47話 マリアンヌの手紙 1
「六月十七日なら、まだ俺はいたな。心理作戦部に」
クラウドは言った。
「俺とアズが宇宙船に乗ったのは、八月五日だったから。でも、君たちが来たのが分からないとなると、俺は出張かなにかで――ああ、そうか。六月は調査で、L47にいたのか」
「でも、あなたは、マリアンヌのことは知らなかったんでしょう? 同じ心理作戦部なのに」
「そうだね。心理作戦部でも、担当している案件が違えば、まったく分からないよ。心理作戦部もA班からJ班まであるんだ。俺たちB班は、主にL4系のテロリスト対策だ。彼女がA班の拘束を受けていたとなると、まったく分からなくて当然だな……」
「A班は、ドーソンの息がかかった部署だって? みんな恐れていたわ」
クラウドは、すこし唇をゆがめた。
「A班は、通称“ドーソンの腰巾着”だったからね。俺がいた、陸軍の心理作戦部は、海軍や宇宙軍のとは違って、諜報部みたいなものなんだ。陸軍の諜報部は、完全にドーソンのための部署だから。でも、こっちにもドーソンのスパイは送り込まれていた。それがA班といったところか」
「L18は、ドーソン一族の力が最も強いって言うけれど、ようするに、A班は、そのドーソン直轄の心理作戦部、みたいにわたしには聞こえたけど」
「おおざっぱにいえば、そうだな」
心理作戦部の部署は、地下三階。
わたしたちはそこに入る許可を得るために、また一日待たねばならなかった。
メルーヴァがわたしに口を出すなと言ったのは正解。わたしはそのあと、全面的に大尉の彼に任せたのだけど、まあ、うまくいくことが多かったわ。
彼は新任だけあって、余計な先入観と言うのかしら――考えすぎるということがなかった――と言えば聞こえはいいんだけど。
とにかく彼は、なにか相手がごまかしたり、言い訳じみたことを言ってわたしたちの要求を受け付けないというときに、「L55の特別条例ですから!」を繰り返したの。
さっきの女性じゃないけれど、オウムのようにね。それが、意外と効いたのよ。
おかげで、一日待たなくてはならなかったけれど、心理作戦部へのパスは手に入れた。
その翌日、午前の内に心理作戦部へ向かった。わたしたち派遣役員三人とロビンで。
救護センターの女医と救急隊員は、一階のロビーで待機。
あそこは、ほんとうに薄暗くて不気味なところね。
わたしたちが心理作戦部の部署のドアをたたくと、すごく青黒い顔色の悪い男が出てきたわ。ええそう、彼がA班の隊長ね。
もと大尉の役員は言ったわ。
「L55の地球行き宇宙船の特例条約によりまして、マリアンヌ・S・デヌーヴの身柄のお引き渡しを願います」
青黒い男――笑わないで。じゃあA班の班長、それならいいでしょ――彼はとてもいやな笑いかたをしたわ。
「ご存じない? その者はすでに銃殺刑が執行されていてですな」
「L55の特例条約ですから!」
「そう言われましてもですな。すでに死んだものを――」
「宇宙船のチケットが当選しましたメルーヴァ・S・デヌーヴの言によりますと、マリアンヌの生存が確認されております! 今すぐお引き渡しを願います!!」
わたしと傭兵の役員は、顔色さえ変えなかったけれど、やってくれた、と舌打ちをしたかった。
メルーヴァはたしかにL03の予言師だし、信憑性がないと言えばウソだけど。たとえ予言師が言ったことといえど、証拠はないのよ? 予言師の言は、それに沿う証拠物件があってこそ信用されるものよ。
これでは、相手の思うつぼだった。
案の定、A班の班長はおかしそうに笑ったわ。
「生存確認? 彼女が生きているのを見たと? あなたが? というのはつまり――幽霊でも見たと。そういうことですかな?」
「せ、生存確認が――」
自分でもしまったと思ったのね。大尉の彼が、タコみたいに顔を真っ赤にしたときだったわ。
「こんにちは」
――氷のような声で、ふつうの挨拶をされるって、不気味よね。
わたしたちの言い争いに、エーリヒが入ってきたのよ。
「こんにちは。どうも。今日はいい天気ですな」
少なくとも今日は曇天だった。地下で天気の話をされるとは思わなかったわ。
「お客様ですか。こっちまでそのでかい声が届きました。地球行き宇宙船の役員さんだとか。なんの用ですかな。うちのがだれか地球に行くんですか」
黒髪をぴったりと後ろに撫でつけて――能面みたいに顔が動かない。唇だけ動いているの。
怖かったわ。わたしにとってはね、――A班の顔色が悪い方より、よほど。
「L55の地球行き宇宙船の特例条約によりまして、マリアンヌ・S・デヌーヴの身柄のお引き渡しを願います!!」
大尉は、今度はエーリヒに向かって叫んだ。興奮と緊張で、どんどん声が大きくなっていくのよ。
「マリアンヌ・S・デヌーヴ?」
「ガルダ砂漠の戦後裁判で、銃殺刑になっているはずの政治犯のことだ」
傭兵の役員が言うと、エーリヒは合点がいったみたいに手を叩いた。
「ああ! ……彼女は銃殺刑が執行されました。それでなぜ?」
エーリヒは、地球行き宇宙船は死体も乗せるんですかと聞いた。
冗談なのか本気で聞いているのか、判断がつきにくい人ね。
「彼女の弟であるメルーヴァ・S・デヌーヴが「L03で革命が起きましたなあ! はいはい。覚えています。彼がなにか?」
「彼の電話では、まだ彼女は生きてい「生きている!? それはどこで」
「……心理作戦部A班が彼女を拘束していると」
「それは本当ですか」
エーリヒは、まじめな顔で、顔色の悪い――失礼。A班の班長に言ったわ。
「それは本当ですかと聞いている。ダグラス・D・ドーソン」
顔色の悪い男の顔が、興奮で少し顔色が良くなった。
「ばっ、ばかも休み休み、」
「なんのための拘束でしょう。彼女の件は判決が出ている。うん、たしか、経緯はこうですな。覚えていますよ。裁判資料はぜんぶ読んだ。
今回の騒動と言うのは、L03の予言において、ガルダ砂漠の戦は勝ち戦のはずだった。なのに結果としては、原住民敵兵の制圧もできず、三万余の将兵をL18側としては失う結果となり、勝ち戦とはならなかった。
だがL03の言い分としては、今回の戦は負け戦となるが、次で勝つ。最終的には勝つのだという予言を、勝手にL18が今回で勝つと解釈した、だからL03は悪くない――その問答によって、はじまったものでしたな。
しかし、L18の戦争によって身内を失った家族の、L03への抗議を押さえきれなくなり。
最終的に折れたL03が、戦犯として裁いてくれと、まるで人身御供のように使節団を寄こした――だがその使節団は、生贄の自覚がなかった。
そのせいで、裁判が行われると知った途端に逃げ出し――マリアンヌ嬢ただひとりがのこった。
彼女は、L18の遺族の憎しみを一身に受け、銃殺刑に処された――」
わたしたちまで、調べることなく、正しい経緯を知ることができたわ。
「だが、これは哀れと言っていいのではないですか? 彼女がガルダ砂漠の予言をしたわけではない。あの戦争の勝ち負けの吉凶を出したのは、L03のサルーディーバを含む、高位の予言師でしょう。彼女にはもとより、なんの責任もなかった……」
エーリヒは、地下三階の真っ暗な天井を仰いで瞑目したわ。軍帽を胸に当ててね。
マリアンヌの冥福を祈っているように。
すっかりわたしたちは彼のペースに巻き込まれていた。
無論、A班の班長もね。
「で? なんのための拘束?」
「あ、あんたは……!」
A班班長は唾を飛ばして叫んだ。
「あんたは信じてるのか! 予言師だかなんだか知らないが、死んだ人間が生きているだって!?」
「探さないと」
そうしたほうが早い、とばかりにエーリヒは軍帽を胸に当てたまま、すたすたと歩き出した。わたしたちはあわててそのあとを追ったわ。A班の彼もね。彼はあわててエーリヒの前に飛び出してきたけど、もう止められなかった。
「ちょっと待て! 貴様、なんのつもりだ!!」
「口に気を付けたまえ曹長。私が心理作戦部の隊長だ」
エーリヒは班長を一瞥し、まっすぐに尋問室に向かおうとしたけれど――A班の隊長がついてこないところを見て、急に方向を変えた。エレベーターに向かったの。そうしたら、今度はあわてて、A班の隊長は追った――“カマをかけた”のかもしれない。
もちろん、あたしたちもエーリヒを追った。
探さなきゃというわりに、彼の足取りに迷いはなかったの。
おそらく、エーリヒは知っていた。マリアンヌの生存を。
エレベーターがついたのは、一階のロビーよ。
A班の隊長の顔色は、青黒いを通り越して、すっかり白くなっていた。
そこで、エーリヒは突拍子もないことをいったの。
A班隊長にではなく、わたしたちによ。
「出直していただけますかな?」
「は?」
わたしじゃなく、聞き返したのは、仲間の役員だった。
「ちょ、ちょっと待ってください、これはL55の特別条例で――」
大尉くんは必死でいったけれど、エーリヒはにべもなかった。
「すいませんが、出直して」
あっさりそう言って、踵を返した――まさか、一階まで見送りに来たってわけ?
体よく、追い出されたような感じもしたわ。
ふざけた話だけど、そのときはわたしだって、そう思ったわ。
エーリヒはともかく、A班隊長の、ニヤケ面ったらなかったわ――“そのときは”心底、助かったと思ったんでしょうね――ほんとうに、最悪。
「でも、結果は最悪ではなかったんだろ?」
――そう!
わたしたちはロビーに待機していた女医たちがいないのに気づいた。彼女たちも出直すように言われたと思って、しかたなく、L18のスペース・ステーションにもどった。なにかあった場合、合流地点はそこだったから。
言われたとおり、明日にでも出直してやろうと思って。わたしたちは、L22のホテルに帰るつもりだったのね。
でも、ステーションに着いたら、待っていたのは、血相を変えた女医だった。
「マリアンヌさんの所在が分かりました」
わたしたちは仰天したわ。てっきりマリアンヌは、心理作戦部の尋問室にいるか、陸軍病院にいると思ったの。
でも、違った。
女医の案内に従って向かったのは、宇宙港からけっこう離れた、海のそばの海軍病院。
「海軍病院?」
クラウドは言った。
「海の近くで、アカラ県内というなら――ビドレフト海軍病院か?」
――ええ、そう。そんな名前だった。
あなたも知っている通り、あそこは、「ドーソン所有」の病院らしいわね――すなわち、ドーソン以外のもの、エーリヒやわたしたちは、基本的に入ることさえできない場所だった。
けれど、わたしたちが行くと、ひとりの将校が待ってくれていた。
ドーソンの女性が。
名前は、「マルグレット・W・ドーソン」少佐。
「マルグレットが?」
さすがに、クラウドも驚いた。
「知っているの」
ヴィアンカが聞くと、クラウドはうなずいた。
「アカラ第一軍事学校時代の先輩だ」
グレンのいとこにあたる――ドーソン内でも直系に近く、身分の高い女性ではある。
「どうして、彼女が」
「それは、エーリヒに聞いてみないとわからない」
ヴィアンカは首を振り、話をつづけた。
――今のあなた同様、大尉くんも、「マルグレットさま……!」と彼女の顔を見たとたんに、青ざめていた。
わたしにはわからないけど、やはり高位の女性なのね。
わたしたちが地球行き宇宙船の救急用バンから降りると、彼女は一度敬礼し――部下を置いて、ひとり、わたしたちのほうへ来たわ。
「話は聞きました」
だれからと、彼女は言わなかったけれど――最終的に、地球行き宇宙船に乗ったあと、女医からぜんぶ聞くことになった。
すべての手配をしてくれたのは、エーリヒだった。




