45話 夢 Ⅱ
アズラエルは、夢を見ている。
……そうだ。これは夢だ。
むかしから、よく見ていた夢。
アズラエルは屈強な体躯の成人男性で、髪は短い。
容姿は今の自分と大差ないだろう。
褐色の肌をし、木槌を握っている手はごつくて、指にまめができている。立っているのは灼熱の砂の上だ。皮のサンダル履きで、上半身はなにも身につけていない。腰布を巻きつけている程度で、ほぼ裸だ。
無理もない。暑かった。
足元の熱砂だけではない。照りつけるような日差しも、ジリジリとアズラエルのうなじと背中を焼く。
L18生まれのアズラエルには、経験したことのない暑さだった。
家族で星々を転々としていたときも、これだけ灼熱の風土がある星には滞在しなかった。したがって、アズラエルには、この暑さはめずらしいもの、ということになる。
だが、不快には思わない。
むしろ、この肌を焦がす太陽の照りつけが、心地よかった。
アズラエルの人種は、暑い地方の人種なのだと、だれかに聞いたことがある。だからかもしれない。
額から滴る汗をぬぐって顔を上げれば、視界はエメラルドグリーンの海だ。
頭上には、雲ひとつない水色の空。
エメラルドからコバルトへのグラデーションの海は、空と地平線で交じり合って、得も言われぬ美しさだ。
アズラエルのいる場所は、周囲を低い崖に囲まれた、そこだけ、砂浜に丸く削り取られた浜辺だった。ヤシの木が生え、木々を揺らすわずかな風の音と、さざなみの音が心地よい。
アズラエルはその光景に、しばし、見とれた。
アズラエルは、熱心に木槌を振り下ろし、木の板を叩く。古い船を修繕しているらしかった。汗を振り払い、一心に板をはめる。
周りには、自分と同じような男がふたりいる。
顔は見えない。みんな、互いに背を向けあって、船のどこかしこを直している。
木材をのこぎりで削る音も聞こえる。
どちらかがアズラエルに話しかけ、笑う。自分も言葉を返す。言っている意味は分からない。
自分でありながら、アズラエルは自分を他人のように見ていた。
ふいに、だれかに見られているような気がして、アズラエルは顔を上げる。
――ダメだ。
無意識のうちに、もうひとりの自分が叫ぶ。
振り向くな。
振り向いてはいけない。
なぜ振り向いてはいけないのか、アズラエル自身にもわからなかった。ただ、自分は夢の中でそう叫んでいる。めのまえの自分に向かって。
映画でもないこの情景は、停止ボタンも押せず、進んでいく。
振り向いてはダメだ。
そうだ。
そこには、――自分の運命を狂わせた、何者かがいる。
だがめのまえの褐色の男は――アズラエルは振り向く。
自分がかつて、「そうしてしまった」ように。
振り向いて、しまったように。
見なければよかった。
見なければ。
アズラエルはそれを見る。
なにも、知らずに。
――見ちゃだめだ!
「――!!」
アズラエルは身を起こした。
汗が貼りついた肌に、冷たい空気が触れていって、アズラエルのなめし皮のような皮膚を鳥肌立たせた。
薄暗い部屋にただよう冷気に、ほっとする。
……ここは、常夏の島ではない。ルナの部屋だ。
ルナは隣で、寝息をたてて眠っている。
アズラエルはベッドを離れた。
熱いシャワーを、頭から浴びる。
鏡に映る自分を、アズラエルは睨んだ。
この学習能力のないバカが。振り向くなって、言ったのに。
アズラエルがこの夢を見たのは、ほんとうに久しぶりだ。
むかしはしょっちゅう見て、泣きながら起きて、父親のベッドにもぐりこんでいた。
幼いころは、でかい男が自分だとは思わなくて、「おじさん! 振り向いちゃダメ!」と言っていたような。
(おじさんか)
遠い目をしたあと、ボディソープを身体に塗りたくった。
逃亡生活の五年が終わり、L18の学校に落ち着いたら見なくなって、十六歳あたりの一番荒れたころにも、けっこう見た記憶がある。
荒れすぎて、さんざん悪いことをしてきたせいで、卒業しても認定の資格がもらえなくてさらに荒れて。
でも、ロビンやバーガスのいる傭兵グループ――メフラー商社に所属して仕事を始めたら、だんだん見なくなった。無我夢中で仕事をし、認定の資格をやっともらったときには、もう忘れてすらいたはずだ。
――そして、ガルダ砂漠から帰ってきたとき。
一ヶ月は連続で見続けて、さすがにイヤになった。
ぜんぶサルーディーバのせいだと思うことにし、仕事に復帰したらまた見なくなった。
(後味の悪い夢だ)
今また、この夢を見たということは、また一ヶ月ほどは続くだろう。アズラエルはうんざりした。身体がなまっているということなのかもしれない。
(仕事に復帰したいが)
この宇宙船に乗っているかぎり、どうにもならない。
ミシェルといい、アントニオといい、自分に仕事を依頼してくれたのはうれしいが、今すぐ動けない仕事ばかりだ。しかも、アントニオの依頼はすぐさま達成されてしまった。
それでもあの五億は、アズラエルの口座にキッチリ振り込まれていた。
(ロビンかバーガスを誘って、演習でもするか)
担当役員のバグムントももと傭兵。演習なら、つきあってくれるかもしれない。
いまではだれにも信じてもらえないが、アズラエルはおとなしい子どもだった。
アダムやエマルが、この子は傭兵にはなれないかもしれないと心配したほど。
息をひそめて家族が暮らしていたアパートがあった地区は、L18でも治安が悪く、貧しい地区。流しの傭兵がたむろしていて、強盗、強姦、殺人が絶えないスラムだった。
いくらアズラエル一家が静かに暮らしていても、近所の住民の傭兵を見る目は厳しかった。
今だからこそアズラエルは無理もないと思える。浮浪者のような傭兵たちに、理不尽に家族の命を奪われた住民も少なくなかった。傭兵だというだけで嫌われるのもしかたがなかった。
アズラエル兄妹は、傭兵というだけで、近所の子どもに仲間外れにされ、大人たちからも嫌がらせを受けた。アズラエルとスタークは、だんだんと口を利かない子どもになっていった。
「バブロスカ革命の縁者」というだけで幼稚園にも入れなかったので、同じ傭兵仲間のともだちもできなかった。――クラウドと会うまでは。
アダムの親友だったハーベストが、自分の息子を連れて遊びに来たのはいつのころだったか。おそらく、心配したアダムたちが、お互い周囲に馴染めなかった子どもらを引き合わせたのだろう。
クラウドとアズラエル、そしてスタークはすぐ仲良くなった。そのすぐあとだ。オトゥールと出会ったのも。
出会ったのも束の間、アズラエル一家は、すぐL18を出て、逃亡しなければならなくなったけれど。
しかし、ほかの星に移住したおかげで、アズラエルとスタークを「傭兵」だの「バブロスカ革命の縁者」という目でみる大人も子どもも、いない。
逃亡生活は、アズラエルにとって、イヤなものではなかった。スタークもそうだろう。あのまま、L18でこそこそと隠れてばかりの生活を続けていたら、自分はもっとゆがんだ人間になっていたかもしれない。
だが、アダムもエマルも、L18を出て、新しい生活を始めるつもりはなかったのだ。今思えば。
バブロスカ革命の縁者の中には、もうL18にはもどらず、ほかの星で新しい人生を歩んでいる者もあると聞く。しかしアズラエルの両親は、ほかの星に移住しても、傭兵の仕事を続けていた。
L5系の学校では、「おまえの親傭兵!? 超カッコいい!」と賛美され、不思議な思いをしたものだ。星が変われば、こうも見方が変わるのかと。
今となっては懐かしい思い出。
――ふりむいちゃ、いけない。
幼いころは、そこに化け物がいるとでも思っていたのか。
アズラエルは、シャワーを止め、タオルで乱暴にぬぐいながら、浴室を出た。出るときに、へりに頭をガツンとぶつけて、顔をしかめた。
ルナの部屋は、いろんなものが小づくりだ。気をつけないと、いつも頭をぶつける。
部屋の間取り、縁の高さ、ドアの大きさ、ベッドの大きさ、キッチンのシンクの高さ――まるで、ミニチュアの子ども部屋にでも入り込んだようだ。
シャワーヘッドの位置の低さはアズラエルにとっては致命的だ。高さを調節しても、自分の肩より上に上がらない。それ以上高くはならないので、いつも中腰でシャワーを浴びる羽目になった。
しかも、一番厄介なのはベッド。
もともと、K36区のアズラエルの部屋のベッドはダブルのサイズ。キングサイズではなかったが、アズラエルがL18の自宅でつかっていたものと同じくらいだった。
ルナたちのベッドも、シングルかと思ったら、ダブルサイズなのだった。無論アズラエルの部屋のダブルベッドより、ひとまわりは小さい。
やっと買った大きめのベッドは、ベッドだけで寝室がほとんど埋まってしまう始末だ。
とても暮らしにくい環境だというのに、いまだにルナと同居を続けている自分が、アズラエルは不思議だった。
……ルナの隣は、居心地がいい。
なぜかは知らない。
ルナと暮らすことは、とても心地がいい。
そんなことをいったら、クラウドにも家族にも笑われそうだが。
アズラエルは、ベッドにもどり、ルナを起こさないように腰かけ、ルナの頬をつつく。なにかもにゃとかむにゃとか言って、ルナが寝返りを打つ。――マヌケ面。
振り向いたら――なにがいるのか。
アズラエルには分かっている。
見なければよかったのは、バケモノなんかではない。
そいつは――こういう顔だ。
あどけなくて、可愛くて、――無邪気な。
アズラエルは、ルナの寝顔を眺めて思った。
振り向いた先にいるのは、――きっと。
自分の運命を、根こそぎ狂わせた、女神。




