6。第五証言者:カンナルティア・ファツ(前)
オーリーリュと呼ばれる街は、実はふたつある。
ひとつはフリユ帝国の首都、オーリーリュ。なにも付けずにオーリーリュと呼んだ場合、普通はこちらを指す。
もうひとつはその首都から川でつながっている、オーリーリュ港。
この距離がけっこうあって、下りは水運でかなりの速度が出るのだが、逆に港からオーリーリュに行くのはそれなりに大変である。
実は「オーリーリュ」としての歴史自体は、港の方が古い。首都オーリーリュができる前は、こちらがオーリーリュの街だった。
古くから、リネンヴァハ、トマ、ラマネイスと並んで、コロン内海の主要貿易都市として栄えてきたオーリーリュ港は、街並みだけなら新しい首都オーリーリュよりも格調高い雰囲気を持っている。
その重要度も、昔と比べて変わっていない。むしろ、エリアムに運河ができたことで、コロン内海とレイヴァス海をつなぐ海路が開け、その重要拠点のひとつとして、地位はむしろ上がったとすら言える。
そのオーリーリュ港も、いまは騒がしくなっていた。
正体不明の存在にオーリーリュの街が襲われ、次はこの港も襲われるかもしれない。そんな噂が駆け抜け、街を巡回する兵士の数も自然と多くなっている。
交易に来た船も、あわてて立ち去るものも多く、市場もいつもよりもぴりぴりしていた。
そんな中、入港している船のひとつ。
パザトというアイゲングレン半島の港町から来たという『栄光の朝日』号という船だけは、状況が違っていた。
--------------------
「じゃあ海賊に襲われちまったってのか。怖いねえ」
「そうなんですよ。なんとか撃退したのはいいんですけど、船長が怪我しちゃって。それでボクたちが代わりに街に出ることになって」
「よかったなあ。その程度で済んで。いまどきの海賊は凶暴だって言うから、下手すりゃ海に沈められてたぞ、嬢ちゃん」
「お、脅さないでくださいよぅ……本当に怖かったんですから」
ちょっと不自由なエリアム語で、露天商のおっさんと会話しているこの女は、ヒラクチ・ノギク。
気弱そうに笑っているが、もちろんカンナは知っている。このノギクこそが『栄光の朝日』号を襲った海賊で、本来の船員は船の一角に監禁中だということを。
「女って怖いよなー……」
「? なんか言ったか? ていうか、アンタも嬢ちゃんと同じ、太陽の国のひとか?」
「違う違う。俺様はカンナルティア・ファツだ。あちこちうろうろしてたんで自覚はねえが、いちおうヒーレンス生まれなんだってよ」
「へえ。その割には、エリアム語が達者だな」
「苦労して身につけたんだよ。でないと、いざというときに通訳もできねえしな」
実際にはヒーレンス語やクライオルト語よりエリアム語の方がずっと慣れているが、そこは言わぬが花である。
露天商は素直にうなずいて、
「うちもそうだ。フリユ語だけの商店もあるが、それだと勝負に勝てないんでな。うちはエリアム語とクライオルト語に完全対応よ」
「なるほど。最初エリアム語で呼びかけられたときは何事かと思ったが、そういうもんか」
「おう。まあ、エリアムも国と国とは仲が悪かったが、商売じゃ関係ねえからな。エリアム商人はいいお得意様だ。とはいえ……」
露天商は声をひそめて、
「どーなるのかわからないけどねえ、今後は……なにがなにやら」
「ん、なんのことだ?」
「いや、オーリーリュが謎の勢力に襲われたって話だよ。あんたらも聞いてるだろ?」
「ああ、まあそりゃあな」
カンナは適当に話を合わせる。ノギクも、うんうんとうなずいている。
実際は謎の勢力どころか、身内なのだが。
「ここんとこ、エリアムとフリユは仲よくなる雰囲気があったんだよ。協力して独裁者を追い出して手を取り合おう、ってな。ところがそこにこれだ」
「その、実際のところ、オーリーリュにはなにがあったんですか? ボクたち、詳しいことはそれほど聞いてなくて……」
「俺も噂でしか聞いてないけどよ。ひでえことになったらしいぜ。王城の上半分が、敵の魔術攻撃でぶっ飛んだってよ」
「うわあ……ひどいですね」
驚いたような口調で言うノギク。実際にはこれも、もちろんわかってることである。
観測粒子砲の威力は、目の前で見ている。あれが直撃すれば、そりゃあそうなるだろう。
「皇帝陛下は無事だったんですか?」
「無事らしい。その点はお触れがあった」
「よかったですね」
「不幸中の幸いだな。だが、首都は荒らし回されて壊滅状態だって聞くぜ。街区の半分以上は吹っ飛ばされて、屋根の下で眠れない人間が難民状態だって話も出てる」
「…………」
ノギクは沈黙した。
あまりの被害に絶句した、と露天商からは見えただろう。実際は違う。
(いや、ソーヤの戦力、そこまでねーから。無理だからそれ)
というのをノギクも知っているので、言葉に詰まったのだろう。
「噂ってすごいよなー……」
「なんか言ったか?」
「なんでもねえ。ともかく、それでそれがエリアムの話となんか関係あるのか? なんかそんな話じゃなかったか」
「いや、それがな。エリアムから軍隊をオーリーリュに戻してくるって噂があるんだよ。敵の新魔術に対抗するには、精鋭を戻すしかないって話でな」
「エリアムから?」
ノギクは驚いたように言った。
「意外です。フリユの精兵って言ったら有名じゃないですか。他にいくらでもアテがあるかと思ったんですが」
「拡大しすぎたんだよ、フリユは。
おっちゃんが若い頃はもっと、国境線が近くてなあ。それがここ十数年の拡大政策で、すっかり兵士たちが散ってしまった。そういう風にしてオーリーリュをがら空きにするから、こんな悲劇が起こるのさ」
露天商はため息をつきながら言った。
「次の襲撃に備えて呼び戻せるのは、エリアムに駐留してる兵士たちだけだ。だからエリアムとの協力関係もふりだしさ。やれやれ、商売に影響がなきゃいいんだがねえ」
「ですねえ……」
ノギクはうんうん、と相づちを打って、露天商との世間話に興じる。
カンナはそれを見て、ため息をついた。
まあ、自分の役割が必要だというのは、理解できる。
理解できるのだが。
(どうせなら、もうちょっとスカッと暴れられる環境がよかったなぁ……)
「ところでお嬢ちゃんら、ここでの商売が終わったらどこ行くの? やっぱトマかね?」
露天商の言葉に、ノギクは首を振った。
「いえ。そうしたいんですけど、例の海賊の事件のせいで船体がちょっと破損してますし、積み荷もかなり海に落ちちゃったんで。ここからクライオルトまで、引き返します」
--------------------
「こここ怖かったです……本当に怖かったです……」
「なにがだよ。あんだけ堂々と話しといて」
「怖いものは怖いんですよう。覚悟を決めれば震えは止まりますけど、後から考えたら怖さがぶり返してくるじゃないですかっ」
「そういうもんか?」
レストランの中で、カンナとノギクは日本語で反省会をしていた。
日本語、とはいっても油断はしていない。日本語を解するフリユ人、あるいは日本人の雇われ者がいないとも限らない。だからカンナもノギクも、具体的な話はなるべく避け、どうしても話さなきゃいけないときには固有名詞をぼかすことにしていた。
とはいえ。
「まあだいたいの目的は果たせたじゃん。だろ?」
「そそそ、それはそうですけど……ああもう、本当に怪しまれてなかったですよね? 大丈夫ですよね?」
「商売のための情報収集になんの怪しむ要素があるんだよ。むしろ、いまのビクついてるアンタの方が挙動不審だぞ」
ここで言う『商売』というのは、もちろん隠語である。
今回カンナとノギクがこのオーリーリュ港にいるのは、一言で言ってしまえば、情報収集のため。
より正確には、『オーリーリュを襲ったソーヤの戦果』と、『それに対するフリユ側の対応』の情報を可能な限り収集し、その後にソーヤと合流してその情報を伝える、という役割である。
いまのところ、それはうまく行っていると言えた。
さっきの露天商だけではなく、何人かの人間と話した結果、わかった情報は次の通り。
ひとつ目に、オーリーリュはソーヤたちの襲撃によって大打撃を受けたこと。
ふたつ目に、それに対抗するため、エハイトンからフリユ軍の部隊が戻ってくること。
……ひとつ目の情報については、かなり過大に誇張された噂が流れていたが、まあ問題はない。
むしろ、そのような噂は、敵に対する圧力になる。対応しなければ市民たちが不安になってしまう、という。
とはいえ……
「やっぱもうちょっと、確度の高い情報が必要だよな……」
「い、いやですよカンナさん。これ以上危険を冒して、ひどいことになったらどうするんですか」
「危険って……なにをそんなにビクついてるんだよおまえは」
「ボクは、ボクのミスで他人に迷惑がかかるのがいちばんいやなんですっ。ボクだけの事情じゃないんですからねっ」
「まあ、大丈夫だって。もうちょっと突っ込んで探るだけなら危険だって少ないだろ」
「そう言っても、ボクたちにできるのはせいぜい、噂話の収集だけじゃないですか? それ以上の情報源なんてなにも……」
「そこはそれ、蛇の道は蛇っつってな。ほら、たとえば……」
じゃきっ。と、カンナの首に突如として、剣が突きつけられた。
「……あー。
そうだな。たとえばこいつなんてどうだ? いろいろ知ってそうだし」
「なにをしゃべっているのかわからんが」
軽い冷や汗と共に言ったカンナの日本語に、後ろの男は冷たく、整ったフリユ語で返した。
「カンナルティア・ファツ。久しいな」
「そういうアンタは誰だっけ? 俺様、いきなり剣を突きつけられる覚えはねーんだけど」
「とぼけるならそれでもいい。引っ立ててじっくりと話を聞くまでだ」
がしゃがしゃがしゃ、と鉄の武具の揺れる音がして、後ろに多人数の気配がした。
間違いなく、このオーリーリュ港のフリユ兵たち。
「連れて行け」
男は、冷然と告げた。
--------------------
「……いや。こう言っちゃなんですけど、カンナさんって実は足手まといじゃないですか?」
「おまえけっこう容赦ないよな。俺様だってこんな展開想定できねえよ」
「ボディーガードとしてついてきてもらったのに、そのガードが原因で牢屋入りとか、シャレになってないじゃないですか」
「いや、だからな……」
「不思議パワーで兵士を洗脳とかして、なかったことにしてくれればよかったのに」
「ホント無茶言うよなオイ! さすがに俺様でも無理だよ!」
ヒラクチ・ノギク。こう見えてかなりのブラック上司である。
ちなみにいまはオーリーリュ港、兵士詰め所の牢屋の中である。あたりは薄暗く、ぴちょん、という水が垂れる音だけがときどき聞こえてくる。
「しかし、本当になんで捕まったのかわからん。いや、俺様、フリユの法に触れる行為に心当たり、ないんだけどな」
「本当ですか?」
「むしろエリアムなら心当たりはある」
「なにやってるんですかあなたは……」
「いや、ちょっとな。
ていうか、俺様ホントにフリユには一度しか来たことないぞ。違法行為をした覚えもなし、こんな目にあうはずがないんだけどな」
「そのときには、なにをしていたんですか?」
「たしか、放置された古代の遺跡にお宝があるかもって、領主が探索者を募ってたんで参加したことが――あ」
「あ?」
「ああ、そのときの奴だわあの騎士。ペラクレンとかいう、フリーの探索者だった」
「ブラフじゃなくて本当に覚えてなかったんですか……」
「いやあ、なにしろ俺様の人生、いろいろあるんで」
てへへ、と笑う。
それからノギクの冷たい視線をごまかすように、
「しかしなんで俺が引っ立てられるんだ? うらみを買った覚えとかねーぞ?」
「そのときにあったことでなにか心当たりは?」
「そうだなー。落とし穴にひっかかりかけたんであわててあいつの足をひっつかんで上に登ったら、入れ替わりにあいつが落とし穴に落ちてたことなら」
「どんぴしゃじゃないですかー!」
「え、だってありゃ踏ん張れなかったあいつの問題だろ? それにその後、あいつは落とし穴の下の人食い地獄マンボウを格闘の末になんとか倒して本隊に戻ってきたって、後で聞いたぞ」
「そのときカンナさんはなにしてたんですか?」
「いや、なんか飽きたんで途中で調査隊から抜けた。だから後は知らん」
「さいあく……」
「なんでだよ。俺、悪いことなんもしてねーじゃん」
「それは司法が判断することですよ、カンナさん。まあボクには関係ないですけど」
「しれっと切り捨てる気満々だなオイ」
「雇ったボディーガードが犯罪者だったなんて気づきませんでした。どうりで怪しい気がしてたんです」
「当局への言い訳の練習してんじゃねえよ! ちょっとはかばってくれ!」
すっかり他人事気分のノギクに抗議するカンナ。
と、そこで牢の外からごほんと咳払いの音。
「盛り上がっているところ、邪魔して悪いな」
「いや、いまおまえの話題で盛り上がってたところだよ。ペラクレン」
「ほう? それは興味深い。なにを話していた?」
「いや。人食い地獄マンボウ倒した後、食料が水で全損してたんで仕方なく食ったって聞いたけど。うまかった?」
「…………」
ペラクレンはなにかをこらえるような顔をして、それからため息をついた。
「どちらにしろ、俺から言うことはない。出ろ」
「ん。なんでさ?」
「我らが上司が、貴様らにお会いなさるそうだ」
ペラクレンは言った。
「だが粗相をすれば殺す。わかっているな?」
「わかってるわかってる。殺したいんだろ? 殺したいのに上から止められちゃったんだろ? かわいそうだねーペラクレンくん。宮仕えは辛いねー」
「おっと手が滑った」
「うわやっべ!」
ぎゅんっ! とのけぞった首の先を通り抜けていった剣にカンナは叫んだ。
油断大敵である。とりあえずこいつを前に気を抜かないようにしようと、カンナは思った。
と、そこでノギクが、エリアム語で言った。
「あのう……展開がよくわからないんですけど、ボクはどうなるんですか?」
「むしろあなたが主賓です」
「え?」
流暢なエリアム語で述べたペラクレンに、ノギクは首をかしげた。
ペラクレンはうやうやしくノギクにかしずくと、
「『栄光の朝日』号、船長代理のヒラクチ・ノギク殿とお見受けします」
「そうですけど……?」
「あなたに、是非にもお願いしたいことがあるのです。そのために、我らが上司がお会いしたいと」
「…………」
カンナとノギクは、顔を見合わせた。




