6話 ジャータカでもないその隙間 Ⅰ
ルナは随分天井の高い、ひろい構内にいた。それはデパートのようにも見えたし、高級ホテルのようでもあったし、とにかく高い高い天井に、きらびやかなシャンデリア、ショッピングモールのように見えなくもない。
たくさんの着飾った人々。ルナはまぎれるようにして歩いていていた。
これは夢なのだろうか。
……よく、わからない。
あたしさっきまで、どこにいたんだっけ?
気付くと、褐色の肌の少年がいて、微笑んでいる。
ルナは歩き続けたが、その少年はそのままついてくるのだった。
気付けばいつ外に出ていたのか、目の前には、洋風レンガと花々に彩られた民家の玄関先。
玄関の扉をあけ、中に入って閉めた――室内かと思ったらそこは、石畳の回廊だった。
壁はあり、天井はなくて、空が見えるが、道の先は霧で、まったくもって見えない。
ルナはそのまま歩いた。早足で、くねくね曲がったその回廊をけっこう歩いたろうか――。霧につつまれた先には、鋼の扉があった。それは、簡単に開いた。
外に出ると、霧は晴れていた。外は夜だった。薄暗い中に街灯。広がっている景色は、回廊と同じ石畳の広い敷地で、ずっと奥に海が見えた。橋も見える。いま来た道は、城の周りにある螺旋階段のようなつくりをしていた。振り返ってもう一度、扉を動かしてみたが、洋風の鉄扉は錆びついているようで、もうびくとも動かない。
ルナは、一歩、踏み出してみた。
だれもいない。
風が強く、吹き付けた。寒い。ルナは思わず肩を抱きしめた。
石畳の敷地に、一台の白い軽自動車があった。それもところどころ錆びていて、かなり古いポンコツだ。
ルナは、その車に見覚えがあるような気がした。
なかをのぞいてみると、やっぱり古びている。埃まみれのタオルや飲み干したコーヒー缶やらが、無造作に散らかっている。後部座席のイスは畳まれ、革がはがれて綿が飛び出していた。車自体にしみ込んだ煙草の匂い。
ふいに気づいてポケットに手をやると、鍵らしきものが手に触れる。
ルナはキョロキョロとあたりを見回し、こっそりその車に乗り込んで、キーを回してみた。
エンジンはかかった。しかし、ガソリンはゼロで、ランプがついている。これではどこにもいけないではないか。
車内を見渡すと、後部座席に、茶色の革の、随分高級そうなバッグがあった。この車とはあまりに不似合いで、ルナは首を傾げた。しかも新品だ。
開けてみると、これまた不似合いというのか、ビニールケースに無造作にお金が詰め込まれている。レシートらしきものも一緒に、かなりの大金が。カードもある。
ほかには、A4のコピー用紙が折りたたまれて入っていた。地図だった。あとは、タオル地のハンカチ。
ルナは地図に目をやった。
もしかして、この町の地図だろうか。
いったん車の外に出、夜の町中を見渡す。
ルナが立っている場所は、広い石畳が広く続いていて、遠くに海と灯台が見える。
モダンな造りのガードレールが広場と海の境界線になっていて、海の方を向いて左隣が城、右隣の向こうに、……遊園地がある。
ルナのいる場所から遊園地は見えた。入口の鉄格子は閉じられている。夜だ。もう閉まっているのだろう。
地図を見直し、遊園地の隣にも大きい道路がある。それは別の町へ行く道だろうか? 途中で途切れている。
橋を渡れば、町中に入ることが分かった。そして大きい通りを二つ曲がれば、ガソリンスタンドがある。ガソリンスタンドは町のはじっこだ。いろんな建物がありそうなのに、なぜだかその地図には「遊園地」と「ガソリンスタンド」しか名前が記されていない。
とにかく、ガソリンをいれなければ。
徒歩でうろつくには、この町は広すぎる。しかも、夜になってしまっているうえになんだかひどく、肌寒い。
ルナは自分の格好を見直した。なぜかぶかぶかのベストニットに、ブラウス。スカートは短いなんてもんじゃない。靴下は長めだが。これでは寒いに決まっている。
ルナは、自分がちょっと前まで高校生であったことを思い出したが、ルナが通っていた高校は私服だった。制服はない。これはどこの制服だろうか。
ルナはひとつ身震いして、車のドアを開けた。
あまりの寒さだ。雪でも降るのかなと思っていたら、ぽつぽつと冷たいものが肌に当たりだした。雨のような、雪のような。
ルナは悲鳴を上げて車に乗り、ふたたびエンジンをかけた。ガソリンスタンドまで間に合うだろうか。そして、こんな夜にガソリンスタンドはあいているだろうか。
ただでさえこの町、人の気配がない。
途中で幾度も止まりそうになりながら(車が一台も走っていないことが奇妙ではあるが幸いした。)ルナはガソリンスタンドの明りを見つけた。町中は灯りがついているのに人気がまるでなく、こうしてみればレストランやらホテルやらあるのに、まるで入り口付近が霧がかかったようになっていて、入れないのだった。
しかし、ガソリンスタンドがあいていたのはもっけの幸いだった。人の気配がする。ルナはゆっくり車を中にいれ、停めた。給油口はどちらだったか、分からない。
奥の方から男が出てきた。ずいぶん背の高い男だ、百九十センチ近くはある。ルナの車を誘導もせず、コンコン、と窓をノックしてきた。
「いらっしゃいませ」
大柄な男だ。色は浅黒く、逞しい。髪は焦げ茶でどこか癖っ毛で、みじかく無造作に切っている。切れ長の目で、眉が濃く、異国の顔立ちだ。だが笑顔は柔らかい。なんだかこの顔を見たことがあるような気がする。
ルナは「ガソリンを、」といいかけたが、最後まで言わせてもらえなかった。
霧の中にガソリンスタンドは消え、乗っていた自動車も消え、ルナはマンションのロビーにたたずんでいた。
めのまえには、褐色の肌の青年。
「おかえりなさいませ、奥様」




