流れる景色を、エレナはただただ、呆然と眺めていた。鮮やかな高速道路の光や、ビルの立ち並ぶ夜景は、エレナたちにとってはどれも初めて見るものだ。

 ジュリははしゃぎ、笑い、叫び声をあげ、あれ見て、これ見て、とうるさかった。


 大きなアパートのまえで、タクシーは止まった。

 このアパートに君たちは住むんだよ、とマックスは言った。


 エレベーターで五階へ上がり、マックスがカギをつかって部屋に入ると、すでにそこには明かりがついていた。


 入ったとたん、ジュリは今までにない大きい声で歓声を上げた。エレナも驚愕のあまり、声も出ず、リビングの部屋の真ん中で佇んだ。


(こんなりっぱな部屋が、あたしたちの部屋だって?)


 玄関から入って、左に浴室とトイレがあって、玄関前の廊下をまっすぐいくとキッチン兼リビングの広い部屋。そして、その部屋の二つのドアの向こうは、両方とも寝室だった。

 すでに、ベッドは毛布も枕もセットされ、キッチンは最低限の調理器具と電化製品がそろっていた。タオル類も用意されており、――冷蔵庫の中身がカラ、というだけの状態だった。


「マックスさん! あたしら、こんなりっぱな部屋いらないよ! もっと小さくていいんだ」


 エレナは大慌てで言ったが、マックスは困ったように笑った。


「これ以下の部屋は、この宇宙船にはないよ。このK34区は、L4系から来た人が住む場所だ。だから、申し訳ないが、この宇宙船では最低ラインなんだ」


 ――これで、最低。

 エレナは絶句するほかなかった。

 自分の寝室が持てるなんて、エレナは思いもしなかった。

 エレナは、十人くらい一緒の雑居部屋に入るのだと思っていたのだ。


「ふむ。用意はみんなできているようだな。……ないのは、食べ物くらいかな」


 マックスが冷蔵庫をチェックしたが、食べ物はなかった。

 リビングのテーブルの上に、サンドイッチやレトルトのラーメン、おにぎりとペットボトル飲料が数本用意されているのを見て、「こちらか」と満足げにうなずいた。


「あら、マックス。早かったのね」


 玄関から、女性が入ってきた。彼女はマックスと同じくらいの初老の女性だった。


「ああ、ありがとうサラ。君はやはり完璧だ」

「ふふ。当然よ。何年役員やってると思ってるの。エレナさん、ジュリさん。わたしはサラよ。よろしくね」


 サラというおばあちゃん役員は、エレナとジュリの手を固く握って握手した。


「一緒に来てちょうだい。キッチンの使い方を教えるわ」


 おばあちゃんはスーツの袖を(まく)り、キッチンに立った。

 エレナが見たこともない、最新式の機械だった。エレナは電子レンジやオーブンの使い方もわからなかったし、ボタンひとつで湯が沸かせることも知らなかった。


「インスタントラーメンは食べたことがないでしょう」

「は、はい――」

「わたしもこの宇宙船に乗って初めて食べたのよ」


 サラは、電子レンジにレトルト食品を詰めて扉を閉めた。光がともって音がするのを、ジュリが不思議そうに眺めていた。


「母と一緒にこの宇宙船に乗って、やはり今日のような夜だった。母はお金の持ち合わせもなかったし、わたしも母もおなかをすかせていて。役員の人がね、部屋にこうしてインスタントラーメンを置いていってくれたの。でも、食べ方が分からなくて。母は下級娼婦で、字が読めなかったから、説明書も読めなかったのね。ふたりでこの硬い麺を、ばりばり食べたのよ。今思えば、おかしいことをしたわね」


「……あなたのおかあさんも、娼婦?」

「そう」


 エレナは、サラに言われたとおり、ラーメンの器に湯を注いだ。こんなに熱い湯が、ボタンひとつで蛇口から出てくる。エレナは呆然とすると同時に、部屋中に広がったいい匂いに、急に空腹を感じた。


「さあ、みんなで食べましょう。今日はエレナさんとジュリさんの、新しい生活を祝うパーティーよ」


 サラが、お盆にインスタントラーメンと、コンビニのおにぎり、サンドイッチ、レトルトのグラタンなどを並べて、食卓に運んできた。後はペットボトルの飲料。


 エレナは、ずいぶん後になってからわかった。この食卓にレトルトばかり並んだわけを。


 エレナたちはこのあとしばらく、レトルト生活を過ごすことになったが、マックスは、エレナたちに最新の家電製品の使い方と、レトルト食品の食べ方を教えてくれたのだった。


 このとき教えてもらわなければ、エレナたちは本気でサラ母娘(おやこ)のような食べ方を続けていたかもしれなかった。


 三十分ほど一緒に食事をしたのち、マックスたちは、エレナとジュリに風呂とトイレの使い方を教えて、帰って行った。

 明日、朝十時にまた伺うと告げて。


「これは、わたしたちからのプレゼントよ。受け取って」


 サラが差し出した包みの中身は、シルクのパジャマだった。エレナがびっくりして遠慮すると、


「わたしと、マックスの担当する船客には、必ずプレゼントすることにしているの」


 サラがそういうので、エレナはおそるおそる包みを受け取った。

 ジュリはその肌触りの良さに、さっきまでベッドの上で飛び跳ねながらはしゃいでいた。

 声が聞こえなくなったから、眠ったのだろう。


 エレナは、そのシルクのパジャマにどうしても手を通す気になれなくて、また丁寧に袋に包んで、しまい直した。金色のリボンも、結び直した。


 恐ろしかったのだ。この幸運が。


 さっき入った風呂も、トイレも、清潔すぎてあきれ返った。ボタンひとつでお湯が出て、いつでも風呂に入れる。エレナたちは大衆浴場に、十何人も一気に入っていた。順番も気にせず、一人で入る風呂など、こんな贅沢なことがあるのか。


 こんなアパートが、自分たちの住処(すみか)になるとは。


 ひとりで寝る部屋もある。こんな大きな、広い部屋をあてがわれて。


 ――あとで、とんでもない金を請求されたらどうしよう。


 落ち着かないのはエレナだけではなかった。ジュリがもそもそとやってきて、エレナの毛布に潜り込んできた。

 仕方がない。

 今夜だけは許してやろうとエレナは思って、自分も眠りについた。

 ひどく、くたびれていた。




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