65話 しあわせな結末 1
アズラエルが、カジノ地区から、遊園地近くのショッピングモールに着いたときは、十一時を回っていた。
「アズ~~~!」
ててててて、といった足音で駆け寄ってくるのはルナだ。彼女は手ぶらだった。
「アズだいじょうぶ? グレンは? カレンはルーイは??」
「心配すんな。みんな傷ひとつもねえよ。少佐殿があっさりノシちまった。――それより、買い物どうした。しなかったのか?」
アズラエルが、ルナが手ぶらなのを不思議に思って尋ねると、のっそりとバグムントがいくつかのショッピングバッグを抱えて現れた。手には紙のコーヒーカップ。
「少佐殿がプロレスラーをノシちまったってえ? 最近はおっとろしい少佐がいるもんだ。オレらの時代にゃ、少佐ってのは後ろでふんぞり返ってるだけで、殴り合いは傭兵に任せたもんだけどな」
「悪かったなバグムント。ガキのお守りさせちまって」
ガキのお守り。ルナが、口をO型にした。
「レディに失礼なこと言うもんじゃねえよ。こりゃデートだ。な? ルナちゃん」
「……二十歳にも見えねえガキに鼻の下伸ばしてんじゃねえぞオッサン」
「嫉妬深いのもほどほどにしねえと、L18のオトコはウザイって言われるぜ?」
アズラエルが、ルナを危険なカジノ地区に連れて行くわけもないし、だからといって、夜にひとりでショッピングモールを出歩かせるわけもない。
ルナは、三十分ほど前まではクラウドとミシェルと一緒にいた。途中から、クラウドに用のあったバグムントとここで合流。クラウドとミシェルは一足先に宇宙船へもどったが、ルナはこのショッピング街で、バグムントとお茶をしながら、アズラエルを待っていたのだ。
これ以上最良のボディガードもいない。アズラエルとクラウドの担当役員であるバグムントは、もとL18の傭兵集団、『ブラッディ・ベリー』の傭兵。認定資格を持っている。
背はアズラエルより十センチも低いが、引き締まった体つきとコワモテのルックス、コンバットナイフのせいでできた指ダコは、まさしく彼が傭兵だという証だ。
「どうした、シケたツラしやがって」
バグムントは、アズラエルにコーヒーを渡していった。ルナは、大好きなオレンジの味がするチョコドリンクを両手で抱えて、嬉しげだ。
「グレンの勝ちに、三千デル賭けたんだけどよ」
ルナからふんだくった雇い賃である。
ぼろ儲けだったのに、チャンが現れて、ぜんぶ持って行かれた、というとバグムントは大笑いした。
「担当役員の前で賭け事の話するやつがあるか! ――しかし残念だったな」
オレだったら、山分けってことなら見逃してやるのに、と彼は言った。
「ダメだよ! アズ! そんなことしちゃ!」
ルナが、ドリンクのチョコを唇の端につけたまま、頬を膨らませた。
「かけごとは、ダメ!」
「おまえ、チャンと仲良くなれそうだな」
アズラエルは片眉を上げて、ルナの唇のチョコを指で拭った。
「アズは反省してない~~~!」
ぽかぽか自分の腿を叩くうさこたんパンチをスルーし、アズラエルは立ち上がった。
ルナに自分を雇えと迫ったわりには、自分の出番はなかったし。
まあ、ロミオはたぶん宇宙船を降りるだろう。あいつがボコボコになるのを見届けたから、まずはよしとしよう。
「とりあえず、済んだからな。帰るか」
ショッピングモールを、アズラエルたちはゆっくり歩いた。リリザの宇宙港は、ここから歩いて二十分ほどだ。シャイン・システムをつかうまでもない。
三メートルばかり先を歩くルナが、上に羽織っているのは、モフモフ素材の真っ白なパーカー。ウサギ耳がついているやつだ。ジニー・タウンで、ルナに買ってやったもの。
あのピンクの巨大ウサギぬいぐるみは、グレンがルナに買ったものだ。
ルナは、ショッピング街のディスプレイを眺めながら、とたとた、立ち止まったりウロウロしたりしながら、頼りなげに歩いている。そのダボついたパーカーを着たルナの後姿は、チビなのも相まって丸いというか、本当にウサギというか、なんというか、とにかくおかしかった。
ニヤついていると、バグムントが呆れたように突っ込んでくる。
「クラウドも言ってたが、おまえ、ずいぶん、あのウサギちゃんに惚れ込んでンだな」
「俺は雇われてるだけだよ」
「そうかぁ? でも一緒に暮らしてるんだろ?」
「……」
「あの嬢ちゃんが、アズといっしょに暮らしてます~、なんて言うから、アゴ外れそうになったぜ」
「ハッ」
「そのわりにゃ、つきあってません! って断言されたけどな」
「……」
「……まぁなんだ。気を落とすな」
よほど打ちのめされた顔をさらしたらしい。バグムントが励ますような声を出した。
「メフラー商社の連中や、おまえの家族、知ってンのか? あの子がおまえの恋人だって?」
「つきあってませんからな。知らねえな。ロビンとバーガスは知ってるが」
「隠し子って勘違いされるほうに五万デル」
「隠し子? ふざけんな。オイ。賭け事は禁止じゃなかったのか」
軽く笑ったアズラエルに、バグムントは、耳打ちした。
「リリザで発見されたチンピラの、両手の指が全部なくなってたって話、聞いたか」
怖気立つようなしぐさをしてみせる。とっくに犯人はわかっているのだろうに。
「だれがやったんだろうな」
アズラエルはしらを切った。
地球行き宇宙船船客のチンピラがふたり、北埠頭で発見された。だれが呼んだか知らないが、救急車がかけつけたときは、虫の息だった。
「両手の指を失ってるってのに、どうやって救急車を呼んだのかねえ」
アズラエルはとてもいい笑顔になった。バグムントは肩をすくめた。
「ま、――これも縁か。傭兵が恋人になるってことで、あの子の安全が守られるってことかもしれねえからな」
「……?」
バグムントの意味深な発言に、アズラエルはどういうことだ、という顔をした。
「オジサン、彼女とカフェでいろいろお話してたんだけどよ、」
深夜近いというのに、リリザのショッピング街の人気はまったく衰えない。
「ルナちゃんの担当役員はミヒャエルだっていうじゃねえか」
担当役員など、アズラエルには正直どうでもいいことだったが、アントニオと話をしている時に、ルナの担当役員はあきらかになった。
ミヒャエル・D・カザマ、と言ったか。L03出身の。
それがどうかしたのか。アズラエルは聞いた。
「――この宇宙船にはよ、オレたち普通の派遣役員のほかに、特殊事例専門の、特別派遣役員てのがあってよ、」
バグムントは言った。
カザマは、その特別派遣役員、通称「特派」のひとりなのだという。
「……それが、どういう意味があるんだ」
特別派遣役員は、担当する船客が、「一般には該当しない」船客に割り当てられる。
もともと、派遣役員は、上層部から担当する船客を任ぜられるのであって、自分で選ぶわけではない。そして派遣役員は、たいてい自分の出身星の担当にされることが多い。
その中でも、政治的、社会的に大いに問題があるが、重犯罪者ではない船客――また、戦時中や、惑星内の諸事情により、宇宙船に乗船することが困難な状況下にある船客――身分を隠さなければならないVIP――また、「L03の高等予言師の予言に記された人物」――そういった、訳ありの船客を担当するのだという。
「たとえば、ヴィアンカ・L・ヴァレンチーナ」
ヴィアンカはもとL4系の星出身のテロリスト。彼女自身が船客だった頃、彼女の担当役員は特別派遣役員だった。
そしてヴィアンカは、『戦時中や、惑星内の諸事情により、宇宙船に乗船することが困難な状況下にある船客』であったことはまちがいない。
ヴィアンカを船に乗せるために、特派の役員は死んだが、そのとき、彼女を乗せるために派遣された役員は総勢十五人。軍人や、傭兵、もと警察などで組織された派遣隊は、死者一名、重軽症者十三名。たったひとり、ケガもなかった役員は、宇宙船の操縦者で、銃撃戦に加わっていない者だった。
ヴィアンカもまた、今はそういった修羅場に派遣される役員だ。
戦争中の惑星などに派遣されるのも、めずらしいことではない。
特別派遣役員は、特殊な事情を抱えた船客の担当になるのだ。
「今回は、ヴィアンカのほかに五人、特別派遣役員が動いてる。サルーディーバの後取りが宇宙船に乗ってるそうだが。こっちはいわゆるVIP待遇のためだ。ここだけの話だが、L55の元高官も乗ってるぜ」
L55の元高官か。アズラエルは口笛を吹いた。なるほど、身分を隠して乗っているというわけか。
「ミヒャエルが、だれの担当になったのかわからねえってんで、役員のあいだじゃ、ウワサになってたんだ」
「ウワサ?」
「ああ。担当役員のあいだでも分からねえ、極秘の事項。サルーディーバ以上のVIP待遇だよ」
アズラエルは目を見開いた。
「そうしたら、L77から来たどこからどうみてもフツーの嬢ちゃんが、担当はミヒャエルだって言うじゃねえか」
ルナたちは全員、L77から来た。だとしたら、L7系出身の派遣役員が担当に着くのが当たり前なのだとバグムントは言う。
「L7系の派遣役員はカワイイ子が多いぞ~。あの嬢ちゃんみてえに」
一回、役員同士で合コンしたけどな、軍事惑星群出身者はモテなかった、L5系の出身者ばっか嬢ちゃんたちにモテてよ、とバグムントは笑う。俺たちコワモテは、遠巻きに眺められてるだけだったよ、と。
船客だけでなく、宇宙船の役員でも似たような感じか。アズラエルは自分がK27区を初めてウロついたときを思い出して、苦笑した。
「あの嬢ちゃんじゃなく、一緒に来たトモダチがVIPなのかと思ったら、そうでもねえ。あの子とおんなじ、フツーのコなんだろ? しかも、VIPのわりに、特別ボディガードやらなんやらついてるわけでもなし、行動は自由、担当役員がミヒャエルだっていうこと言うなって、箝口令が敷かれてるわけでもなし」
「ああ……」
バグムントが、さっき挙げた四つの事項の中で、ルナをどれに当てはめているのか、アズラエルにも予想がついた。
「L03の高等予言師の予言に記された人物」――。
それしかないだろう。ルナは、ほかのどれにも当てはまらない。
アズラエルは、必死で嫌な予感をよけようとしていた。ミシェルが――いわゆる訳ありということはないか。
彼女は、カサンドラが「L系惑星群一の芸術家になる」と予言していた。
「ミヒャエルが担当役員ってことはだな、あの子はもしかしたらL03に関係あるのかもしれねえが――」
アズラエルは、ギクリとした。
「でも、嬢ちゃんはまるっきりL03のことは知らねえし、このあいだはじめて、L03で革命起こってるって知ったんだって? まあL77の嬢ちゃんじゃ無理もねえが。こりゃまあ、オレの見当はずれかと。人手足りなくて、ミヒャエルが片手間に、L7系の嬢ちゃんの役員もしてるのかもしれねえしな。一番面倒ごとが少ねえのは、あの辺だし」
……そんなことはないだろう。アズラエルは思った。
いつだったか、ルナたちとの話で、今回はL7系から乗船する人間は少ないのだとカザマが話していたと。だとしたら、L7系の担当役員が人手不足になるはずはない。
「もしルナが――」
「あ?」
「もしルナが、“ワケアリ”だったら、……」
俺にはなにができる?
アズラエルは言葉が続かなかった。そもそも、どんなことがルナの身に起こるかも、想像できないのだ。
だが――厭な予感というものは、いったん現れると、いくら振り払っても消えてくれない。
アズラエルの様子を見て、バグムントは少し思うところがあったようで、
「L03に関わりがあるんだったら――あ、」
言いかけて、大切なことを思いついたように、歩みを止めた。
「嬢ちゃんの居住区、K27区だって言ったな?」
「ああ」
バグムントは少し考えたのち、「……やっぱり、あの嬢ちゃんが“ワケアリ”なのかもしんねえな」とつぶやいた。
「おい、バグムント」
「ま、嬢ちゃんになにかありそうになったらな、リズンって喫茶店の店長やってるアントニオを頼れ」
「――アントニオ?」
「そうだ。コイツは役員の間でも言っちゃならねえことだからな。くわしくは言えねえが」
「……その男は、特別派遣役員なのか」
「ちがう。だが――嬢ちゃんの居住区がK27区ってのも意味があるんだ。なにかあったら、その男を頼れ」
もっとも、なにかあったときはミヒャエルがほっとかねえだろうが――と、彼は安心させるように、アズラエルの背を叩いた。
「……わかった」
アントニオは、やはり、ルナに関わりがあるのか。サルーディーバもだ。
――いや。
ルナが、L03に関わりがあるのか。
でも――なぜ。
宇宙船の玄関口にたどり着き、バグムントはルナに向かって、バイバイと手を振った。
「なんだ? おまえも宇宙船にもどるんじゃねえのか」
アズラエルが聞くと、バグムントは笑う。
「今日、これからリリザでダチの役員と飲むんだよ」
「は? じゃあなんでここまで――」
「オレの担当船客は、賭け事するわ、厄介な追跡装置持ち込んでくれるわ、ロクな奴じゃねえからな。これ以上ワルサしねえようについてきたんだよ。おまえらなんぞ、特派が担当になりゃよかったんだ」
アズラエルも笑った。
「クラウドの追跡装置、没収か」
「いや。あんなモン、初めて見たからな。ちょっと借りて、宇宙船内でも開発できないかと、上で今やいのやいのやってる。衛星つかわねえ時点で、追跡装置なんて言えるかどうか詮議中だとよ」
「あれ、そんなすごいやつだったのか?」
「相当だ。L3系の科学者だった役員が、目の色変えてたぜ。クラウド曰く、ありゃ試験品だっていうが、十分つかえるじゃねえか」
「長年幼馴染みやってるが、アイツのアタマの中身だけはいまだに分からねえよ」
「ま、そういうことだ。おとなしく家に帰れよ」
バグムントさんバイバイ。ルナが手を振る。
宇宙船の扉が閉まったとたん、アズラエルの表情は消えた。
(ルナには、なにかある)
サルーディーバと出会い、九庵がボディガードに任命され――そして、たった今、ルナが「特別な船客」かもしれないということが分かった。
(もしかしたら)
ルナが助けたというじいさん――店は、「シャンパオ」といったか。
彼がルナに「接触」したことも、偶然ではないのかもしれない。
アズラエルは、ルナと暮らす居住区を自分が住んでいたK36区か、勤め先に近い区にしようとしていたが、あきらめた。
居心地は悪いが、K27区に住んでいた方がよさそうだ。
――ルナの、ためにも。




