54話 夢との符合と、最初の降船者 3
それにしても、こんなに早い時期に――まだ、一年とたっていない時期に――友人が降りることになるとは、思いもしなかった。
――こうして、ひとりひとり、宇宙船を降りていくのか。
なんとなく、自分はこうして、これから先、宇宙船を降りていく人を見送るような気がしてならなかった。
(ちょっと、さみしい、かも)
いったい、何人が地球にたどり着けるかは分からないけれど、自分ひとりじゃなきゃいいなあ、とルナは思っていた。
ケヴィンの姿が見えなくなり、物寂しい思いを抱えたまま椅子に座ったルナは、唐突に思い出した。
「あーっ!!」
隣で、アントニオが勢いよくビクつく。
「なっ、なに、急に」
「……ケヴィン、宇宙船降りちゃったよ?」
ルナが思いだしたのはZOOカードのことだ。ルナが助けるかもしれない人物の中に、「双子のきょうだい」「双子の姉妹」というのがあった。
おそらくそのカードは、ナターシャとブレアの双子の姉妹、ケヴィンとアルフレッドの双子を示している。
今のところ、ブレアのこと以外に、ケヴィンが困っている様子は見受けられなかったが、ルナが助ける前に彼は宇宙船を降りてしまった。
どういうことだろう?
ルナの疑問に、アントニオは困り顔をした。
「俺は、あまりZOOカードのことは分からないからなあ……。でも、運命が変わったんだろうね」
「変わった?」
「そう。ケヴィンの運命が変わったから、ルナっちとの関わりも変わった。たぶん今ZOOカードを並べたら、前とは違う配置が出るかもしれない」
「……」
「ルナっち。あんまりZOOカードのことは気にしないほうがいい。占いって、そういうもんだろ? いいことは信じて、悪いことは信じない。ルナっちの助けが必要なら、きっとケヴィンから電話が来るさ。そのときに考えようよ」
たしかに、そうだけれど。
ルナは、そう簡単に思い切れなかった。
テーブルに座ったまま、うつむいて足をぶらぶらさせた。
「しょうがないウサギちゃんだなあ。お口がバッテンになってるぜ?」
アントニオが苦笑した。
「なにか心配ごと? このあいだここで話したことが気になってるの?」
ルナはようやく顔をあげた。
「そうだ。カサンドラさん? ――マリアンヌさんは、どうだったの?」
アントニオは少し顔を曇らせ、「ダメだった」と言った。
「気にかけてくれてありがとうな。……俺たちが病室に入ったときは、もう亡くなっていた。俺は、彼女が小さいころ、一度会ったことがあるだけで、あまり面識はなかったけど、サルちゃんたちは彼女と姉妹みたいに育ってきたから。……見てて、かわいそうだったな」
「やっぱり――」
サルーディーバさんとは会っちゃダメなんだよね、とルナは言いかけたが。
「いや、こんな状況だし――俺もルナちゃんに、サルーディーバに会ってやってくれって頼もうとしたんだけど――まあ、俺が同席して、よけいなことは話さないって条件で」
「ほんと!? 会っていいの!?」
パッと顔を輝かせたルナだったが、アントニオは首を振った。
「今は、サルーディーバのほうがルナっちと会うのを、拒絶してるんだ。マリアンヌが死んだ経緯を――こればっかはルナっちにも言えないけど――マリアンヌの担当役員から聞かされてね。自分がルナっちに関わるのは危険だと判断したんだ。ルナっちの安全のためにもね。だから、今は彼女のほうが君に会うべきじゃないと言ってる」
「そう……」
ルナは拍子抜けして、椅子に腰をもどした。
「ルナっちがくれたお守りは、ほんとうに喜んでたよ。ありがとうって言ってくれって、ことづかってる」
そういえば、椿の宿で真月神社のお守りを手渡したのだった。
そんなに喜んでもらえたなんて。
「そういや、ルナッちは、リリザにいった?」
「あ、うん! おとついね、――」
アントニオが話を変えたがっていたのはルナにもわかったので、一昨日、リリザに降りたときのことを話そうと思った矢先。
急にざあ! と風が吹いて、テーブルに置いてあったパンフレットをパラパラとめくった。
飛ばされそうになったのをあわてて押さえて、何気なく目をやったルナは、今日、二度目の絶叫をした。
「あーっ!!!」
アントニオは再度ビクつき、「な、何なの、今日のルナっちは……」と恐れおののきながら、パンフレットに釘付けになったルナを見た。
ルナも、偶然といえば偶然過ぎるそれに、恐れおののいていた。
パンフレットに、見覚えのあるクラブの写真が載っていたのだ。
見開き二ページに渡って特集されているのは、「ルシアン」という名のクラブ。そのクラブの写真が、ルナの夢の中の風景と一致したのだ。
『K37区のクラブ、ルシアン。ココには一風変わったカクテルが目白押し。試してみる価値アリ!』
一杯ごとに勘定するシステムも夢の中と同じだ。
ルナたちは、美味しいカクテルを探してルシアンにたどり着いたのではない。この一風変わったカクテル、に興味を示したのかもしれない。でも一風変わってはいても、おいしいとは言えなかったのだろう。だから、すぐにクラブを出ようとしていた。
(このボックス席の写真、あたしとミシェルが座っていたところだ)
「ああ、ルシアンね。K37区じゃ一番大きいクラブかな」
アントニオは、ルナがその特集を凝視しているのを見て、言った。
「ご、ごめんね! あたし帰る!」
家に帰って、グレンに電話しようと思ったのだ。あの夢と同様、このクラブで彼がバイトしているとしたら――?
ルナはあわてて立ち上がり、パンフレットをつかんで、猛然と走り出そうとしたところで、止まった。
走り出したところで気づいた。グレンの電話番号は、アズラエルが消去してしまったので、分からない。
「う~、う~」
チビウサギが急に立ったり立ち止まったり、かと思えばパンフレットを頭上に掲げてウロウロし、挙句にうなり始めたので、アントニオはかなり心配した。
「うううう~~」
「ルナっち。ルナちゃん、……そこの、ウサギちゃん」
チビウサギは振り返った。
「なにか、お兄さんが手助けできることはない?」
ルナの携帯電話から、グレンとセルゲイの番号は消去されていたが、カレンとルートヴィヒの分は消されていなかった。
アントニオのアドバイスに従い、カレンかルートヴィヒ経由で、グレンと連絡を取ることに決めた。
ウサギは、ウサ耳を立たせたまま猛然と走り去っていった。
「おそい」
アントニオが、ウサギの丸い後姿を見てそうつぶやくほどには、低速で。
全速力で家にもどったルナは、ドアも開けっ放しで、靴も放りっぱなしで部屋に駆け込み、ちこたんが『どうかしましたかルナさん!』と飛んできたのも無視し、電話のボタンを押した。
『はい』
ルートヴィヒが出た。
「ルナです!」
ルナは勢いよく叫び、『ルナ!?』と電話口の声がうれしげに弾むのを最後まで聞かず、「グレンはいますか!?」と叫んだ。
驚くよりなにより、ルナの勢いにひるんだルートヴィヒは、『う、うん……いるよ』とたちどころに代わってくれた。
『だれだ?』
グレンが出た。寝起きなのか、不機嫌そうな声。アズラエル並にすごみのある声だったが、ルナは最近、その手の凶悪声には慣れている。
「グレン!?」
ルナの声は、ウサギとは思えないほど大きかった。電話口の相手の声は、一瞬詰まり、
『……ルナ!?』と驚きの感情をあらわにして――。
『え? おまえなんで、ルーイの電話から「あのねあのね!! グレンってルシアンってとこでバイトしてる!!??」
尋常でないウサギの興奮ぶりに、トラさんも怯んだ。
『……あ、ああ? バイトっつうか、警備員な。それよりおま』
「警備員!? ほんとに!?」
グレンは思わず電話を耳から離した。鼓膜が破れそうだ。
いったいどうしたんだ? ルナは。
グレンは振り返り、ルートヴィヒの顔を見たが、彼も両腕を広げて首を振った。
畳み掛けるように叫ぶルナに、グレンはあきらかに戸惑っていたが、興奮気味のウサギを鎮めるため、つとめて静かな声をつくった。
『ほんとだ。そんな話どこから聞いたんだ? おま「それって夜!? 私服でやってるの!? いつから? だれか助けたりとかした? 青少年大会優勝のボクサーとかなぐった!? あた、」
ルナの叫びは、中途で途切れた。
グレンが切ったわけではない。後ろから、褐色の大きな手が伸びてきて、通話をきったのだ。大きな手は、そのままルナの手から電話を取り上げた。
だれということもない、アズラエルだった。
そこでルナは、自分のしていることに気づいた。
ルナは、恋人(仮)の留守中に、一度は告白されている男性に電話している。しかも、電話番号は消去したはずなのに。
ルナの声は興奮していて大きかったから、ちょうど帰ってきたアズラエルに丸聞こえだった。
だれに電話しているか――あんなにでかい声で叫んでいたら。
誤解されるには、十分すぎるシチュエーションだった。
「言い訳は?」
「言い訳はあります!」
ルナは正々堂々と宣言した。
「なにを話してた?」
ルナは正直に言った。
「グレンが――K37区のルシアンってクラブで――バイトしてるかどうか!」
「なんでそんなことを知りたいんだ」
「えーっと」
そこに至るまでの経緯を説明するには、グレンが出てきた夢のことも説明しなければいけなくなる。
ルナは非常に困った。
たちどころにつまったルナに、アズラエルは、それでもなにを思ったか、懇切丁寧に教えてくれた。
「アイツはな、ルシアンで警備員のバイトをしてる。見回りの私服警備員だ。あの辺は治安が悪いからな。客と取っ組み合いになるのもめずらしくねえ。ほかにもあの少佐殿は、スポーツジムで護衛術の臨時講師やってるよ。ほかに聞きたいことは?」
アズラエルの目が怖かったので、ルナは「ありません」とだけ言った。
「グレンに関わるなっていっただろ!」
「ちょっと聞いてみたいことがあったの! それに、そもそもアズとは付き合ってないし、アズだって、あたしのほかにもいっぱい女がいるじゃないか!!」
ルナは食ってかかった。そういえば思い出したのだ。エレナのおなかの子が、アズラエルの子かもしれないということを――。
「は?」
問いつめていたのは自分だったはずだ――いきなり怒り出したウサギをまえに、アズラエルは、まったく見当がつかないという顔をした。
「エレナさんのおなかのこは、アズの子かもしれないでしょっ!!!!!」
「――」
アズラエルの顔が、まったく、想定外だという顔になった。
「は?」
なにがどこからどうなって、エレナの話になったのか、理解ができなかった。
「は? ――いや待て、ちょっと待て」
アズラエルの怒りはすっかり冷め、彼はしゃがんで、ちっぽけなウサギと目線を合わせた。
「エレナの腹の子? なんでおまえが、それを知ってるんだ」
ルナは怒髪天になった。やっぱり、アズラエルは、エレナが妊娠していることを分かっている。
「エレナは、だれにもいうなと俺に言った。多分、エレナの妊娠を知っているのは、俺とジュリだけだ。俺は、おまえにそんなことを言ったっけ?」
わめきかけたルナは、なにかおかしいことに気づいた。
「へけ?」
「ジュリがおまえに言ったのか?」
「ううん?」
「……」
アズラエルの口調から、ルナは悟った。
「――じゃあ、エレナさんの子は、アズの子じゃない?」
「どうして俺の子なんだ」
アズラエルはうんざり顔をした。
「面倒なことになるのはわかってるから、あいつには手を出してない。それに、時期的に見て、妊娠したのはアイツがL44にいるときだ。つまり、宇宙船に乗ってからできた子じゃない」
「……」
ルナはあっけにとられた顔で、アズラエルを見上げていた。
時期的に見て、宇宙船に乗ってから妊娠したのではない?
「じゃあ――グレンの子でも、ルーイでも、セルゲイでも、カレンでもない?」
「ああ」
アズラエルはうなずいた。ルナはアホ面をした。
イハナに、妊娠していることを悩んで、相談に行ったかもしれないエレナ。
それがほんとうにエレナかどうかはわからなかったが、今のアズラエルの言葉で、とにかくエレナが妊娠していることだけは、はっきりした。
しかし、エレナは、アズラエルには、だれにもいわないでくれと言った。
「……妊娠してるのを、エレナさんは、内緒にしてる? みんなに?」
「ああ」
アズラエルは再度うなずいた。
「なんで?」
ルナは聞いたが、アズラエルは首を傾げた。
「さあ? 理由があるんだろ」
ルナはさらに聞いた。
「アズは、いつエレナさんが妊娠してるって知ったの」
「つい最近だ。先月のことだったかな」
「エレナさんは、いつ宇宙船に乗ったの」
「……八月あたりだと聞いてたが」
「アズたちが、エレナさんと知り合ったのは?」
「……十月だ」
今は十二月。エレナは四ヶ月前に乗って、二ヶ月前にアズラエルと知り合った。グレンたちと知り合ったのも、ちょうどそのころだとして、やはりギリギリというか――彼らが父親である可能性は少なそうだった。
そして、妊娠が発覚したのは、先月。
(妊娠したのははじめてだろうか。それで不安になって、イハナさんのところへ?)
イハナのように、担当役員に言えなくて?
「でも、内緒にしてても、おなかがおっきくなったり、赤ちゃんが生まれたら、ばれるよね?」
「……そうだろうな」
「どうして、ないしょに」
アズラエルは、なぜルナがそんなにまでそのことにこだわるのかが、理解できないようだった。
だが、ルナは、なんとなく気になったのだった。
おとつい、イハナ親子に会わなかったら、おそらく気づかなかったであろう、小さな違和感――言葉にならないなにかが、ルナのちっちゃな脳みそに引っかかっていた。
「ねえ、アズ」
「なんだ」
「――エレナさん、もしかして、字が読めないということはない?」
アズラエルは戸惑ったあと、首を傾げた。
「ジュリは読めないだろう。だが――あいつはどうかな。世間知らずではあるが――そうだな。字が読めるか読めないかなんて、あえて確かめたことはねえな。なぜそんなことを気にする?」
ふたりは無言になった。
ルナのアホ面と、アズラエルの無表情顔が向き合い――ふたりは、最初の争いの理由を忘れかけていた。だがアズラエルが思い出した。
そうだ、コイツはグレンに電話をしていた。
三歩歩けばすべて忘れるルナのアホ面に向かい、アズラエルは厳かに告げた。
「ところで、グレンの電話番号をどこで……」
ピンポーン。
チャイムが鳴った。アズラエルの純然たる舌打ち。ちこたんが出ようとしたのをアズラエルは止めた。
「はい」
アズラエルがドアを開けると。
そこには。
「――ミシェル」
目を真っ赤に泣きはらせた、ミシェルが立っていた。




