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中林さんの天球儀(旧作)  作者: すたりむ
第1章:結婚詐欺編
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4。ねこしっぽと負債と人の心(後)

 シオというじいさんの家は、シグの家からそれほど離れていない、わりといいところにあった。


「じゃ、そのじいさんを呼んできて。ナイエリちゃん」

「気安く名前を呼ぶな!」

「ナイエリ、お願い」

「う……わ、わかりました。キリィさま」


 言って、ナイエリはしょんぼりしながら家の中に入っていった。

 しばらくしてどたどたと音が聞こえて、


「お……お嬢様!」

「シオ……! 久しぶり」


 飛び出してきた老人に、キリィが声を掛ける。

 老人はなにかに感動したような顔でキリィを見ていたが、はたとなにかに気づいたようにして、とたんに顔を蒼白にした。


「な、なにゆえキリアニムお嬢様がこのようなところに……! も、もしや儂の所業が腹に据えかねて!?」

「いえ。ちょっと落ち着いて、シオ」

「申し訳ございません! どうかキリアニム様、儂の命はともかく孫娘、孫娘だけはご容赦を……!」

「だから落ち着いてシオ! 100年前じゃないのだし、わたしにあなたの処刑権なんてないわ!」


 必死で止めるキリィ。


「で、ですが……むっ、なにやつ!」


 と、ぎらり、とこっちをにらみつける老人。


「あ、どうも。えーと……」

「あなたがシオってじいさんね」

「え、おい!?」


 ずいっ、と中林が前に出た。

 老人はうさんくさそうな顔で、


「誰じゃ。貴様?」

「中林。そこの男の所持する奴隷よ」


 と、彼女は自己紹介した。


「いろいろややこしいことになっててね。とりあえずいまバルチミ家には、キリィ以外にはそこの男と私しかいないわ」

「奴隷ごときがキリアニム様の名前を省略するな!」

「あら、それはなんの冗談?」

「な、冗談……!? 冗談など言っていないわ、たわけ!」

「ふう」


 中林は軽く吐息し、


「わからないならわかりやすく言うけど。

 バルチミ家を見捨てて使用人から離れた無関係の他人ごときが、私にバルチミ家の人間の呼び名をどうして指図できるのかって聞いてるのよ」

「み、見捨ててなどいない! ただ……」

「ただ?」

「う、うるさい! 奴隷ごときがしゃしゃり出るでない、不愉快な!」

「ふん。他人ごときが偉そうに」

「ぐ、ぐぐ……!」

「な、ナカバヤシ……けんか腰になるのはやめて、お願い」

「あら、ごめんなさいキリィ。ちょっと熱くなっちゃったわ」


 言って、軽くぽん、と彼女の肩を叩いて下がる中林。

 ……ぜったい爺さんを挑発してるだろ、そのスキンシップ。

 ひどい奴め。


「うぐぐぐぐ……くそ……!」

「じ、じいちゃん、落ち着いて!」

「そうね。落ち着いてもらわないと困るわ。でないと、事実確認すらできないものね」

「事実確認だと?」

「そうよ。あなた、バルチミ家に使用人が来るのを止めているでしょう?」


 中林が指摘すると、うっ、と老人は言葉を詰まらせた。


「そ、それは……そうだが……」

「困るのよね、それ。だから交渉に来たというわけ」

「交渉?」

「そう。それ、やめてもらえないかしら」

「…………」


 老人は黙った。

 それまでの、怒りをはらんだ状態とは違う、深刻な沈黙だった。


「……それは、できん」

「なぜ?」

「儂は……我がボナペド家は、バルチミ家に仕えて200年になる譜代。

 じゃがそれ故に、他の使用人たちに対して責任がある」


 老人は、ぽつぽつと語り出した。


「儂の私情で言えば、今でもバルチミ家に戻り、やり直したい。

 じゃが、それはダメじゃ。キリアニム様がいまさら正気に返られたとしても、うまく行く成算はまるでない。儂だけならばバルチミ家と共に滅びることもできるが、他の使用人たちにまで害が及ぶとなれば、話は別じゃ」

「ふむ……なるほどね」


 中林はうなずいた。


「確認しておくけど、あなたにとってはキリィの現状をどうにかするより、使用人たちの面倒を見る方が優先順位は高いのよね」

「キリアニム様は……貴族であらせられる。

 たしかに財産が大幅に減ったのは痛いが、不必要な部分を切ればいくらでも自活できる。だが他の使用人たちはそうはいかぬ」

「なるほどねー。うんうん」


 中林はうなずいて、


「なめられたもんだわ、まったく」


 と、怒気をはらんだ声で言った。


「じいさん。いままでの会話で隠してる内容があるわね」

「……なんのことだ」

「とぼけないで。いまのバルチミ家には、大量の負債がある。使用人に対して未払いの賃金という、ね。

 あなたの言葉。それはきれいに聞こえるけれど、逆に言えば他の使用人たち全員に、未払い賃金の支払いを諦めさせようって考えているんでしょう?」


 うぐ、と老人は沈黙した。


「え? え? どういうこと?」


 キリィは困惑したようにまわりを見回している。ナイエリも同様。

 つまり、いま言ったことは、このシオ老人と中林しか知らなかったことだ。


「ここでへたにバルチミ家が復興してしまったら、彼らの間でその負債を取り返そうという動きが起こる。

 そうするとキリィがせっかく立ち直ろうとしているのをくじきかねない――だからあえて、いまの復興計画は頓挫してもらうように動き、そして一ランク下の生活でキリィを落ち着かせようとしている。

 そういう心遣いは立派に見えるけどね。かえって迷惑よ」

「…………」

「じいさん。いますぐ使用人たちに連絡して、集めなさい。負債をぜんぶ返すわ」

「し、しかしそんなことをすれば!」

「屋敷を抵当に入れて手に入れた金がある。負債の返済には十分よ」

「だが……だが、もしそれで借金が返せなくなったら、キリィさまは財産を全部手放さなければならなくなるではないか!

 そんなことになったら、どうするつもりだ!」

「そんな心配は、いまの私たちがすればいいだけのことよ」


 中林は傲然と言った。


「他人がそんなことを気にする必要はない」

「…………」


 シオ老人はしばらく絶句した。

 だが、やがてうつむき、


「成算は。返せる見込みは、あるのか」


 と問うた。


「ある――と言えば、信じてもらえるのかしら?」


 中林はそう言った。

 しばらく、沈黙が落ちた。

 が、


「だめじゃな。貴様は信じられん」


 言って、シオ老人は首を振った。


「そ。残念ね」


 と、あっさり中林は言って、


「じゃあじいさんは諦めるけど、でも他の使用人に対しては連絡するから、あの嫌がらせじみた追い返す行為はやめてもらうわよ」

「嫌じゃ」

「嫌とかじゃないわよ。私は使用人たちに当然の義務を果たすって言ってるの。それなのに、あなたたちの妨害で彼らがお金を受け取れなかったら、バルチミ家の誇りを汚しているのはあなたたちってことになるわよ」

「黙れ! 儂は……儂は、キリアニム様のためにこれが最善だと信じておるのだ!」

「そう。じゃあ、ちょっと荒っぽい手に出るしかないわね」

「なんだと?」


 ふん、と中林は鼻で笑って、


「もしあなたがどうしても意地を張るなら……貴族ネットワークを通じて、バルチミ家の元使用人たちが意図的にキリィに嫌がらせをして没落させたという噂を広めるわよ」

「な……!」


 老人の顔が青くなった。


「稼ぎ口がいきなりなくなったんだもの。たぶんあなたたちは互いに協力して再就職の道を探っているんじゃないかしらね。

 でも、それが悪意を持って主人を貶めた連中……となれば、どこも取ってくれないんじゃないかしら?」

「貴様……!」

「あの……ナカバヤシ、それはやりすぎ……」

「キリィは黙ってて。

 どうなのよ。それでも意地を張るのかしら? あえて全員で茨の道を進むってのなら止めはしないけど?」

「ぐっ……」

「ねえ……どうするの?」

「馬鹿たれ」


 ごん。

 俺は中林を殴った。


「いったっ……! な、なにするのよ!」

「ちょっと黙ってろ、中林」


 きっぱり言って、一歩前に出る。


「おまえは……?」

「宗谷俊平。

 いま、バルチミ家の使用人をやってる、ただひとりの人間だ」

「……そうか」

「まず、中林の発言は無視してくれ。思い通りにならないからと言ってあんたたちの悪評を広めるような真似は俺が許可しない。そこは保証する」

「む……」

「その上で、ちょっと謝罪をしておかなければならない」

「謝罪……?」


 いぶかしむ老人から視線を逸らし、キリィのほうに目をやる。


「俺はシグから、バルチミ家を再興するよう依頼されて動いてきた。まあそれなりに妥当な手は打てていると思っているが、ひとつだけ、ここに来るまでにやっておくべきことを忘れていたんだ」

「……?」

「キリィ」


 俺は言った。


「おまえは、どうしたいんだ?」



--------------------



 考えてみれば、そういう機会は今までまったくなかった。

 俺にバルチミ家を再興するように依頼したのはシグだし、プランを立てているのは俺と中林。だから、キリィ自身がこの状況をどう思っているか、ということを、いままで一切確認してこなかった。

 だから聞いた。


「はっきり言えば、今回のことはおまえ自身がリスクを背負ってる。おまえの運命を決めることだと思っていい。それなのに、俺たちはいままで、おまえがなにをしたいかをおまえの口から聞いたことが一度もない」

「…………」

「楽な手段は他にいくらでもある」


 俺は言った。


「別に家を再興しなくても食っていける。領地からの収入は十分だから、貴族としての体面だってそれなりに保てるだろう。

 それ以外にも、家を部分的に売るとか、いっそ全部売ってべつの家に引っ越すとか、やれる方法はいくらでもあるんだ。シグは家にこだわっていたが、おまえまでそれに引きずられる理由はなにもない」

「…………」

「だから聞くぞ。おまえは、どうしたいんだ? キリィ」


 キリィは黙っている。

 だから、俺も黙った。

 沈黙。

 だが、それでもキリィは、たぶん必死で考えている。

 自分の言葉を。


「その……ね。ソーヤ」

「うん」

「わたしは……その、自分でしてしまったことは、これでも、わかってるつもり……なんだ」

「うん」

「わたしのせいで、みんなに迷惑かけたのもわかってる。それに、自分のやったことなのに、ソーヤたちに迷惑かけて、それで苦労させてるのも……わかってる、つもり」

「うん」

「だけど……」


 キリィは、歯を食いしばって、



「それでも、わたしはまた、みんなと仲直りしたい」



「そっか」

「うん」


 こくん、とキリィはうなずいた。

 俺もうなずいて、


「じゃあ、自分でじいさんに言うんだ」

「うん」


 キリィは、じいさんのほうに向き直り、


「シオ……あの……あの、こんなこと言っていいかわからないけど……」


 ぺこり、とおじぎをして、


「迷惑かけて、ごめんなさい」

「そ、そんな……!」

「他のみんなにも、ごめんなさいがしたいの。

 だから……みんなを、呼んでくれないかな?」

「……おおおおおおおお!」

「じ、じいちゃん、そんな泣かなくても……!」

「ええい、これが泣かずにいられるか! キリアニムさまが、キリアニムさまが……!」


 ボロ泣きするじいさん。

 なんとなく感動的なシーンになってるのを横目に、俺は一息。


(なんとかうまく行ったか)


 まあ、おかげで頭を抱えたくなるような事態も発生したけど。

 未払い給金の支払いという負債。それがどれくらいなのかわからないけど、確実に今後の資金繰りに影響を与えるだろう。

 それでも。キリィが望んだことなのだから、これでいいのだ。

 そういうことまできちっとできて、初めてバルチミ家は貴族として復興したと言えるのだ、と思う。

 とはいえ、なんとかうまく行ってよかった……あれ?


(中林が……いない?)


 どこ行ったんだあいつ。

 …………

 あ、いたいた。なんかいま路地のとこ曲がっていった。

 つーか、ひとりで勝手に行くなよ……


(しょうがねえな)


 つぶやいて、俺はキリィを置いて中林の後を追った。



--------------------



 追いついてみると、中林は冷たい目で、


「なによ。DV男」


 と言った。


「なんだよ。いじけてるのか?」

「……べつに」

「いいじゃねえかよ。最終的には丸く収まったし」


 俺が笑って言うと、中林はふん、と言って目をそむけた。

 そして、


「『あなたはなんでも理解できるけど、人の心だけは理解できない』」


 と言った。


「? なんだそれ。劇かなんかの言葉か?」

「中学のとき、友達に絶交されたときに言われた言葉よ」

「……そ、そう」


 想定以上にヘビーだった。

 というか、あるんだ。そんな漫画みたいなシチュエーション。

 中林はふう、とため息をついて、


「考えてみれば、あの言葉で私は人文系に進むのを諦めたのよね……」

「いや。まあたしかに、おまえが人文系ってのは想像つかないが」

「実際、人の心なんて理解できないわよ。……なんであの説得効かなかったのかなあ。相手になにも損のない提案だったのに」


 中林は首をひねっている。やばい、心底本気だこいつ。


「いや。だからな、金勘定と損得だけじゃ人を心から満足はさせられないんだって。それくらいはわかれよ」

「心から満足って概念がわかんない」

「…………」

「というか、心ってなに。わけわかんない」

「そこまで言っちゃうの!?」


 中林、ロボット説浮上。


「まあそれはさすがに冗談だけど」

「そ、そうだよな……それは。ははは」

「心から満足させる方法はわからないけど、心から激怒させる方法ならわかるわ」

「……げ、外道すぎる……」

「あとは心から痛めつける方法も」

「おまえはマジで悪魔か!?」

「ま、それはともかく」


 中林は肩をすくめた。


「結果として、茨の道を進むのは私たちになっちゃったわね」

「まあ、仕方ないさ。

 どのみち、負債をなあなあで帳消しにするようだったら、貴族の体面なんてあったもんじゃないしな。それはバルチミ家の復興とは呼べない」

「かっこいいこと言ってるのはいいけど、成算はあるの?」

「ん、おまえにあるんじゃないのか。中林。さっきたしかそう言って、」

「そんなの口からでまかせに決まってるじゃない」

「…………」


 だから信用されねえんだよ。という言葉は、とりあえず飲み込んでおいた。


「仕方ないから資金繰りにも少し協力せざるを得ないかしらね。

 あーあ。私の目的のための時間がどんどん削れていくわ」


 嘆く中林。


「? おまえ目的なんて持ってたのか?」

「当たり前でしょう、宗谷。でなきゃなんで天体望遠鏡にこだわるのよ」

「なんだよ。つっても天文学者じゃないんだろ。だったらなんで空にこだわるんだ?」


 問うと、彼女はきょとん、として、


「もちろん、地球に帰るためだけど」


 と、――忘れられない、その一言を言った。

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