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キヴォトス  作者: ととこなつ
第二部 ~リリザ篇~
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51話 リリザ Ⅲ 2


 ハンバーガーを食べつくし、つかれたのだろう――マシオは目をこすりながら、やがて電池でも切れるように、テーブルに突っ伏した。

 今日は朝から、たいそうな距離を歩いたのだ。

 赤ん坊もミルクを腹いっぱい飲んで、すやすやと眠っている。


 言葉少なだったイハナだが、子どもたちが寝たのを知ると、急に饒舌(じょうぜつ)になった。まるで、いままでため込んだことを一気に放出するように、身の上話をはじめた。


 キャベツ・キャッスルの時計が午後九時を知らせたころあいに、イハナの話はひと段落着いた。ひとはますます、あふれかえるほど増えていた。


 だまって聞いていた九庵が、話も終わるころに、つぶやいた。


「学校ですか」


 マシオが、学校に行けなくなっている――九庵には、それが気になったようだった。イハナの過酷な生い立ちではなく。


「べつにいいんですけど、あたしも学校行ってないしね」


 イハナは、愛おし気に、帽子をかぶった息子の頭を撫でた。ペーターのキャップは、先ほど、キャベツ・キャッスルで買ったものだ。


「マシオ君は、学校に行ったほうがいいわ」

 ティアは言った。

「この子、おそらくIQは高いほうだと思う――でも、今の学校には、もう行きたくないだろうし」


 いっそ、借金返済をもう少し遅らせて、家庭教師をやとって小学校の学習を終わらせ、早めに上の学校へ行かせてはどうだろうとティアは言った。


「でも、学校へ行かないと、ともだちはなかなかできませんからね……」


 九庵は考え込むように顎に手を当てた。それはそうだった。マシオには、同い年のともだちがひとりもいない。


「わしのいる星海寺でも、読み書きくらいは教えてますよ」

「えっ」


 ティアとイハナ、ふたりそろって九庵を見た。


「ええとですねえ……うちの寺でも、読み書きとか、簡単な算数くらいは教えてるんです。教えられるのはだいたい小学校低学年くらいの段階までかな? マシオ君、いま七つでしょ。小学校一年生。地球に着くのが四年後、小学五年生か。だとしたら、あと二年くらい、小学校三年くらいまでの学科は、うちの寺で学んで、そのあとK16区の学校に入り直したらいいかもしれないですね」


「今のところは、それしかないかなって、わたしも考えていたんです」

 ティアはうなずいた。

「でも、お寺さんで読み書きを教えているなんて、知らなかったわ」


「そうでしょうね。うちに元教師の坊主がいるんで、主に彼が。来る子は、不登校児に原住民もS系も、さまざまですけど」


 マシオと同い年くらいの子も来る、と九庵は言った。


「……二年たって学校に入り直すと、いいことがあるんですか」


 イハナが恐る恐る聞いた。九庵とティアは微笑んだ。


「二年くらいすりゃ、K16区の小学校は、ごっそり生徒が減りますから。その親もです。つまり、イハナさんやマシオ君のことを知っている人たちは、確実に近所からいなくなります」

「どうして」


 イハナも驚いたが、ルナも聞いた。九庵は苦笑した。


「最初の二年ほどで、船客はほとんど降りてしまうからですよ」

「そう。たぶん、K16区もほとんどひとがいなくなると思う。それこそ逆に、さみしくなるくらい」


 ふたりの言葉に、イハナはおおげさにうなずいた。


「そうなんですか……」


「それから、もし、今の区画が住みにくかったら、K39区に引っ越しされたら」


 九庵は、どこに忍ばせていたのか、タブレットを出してきた。地球行き宇宙船の地図アプリを開き、K39区の位置を示す。そこは、星海寺のあるK04区の斜め下だった。すぐ近くだ。


「ここは役員居住区ですが、イハナさんが今払っているお家賃で住めるアパートはあります。それに、周りが役員ばかりですから、逆に暮らしやすいかもしれません。この辺りに住む役員は、さまざまな事情を抱えた方も多いですから、もと娼婦だからといって差別する人はまず、いないでしょう」


「そうかもしれないわね」

 ティアも、どうしてそのことに気づかなかったのだろうという顔をした。

「いいかもしれない。たぶん、空きはあるわ」


 イハナは、地図を食い入るように見つめた。


「それに、K14区には、大人も通える学校もあるんですよ」

「えっ」


 反射的に、イハナは顔をあげた。


「あなたのように、なんらかの事情で学校に通えなかったおとなが、一から授業を受けられるところがあるんです。もし可能なら、息子さんと一緒に通ってもいい」


 イハナはティアを見た。彼女は苦笑していた。


「あなたが、字を読めないことを打ち明けてくれたら、このことも話そうと思っていたの」


「娘さんなら、うちで預かります」

 九庵は言った。

「幼稚園も一応あるんですけどね――学校に行くあいだ、星海寺でお預かりできます。うちは子育てしたことのある尼もいますから」


 イハナは、言葉がないようだった。何度か唇を噛み、それから、九庵とティアと、ルナの顔を変わりばんこに見た。そして、握りしめたバーガーショップのナプキンを鼻に持っていった。

 イハナの嗚咽(おえつ)を、ルナは見ないふりをした。というよりも、ものすごいタイミングで、携帯電話にメールが入ったからだ。


(アズ!!!!!)

 ルナはすっかり忘れていた。同居人がいたことに。


『どこにいるんだ。連絡くらい寄こせ』


 絵文字すらないシンプルなメール。無理もなかった。もう午後九時を過ぎていたのだ。ルナはあわてて返信した。


『リリザにいます! もうすぐ帰るのです!』

 こちらも、絵文字を打つ余裕もなかった。


 イハナの涙が落ち着いたころ、ティアはすっかり寝てしまったマシオを見て、言った。


「そろそろ、ホテルに行きましょうか」

「……はい」


 マシオは、ティアが背負った。今夜は、キャベツ・キャッスルのホテルに宿泊することにしたのだ。そして明日は、イハナとマシオ、ふたりのティアと「四人」でリリザ・セントラル・パークに行く。


「また会ってください、九庵さん、ルナさん」


 イハナはふたたび深々と頭を下げた。


「あの、イハナさんの引っ越し先のこととか、また、あとでお話伺ってもいいかしら」


 ティアも、九庵にそう言った。


「ええ、いつでもどうぞ」


 フードコートで、ルナは九庵と一緒に四人を見送った。イハナたちとも、また会う約束をして。

 イハナの過酷な人生に言葉を失っていたルナだったが、地球行き宇宙船は奇跡が起こるともいうし、しあわせになったらいいなあとぼんやり考えていたが。

 ルナの思考を読んだように、九庵が言った。


「みんな、しあわせになりますよ」

「え?」

「イハナさんたちだけでなく、担当役員のティアさんも」


 ルナは、九庵を見た。九庵もルナを見返した。


「まあ、みんなが思うような、ステレオタイプのしあわせが来るかはわかりませんが、少なくとも彼女たちなりのしあわせは」

 言い直した。


「あなたに、会いましたから」

「……え?」


 パレードを案内する放送が響き渡り、周囲のざわめきが濃くなった気がした。


「ティアさんも、もと娼婦で――当時のことがトラウマで、五十二歳のいままで、ずっと独身だったそうなんです」


 いつ、そんなことを知ったのだろうか。

 ルナが聞くまえに、九庵は言った。


「あなたが、マシオ君とお買い物をしていたときに」


 キャベツ・キャッスルの雑貨売り場で、マシオはキャップとTシャツを、イハナは財布を買った。その買い物に、ルナが付き合っていたあいだのことだろうか。


「ですが、“あなたに会ったことで”もしかしたら、そのトラウマを癒してくれるような男性と出会うかもしれません」


 ルナは目を見開いた。


「へっ――いや――あた、あたし!?」


「ええ」

 九庵は迷いなくうなずく。

「あなたに出会ったものは必ず、“愛”“癒し”“縁”“革命”のいずれかをさずかる」


 九庵の目が光を増した気がして、ルナは目をぱちくりさせた。


「ZOOカードのサルディオーネさんも、そうおっしゃっていませんでしたか」

「ZOOカードのサル……」


 ルナはぴーん! とウサ耳が立った。


「アンジェのこと!?」


 ルナはますます、九庵の正体が分からなくなってきた。

 名乗らなかったのに、ルナの名を知っていて、アンジェリカのことも知っている。

 あそこで助けてくれたのは、ほんとうに偶然だったのだろうか。


「あの、どうして、」

 言いかけたところで、携帯電話が鳴った。アズラエルからは「迎えに行く」というメールが入っていた。ルナのウサ耳はふたたび立った。

「アズが迎えに来るって!」

「おやまあ」

 あわてたルナだったが、九庵が申し訳なさそうに言った。


「すいません、ルナさん、あと“一件”」

「え?」


 九庵の言葉が終わるか終わらないかのうち、ルナは、肩をポン、と叩かれた。

 振り返ると、赤褐色の肌色で、目が五つあり、青紫色の髪をしたカップルが、謎の言語でルナに話しかけていた。


「へけ!?」

 ルナも謎の言語で返事をしてしまった。


「ああ、だいじょうぶ、S系の方です。道を聞いているんでしょう」

 九庵はタブレットで言語アプリを起動し、彼らに道を教えた。

「……」

 ルナは最初から最後まで口を開けているだけだったが、やがてカップルは共通語で「ありがとう」と言い、去っていった。


「終わりました」

「へ?」


 なにが? 道を教えることが?

 ルナにはクエスチョンマークだらけだったが、九庵は苦笑しつつ、ルナに先を促した。


「遅くしてしまいました――アズラエルさんも、心配していらっしゃるでしょう」


 ルナはさすがに立ち止まった。

「アズ」としか言っていないのに、九庵は「アズラエル」といった。


「アズのことも、知ってるの?」

「ええ」


 九庵は、またあっさりうなずいた。


「ほんとうは、あなたと、シャンパオでお会いするはずだったんです」


 九庵は、「歩きながら話しましょう」とルナを促した。


 人混みは増えていく一方――やがて、ジニー・タウンのほうに、花火が上がるのが見えた。


「わしは、地球行き宇宙船の星海寺の住職、九庵といいます」


 あれは、リリザ・セントラル・パークの方角だろうか――そちらでも、花火が打ち上げられている。ルナと九庵にもそれが見えた。ふたりは花火を見上げながら会話した。


「キューちゃんでいいです」

「キューちゃん!?」

「ジニーかペーターみたいに呼んでいただければ」

 害のない笑顔で笑う。


「じつは、さる筋から、あなたのボディガードを頼まれまして」

「ボディ……」


 ルナは「タキおじちゃん!?」と言いかけて、あわてて口を手でふさいだ。九庵は笑った。


「正解です。口を閉じたのも、あなたが思ってらっしゃる方も」


 どうしてボディガードなんか。

 ルナは困惑した。


「シャンパオでちゃんと顔合わせをして、ごあいさつして、ボディガードの職務に就くはずが、わしのせいで予定が狂ってしまったんです」

「わしのせい」

「そう。リリザに降りたとたんに、迷子の親探しにはじまって、親が見つかったら、気分が悪くなって倒れている娘さんを見かけちゃいまして、救急車を呼んで。次はまた迷子。親を探して草っ原まで来たら、親が見つかったはいいんですが、今度は草原で迷子になっているウサギがいるし、ウサギを小屋に返したら、カツアゲされてる親子がいるし、ルナさんまでカツアゲにあっているし」


 九庵は笑いながら話すのだが、ルナは開いた口がふさがらなかった。


「ですので、シャンパオに行けなかった。おいしい中華も食べそこねたわけです」

「それはとっても……たいへんでした」


 ルナは、そういうほかなかった。


「わしのせいというのはですな――つまり、わしは故あって、御仏に“一日九人”を助けることを発願しております」

「九人?」

「それゆえ、九庵と申します」


 九庵は立ち止まり、ルナに向き直った。


「助けを求める者から、わしのまえに現れます。さっきのカップルで、九人目」


 九庵が「終わった」といったのは、「これで九人助け終えた」という意味だったのか。


「わしなんぞは、たいしたもんじゃありません――若いころの尻ぬぐいのために、あくせく動いているだけ」

「え?」

「あなたみたいに、“神宿る者”にはなれません」


 花火の音で、九庵の言っていることはほとんど聞こえない。


「あのう」

「あなたのように、そこにいるだけで、ひとの運命を変えてしまうような者には」


 花火の音と歓声で、ますます声は消し去られた。


「あなたは、あの宇宙船そのものだ」


 花火がやんだ。ルナにはついに、ひとことも聞こえなかった。


「ルナさんに一難ありましたときは」


 ルナは、九庵の後ろに、見覚えのある人物像を見つけた。アズラエルだ。ものすごく早かった。メールが来たときには、もうリリザにいたかもしれない。


「心の中でもいい、かならずわしを呼んでください」


 ルナに向き直っていた九庵は、そのまま、もと来た道をもどりはじめた。


「すぐさま、助けに伺いますから」


 あわてて振り返ったが、九庵の姿は、もうなかった。


「ルゥ!」


 すこし怒った様子の声がした。アズラエルがそばまで来ていた。


「あいつ……」


 九庵は、消えたのではなかった。ひとごみに紛れていただけだ。アズラエルとルナに向かって、手を振っていた。


「いいですか、なにかあったら、キューちゃんヘルプ! ですよ!」


 そう言っている声が、聞こえなくもなかった。半分以上、ひとのざわめきにかき消されたが。


「おまえまさか、さっきまであいつと一緒に?」

「うん、アズのことも知ってたね」

 ルナはうなずいた。

「不思議な、お坊さんでした……」




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