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キヴォトス  作者: ととこなつ
第二部 ~色街の黒ネコと色街の野良ネコ篇~
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55話 パニックインザリリザ Ⅰ 2



 ルナとミシェルが大慌てで荷造りをしているころ、アズラエルは久方ぶりに、K36区のマンションに帰っていた。

 エレベーターに乗って七階につき、自分の部屋のドアに手をかけたアズラエルは、その不自然に気付いた。


(――開いてる?)


 無意識に、コンバットナイフのホルダーを引っ提げていた場所に手をやり、ないことを思い出して舌打ちする。傭兵家業の道具一式は、中央役所に預けてある。


(まァいい)


 不審者がいても、アズラエルは腕一本で仕留める自信はあった。

 音を立てずにドアを開け、臨戦態勢でゆっくりと、部屋に忍び込んだ。とたんに、ガチリと、こめかみに固いものが突きつけられる。覚えのある感覚だった。銃口だ。

 アズラエルは咄嗟に手を伸ばし――条件反射、相手の首根をつかんでいた。のど仏を潰されかけて、相手が鈍い声を出す。


「てめ――クラウド」

「……アズ」


 互いに、見慣れた顔を確認して、大きくため息を吐いた。クラウドは咳き込んだ。


「……バカ力」

「バカはてめえだ。鍵、開けっ放しだったぞ。おかげで寿命が縮んだぜ」


 クラウドは銃をしまい、アズラエルは右腕を振った。


「カギ――ウソ。開けっ放しだった?」

「ああ」


 カーテンが閉め切られているせいで、薄暗い室内では、とっさに気付かなかったが、クラウドの顔は泣き腫れていた。さっき、どこぞでみたお嬢さんの顔とまったく同じだ。


「どうして泣いてる」


 聞きたくないが、聞いてみた。聞きたくなくてもどうせクラウドが、勝手にしゃべるだろうことはわかっていたが。


「あずぅ……!」


 整った面立ちが、みるみる内に、泣き崩れていく。

 小さいころから見慣れてはいるが、いい年の男がここまで全開で泣くのは、アズラエルだって気分よく見れるものではない。しかも、心理作戦部で鬼の軍曹とも呼ばれていた男が。


「みっ、みしぇ、ミシェルに、きっ、嫌われ――」

「だろうとは思ったよ、はいはい……って、オオイ!?」


 呆れ顔で返したアズラエルだったが。

 急にクラウドがひっくり返ったので、あわてて支える羽目になった。クラウドは、後頭部をフローリングに打ち付けるまえに、アズラエルに胸ぐらをつかまれて助かった。

 

「……メシぐらい食え、このバカが」


 ソファに突っ伏したクラウドの鼻腔に、美味しそうな匂いと、罵詈雑言が届く。ぼんやりと顔を上げれば、キッチンに立ったスーツ姿の男がなにか煮ているのだ。


「――アズ?」

「腹が減れば、ひっくり返るのはあたりまえなんだよ。いつから食ってねえんだ」

「……わからない。……三日前?」

「三日前っていっときゃ済むと思ってんのか。どうせ覚えてねえんだろう――そら、食え」

「……食べさせて」

「頭からぶっかけるぞ」


 クラウドは、マグに入ったコーンスープを受け取り、アツアツのそれを啜った。


「……懐かしい。久しぶりに食べた。アズの味……」


 涙目のクラウドは、口に物を入れて、少し元気が出たようだった。


「ねえ、ママ……」

「冗談いう気力は出てきたようだな」


 アズラエルは、クラウドの座っているソファの真向かいに腰を下ろした。クラウドは、熱いカップを手で回しながら、ぼんやりと言った。


「……俺、ミシェルに嫌われちゃったよ……」


 クラウドの話を聞きながら、アズラエルは何回ためいきをついたか分からない。クラウドの話が終わると、アズラエルはひとこと「バカ」と言った。


「おまえがアンジェラに振り回されてどうするんだ」

「……」


 アンジェラがまだ宇宙船にいるといった事態に、アズラエルは大して驚かなかった。

 あり得ないことではないと思ったからだ。


「個展は始まってるから、さすがに今はリリザだろう――俺はララに約束を取り付けてきたし、こっちは今のところ、心配はない」

「……そう」

「それで、アンジェラは、ロビンをつかって、おまえとミシェルを別れさせようと?」

「ロビンは“つかわれた”わけじゃないと思う」

 クラウドは鼻をかんだ。

「あの男は、ミシェルが気に入ったんだ。アンジェラのためじゃない。自分がミシェルを気に入ったから、手を出した」

「でも、なにもなかったって、たしかめたんだろ」

「……」


 クラウドは返事をしなかった。だが、ミシェルが自分の意志でロビンの部屋に行ったのでないことだけは、わかっている。


「おまえは、パーティーに行くべきじゃなかった。そうだろ?」


 いつものクラウドだったら、そうしていたはずだ。

 ムスタファには言いようがあっただろうし、パーティーの欠席という失礼をフォローする手段だってあった。

 アンジェラという存在からは、徹底的に距離を取ったはず。


 けれども、クラウドの判断を狂わせたのは、アンジェラがミシェルの憧れの芸術家だったからだ。

 ファンというにはあまりに熱情的に――ミシェルは、アンジェラに焦がれていた。

 そしてクラウドは、ミシェルの喜ぶ顔を見るためなら、なんでもしてしまう傾向があった。


「いくらファンだからって、あいつに“直接”関わらせるのは無理だ。バカげてる」


 自分が愛人だったから、アズラエルはよくわかる。

 あの女は、メチャクチャだ。

 アズラエルにはそれを楽しむ余裕があったが、本気になるタイプの相手ではない。


「わかってるよ、そんなこと」

 クラウドは心ここにあらずといった状態だ。

「そもそも、アズが協力してくれればよかったんだよ」

「あア?」

「アズだって、アンジェラの部屋に行かないとか、極端に縁を切る方法じゃなくて、やりようはあったろ」

「……?」


 アズラエルは首を傾げた。


「アンジェラの尻引っぱたきながら『俺の言うことが聞けねえのか』ってしつけてくれればよかったんだ。アズだったら、アンジェラをコントロールできた。やってたことだろ」


 クラウドは、どうでもいいことのように言った。


「人をなんだと思ってんだ。断る」

「そもそも最初からそれをやっていればこんなにややこしいことには」

「冗談抜かせ。俺はもう、遊ぶのはやめたんだ」

「アズが遊ぶのをやめた?」

 クラウドは憮然とつぶやいたあと、「……正気かな」と言った。

「正気だよ。見ればわかるだろ」

「アズが女をはしごしないなんて……天変地変の前触れかも」


 冗談は続かなかった。クラウドの暗すぎるためいきとともに、場はふたたび、沈黙に支配された。

 アズラエルはしかたなさそうに聞いた。


「……ミシェルに、謝る気はあるんだろ?」


 クラウドは迷いがちにうなずいたが、「でも――許してくれるかどうか」


 ミシェルをあそこまで怯えさせてしまったのは自分で、自分でも、怒りのコントロールが効かなかった。

 嫉妬と独占欲が、自分のコントロールを外れて、表に出てしまった。


「しょうがねえだろ、それは」

 アズラエルは言った。

「だっておまえ、ずっとミシェルに優しい顔だけ見せて、付き合っていくつもりなのか? そりゃ無理だ。長く付き合いてえって思うなら、最初から、自分を装うべきじゃねえ。本気で好きな相手なら、なおさらだ」

「……」

「そういう――怖い顔とやらもおまえにはあるし、バカなところもある。おまえは俺の前じゃ泣いてわめくし、心理作戦部の鬼軍曹だって顔も隠さねえだろ。ミシェルのまえでも、そういうほんとの自分見せて、正解だったんじゃねえのか。嫌われるのが怖いからって、好きな相手に自分を見せないで、本気で付き合えるもんかよ」


 クラウドは項垂れていたが、やがてぼそりといった。


「……アズはいいよね。最初から本性丸出しで」

「なにか言ったか」

「わかったよ」


 クラウドは、顔を上げた。


「俺――もう一度、ミシェルと話してみるよ。……そうさせてもらえるように、努力してみる」

「ま、そうするしかねえよな」


 アズラエルは、自分の着替えをバッグにつめるために、立ち上がった。


「ミシェル、今、ルナの部屋にいるぞ」

「え――?」

「さっき、帰ってきたんだよ。おまえみたいに泣きながらな。俺は追い出されたんだ。ルナと二人で話したいってな」


 アズラエルは、部屋に服を取りに行った。そこから、クラウドに向かって叫ぶ。


「早くスープを飲め! おまえも一緒に行くんだろうが」


 クラウドは戸惑った。


「でも――少し、ミシェルに落ち着く時間をあげたほうが」

「グズグズ待ってて、ミシェルが宇宙船を降りちまったらどうするんだ」


 それは、困る。

(謝るだけは、謝りたい)

 ――ミシェルが、もう二度と、自分を許してくれなくても。


 クラウドは、重い腰を上げた。


 アズラエルが車を飛ばし、三十分ほどでルナの部屋についたとき、鍵はかかったままだった。

 自前の鍵をつかって部屋に入れば、ちこたんが飛んできた。


『おかえりなさいませ、アズラエルさん』

「――ただいま」


 ミシェルもルナも、いなかった。


「ルナはどこへ行った?」

『ルナさんは、おでかけしました』

「行き先は、言っていかなかったのか」

『おっしゃいませんでした。可能性は、リズンかマタドール・カフェか、総菜屋オダマキ』

「レイチェルといっしょかな」


 そこまで言って、なにやらデジャビュを感じた。似たような会話をした記憶が。

 買い物にでも行ったのかと思っていたら、書き置きを見つけた。

 

『ミシェルとしばらく出かけてきます。今日は帰らないよ。ルナ』


 アズラエルは口を開けた。


「ミシェルもいないじゃないか」

 クラウドの冷静な声が、アズラエルの不安を煽った。

「ふたりでいったい、どこへ行ったの」

「俺が知るか」


 アズラエルは、ぐしゃりと書き置きを握り潰した。


 まさか、本当に降りたのか?


 そう思ってリビングへ向かえば、ルナの私物はあった。よく書き置きを見たら、「今日は帰らない」と書いているので、宇宙船を降りたわけではなさそうだった。

 すかさず電話をしたが、ルナは出なかった。


「多分、行き先はリリザじゃないかな」

 クラウドが嘆息しつつ、そうつぶやいた。

「いいよ。きっとミシェルも落ち着きたいんだ。明日、リリザに降りて探してみよう――宇宙船を降りてないといいんだけど」



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