60話 パニックインザリリザ Ⅵ 3
「姉さん!」
ふう、と大きく息を吐いて、腰をソファに降ろしたサルーディーバに、アンジェリカは駆け寄った。
「大丈夫ですよ――分身を送るのは久方ぶりのことでしたからね。すこしくたびれただけです」
バターチャイをくれませんか。
サルーディーバはそう言って妹に微笑みかけた。
姉の顔色は普通だったので、アンジェリカは安心したように微笑み返し、シンクに向かった。鍋に、作り置きのバターチャイを入れて温めはじめる。
「危ないところでしたね」
「姉さん、グレンさんたちにルナの場所を教えなくて大丈夫?」
アンジェリカはアズラエルを嫌っているので、どうしてもアズラエル、とは口にしたくないようだ。
「大丈夫ですよ。わたくしの役目はここまでです」
温まったバターチャイを受け取ると、姉妹は一緒に、ソファに座った。
「――ルナさんに頂いたあのお守りがなかったら、わたくしも、今回のようなことはできなかったかもしれません」
サルーディーバの摩訶不思議な力は、ますます弱まっていた。
弱まっていた、というのもおかしいが、できないことが増えてきているのだ。
予言だけではない、遠くを透かし見る能力も、人の心や未来を読むことも、さっきのように、遠く離れた場所に自分の姿を現すことも。
今までは呼吸をするようにできていたことが、だんだんできなくなっている。
ルナがサルーディーバにくれたあのお守りが、まるで充電器のような役割を果たしてくれている。前のようにとはいかないが、お守りを握っているときだけは、少しは魔法めいたことができるのだ。
「あたしもおかしいんだよ、姉さん」
アンジェリカが言った。
「最近、ZOOカードも宇宙儀も、あんまりぱっとしないんだ。……動きが鈍いんだよ」
「先日、宇宙船の役員になって古い方と、お会いする機会がありました。もとL03で占い師をされていた方ですけれども」
サルーディーバは、ルナからもらった守りを大切そうに、懐へ入れた。
「彼女が言うには、この宇宙船に乗ると、今までできていた占い――特に占星術的なものは、できなくなるものや、奇異な象意を指し示すものがでてくるそうなのです」
「そうなの!?」
「ええ。……おそらく、私たちの魂の、母なる地球に近づくからではないかと」
はっきりした理由は、わからないそうですが、とサルーディーバは付け加えた。
今回は、真砂名の神が、ルナの危機を知らせてくれた。ZOOカードの占いより先に。
たしかに最近、サルディオーネの占いの腕も振るわない。
「まあ、もともと、ルナの事象はすべて“真砂名の神の台本(”だから、あたしが見えるものと見えないものがあるのは、わかっていたけど……」
ZOOカードにルナの危機がでなかったことで、アンジェリカは動揺していた。
地球に近づくことで、占い師や予言師にも、不思議な力が働くのだろうか。それが、サルーディーバの力が消えゆくことにも、なにか関係があるのだろうか。
だが、力が消えて行っているというのに、サルーディーバには不安な感じがしなかった。
「……ルナは大丈夫?」
アンジェリカはルナをたいそう心配していたが、真砂名の神がサルーディーバに望んだのは、あれだけだった。それ以上のことは、望んでいない。
「心配いりません。覚えていませんか、アンジェ」
「なにを?」
「ルナさんの、ZOOカードの占いをしていたときのことです。色町の野良ネコと、黒いネコのカードが出たでしょう」
「――あ! そうか」
アンジェリカは、思い出したようだ。
「ルナさんが救済する人物の中に、黒いネコのカードがありました。あれはおそらく、さきほど埠頭にいた女性のひとりでしょう」
「ルナの運命が、動きはじめたんだ……」
「そうですね。……きっと、わたくしの役目がこれだけなのも、マ・アース・ジャ・ハーナの神のお計らいあってのことでしょう。ルナさんはきっと大丈夫」
そして、あの女性も救われます。
サルーディーバは、温かい、故郷の味を啜った。そして、笑った。この聖人にはめずらしい、思い出し笑いだった。
「ふふ……」
「どうしたの姉さん」
「久しぶりに姿現しなどしたものですから」
彼女はいたずらっぽく、舌を出した。
「すこし、いたずらをしてしまいました」
そのころ。
夜も更けた深夜――まさしく久方ぶりに、寝ぐらである星海寺に帰った九庵は、来客があると聞いて首を傾げた。
本日のノルマは、達成したはずであった。
「おや、これは……」
「こんばんは、九庵さん」
客間にポツンと座っていたのは、イハナだった。向こうの布団に、マシオと赤ん坊が寝ている。
「突然来てすいません。あの……お夕飯も、お風呂もいただいて……おいしかったです、ごちそうさまでした」
変わらずの、遠慮がちな口調だった。九庵は笑んだ。
「こんなに遅くまで、わしを待っていてくれたんですか」
九庵は、リリザに泊まらず、帰ってきて正解だったと悟った。
ルナの危機もあったから、なるべくリリザにいたいと思ったが、なぜか足は、“ルナが危機にあっているグランポートの北港”ではなく、星海寺に向いた。
「はい。あの、じつは、お願いがあって……」
「なんでしょう?」




