54話 夢との符合と、最初の降船者 2
ルナとケヴィンは、リズンに向かった。
今日はまだ雪も降っておらず、いい天気で日も差していたので、屋外のテーブルに席を取る。
リズンに着くまで、ケヴィンはよくしゃべったが、だいたい当たり障りのないことだった。
「いい天気だね」とか、「今日、リズンのサービスデイって知ってた?」とか。
しかし、ルナはひそかに驚いていた。
リズンでアルフレッドとケヴィンとお茶をしたのは、いつだっただろうか。携帯電話番号の交換はしたものの、あれきりメールのやりとりも、電話もなかった。
ルナもK05区へ行っていたり、おとついはリリザ、昨日はK04区へと、ほとんど家を留守にしていたわけだが。
席に着き、飲み物を注文したあと、ケヴィンは「はい」とルナに冊子を差し出した。ルナが受け取ったそれは、さっきまでルナが目を皿にしてチェックしていた、パンフレットの今月号だった。
「これ――」
いつもは郵便受けに入っていた。ケヴィンは、これを届けに来てくれたのだろうか。
「いつもありがとう。ケヴィンが配ってるの?」
「や、いつもじゃないけど。今日はおれ」
「そうなんだ」
ルナはうなずき、やっとそのことに気づいた。
「もしかして、ケヴィンもこれに何か書いてる?」
「うん、コラム書いてる」
ルナのウサ耳が、ビビビーン!! と立った。
「えっ!? ウソ!! 『ふたご座の魚』ってケヴィンのことなの!?」
「へえ、読んでくれてんだ。うん、じつはおれです」
「あたしファンなんだよ! いつもこのコラム読んで大笑いしちゃうの」
「マジ? すっげうれしい」
照れくさそうに笑うケヴィン。クッキーが添えられたホットコーヒーと、カフェラテが運ばれてきた。ケヴィンは口をすぼませて熱いコーヒーをすすり、ふあ~っと、あくびかためいきか、区別のつきがたい息を吐いた。
「今日で、リズンのコーヒーともお別れだ」
え? という顔でルナがケヴィンを見上げると、ケヴィンは笑った。
「おれ、今日で宇宙船、降りるんだ」
だから、最後にルナっちに会いにきたの、と言った。
「降りちゃうの!?」
ルナは驚いて、クッキーを飲み込んでしまった。固いクッキーでなくてよかった。
ケヴィンが、宇宙船を降りてしまう?
ケヴィンは、今度は本物のためいきを吐いた。
「あ~あ。ルナっち、可愛いなあ! マジ好みなんですけど。いっぺんでいいから付き合いたかったなあ。でも、おれ、あの軍人さんとは張り合えねえし。おっかねえし。今日だって、ルナっちじゃなくてそっちが出てきたら、一目散に逃げる気だった」
ルナは苦笑いした。
アズラエルとは付き合ってはいないのだといったところで、たぶん信じてもらえないだろう。
「アズは、そんなに怖くないよ」
「うええ。アズだって。知ってるよ。結局うまくいったんだろ? 一緒に暮らしてんの知ってるし。ルナっちに彼氏かあ……。よりによってあんなおっかねえのと」
ケヴィンはわざと不機嫌そうな顔をしてすねてみせたが、すぐいつもの笑顔にもどった。
「いまさらやきもちやいたって、しかたないもんな。今日でお別れだし」
「――ほんとうに、降りちゃうの?」
「さみしがってくれんの?」
ミシェルが帰ってきたら、みんなでお茶をしようと話したのは、ついこのあいだだった。
それが実現できないうちに、お別れなんて。
「どうして、急に?」
聞かずにはいられなかった。ケヴィンたちがいつ乗ったのかは知らないが、まだ出航して、一年もたっていない。今降りてしまうのは、ずいぶんもったいないのではないだろうか。
「へへ……じつはさ」
ケヴィンは、しゃべりたくてしゃべりたくてしようがない、という顔をした。
降りる理由は、悪いことではなさそうだ。
「おれのコラムを、L52の出版社のひとが見てくれたんだよ。それで、本格的に小説を書いてみないかっていってくれたんだ。彼が見てくれて、よかったら、本を出版するって」
「えーっ!? すごい!」
サークルの仲間が、K12区のバーで、L52から来た大手出版社の編集者と知り合った。
パンフレットを渡したところ、彼はケヴィンのコラムに目をとめたらしい。
それで、本格的に小説を書いてみないかという話になった。
出版社は、ルナでも知っている有名なところだった。しかも彼は、かつて有名な作家を何人も育ててきた、名編集者だったそうだ。
ケヴィンが作家の名を幾人か挙げた。ルナも知っている人たちだった。
「……おれも最初は、あんま出来過ぎた話で、信じられなかったんだけど」
ケヴィンの担当役員も、「地球行きを断念するのはもったいないけど、いいチャンスではあるね」といった。アルフレッドもナタリアも、いっしょにパンフレットをつくっていたみんなも、応援してくれた。
最初は、降りる予定ではなかった。地球に着くまで、とにかく一本仕上げてみるという話だったが、編集者が諸事情あってL52にもどることになり――ケヴィンも、いっしょに降りることに決めた。
「ルナっちと運命の相手の話をしたばっかでさ、すげえびっくりした。な? こういうのも運命の相手に入るのかな」
「かもしれないね。すごいね――あたしも応援してるよ! ケヴィン」
「ルナっちは、そう言ってくれると思ってた」
すごく厳しいひとらしいから、降りてから後悔するかもしんねえけど、とケヴィンは苦笑した。
「でも、おれ、小説家になりたかったから」
はにかむケヴィン。彼に、そんな才能があったなんて知らなかったルナだった。
「ケヴィンが作家になったら、あたしにサイン本ちょうだい」
「送る送る! 絶対送る!!」
ふたりでひとしきり笑ったあと、ルナは聞いた。
「アルは? 一緒に降りるの?」
「いや。アイツは残るよ。今度アイツとも会ってやって。ナターシャも、ルナっちに会いたがってた」
そこまで話して、ルナはすっかり忘れていたことを思い出した。
そういえば、ケヴィンはブレアとつきあっていたのだった。
先日のリリザでのことを思い出し、目が座りかけたルナだったが、ケヴィンのほうが先に言った。
驚いたことに、彼のほうが目が座っていた。
「おれ、ブレアとはとっくに別れたんだ」
ルナは少し驚いて、「そうだったの」といった。それしか言えなかった。
運命の相手かも、といっていたのに。
「いやもう、正直、つきあって一週間で後悔はしてたんだ」
ケヴィンは思い出してげんなりした顔をした。
「でも、アルとナターシャが付き合ってるし、別れるタイミングを切り出せずにそのまま」
空を仰いだ。
「もう思い出したくもないんだけど。ホントは。ルナっちも見てたから分かると思うけど、アイツはめちゃくちゃ嫉妬深いんだ。おれも、最初はやきもちやかれんのはイヤじゃなかったよ。でも、限度ってもんがあるよな。おれが女の子とちょっとしゃべっただけで、暗くなるんだぜ。いつでも一緒にいなきゃダメで、すごいうざったくなって。だって、おれが男友達とのみに行くのにも、仲間とパンフの編集するときもついてくんだ。いいかげん、疲れちゃってさ」
「……」
「それに、おれもアルもナターシャも、あいつの仲間とは気が合わない。イマリも、その彼氏も、仲間も嫌い」
「あたしもイマリは嫌いです!」
ルナは鼻息も荒く言った。
「だろうね」
ケヴィンは肩をすくめた。
「ブレアはイマリを尊敬しちゃってるからさ――バカだろ? ブレアがおれの彼女だったから、あいつらもたまに編集部に顔だすんだ。でも、ジャマしに来るだけ。うちのリーダーのアニタさんは、気が強いから、一度あいつらを追い出したことがあるんだけど、イマリのカレシに殴られたことがある」
「ええっ」
ルナはウサ耳ごと飛び跳ねた。
「アニタさんもパイプ椅子で殴り返したけどね――でも、担当役員呼ばれて、降船するかしないかの騒ぎになった。なんとか収まったけど。あいつら、ほんとロクなことしねえ」
ケヴィンは、忌々し気に鼻を鳴らした。
「そのとき、担当役員呼んだのがブレアだったんだ。その時点で、おれは別れた」
別れを告げたら、ブレアは号泣し、暴れに暴れて、一時期ストーカー一歩手前になったという。
「うわあ……」
ルナは「うわあ」としか言えなかった。
「……じつは、俺が降りる理由に、ブレアのことも入ってる」
ケヴィンはげっそり顔で言った。
「あいつは、運命の相手なんかじゃなかった」
ルナはなんともいえなかった。
ルナに対してのブレアの態度を思い出すと、ルナもいい気分にはなれなかった。でもなんとなく、ブレアの気持ちも分かる気がする。
ケヴィンは友人も多そうだし、明るいし、たぶんモテただろう。どちらから告白して付き合い始めたのかはしらないが、ブレアは、彼を取られまいと必死だったのかもしれなかった。
「しかし、ストーカーはまずいね!」
「まずいだろ」
ケヴィンの顔が、うんざり顔にシフトしたそのときだ。
「はい、サービス」
ルナとケヴィンは、突然めのまえに置かれたふたつのチョコレートパフェに、目を丸くした。そして、目を丸くしたまま、真向かいの席に足を組んで座った茶色いエプロンの主を見た。
そこには、ふわふわの金髪を爆発させたリズンの店長がいた。
「今日で宇宙船降りちゃうんだって? さみしくなっちゃうねえ……」
しみじみと腕を組んでうなずくアントニオより、ケヴィンはパフェに目を奪われて歓声を上げた。
「うまそう!」
ケヴィンは、さっそくスプーンでアイスの山をくずしにかかった。アイスは三つ盛り、ストロベリー味も混じっている。さくらんぼやいちごやメロン、バナナも飾られ、たっぷりとチョコレートソースのかかった、豪勢なパフェだ。
「宇宙船降りちゃっても、リズンのパフェ忘れないでね♪」
ルナは、アントニオの髪が爆発しているのが気になったが、なぜか彼はルナの思考を読んだかのように、「ああこれ? 湿気のせい」と眉尻を下げた。
「忘れねえ忘れねえ! おれ、ここのパフェL系惑星群一だと思ってるもん! なんか今日、盛り多くね?」
「だからサービスって言ったでしょ。“ルナっち”も、食べなよ」
アントニオがウィンクを投げてよこす。ルナもお礼をいって、恐る恐るめのまえのパフェにとりかかりはじめた。
でかい。ふつうのパフェの二倍はありそうだ。
アントニオは分かっているかのように、もう一度ウィンクした。
「食いきれなかったら、残していいからさ。はい、あ~ん」
あーん、と口をあけたのはアントニオだった。ケヴィンが代わりにひと口分けた。
「ルナっちにあ~んされたかったんだけど……」
いつのまにか、アントニオまで『ルナっち』になっている。
「ルナっちこういうセクハラ相手にしなくていいから」
ケヴィンのつめたい視線。
アントニオも含めて、しばらくあれこれと話が続いた――それに歯止めをかけたのは、他ならぬ時間だ。ケヴィンは、携帯の時計が宇宙船を降りる時刻を示したのを見ると、すっかり空になったパフェのグラスにスプーンを入れて、「ごちそうさま」と立った。
コーヒー代を出そうとしたケヴィンを制し、アントニオは、ケヴィンとルナのレシートをエプロンのポケットにしまい、「今日は俺のおごりね」とウィンクした。
ケヴィンは腹をさすりながら、「ありがとう! すっげえうまかった!」とアントニオに全開の笑顔を見せ、ふたりと握手をした。
「それじゃ、ここで」
「宇宙船の出口まで送るよ」
ルナは言ったが、ケヴィンは首を振った。
「……うれしいけど、ここでいいよ。アルにも見送りくんなって言ってあるんだ。正直、不安でいっぱいなんだ。いろんなこと、急に決まったし、ひとりでL5系にいくの初めてだし……」
ケヴィンは、深呼吸して、それから胸を張った。
「おれ、見送られたら心細くなって泣いちゃうかもしんねえし。ルナっちには、かっこ悪いとこ、あんま見せたくねえしな」
「元気でやってね」
アントニオの手が、はげますように、ケヴィンの肩に置かれた。
「有名な作家になって、また地球行き宇宙船に乗って、リズンにパフェ食いに来てよ」
ケヴィンは少し涙ぐんだ。隠していたが、丸わかりだった。
「あっちで落ち着いたら、おれ、ルナっちに電話してもいいかな?」
「もちろん!」
「よかった。おれ、ここでいっぱい、いいともだちできたよ。――じゃ、ルナっちも、アントニオも、元気でな」
「うん……元気で」
ルナとアントニオは、バックパックだけを持ったケヴィンが、通りから見えなくなるまで手を振って、見送った。




