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キヴォトス  作者: ととこなつ
第二部 ~色街の黒ネコと色街の野良ネコ篇~
133/925

58話 パニックインザリリザ Ⅳ 2


「――で?」

 気落ちしきったグレンの口から、肝心のそれが飛び出した。

「もうセルゲイのことはいい。バブロスカ革命のことは、いったい、どっから出てきたんだ」


 急にルナの口が重くなった。

 ルナは、この世の、ありとあらゆるウサギの全責任を背負ったかのような、深刻な顔をした。


「う、うん――あの」

 ルナは、なかなか口から出てこなかった。

「あの、“もしものおはなし”で」


「もしものおはなし?」


「……アズの家族がね、L18から逃亡するとき、それはね、また別の夢だけど。バブロスカ革命のことやL18の事情とか。少年空挺師団のこと? も――その」


「おまえ――」


 今度は空挺師団かよ、というグレンのうめきが聞こえ、アズラエルも、また声が神妙になった。


「おまえ、『バブロスカ~わが革命の血潮~』って本、知ってるか? 知ってるんだろ? それ読んだんだろ?」

「いや、ルナがそれを読んでいたって、おまえの一家がL18から逃亡したなんて事実は、その本には書いてない」


 アズラエルは、舌打ちした。

 それからまた、なにかを考え込むように黙ってしまった。


 ルナは、まだしゃべりたいことがあったのだが――。

 ツキヨおばあちゃんのことや、ルナの一家も、もしかしたらL18にいたかもしれないこと。お兄ちゃんが、その空挺師団の事件で死んだかもしれないこと。


 言いたかったが、アズラエルの沈黙が重すぎて、なかなか口に出せなかった。

 こればかりは、デレクとキラのお母さんのこととは事情が違う。


 グレンが、黙してしまったアズラエルになにか言っていた。それは専門用語すぎてルナには分からなかったが、どうやら、L18の言語について、らしかった。


「バブローシュカ6棟第22号8?」


 やっとアズラエルは顔を上げた。ルナは、もうすっかりその監獄の番号を忘れていたが、グレンはよほど驚いたのか、しっかり覚えているようだった。これは、ルナが思い出そうとすると忘れてしまう。そのかわり、なにかの拍子には、するするっと口から出てくるのだ。

 ルナそっちのけで、二人は話しはじめた。


「バブローシュカなんて言葉は、もうだれもつかってない」

「そりゃ、いわゆるL18なまりってヤツだろ、」

「ああ。それに、特別政治犯房ってな、アレだ。……たしか、第二次かそこらンときに、バブロスカ関連の政治犯のためだけに作られたヤツだ。俺のひいじいさんが、言ってた気がする。そいつはもうそのときだけつかわれて、あとは廃墟になってたはずだ。バブロスカだって、地方の凍土だぜ? そのなかでも山奥の寒い場所に建てられて――入獄者がみんな三日持たずに凍死しちまうってんで、廃舎されたんだ」


「第二次ってのは、いわゆる、学生運動だろ?」

「そうだ。だから、百何十名も学生が拘束されて――だがほとんどが貴族のガキどもだったから、たしか首謀者以外は解放されたはずだったが――」


「首謀者つったって、名前も残ってねえんだろうが」

「残ってねえ。――特別監房ってンなら、凍死もあり得るだろうな……」

「ガキだったんだろ? 学生ってことは、」

「だろうな。十八前後かそこらだろう。クソ、そんなガキをあんな監房にぶち込んだんだ。わが一族のことながら、吐き気がするぜ」


「名前くらいわからねえのか」

「知らねえよ」

「おまえ、ドーソン一族のくせに、知らねえことだらけだな」

「あのな、バブロスカ革命ってのは、ドーソン一族がもみ消したい案件の一番なんだぜ? 消して消して消しまくりたいんだよ。だから一族内でもその話はタブーだし、俺だって、そんな昔の話、爺さんや親父から聞いた話や、ガッコで習ったくらいしか知らねえよ」

「役に立たねえヤツだな」

「おい、もういっぺん言ってみろ」


 ふたりともクールなはずなのに、ケンカになるとすぐ感情的になる。そうとう相性が悪いようだった。

 猛獣どもは、一触即発になったが、すぐにどちらともなくためいきをついて口争いをやめた。

 そして今度は、ふたりで切り株の上のウサギをじっと見た。


「な……なあに?」

「――ルゥ、なんで今まで言わなかった」


 アズラエルに、ずいぶんと柔らかい、でも真剣な声音で言われ、ルナは戸惑った。


「椿の宿で、サルーディーバに会った話はしたよな。俺たちは。でもその話は聞かなかった。――バカなこと言うって、叱られると思ったのか? それとも、気味悪がられると思ったのか?」

「……」

「俺は一応、おまえの同居人だぞ?」


 アズラエルのその言葉に反応するように、ウサ耳がぴょこん、と揺れた。


「ボディガードでもある。まぁ、試験のパートナーで、――そうか、試験はなかったわけなんだが……」


 アズラエルは困り顔で、一度沈黙した。言葉が見つからなくなったらしい。


「つまり、おまえの言い方で言うとつきあってはいないが、他人ではない」

「……あじゅは、いっしょに、ちきゅうに、いく、ぱーとなー、でしゅ……」

「ああ、そうだ」

 アズラエルはうなずき、「気味悪く思ったりはしねえから、ちゃんと話してくれ」

 そういうと、グレンも同調するようにルナの頭を撫でた。


「い――嫌じゃ、なかった?」


 目が潤んだように見えたのは間違いではない。ルナの目から、ぽたぽたと滴が落ちた。


「……勝手にみんなの過去を、盗み見たみたいなきがして、――言いたくないこととか、知られたくないこととかあたし、知っ……、」

「ちょ、待て――」

「泣くな」


 猛獣二頭は焦った。こんなところでウサちゃんを泣かせていたら、今度こそ本当に連行される。


「おまえにだったら、かまわねえよ俺は。いつか、話して聞かせたかもしれねえしな」

「ああ。話す手間が省けて、ちょうどよかった」


 ふたりとも、とても似合わない笑顔をつくったが、そのせいでルナは吹き出してしまった。しかし涙は止まったので、猛獣たちにしてみたら助かったというところだろう。


 ずいぶんちょうどいいタイミングで、電話が鳴った。アズラエルの電話だ。

 少し離れたところで話して電話を終えると、もどってくる。


「今の電話、クラウドだった。どうやらミシェルと仲直りできたみたいだ」

「え? ほ、ほんと!?」


 ルナの顔がやっと輝いた。


「そのかわり、まァ、なんつうか、ロビンも一緒らしいが」

「……ろびんさん?」


 ミシェルの浮気「未遂」相手だ。

 アズラエルはさっさと携帯電話をポケットにしまい込んで言った。


「さて、ルゥ、どこか行きたいところはねえか」

「えっ」

「まだ閉園まで、時間があるからな。夜のパレード見てから合流して、みんなでメシ食おうってことになったから、夕飯はここで食うぞ。ミシェルとリサも合流するっていうし」


 リサがキラとロイドにも連絡したらしいが、今日は式場予約とかで、リリザには来られないらしい。


「そうかあ……。キラとロイドは無理だったかあ……」


 でも、もう帰ると言われたら悲しかったが、まだ遊んでいてもいいらしい。ミシェルもクラウドと仲直りしたということは、ミシェルも宇宙船を降りずに済む。

 それに、ずっとだれにも言えずに悩んでいたことを、だいたい吐き出せたおかげで、ルナは胸の重荷が、ひとつもふたつもなくなった気がして、心が軽くなった。


「ま、まだ遊んでていいの? 夜のパレードみれるの?」

「おまえがそうしたいなら――泊まっていってもいいんだぞ?」

「いいの!? 泊まる! 泊まりたい!!」

「ルーイも来るぜ。カレンとセルゲイも。ジュリはエレナに呼び出されて宇宙船にもどった」

「ルーイも来れるの!? わあい、久しぶりだなあ……!」


 ラガーのメンツがそろうってわけか、とアズラエルはつぶやき、猛獣は睨みあったまま、ズボンの草を払って、立ち上がった。


「じゃ、行くか――」


 うさこたんは、口をぽかっと開けたまましばらく呆けていたが、やがて、いっしょうけんめい指折り数え始めた。これから行くべき場所を。


「えっと、ジニー・タウンに一回行って、コーヒーポット買うでしょ……水中ジェット一回乗って、パレード見るでしょ」


 今日、リリザに泊まれる。夜のパレードまであと二時間弱。

 どの順番で回ったら一番早いかな。

 どうやったら行きたいところをぜんぶ回れるか、一生懸命考えていたのである。


「ル、ルナ……?」

「ルゥ……」


 ぽわんとしているウサギに猛獣二頭は声をかけたが、返事は返ってこない。しばらく沈黙が流れ――いきなりすくっ! とウサギは立ち上がって、「行くぞー! ジニー・タウン!!」と叫んで、とたとた駆け出した。


 取り残されて茫然とした猛獣二頭は、しばらく呆けていたが、やがて、「遅ェ……!」とつぶやいた。 

 ウサギの足は非常に遅く、走っているはずなのに、まだウサギの姿が視界にある。


「行くか……」

「ああ……」


 あのウサギの予測不可能は、今に始まったことではない。闘争意欲も無残に打ち砕かれて、猛獣たちは歩き出した。


「あのな、グレン」


 めずらしくアズラエルが普通に話しかけてくるので、グレンは驚いた。ルナのいないところでは態度が変わると思っていたのに。


「ルナには、ボディガードがついてる」

「はぁ?」


 さすがに立ち止まった。多少二人が立ち止まったところで、ルナの走るスピードは遅いので、視界から消えることはない。


「たぶん、地球行き宇宙船に乗った時点で、すぐについていた」

「――本当か?」

「疑いたい気持ちはわかる」

 アズラエルは否定しなかった。

「俺も最初、ストーカーかと思っていた。だが違った。ちなみにいまボディガードやってるのは、“九庵”っていう船内の坊主だ」

「坊主……?」

「そんな混乱した顔をするな。俺だって混乱してんだよ。なにもかもにな」

「……」


 とてとて走っているウサギは、やがて息が切れたのか、立ち止まってふーふー言っている。グレンが耐え切れずにくっと笑うのを、アズラエルは見た。アズラエルも口の端がゆがみそうになるのを必死で堪える。

 二人で笑っていたら、まるでふたりでいることがご機嫌の理由だと思われそうで、嫌だった。


 まあ、ウサギちゃんが明るく笑っているのなら、それでいい。

 あの笑顔に、癒されるから。

 癒しの対極にあるのが、隣の男だ。


 グレンもアズラエルも、こうして、ふたり顔を突き合わせて話したのは、ガルダ砂漠以来ということになる。学生時代も徹底的に相手を避けてきて、ガルダ砂漠以降も徹底的に避けてきた。


 アズラエルは、大ケガを負ったグレンの見舞いになど行かなかったし、グレンはアズラエルに命を助けられたことを、特に感謝することもなかった。


 彼らのあいだには、ドーソン一族と、それに迫害される傭兵、という、超えることのできない壁がある。


 グレンが、ドーソン一族の中では、傭兵に対しての差別はまったくなかったといっていい――それはアズラエルも認める。

 だから、彼はわずかでも傭兵からも支持を受けて生徒会長になったのだ。ドーソン一族出で、たった数人でも傭兵から指示を受けたというのは、どれほどのレアな確率か。


 歴代の生徒会長の中に、ドーソン一族はかぎりなくいたが、傭兵からも人望を得て生徒会長に上がったというのは、グレンしかいないだろう。歴史的快挙である。


 彼には傭兵の友人もいたし、彼に「よくないコト」を多大に教え込んだのは傭兵の友人だったろう。彼も、将校の友人たちに囲まれているより、傭兵の友人に囲まれているほうが生き生きとして見えた。


 だが、彼はドーソンなのだ。

 ドーソンでしか、あり得ないのだ。

 傭兵を、迫害している一族の、嫡男に他ならないのだ。


 今のルナの夢の話を聞いて、互いにどう思ったかなんて、聞く必要はなかったし、聞きたくもない。

 おそらく互いに一致しているであろうことは、これだけだ。


 なにがあろうとも、ルナは守る。

 ドーソン一族からも、L18からも、そしてL03からも。


 ルナがたいせつだから、外からの危害に対しては、手を組める。

 グレンはおそらく、ドーソンからルナを守りきれないだろう。自分を犠牲にしても。


 それを自覚している、だからこそ、アズラエルが隣を歩いているのを黙認しているのだ。


 アズラエルもそうだ。ルナになにかあった時には、グレンは強い味方になる。


 ルナが普通の女だったら――。

 ルナが、ただのL77出身の、見た通りのほほんとしていて、ちょっとばかりオトボケ気味の、普通の子だったら、今コイツと肩を並べて歩く必要はない。

 だがルナの口から出てきた事実は、ルナをただの女から、L18の危険人物に格上げした。

 さらに、ルナはなぜかサルーディーバやサルディオーネといった、L03の重要人物とも関わってしまった。

 なぜかは知らない。

 理由が分かったら、こんなに苦労はしない。


 ふたりとも、ルナの夢の内容を、すべて鵜呑みにしたわけでは決してなかった。ルナの夢がそうであったからといって、これからなにかが起こるというわけではない。

 だが、アズラエルがそう思ったように、グレンもそう思っていたようだ。これだけは確信できる。

 ルナとは、不思議な縁に導かれて、この宇宙船で出会ったことは。

 だからこそ――ルナの夢を、冗談だと笑い飛ばすことも、気のせいだと慰めることもできなかった。


「おまえ、九庵のことを調べられるか?」

「俺が?」


 グレンがまた困惑した顔をしたが、すぐに「わかった」と短く返事をした。


「なあ――」


 互いに話すことなどなにもなかったはずだ。いままでは。ルナがいなければ、顔だって見たくない相手だ。


「あと、ひとつだけ聞かせろ」

 アズラエルが言った。

「おまえが、あのガルダ砂漠で見た夢の女は――ルナなのか」


 グレンはややあって、「そうだ」と言った。

 アズラエルは、予想していた答えに、返事をしなかった。

 それからふたりは、ルナに追いつくまでの数分間、なにも話さなかった。




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