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キヴォトス  作者: ととこなつ
第二部 ~リリザ篇~
105/918

47話 マリアンヌの手紙 2


「こちらへ」


 マルグレットは名前だけを名乗ったあと、わたしたちを院内へ連れて入ってくれた――何度か、ロビーや廊下、病室前で、わたしたちは止められたわ。けれど、マルグレットさんが、すべてとりなしてくれた。


 エレベーターに乗って、まっすぐ最上階へ。


 大尉や、若い救急隊員は足がすくんでいて、一番後ろからついてきたロビンに急きたてられていたわ。「早くいけ」ってね。

 特に大尉くんは、ドーソン直轄の病院に足を踏み入れたのが恐ろしくて、ほとんど涙目だった。ずっと震えていた。

 L18でのドーソンの権力というものがどれほどのものなのか、さすがにわたしでも分かりかけてきたわ。


 院内は、ふつうの病院と変わらなかった。最先端の、清潔な病院といっていい。

 マリアンヌの病室もよ――殺風景ではあったけれど。


「ここだわ。マリアンヌ・S・デヌーヴ」


 最上階の廊下は、まったくひと気がなかった。廊下の中ほどまで来て、マルグレットは表札でも読み上げるように言ったけど、そこに番号も表札も、なにもなかった。


「こ、これは、マルグレット様!」


 院内は大騒ぎになっているはずだったの。地球行き宇宙船の役員が侵入してきたことでね――マリアンヌ担当の医師が、あわてて追ってきたわ。


「その病室の患者は、動かしてはならないと、固く仰せつかっております!」

「でも、このままでは死ぬわ」


 マルグレットは厳しく言った。


「あなたは、ご存じだったのですね!?」

 医者に向かって、怒鳴るように言ったのは、地球行き宇宙船の救護センターの女医だった。

「彼女は、“イタラチル型悪性腫瘍(しゅよう)”です。この病院に、治療できる設備はないはずです」


 マリアンヌが亡くなる数日前に、クラウドは、担当女医から彼女の病名を聞いたのだった。


「イタラチル型悪性腫瘍」。


 L03のイタラチル地区で発見されたガンの一種で、結核からはじまる、L03特有の病だ。結核かと思って治療を施すが、治らない。やがて内臓のほとんどがやられ、死に至る。

 治療法は、血管そのものをそっくり入れ替えるしかない。

 肺だけ人工内臓にしても、ガンが血液中を流れて転移するからだ。

 この病の治療ができるのは、「地球行き宇宙船」と、L3系の、専門病院だけ。


 女医の問いに、医者は脂汗をぬぐいつつ、答えた。


「私はそう申し上げました――ですが」


「彼を責めても無駄です」

 マルグレットは女医に言った。

「叔父は、なんらかの意図があって、彼女を拘束したのでしょうから」


 そのときだった。

 マルグレットが扉を開けようとしたら、中から軍人がふたり、出てきた。


 ――わたしは。

 わたしは、そのとき、全身の血が背中に集まって、蒸発するような気がした。

 怒りだったのか、なんだったのか――とにかく、頭が割れそうになったわ。

 理性もなにも脱ぎすてて、そのふたりに飛びかかるところだった。

 傭兵の役員が、「ヴィアンカ、落ち着け」と肩を叩いてくれなかったら、わたしは殴りかかっていたかもしれない。

 女としての、カンだったのか。

 彼らが「なにを済ませて」そこから出てきたのかわかったからよ。


 下卑(げび)た声で笑いあい、軍服を直しながら出てきた二人の将校は、マルグレットの顔を見て強張った。それから、班長同様、青くなってから白くなったわ。


「ごきげんよう」

 マルグレットは冷酷に言った。

「あなたたちは、叔父の手先?」

「い……いいえ」

「あとでわたしの執務室に来て」


 死刑宣告でもされたような顔で、ふたりは逃げるようにしてその場を去っていった。


「急いで」

 マルグレットは、救急隊員を促した。


 マリーは、広くて、殺風景な病室に、たったひとり、寝かされていたわ。

 毛布はかけられていたけど、彼女の目は、放心したまま天井を見つめていた。


「許して」

 わたしは、なにより、マルグレットの言葉にはっとした。

「知らなかったのよ」

 マルグレットの拳は固く握りしめられ――声は、ひどく悔しげだった。


 女医は、さすがにプロだった。だれよりも素早く彼女に近寄り、まず生死をたしかめた。

 マリアンヌは生きているか死んでいるかも、すぐには分からなかったのよ。

 女医は彼女の脈をたしかめ、「安心して。すぐ、地球行き宇宙船に乗れますからね」とマリアンヌを励ますように言った。


「もう、怖いことはないわよ」


 マリアンヌの素肌をだれにも見せないよう、男たちは外へ追い出され――女だけの救急隊員は、持ってきた清潔な、肌触りのいいシーツで彼女をくるんでストレッチャーに乗せた。


 顔は青黒く、ひどくやせていて、もう彼女は手遅れなんじゃないかと――病気になんて詳しくもない、わたしでさえ分かるほどだった。口元の血痕(けっこん)さえ、だれもぬぐってくれるひとがいなかった――ごめんなさい。思い出したら、泣けてきて。


 女医は、彼女の今にも折れそうな手を握って聞いた。


「マリアンヌ? マリアンヌ・S・デヌーヴ?」


 弱々しく、彼女のあごが動いて、肯定の合図をした。

 意識があったのよ。――なんてひどい。

 彼女は、自分がどんな状態か、分かっているのよ。わたしは、目頭が熱くなって、必死に耐えたわ。


 マルグレットのおかげで、病院内のシャイン・システムをつかって、すぐにL18のスペース・ステーションへ。


 そして救急用宇宙船で、すぐに地球行き宇宙船に向かった。マリアンヌは白い清潔なシーツでくるまれて、ただちに搬送されたわ。ロビンは一緒にここを発った。わたしたちより先に。


 マルグレットさんとその部下は、わたしたちをスペース・ステーションまで護衛してくれたけれど、そこに顔を出したのが、エーリヒと――それからA班の隊長、ダグラスだった。


「――L18には、こういった暴行を尋問と呼ぶ法律はねえはずだが」


 エーリヒとダグラスに向かい、傭兵の彼――バグムントは言った。ダグラスは、彼の言葉には答えなかった。真っ赤な顔で、マルグレットに向かって叫んだわ。


「マルグレット様――ご正気ですか」

「どういう意味」

「こんなことを……ユージィン様にさからうなど」

「“叔父の手先”はあなたね、ダグラス?」


 マルグレットも負けてはいなかった。


「いったい、なんのつもりで、“銃殺刑に処されたはずの女性”を病院で拘束?」

「マルグレットさま……」

「彼女がいったい、なにをしたっていうの」


 ダグラスは、信じられない顔で、マルグレットを見つめていた。

 そこへ割り込んだのは、エーリヒよ。


「たしかに。……ところで、彼はL55で裁かれますか。それとも、L18内部において、処罰されてもよろしいのですかね?」


 彼、と指を差されたダグラスは、絶叫した。


「き、貴様! 貴様―っ!! ぜんぶの責任をわたしに押し付ける気か!!」

「私は知らなかったのですよ? 彼女が“生きている”などとは」

「ウソをつけ!! 知っていたはずだ! でなければ、だれがマルグレット様を病院へよこした!」


 わたしたちははっとして、エーリヒを見たけれど、彼の表情はなかった。

 女医に、マリアンヌの病名を知らせたのも。

 所在を知らせたのも。

 そして、「ドーソン一族」しか入れない病院に、ドーソンのひとりであるマルグレットさんを寄こしてくれたのも、エーリヒだった。


「出直せ」といって、軍部から追い出したのは、あそこでは、どこにドーソンの目が光っているか、分からないから。

 少なくとも、あの地下三階には、マリアンヌはいなかった。


 彼がいつから「わたしたちが来ることを分かっていて」用意をしていたのか――考えただけでも、鳥肌が立ったわ。


「ダグラス、気の毒だが、君の前途(ぜんと)は閉ざされた。いったいなんのために、彼女を尋問していたか知らないが、銃殺刑に処されるはずの彼女を書面上偽装(ぎそう)して拉致拘束(らちこうそく)し――しかも心理作戦部全体をあざむいていたことに対する罰則は大きいだろう。L55にこのことが監査されるにしてもだね――私もいくばくか責任を取らざるを得ない。――やれやれだ」


「あ、あの女は、あの女、L03のせいで――L18の将兵の、将兵たちは見殺しにされたんだぞ!?」


「だから、彼女を将校たちの慰みものに!?」 

 激怒したのはマルグレットだった。


「――さっきも言ったとおり、彼女が予言をしたのではない。やれやれ、理由の不明な尋問と、強姦。ますます君の弁護ができなくなってしまうな。さらには、彼女のもとに通う男がいたのだな。それは、尋問とも言えまい。なんにせよ、君たちは好き勝手をしすぎたということだ」


「はは――ははは! もうあの女は長くはない!」


 捨て台詞を吐いたあと、ダグラスは肩を落とし、ぶるぶると震えた。エーリヒが、ひそやかに、彼に通告した。


「君――ダグラスくん。どんな形で君が裁かれるにせよ、君をドーソン一族からは守ってあげよう」


 ダグラスは、明らかにぎくりとして――固まった。


「君がおのれの一族からなにを命令されて探っていたのかは、今となっては分かるはずもない。だがその事実のために、君は今、私の目を「彼女の強姦」へすり替えようとした。ちがうかね? 彼女を将校たちの慰みものにしたのは、カムフラージュだった。君たちが探ろうとしていたことのね。それはよほど重要な事項で、君が「強姦罪」で裁かれても隠し通されなければならない機密だったようだな。ごくろう。――あとは、私が調べよう。君が必死で隠し通し、彼女から聞こうとしていたことを」


 もはやダグラスは絶句して――青ざめた顔をいっそう黒くして立ち尽くしていた。


「あんた、あいつをどうする気なんだ」

 バグムントが聞くと、エーリヒは相変わらずの無表情で返答した。

「いえですから、それはこちらが聞きたいことで。L55で裁かれますか?」

「それは、俺たちの関与することじゃない」

「あなたたちの報告が、L55に届けば、なんらかのアクションがあるでしょうなあ! 恐ろしい」


「……どっちに転んでも、あんたも心理作戦部そのものも、痛い目は見ないってことか?」


 A班の隊長が裁かれても。


「まさか! 私が隊長ですよ? これから上部に呼び出されることを考えたら胃が痛くなる」


 あんたに内臓なんかあんのか? と聞きかけたバグムントは、マルグレットに(さえぎ)られた。マルグレットは、エーリヒに尋ねた。


「――ダグラスは、叔父になにを命令されていたのかしら」

「さあ、それは、これから調査することで」

「……」


 マルグレットは一瞬だけ、思索(しさく)の目をしたけれど、すぐにわたしたちに向き直った。

 そしてもう一度言ったわ。

「ごめんなさい」と。


 それだけいって、部下とともに去っていった。――ダグラスを連れて。

 わたしたちは、彼女にお礼を言う時間も持てなかった。


「ご挨拶が遅れまして――私は、心理作戦部の隊長、エーリヒ・F・ゲルハルトと申します。――以後、お見知り置きを」


 エーリヒはいきなりわたしの方に振り返って、手をにぎって、無表情のまま、わたしのてのひらに名刺を乗せたわ。

 手が暖かかったのでびっくりしたわ。氷みたいに冷たいかと思っていたから。

 まあ、もう二度と会うことはないと思うけど――それに、別れ際に自己紹介されたのもはじめてね。わたしは、やっとそのとき彼の名を知ったのよ。


「おい、俺にも名刺くれ」ってバグムントは言ったけど、エーリヒは「え?」と言ったきりで、彼に名刺は渡さなかったわ。



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