48話 天然総生産 2
それからわずかな時間、ヴィアンカの話になった。
ヴィアンカは、L43の出身。
L43は人類がL系惑星群に移住してきたときに、もといた星から追い出された原住民たちが、多く集落を作っている星だ。
無論、地球から移住してきた地球人は敵。その敵がつくった宇宙船に乗るなんて、裏切り行為とみなされる。
地球は、敵の故郷そのものだ。
「わたしたちは生まれた時からテロリストの烙印を押されるのよ?
そんな人生はイヤだった。
わたしはL43を出て、もっと自由に生きたかった。
生まれてから死ぬまでL43のために生き、敵を殺して自分もテロリストとして死んでいく。いったいそんな人生に何の意味があるの? そんなのはイヤだった。
わたしにチケットが来たとき、わたしと夫は歓喜して、必死で隠し通した。見つかったら、わたしたちは裏切り者として殺される。L43から出るということは、死以外にあり得ないのよ。
でも、ダメだった。
仲間に見つかって、チケットはその場で燃やされ、わたしは七ヶ月目の身重で、仲間たちに暴行された――夫も。
宇宙船の役員が助けに来てくれたとき、もう夫は冷たくなっていた。わたしも虫の息だった。わたしを宇宙船に乗せまいとする仲間たちと、役員とのあいだで銃撃戦が起こって――わたしの担当役員だった女性は、自己紹介も交わさぬうちに、わたしをかばって死んだの。わたしの仲間に撃たれて。
わたしは宇宙船に乗れた。でも、おなかの子どもはもうダメだった」
――わたしのために、見ず知らずの役員さんまで死んでしまった。
なんでこんな目に遭うのか、自分の運命を呪ったわ。でも、彼らのためになにがなんでも地球に行かなきゃ、と思ったの。
ここではなにもしなくても、お金は手に入った。
学べば、いろんな資格を取ることもできた。
宇宙船を降りて、L5系に移住することだってできたけど――わたしは地球にいきたかった。
彼らが命を張って、わたしをこの宇宙船に乗せてくれたのよ。せめて、最後まで乗って、地球にたどり着かなきゃ意味がないと思ったの。
わたしは地球人ではない。L系惑星の原住民の血が濃い。だから、地球に行っても、なにを感じることはないと思っていた。でも――。
「でも?」
「でも、よ。クラウド。その、でも、の先はあなたが体験してみて」
「もったいつけないで」
「もったいつけてるわけじゃないわ。いくら口で説明しても、あの感情は到底、説明できっこない。……みんなそう。地球にいった人はみんなそういうの。――なつかしいような、泣きたくなるような――かゆいような。わーって、歓声あげたくなるような」
「そんなに素敵なの? 地球は」
「すてき――というのとはまたちがうかもしれない。……ただ、だまって、海を見たくなるのよ」
今までの時間を、反芻しながらね。
ヴィアンカは微笑んだ。
「行ってみなきゃ、分からないってことだね」
「なにがあるわけでもない。宝の山があるわけでも、そこに真実があるわけでもない。なにかめずらしいものがあるわけでもない。でも――」
「でも」
「でも、なのよ。クラウド」
ヴィアンカは微笑んで、ワインを口に含んだ。
「でも――の先が、地球にはあるのよ」
「……」
「マリアンヌは、地球の海を見たがっていた。できるなら、クラウド。地球に一緒にたどり着きましょうね。そして、マリアンヌを一緒に、地球に眠らせてあげたいわ」
「俺もそうしたい。できるならね。試験とやらに受かれたら」
「あら」
ヴィアンカが、本当に驚いた顔をした。
「あなたともあろう人が、まさか、試験があるなんてうわさを信じてるの?」
今度はクラウドが驚く番だった。
「え? 試験ないの?」
ヴィアンカは笑った。心底、おかしそうに。
「頭のいい人にも、スキってあるものねえ。試験があるなんて、単なるうわさよ。いままで一度だって、試験なんて行われたことはないわ」
「それならなんで、試験があるなんてうわさが流れたんだろう?」
「たぶん――それは役員のあいだでも、話題に上がったことがあるけど――地球に到着する人の確率が、あまりに少ないからでしょうね」
「そんなに少ないの」
「ええ。平均0.01%よ」
「0.01%!?」
クラウドは大声を上げてしまった。
「0,01%なんて、三万人のうち三人しかたどり着けないってこと?」
四年に一度、地球に向かう宇宙船の乗客は、毎回およそ三万人。そのうち、三人程度しか、地球にたどり着かないということだ。
「過去の記録で一番多かったのは、二十五人かな。どこかの星の、大学のクラブ仲間。いまだに二十五人を超える人数はないわね。毎回、たいてい1~3人ほど。まったくゼロのときもあるのよ。
わたしが地球に降り立ったときは、わたしを含めて二人。
わたしと一緒に地球までたどり着いたのは、おばあちゃんだったわ。
彼女は難病で、もういくばくもなかった。一緒に乗った娘さんが、事情で宇宙船を降りなくちゃいけなくなって、彼女は根性で地球に着いたの。
彼女とは地球を離れたあとも、しばらく連絡を取り合ったわ。なにせ、三年かけて地球に着いた時の相棒だったんですからね。
彼女はL68に帰って、一年後に亡くなった。ちょうど、地球行き宇宙船がL55に帰ったばかりのころで、お葬式に行くことができた。地球のことをほんとうに楽しそうに話していたって、彼女のご家族が言っていたわ。
わたしは、彼女にずいぶん救われた。生まれも育ちもちがうひとだったのに、不思議と気があった。
宇宙船旅行も後半になってからはじめて出会って、互いに励ましあいながら、いろいろ彼女と話をした。
彼女がいなかったら、わたしは立ち直れなかったかもしれない。
ねえ、こんなに少人数しかたどり着かないんだもの。だからかもしれないわね、試験があるなんてうわさが立ったの。なにか難関な試験があって、そのせいでだれもたどり着けないんだって」
「なるほどね」
「試験があるなんて、どの役員も言っていないのにね。みんな、宇宙船に乗ったら、あまり役員とは交流持たないからね。聞けば、なんだって教えるのに。だまって乗っていれば、ふつうに地球に着くわ。
――この宇宙船は、なんでもそろうから。お金も、仕事も、恋人も。
手に入らないのは、亡くなった人間くらいかしら。死んだ人間を蘇らせることは、この宇宙船でもできないわね。
みんな、欲しいものが手に入れば、満足するのよ。みんな、なんらかの理由をつけて、この宇宙船を降りていく。地球に着くまえに」
「じゃあさ」
クラウドは、聞いた。
「運命の相手に出会えるっていうのとか、男女カップルでないと、試験に合格できないってのもうわさなんだね」
ヴィアンカは、ふたたび目を丸くした。
「イヤだ。そんなうわさまであるの? 運命の相手は、みんなが言うから、本当かもしれない。わたしも、ここで結ばれたカップルを何組も見てきたけど――男女カップル? おもしろいわね、それ聞いたことなかったわ」
「K27区じゃそういううわさになってるみたいだ。だからみんな必死で恋人探ししてるって、ミシェルが言っていた」
「若いコの考えることって、突拍子もないわね。残念だけど、それもうわさね。試験自体ないんだから」
「じゃあ、やっぱ、アレかな」
「アレね」
それほど若くないふたりが思いついたのは、同じことらしかった。
「口説き文句のひとつでしょうね。『男女カップルじゃないと試験通らないんだ、だからつきあおう』なんて。それがいつのまにかうわさに。……ふふ、おもしろいわね」
ま、大抵そうだろうな、とクラウドも肩をすくめた。
しかし――三万人のうち、たった三人の確率か。
「驚いたな。たったそれだけしか、地球にたどり着かないなんて」
「そうね。三年という時間は、意外と長いのかもしれない」
「過去を振り返れば、たいした長さじゃないように思えるのにね」
ヴィアンカは、ふとつぶやいた。
「――天然総生産と言うのよ」
「え?」
「そのパーセンテージのこと。地球にたどり着く人数の、パーセンテージ」
ヴィアンカは、ワインを飲み干した。
「――マリーの葬儀のことだけど」
彼女は話を変えた。
「葬儀は、ひっそり行われるわ。サルーディーバさまやアントニオたちだけで。それが彼らの望みだから。あなたは葬儀に参列できない。だけど、花を手向けることくらいはできるわ。そうしてくれる?」
「そうさせてもらうよ」
「ロビンは、わたしが彼にマリーの最期を連絡しなかったことに腹を立てていたけど、あれからまたマリーに花を持ってきてくれた。彼のおかげで彼女の棺の上は花でいっぱいよ。――わたしとしたことが、本当に忘れていたのよ。ロビンには、そのことをもう告げたんだと自分で思っていた。悪いことをしたわ」
「仕方ないだろう」
クラウドは慰めた。
「君は、かなり疲れていたんだから」
「ありがとう。今日、わたしはかなり慰められたわ。マリーのことや――自分のことを話すことで」
ヴィアンカは、バッグからメモ用紙を取り出した。
そこには簡易な地図があった。ヴィアンカの手書きだが、わかりやすく書かれた、宇宙船内の、中央区の地図だ。
「ここは、仮の墓地。地球に着くまで、マリーはここで眠る。一応、葬儀は明後日だけれど、この仮の墓地はいつでも入れる。宇宙船内で亡くなった人間は、地球に着くまで、ここで眠るのよ。今度、来てあげて」
クラウドがうなずくと、ヴィアンカは立った。
「聞きたいことがあったら、いつでも連絡して。わたしはしばらくの期間、中央役所にいるから。聞きたいことがなくても、たまにお酒が一緒に飲めたらいいわね。今度は、あなたの可愛い恋人も一緒に」
クラウドは立って、ヴィアンカのコートを取ろうとしたが、彼女は制した。
「いいのよ――あなたはまだここに座って、考えたいことがあるはずだわ。わたしのことはいいから、そこに座って眉間にしわ寄せて、考えなさい。――では、またね」
ヴィアンカは笑い、自分でコートをとって、手を振って出て行った。
彼女が階段を降りて行く音が聞こえ、――クラウドは大きく息をついて、ずるりと椅子に身体をもたせかけた。
時刻は、深夜の一時を過ぎていた。雨雪は、いつしか本格的な雪に変わっていた。明日の朝は、積もるだろう。
今日のことを報告レポートにどう書くか。書き方次第では、エーリヒがあの雌ライオンをスカウトしに、本気で宇宙船に乗ってきそうだ。
『この宇宙船は、なんでもそろうから。お金も、仕事も、恋人も。……手に入らないのは、亡くなった人間くらいかしら。死んだ人間を蘇らせることは、この宇宙船でもできないわね。みんな、欲しいものが手に入れば、満足するのよ。みんな、なんらかの理由をつけて、この宇宙船を降りていく。地球に着くまえに』
クラウドも本当は、宇宙船を降りようかと考えていた。
ミシェルに拒絶されたことが苦しくて、もう降りて、心理作戦部にもどろうかと、そう考えていた。
降りる理由など、人の数だけある。
欲しいものが手にはいれば、というだけではない。ヴィアンカとともに地球に降り立った老婦の娘しかり、――彼女だって、なにかが手に入って、満足して降りたのではないだろう。難病の母親を置いて降りるのは、相当の決意だったにちがいない。でも、降りて帰らねばならぬ、なんらかの理由があったのだろう。
皆が皆、何事もなく三年過ごせるわけではない。
三年というのは、意外と長い。
むしろ――三年のあいだ、何事もなく、地球にたどり着ける人間というのは、言い方を変えれば、よほど恵まれた人間だ。
それか、すべてを失い、もはやおのれをわずらわすものも、心を残すものもない、ヴィアンカのような人間か。
欲しいものを手に入れ、満足して降りる人間もいれば、降りたくないのに、なんらかの理由で降りねばならぬ人間もいる。
それが、地球にたどり着く人間を――天然総生産を、きわめて少なくしている原因なのか。
それにしても、天然総生産とは。
変わった名称だな。
(いったい、どんな意味が?)
クラウドは考えたが、頭が酒のせいでふらついて、それ以上考えられなくなった。クラウドは、ここしばらく、まともに眠っていない。
心理作戦部にいた時に比べたら、十分の一も頭をつかっていない。心地よい疲労がないせいで、眠れないことが多かった。それでも、ミシェルがそばにいれば眠れた。
アズラエルの筋肉の代わりがクラウドの頭脳だ。つかっていなければ、なまるのは当たり前だ。
アズラエルも言っていたが、この宇宙船の生活は生ぬるすぎる。
余計なことを考える時間が多すぎて――苦しくなる。
慣れない、安全な生活。こんな平和な生活は、L18のだれもがうらやむものだ。
クラウドも、ミシェルに出会ったときは、夢のようだと思っていた。それが一転して、こんな苦痛に変わるなんて。
ヴィアンカにも「ありがとう」と、言われてしまった。
ありがとう、のひとことが、こんなに突き刺さったことはない。
クラウドはなにもしていない。
ただ――この宇宙船の退屈の無聊を慰めるためと、苦痛を少しでも軽減させるために、別のことに頭を働かせていたいだけだった。
ミシェル――ミシェル、ミシェル。
ミシェルのことしか考えられない。自分は本気でバカになってしまったようだ。
「……どうして、L18の男って、こんなに恋愛バカなのかな?」
自嘲してつぶやき、テーブルに突っ伏す。
カサンドラが聞いていたら、どう思うだろうか。
クラウドは、ミシェルと離れてから、まったく眠ることができなかった。それが、今日ヴィアンカと話したことで、L18の行く末を考えたことで、すこしは疲労を覚えていたのか――やがて、泥に沈み込むような眠りが彼を襲った。
久方ぶりに、眠りに沈むことができそうだった。




