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キヴォトス  作者: ととこなつ
第二部 ~色街の黒ネコと色街の野良ネコ篇~
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55話 パニックインザリリザ Ⅰ 1


「ミシェル!」


 旅行用バッグを肩から下げたミシェルが、あふれる涙を懸命にぬぐいながら、立ち尽くしていた。

 ルナを見たとたん、一気に嗚咽に変わる。


「どうしたの!?」


 ミシェルは泣き続けるだけで、なにも話さない。


「と、とにかく、なか入ろう」


 ルナに促されて部屋に入りかけたミシェルは、アズラエルの姿を見て立ちすくみ、それから涙目で睨んだ。


 アズラエルは瞬時に理解した。――クラウドと、なにかあったな?


 ケンカかなにかだろうが、それにしても、なぜ自分が睨まれるのか分からない。

 自分に原因が?


「ル、ルナと、はっ……話がしたいの! ふっ、ふたりで。しっ……しばらく出てってくれる」


 ミシェルはしゃくりあげながらも、目はまだアズラエルを睨んでいる――それは、半分怯えも入っているように、アズラエルには思えた。


「……わかったよ」


 こういう場合は、引き下がるほうが無難だ。

 アズラエルは、ルナをちらりと見ると、だまって玄関のドアを開けた。


「外に出るついでに、もとの部屋に置いてた着替え、ぜんぶ持ってくる。話がすんだら電話かメールを」

「う、――うん」


 ルナはミシェルの背をさすりながら、リビングに連れて行った。


 玄関の扉が閉まる音が聞こえ、アズラエルが出て行ったのを確認すると、ミシェルは真剣な顔で向き直り、ルナの両肩をつかんだ。


「……ルナ!!」

「なっ、なに……」


 普段あまり声を荒げない友人の迫力に、ルナは怯んでいた。さっき、グレンを同じように怯えさせていたことはまったく棚に上げて。

 ミシェルはだれも聞いていないのになぜか声を低め、吐き出すように言った。


「ルナ! 宇宙船降りよう!? やっぱ、それしかないよ!」

 

 突然どうした。

 ここを出ていくときには、クラウドとミシェルはいつも通りラブラブで、ケンカの気配は微塵(みじん)もなかった。

 なにがあったのだろうか。

 だいたい、ケンカかなにかが原因だろうが、それにしたって「宇宙船を降りる」なんて、大げさすぎる。


「とにかく、落ち着くのです」


 ルナは親友の肩に両手を置いた。ふたりで両手に肩を置いたので、スクラムを組んでいるような形になった。


「なにがあったか、話してくれる?」


 ――ミシェルの話は、三十分ほどにまとめられた。

 ルナがK05区で温泉を満喫していたあいだ、ミシェルは波乱の一週間だったのだ。


「アンジェラがいた!?」


 ルナはウサ耳を、これでもかと立たせた。ミシェルは泣き腫れた目を座らせ、こくりとうなずいた。


「アンジェラがまだ、宇宙船に乗ってたの。リリザに行ったんじゃなかったの!?」


「いたのよ。船内に」

 ミシェルは言った。

「あたしが“アンジー”を、見間違えるはずないもの」


 ミシェルの話の概要は、だいたいこの通りだ。

 リゾートの別荘を貸し出してくれた礼を言うため、クラウドとミシェルは「グリーン・ガーデン」に行くまえに、ムスタファのもとへ(おもむ)いた。

 その野外パーティー会場で、ミシェルはアンジェラを発見した。

 ミシェルもだが、クラウドももちろん驚愕して、警察に問い合わせた。だが、あいまいな返事しか返ってこなかった――その後、クラウドが調べたところによると、やはりアンジェラも、ジルドという男も、まだ宇宙船を降りていなかった。


 ルナは、そこまで聞いて、ごくりと喉を鳴らした。


「……それでもべつに、そのときまでは、あたしたちがアンジーから嫌がらせを受けたわけじゃなくって」


 ミシェルは憔悴(しょうすい)気味の声で、そう言った。


 数日して、ムスタファから正式なパーティーへの招待があった。もちろん、そのパーティーに、アンジェラもララも来るだろうことは、予想がついていた。だから、クラウドは出席するか迷っていた――けれども、別荘を無償で貸してもらっている手前、欠席はたしかに失礼だったろう。


 クラウドは、ミシェルのドレスはちゃんと用意していた。そのドレスを着ず、「キラとロイドの執事」として赴くという作戦を立てたのは、ミシェルだ。


 ルナは、キラがかつて言っていたことを思い出し、ようやく腑に落ちた顔をした。


「クラウドは、その作戦について、なにも言わなかったの」

「うん……反対はしなかったの」


 そもそもクラウドは、ミシェルのお願いならなんでも聞いてしまうので、反対する気もなかったのかもしれない――ミシェルは肩を落とした。

 ムスタファ邸のパーティーで、ミシェルは、ひとりになってしまった。クラウドはララに捕まっていたし、キラたちは、帰ってしまったと思ったためだ。

 ひとりでいるときに、ロビンという男性と会った。


 ルナのウサ耳がピコン! と立った。


「ロビンって、アズの先輩じゃない? おんなじ傭兵グループの! アズの会社の!」

「そうかもしんない。それっぽいことは言ってた」


 それが、もしかしたら、アンジェラが、クラウドとミシェルの仲を裂くために寄こした人物かもしれないこと。

 お酒に何か入れられて、ロビンの腕の中で気絶して、起きたら彼の部屋で素っ裸になっていたが、決して「なにか」があったわけではないこと。

 油断していた自分は、ほんとうに悪かったと思う。ミシェルはクラウドに謝りたかった。簡単に許してもらえるとは、思わなかったけれど。


 でも。

 怒ったクラウドが、とても――とても怖くて、謝るどころでなくて。

 ――逃げてきたこと。

 

「……やっぱり、あたし、クラウドのこと怖い。生きてる世界が、違う気がする」

「うん……」


 それは、ルナも、アズラエルやグレンに感じていたことだった。

 ルナたちは戦争も本の中でしか知らない、平和な星で育ってきた人間だ。軍事惑星の住民であるアズラエルたちとは、相容れないところもある。


「クラウド、ルナがK05区にいたこと、知ってたんだよ」

「ええ!? なんで?」


 ルナは驚いて、ぴょこーん! と跳ねた。


「ウソでしょ? なんで? 盗聴器でもつけられてたのかな」


 わたわたしたルナは、体中を見回したが、それらしきものはなかった。


「あり得ないでしょ? 怖すぎるよ。ルナに電話とかしてないって言ってた。でも、いる場所わかられてたんだよ?」


 怖すぎる。それはほんとうに怖すぎる。

 ルナは、戦慄した。


「――ルナは、アズラエルとうまくいってるみたいだね」


 ミシェルが嘆息したので、ルナはあいまいにうなずいた。

 まだつきあってはいないが。しかもさっき、双方ともに浮気疑惑が上がったばかりだが。


「ルナのほうは、あれからどう? だいじょうぶだった? アンジーが、嫌がらせしてくるとかは、もうない?」

「それは、だいじょうぶそう」


 今のところ、アンジェラにまつわる事件はなかった。


「アズが、ララさんっていうひとのところへいって、もう嫌がらせはさせないって約束をしてきたの」


 ミシェルは、目を瞬かせ、それから、ほっとしたように肩を落とした。


「そうか、よかった」


 へたりと、床に腰を落としてつぶやく。


「アンジーがまだルナに嫌がらせをしてて、アズラエルが解決できてないようだったら、一緒に宇宙船降りようと思ってたの。あたしも宇宙船降りなきゃ、クラウドと離れらんない気がして」


 ルナは、慎重に尋ねた。


「ミシェル――クラウドのこと、イヤになったの?」


 ミシェルはぐずぐずと泣きながら、言った。


「……嫌いに、なれないから、困ってるのよう……」

「そ、そうか……」


 クラウドは怖い、でも嫌いになれない。そういう気持ちなら、ルナも分かった。

 でも、宇宙船を降りようというのは早計だ。


「だ、だいじょうぶ。ルナがアズラエルとうまくいってるなら――それでいいの。あたしはあたしで、降りるから。……みんなによろしくね」


 もうすっかり降りる気でいるミシェルを、ルナはあわてて止めた。


「待って! 待って落ち着いて、ミシェル」


 ルナは考えた。ウサギの脳みそで、必死に考えた。

 カザマに相談するのもひとつの手ではある気がするのだが、担当役員に相談したら、もう降りるか降りないかの話になってしまう気がした。


「ねえ――ミシェル」

「ん?」


 ミシェルはティッシュで鼻を思い切りかんだ。泣きっぱなしで、目は充血していたし、まぶたは二倍だった。


「リリザに降りよう!」

「えーっ?」


 今は、リリザではしゃぐ気にはなれない。


「遊びに行くんじゃないよ。宇宙船の中にいたんじゃ、いつクラウドに居場所がバレるか分からないでしょ? だからって宇宙船降りちゃうって決めるのはまだ早すぎるよ。だからリリザに降りて、クラウドからはずっと離れた場所で、すこし落ち着いて考えよう」

「……」


 ミシェルは迷っているようだった。

 さっき、アズラエルは、K36区の、かつて住んでいたマンションに着替えを取りに行った。もしそこにクラウドがいたら、アズラエルがクラウドを連れてきてしまうかもしれない。


「そ、それはいや! 今クラウドに会いたくないもん!」


 クラウドが来るかもしれない、という言葉は思いのほか効いた。ミシェルはあわててボストンバッグを持って立ち上がる。


「行こう! ルナも早く準備して!!」

「うん!」


 ルナもウサ耳をシャキーン! と立たせて、荷造りをはじめた。

 とにかく、この部屋にいても、クラウドにつかまってしまうのは時間の問題だ。

 しかし、だからといって完全に宇宙船から降りてしまうのも気が早すぎる。

 こういうときは、別の場所に行って、落ち着いて考えるのだ。

 ルナは、腕まくりをして、しばらく留守にするために、アズラエルに置き手紙を書いた。


『ミシェルとしばらく出かけてきます。今日は帰らないよ。ルナ』

 

 先日、勝手にリリザに飛び出して、アズラエルに怒られたことはすっかり忘れていた。これを読んだアズラエルが、「……あの、チビウサギ」とふたたび青筋を立てることも知らずに。

 行き先も書いていない置き手紙を、ルナは至極満足して、玄関に置いた。




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