60話 パニックインザリリザ Ⅵ 4
「ルナが港に――港! 港だって? なんで港なんかにいるんだよ! ルナになにかあったら、どうしよう……!」
「ルーイ、うるさいから少し黙っててくれよ」
さっきからルーイは「エレナ、早まるなよ」とかエレナエレナ、ルナルナ、うるさい。
独り言が多い。
ルートヴィヒは、クラウドと並んでタクシーの後部座席に座っていた。窮屈で暑苦しいことこの上ない。百八十センチ台の、筋肉だけでも暑苦しい大男がふたり、長い足を縮こめて、狭いタクシーの座席につまっているなどとは。
クラウドとルートヴィヒの乗っているタクシーに、あと二台続いている。ミシェルズとリサが二台目、三台目にカレンとグレンだ。
先程、ようやくセルゲイとマックス――エレナたちの担当役員に連絡がついた。彼らは一緒だったが、エレナがK18区の自宅にいないことで、あちこち探しまわっていたのだった。
エレナ行きつけの病院にも、K34区のアパートにもいない。
エレナたちの足取りは、クラウドの追跡装置で簡単につかめる。K15区の宇宙船玄関口で待ち構えようとしたふたりに、グレンは「見逃せ」と言った。
ひと気の多い場所で、ケガをしたルナとエレナたちをとらえれば、大ごとになる可能性がある。
エレナたちがどこへ向かうか分からないが、なるべく穏便にことを収めたい。
セルゲイたちは、エレナが船内に着いたら、そのまま追ってくれ、とグレンは告げた。
クラウドが、追跡装置を見て、つぶやいた。
「あ、ルナちゃんたち、宇宙船にもどったよ」
ついでに言えば、セルゲイとマックスが乗った車が、彼らを追っている。
「へえ……ケガをしたルナちゃんを連れて、よく入り込めたな。どんな言い訳を考えたんだか」
クラウドがおもしろそうに、唇をゆがめた。
「もどったか! お願い運転手さん! もっとスピード出せない? 無理? ――ちょっと俺と運転変わってくんない!?」
「そんな無茶な! お客様、どうかお座りください!」
「頼む! お願い! すごく急いでるの!!」
「座っ、ちょ、危ない! 座れバカ!」
制限時速七十キロを、正確に守り続ける運転手にキレたルートヴィヒが、後部座席から身を乗り出して運転手の肩をつかむ。
タクシーが大きく車線を外した。
クラウドが、思いがけない馬鹿力で、ルーイの首根っこを引っつかんで、座席に引きずりもどした。火事場の馬鹿力というやつだ。クラウドはミシェルと仲直りエッチをするまえに、リリザで死ぬ気はない。
だが、ルートヴィヒの気持ちも分かった。このままでは、地球行き宇宙船の出入り口があるエアポートまで、あと三十分はかかる。それでもタクシーを選んだのは、電車より早いからだ。
よりによって、泊まったホテルからグランポートのスペース・ステーションまで、シャイン・システムがつかえなかった。深夜は防犯のため、使用禁止になっていた――まさに、よりにもよって、だ。
深夜がメインのカジノ地区あたりでは、シャイン・システムも二十四時間稼働だが、深夜――午後一時から四時まで――緊急時以外は、このあたりのシャイン・システムはつかえない。
シャイン・システムをつかうには、このことを「事件」にするほかなく、しかたなく、車での移動になったのだった。
コトを大ごとにし、どんな手段をつかっても早く宇宙船にたどり着けばいいなら、どんな方法でもとれるが、グレンはこの方法を選択した。だれも否やは言わなかった。
リサとミシェルは、ルナたちが宇宙船に入ったことで胸を撫で下ろしていた。そうでなかったらふたりは、グレンの言うことを聞かずにもっとゴネていただろう。
クラウドが、なにしてんのなどと、すっとぼけた質問をしたのはおおよそ三十分前。
それから、追跡装置に、ルナと一緒に、エレナとジュリの姿を認めたのもおおよそ三十分前。
犯人がおそらくエレナだろうことはその場で確定したが、ひと気のまったくない埠頭に、小型船舶と、それから不審人物が三名、追跡装置に映っていたのを確認すると、軍人たちはキレた。
「なんの取引だ!?」
楽観的状況は、一転してサイアクな状況へと変化した。
ひと気のない埠頭、登録のない小型船舶、誘拐されたであろうルナ、正体不明の三人の人間。
その埠頭が、リリザの歓楽街、カジノへと近い埠頭であることも、男たちの不安を増幅させた。
「ルナちゃんはケガもしてないし、体は無事。別に異常はないよ。服も脱がされてないしさ。レイプとかされてるわけでもない、安心して」
「そんなことまで分かるのか、その追跡装置」
クラウドのセリフに、メンズ・ミシェルが感嘆した。グレンとアズラエル、ルートヴィヒ、カレンの顔にも、女の子たちの顔にも、安堵の表情が浮かんだ。
油断はできないが――ルナはとにかく、無事なのだ。
このまま、ルナだけが小型船舶に乗せられて、岸辺を離れて行ったなら、烈火のごとく怒った傭兵と将校が、そちらへ向かっていただろう。だが、不審人物の点ひとつと、エレナとジュリ、ルナは岸辺を離れ、移動しはじめた。
「この移動速度は、自動車だ」
自動車は、高速に乗って、地球行き宇宙船とつながっているエアポートへまっすぐ向かっているようだった。
クラウドの追跡装置によると、不審人物二名は、まだ埠頭にいた。
アズラエルがそれを見、言った。
「……俺が埠頭に行く」
グレンは目を見張った。アズラエルは何よりも、ルナのもとへ駆けつけるのを優先させると思ったからだ。
グレンも、埠頭へはだれかを向かわせるつもりだった。それがアズラエルならば適任だ。彼は傭兵だし、埠頭にいる不審人物の正体も見抜けるだろう。
――アズラエルを直接、エレナのもとへ向かわせるのは、避けたかったのはほんとうだ。
エレナの恋心から発した今回の出来事ならば、アズラエルがめのまえに現れれば、エレナを必要以上に刺激しかねない。
下手に刺激すれば、追い詰められたエレナが、本当にルナに危害を加えかねない。
アズラエルも、それを見越してのことだったのだろう。
「――一瞬、アンジェラを疑ったけど、今度は、彼女のせいじゃなさそうだ」
クラウドが、アズラエルにだけ聞こえる声で、ボソリと言った。
「ああ。そうだな」
アズラエルのこめかみに青筋が浮かんでいる。
彼が自分を責めているのは、クラウドにもわかった。グレンたちの怒りは、すでに不審人物二名に向けられているが、アズラエルの怒りは、ルナを巻き込んでしまった、自分自身に向けられているようだった。
「オーケー。俺もアズ坊についてくよ。このボーヤが暴走しないようにしっかり見張らないとな。話を聞く前に、ボコボコにしちゃたまんないからね」
「だれがボーヤだ」
アズラエルとロビンが埠頭に向かうことにし、残りは、エレナとジュリたちを追って、宇宙船にもどることに決めた。ここから大急ぎに急いでも、一時間はかかる。
最低なことに、シャイン・システム頼りのリリザに、レンタカーの会社はなかった。移動手段はタクシーか電車、遊覧船。宇宙船から車を降ろしていれば自家用車で移動は可能だが、だれも、自家用車で来てはいなかった。
エレナとジュリのほうが、宇宙船に着くのは早い。
さっきまでは大丈夫だったが、これからどうなるかわからない。一番嫌な想像が頭に浮かび、ルートヴィヒは打ち消した。
「エレナぁ……頼むから何もするなよ。早まってくれるなよ」
焦るルートヴィヒを横目で見ながら、クラウドは嘆息した。
アズラエルもグレンも――ふたりとも、エレナを知り過ぎている。おそらく、エレナが本気でルナを殺そうとすることはないと、そう考えている。いざとなればジュリがルナをかばうだろうことも。
エレナは、修羅場をくぐったとは言っていたが、ひとを傷つけることもできなければ殺すことなどできはしない。
本気でルナに手をかけるなら、とっくにやっている。ここまでダラダラと時間を引き伸ばし、さらに宇宙船内にもどろうとするなど、ためらっているのが見え見えだった。
――エレナたちは、怯えている。
ルナを誘拐したはいいが、おそらく引っ込みがつかなくなって、パニックに陥っている。
クラウドもそう思う。だが、そういうヤケになった状態が、一番危ういことも――。
アズラエルがグレンに指揮権を渡したのは、グレンなら、一番エレナたちに対して、穏便なやり方で解決すると思ったからだろう。クラウドかロビンに指揮権を渡したなら、とっとと大ごとにして、エレナとジュリをとっつかまえている。
彼らがL44に帰されようが、クラウドには知ったことではない。ロビンにもだ。
あの二人のことを考える前に、ルナの安全な確保を優先する。
(感謝しろよ)
クラウドは心中で思った。
(指揮が俺じゃなかったこと)
ルナを誘拐し、ミシェルを泣かせた者には、それ相応の仕返しをする。
まったく、この地球行き宇宙船の生ぬるさは、鬼の角を抜き、悪魔の牙を隠してしまう。
アズラエルも、この元少佐も、L18にいたころなら、こんなに甘いマネはしなかったろうに。
「ちくしょう! ちくしょう動きやがらねえ!!」
「おめえが悪いんだよ! いい話には裏があるんだ! ちくしょう! あのバカ女、サルーディーバに関わってる小娘なんぞ連れてきやがって……!!」
「オイ!! なんで動かねえんだ!?」
「ポンコツつかましやがってあの業者!!」
「さっきまで動いたろうがよ! サルーディーバがなにかしたんだ! そうにちげえねえ!」
埠頭でも、毒づく男が二人いた。
男たちはさっさとこの場を退散しようとしたが、さっきまで普通に動いていた船のエンジンが、かからないのだ。何度キーをひねってもダメで、まったく動かない。
サルーディーバのいたずらは、男二人を埠頭に足止めさせていた。
急に、車のアップライトが男たちを照らし、そのまぶしさに男たちは竦んだ。またサルーディーバが出たかと思ったのだ。
バタン! とドアを閉める音がし、長身の男が二人、こっちにやってくる。
サルーディーバも嫌だが、サツも厄介だ。そう思った二人だったが、こちらへ歩いてくる二人組は、Tシャツにジーンズといった私服姿だった。
ずいぶんとガタイがいい。
「おお。コイツ、ラガーで見たことあるぞ、アズラエル」
明るい茶髪のほうが、目を見張って言った。アズラエルと聞いて、男たちは船内へ逃げ込もうとした。ラガーに来ていた、L18の傭兵だ。
サツのほうがましだった。
L18の傭兵は、容赦がない。いったいだれの差し金だ。まさかエレナか。
そういえばエレナは、ラガーでL18の傭兵と飲んでいたことがある――。
「ああ、ちょっと待て、アズラエル」
ロビンが後輩の肩をつかんで止めた。
「なんだ」
不審な顔が振り向く。
「皆殺しは、なしだ」
「……」
アズラエルからの返答はなかった。いつものパターンで行けば、あと三歩歩いた瞬間に、アズラエルの手からナイフが離れて、一人が即死し、もうひとりは吐いたあとに首の骨を折られて、明日の朝まで海面に浮かぶことになる。
「人を殺した手で、ルナちゃんに触れる気か?」
「俺はもともと……」
反論しかけたアズラエルはいきなりだまり、舌打ちした。
「アイツが、小汚ねえ手でルナに触れているかもしれんだろ」
ロビンは、それ以上は止めなかった。
船に逃げ込むまえに、樽みたいな体格のひげもじゃ男は、入れ墨だらけの背中を蹴飛ばされて倒され、つぶれたカエルのような悲鳴を上げた。アズラエルの足が背中に乗っかっているだけなのに、身を起こせない。
「さっき、女がここへ来たな?」
茶髪の男に襟首を締め上げられている相棒は、泡を吹いていた。あわてて樽は、何度もうなずいた。
「――なんの取引で、ここへ来た?」
エレナとの取引のことは知らないのか。
樽は、エレナが傭兵に、自分たちの始末を依頼したのかと思った。だがそれはちがったようだ。
ほっと息をついたのもつかの間。
「ひいいっ!!」
ダンっ!! という音とともに、自分の顔の横に、大ぶりのコンバットナイフが突き刺さっていた。装飾を施された華美な柄だが、恐ろしい刃渡りだ。
甲板に突き刺さったそれが、いったん、抜かれる。樽はどっと汗を流し、蒼白になった。
「とっとと吐けよ?」
彼にとって、今日はさんざんな日だ。
「俺は、尋問が苦手なんだ。――すぐ殺しちまうんでな」
アズラエルは、ここにいるだれよりも凶悪なツラでニヤリと笑い――ぺろりと愛用のナイフを舐めた。




