51話 リリザ Ⅲ 3
せっかく来たんだから、リリザで泊まろうかとアズラエルは言ったが、予定では、タキおじちゃんからのプレゼントが家に配達されるはずなのだ。ルナは「またゆっくり来よう」とアズラエルを説得し、花火とパレードに後ろ髪をひかれつつ、帰路に就いた。
帰り道、なんだかアズラエルの唇がいつもより腫れているような気がしたので、ルナは思わず聞いた。
「あず、そのくち、どうしたの」
「おまえが聞くのか」
アズラエルの凶悪な目が、ルナを睨んだ。
「pi=poにセットしたビーフのトマト煮のレシピに間違いはなかった。おまえがおかしな設定をしたに違いない」
「してないよ!」
ルナはまだ、空になったチリパウダーの瓶を見ていない。
家に着いたら、すっかり日付が変わっていた。
pi=poのちこたんは、「まもなく荷物が配達される」旨を告げて、充電器でおやすみしてしまった。
「食ってみろ、おまえにも意味が分かるはずだ」
アズラエルは厳かに告げ、ルナの口元に、スプーンですくったトマト煮を持っていった。ルナは素直に食べた。
そのとたん、火を吹いた。リリザで見た大道芸のようだ。
「どうしたの!? どうなってるの、ちこたん!」
アズラエルと同じく、唇を腫らせたルナは怒鳴ったが、ちこたんは充電器の上ですやすやと寝ていた。起きる気配もなかった。
ルナはようやく、シンクの上にある、空になったチリペッパーの瓶を見つけた。
「あたし、チリペッパーをどばどば入れてくださいってゆったかも」
悲しげな顔で白状した。
「やっぱりおまえのせいか」
アズラエルに、両のほっぺたをつまみあげられたルナだった。
「でも、ぜんぶ入れちゃうとはおもわないよふつう!」
「アツアツのアレを口に入れた瞬間の、俺の気持ちを考えてみろ」
ジェットコースターに乗ったときレベルの絶叫が、響き渡ったことだろう――。
アズラエルは、ルナのほっぺたをつまみ上げたまま、「反省は?」と聞いた。ルナは「ごべんね!」と謝った。むだに元気だった。
「反省してねえな」
とアズラエルのこめかみに青筋が立つレベルには。
そんなルナを救ったのは、宅配便のpi=poだ。
チャイムが鳴ったので、アズラエルはしぶしぶ、ルナのほっぺたを開放して、ドアを開けた。
「お荷物です」
「なんだこれは」
届いたのは、大きな段ボール箱と、小さな段ボール箱だ。あて名はルナだったので、サインして受け取り、床に置いた。
ルナはほっぺたを赤くしたまま、大喜びで箱を開けた。
「こっちは、あたしがジニー・タウンで買い物したやつ」
大きいほうを開けると、Tシャツやら雑貨、ぬいぐるみの入った紙袋が丁寧に並べられていた。
「またぬいぐるみ増やしやがって」
アズラエルが苦々しげにいったので、ルナは、アズラエルのためにペーターのパジャマでも買ってやろうかと思った。ムキムキがかわいいウサギのパジャマを着て、笑われればいいのだ。
「こっちは?」
「うーん……」
小さな段ボールを指差し、アズラエルは聞いた。ルナも中身はわからない。
だがこれは、タキおじちゃんからのプレゼントだ。
ルナはまだ、今日起こったできごとを、ほとんど話していない。アズラエルへの「言い訳」もおじいさんは完璧だと言っていたが。
(なんて説明したらいいだろう)
ルナは無言で箱を開ける。アズラエルが、それを見下ろしていた。
「もふゅ?」
開けると、一番上には、シンプルな白い封筒が乗っていた。
「むぎゃっ」
ルナが開けようとしたところで、アズラエルがルナの手から奪い取った。
――今日は、どうもありがとうございました。心臓を病んで長いですが、今日ほどご親切に助けていただいたことはありません。これはせめてものお礼です。お受け取りください。シャンパオの爺――。
「シャンパオの爺?」
ルナも、アズラエルの後ろから、手紙をのぞきこんでいた。
「だれだ、シャンパオの爺って」
おまえ、じいさんなんか助けたのか、とアズラエルは聞いたが、ルナはもごもごと口を動かしただけだった。
「おい、ルナ」
アズラエルの質問を無視し、ルナは、厳重に梱包された緩衝材を外した。下からは、リリザのロゴが入った布袋がでてきた。
なんの気もなく、中身を出して――それがなにか分かった瞬間に、腰を抜かした。
「ジ、ジジジジイ、ジニイ、ジニ、」
ルナがおかしな奇声を上げているので、アズラエルは、じいさん本人が入っていたのかと思った。
そんなわけはなかった。
ルナが手にしているのは、サーモンピンクのハンドバッグだ。しかも、ルナが大好きなキャラクター、ジニーの。
「なんだ、ジニーのハンドバッグか、よかったな」
アズラエルは言ったが、これは、そんな単純な代物ではない。
「ごせ、ごせ、ごせんまん……」
間違いない。
これは、あのオークションで、五千万デルで落札されたハンドバッグだった。
「はう」
バッグを手にして、腰を抜かしたルナの脳裏にひらめいたものは。
去り際、ルナにウィンクしていった、イケメンの女性だ。
あの、日本髪の、巨躯の女――バッグを落札した――。
どこかで見た顔だと思った。
まさか、あれは。
「タキ、おじちゃ……」
ルナは言いかけて、ふたたび両手で口をふさいだ。ルナの奇行には慣れてきているアズラエルだが、さすがに不安になってきた。
「だいじょうぶか? ルゥ――」
ウサギはまんまるに丸まって、プルプル震えている。
そんなにバッグがうれしかったのか――だったら、リリザに降りたら、俺も買ってやろうと思ったアズラエルだったが、いくらアズラエルでも、五千万デルのバッグは買ってあげられないだろう。
「あれ?」
ルナのまん丸い背に手を伸ばしたアズラエルだったが、手元から、はらりとカードのようなものが落ちた。膝の上に引っかかる。
じいさんからの手紙にくっついていたものだろうか。
「おい、ルゥ」
「ぷ?」
衝撃で、すっかりウサ耳が垂れ切ったままのルナが、丸の状態から人型にもどり、そのカードを拾った。
派手なカードだった。金箔でも貼られているのか――まばゆいばかりの黄金のカードには、赤い鳳凰がプリントされていて、右の端に、QRコードがあるだけだった。
ほかには、説明も名称も文章もない。
シャンパオのメニュー表にも鳳凰が描かれていたし、ルナは、シャンパオのサービス券かなにかだと思った。
「もしかして、あんな高級なお店なのに、ポイントカードがあるとか?」
ルナの庶民的な考えが一笑に付されるできごとが起きたのは、すぐだった。
アズラエルと顔を見合わせ、ルナは携帯電話でそのQRコードを読み込んでみた。
ピコン、と可愛らしい音がしたとたんに、幅二メートルもあるような巨大な鳳凰のホログラムが、携帯から浮き上がった。
「うわあ!」
ルナはびっくりして、コロンと転がった。
『鳳凰城へようこそ!』
「鳳凰城……?」
アズラエルは首を傾げたが、ルナは、やっとカードの正体に気づき、「はわわ……」とうろたえた。
サービス券でも、ポイントカードでもなかった。
これは。
このカードは。
ホログラムの鳳凰が、その雄大な翼を羽ばたかせながら、言った。
『ペアのご宿泊でございますね。宿泊料金はすでにお支払い済みでございます。ルナ・D・バーントシェントさま、宿泊予定日をお知らせください』
「はわわ」
「宿泊予定日? なんだこれ。どういうことだ、ルナ」
五千万デルのジニーのバッグ、一泊三百万デルの空中浮遊都市のペアチケット――。
(やりすぎです! タキおじちゃん!)
ルナは絶叫したかったが、できなかった。
この数日後、「鳳凰城」の予約が無事取れたあと、ふたたびルナには、ドレスだのワンピースだの、靴だのアクセサリーだのが一ダースも送られてくるのだが、これは余談である。
「ルゥ、どういうことか、説明しろ」
アズラエルがほっぺたをつついてくるのだが、ルナも、どこからどう説明していいのか、まるで分からないのだった。




