4。ねこしっぽと負債と人の心(前)
一週間が過ぎた。
「来ないなー、誰も」
「そうね」
朝食の席である。
キリィはいつも通り寡黙に(ただしちょっと嬉しそうに)もくもくとなにも塗ってないパンを食べ、俺はごく普通にジャムを塗ったパンをかじり、中林はパンそっちのけでエリアム語で書かれた本を読んでいた。
「ていうか、行儀悪いな中林。食うときくらい本読むのやめろ」
「なによ。いいじゃないの。こうしてどっぷり浸かってないと専門書の文章なんてなかなか読めないのよ」
言いながらも、中林は視線を微動だに動かさない。
たぶんここの書庫から持ってきた本だろうそれには、エリアムの文字でなんかよくわからないタイトルがついてある。
「ちなみにキリィ。あの本、なんてタイトルだ?」
「え? やだなあソーヤ。わたしがあんな難しい本のタイトルなんて、わかるわけないじゃない」
「……そ、そう」
「なんで私に直接聞かないのかわからないけど」
中林が言った。
「これは『偉大なる叡智の書』というタイトルの本よ」
「難しいのか?」
「間違いが多くていらつくわ」
「…………」
容赦ねえな。マジで。
「それにしても、書庫をここのところ漁っているんだけど、天体の運行法則が載っている本が見つけられないわ。それが一番の目当てなのに」
「まあ、研究は好きなようにやってくれていいけどよ……朝ご飯くらい落ち着いて食べようぜ」
「まったく、パパみたいなこと言うわね、宗谷は」
うんざりしたように言って、中林は本を置いた。
「で、来ないわね。誰も」
「だな」
「どういうことなのかしらね、実際。募集はかけたんでしょう?」
「ああ。たしかにかけた」
俺はうなずいた。
この世界では、貴族の人材募集というのはたいてい、神殿を介して行われている。
こちらの依頼が神殿の掲示板にちゃんと張り出されているのも確認済みなので、知られていないってことはないと思うんだけど……
「それでも来ないとなれば……なにかあるわね、これは」
「なにか……って。なにが?」
「端的に言えば、陰謀の気配を感じるってことよ」
「陰謀って……」
「貴族と来れば陰謀! そう、間違いなく政敵が嫌がらせをしているのよ!」
力説する中林。
俺はとりあえず、キリィに聞いてみた。
「なんか心当たりあるか? キリィ」
「んー……わかんないけど、それはないと思う」
「ん、なんで?」
「バルチミ家、あんまりよい家柄ってわけでもないから」
キリィは言った。
「有力貴族なら政敵とかも多いと思うけど、うちにはあんまりないんじゃないかな……」
「……なるほど」
「とすると……次の容疑者は誰かしらね」
「容疑者て。いや、なんか事件性があることにつながると決まったわけじゃ……」
と、そこでふと、俺は思い出した。
路地の影に隠れたねこしっぽ。
「なに、宗谷。急に黙り込んで」
「中林。あのねこしっぽ、おまえあれから見かけたか?」
「工房に足を運ぶ度に見かけるけど」
「…………」
怪しい。とても怪しい。
「今日もたぶん、家を出たところで張ってるんじゃないかしらね?」
「とっつかまえるか」
「???」
キリィは不思議顔。
とりあえず、朝食終えたら活動を始めよう。
--------------------
「……で、なんで中林とキリィがついてきてんの」
「「面白そうだから」」
俺の言葉に、ふたりは即答した。
……捕り物になるから、けっこう危険なんだけどなぁ。
「まあ、それじゃ中林はキリィの護衛頼むぞ」
「はいはい。任せておきなさい」
安請け合いする中林。
ちなみにいま、俺たちは裏口から出て、正門のほうに回り込んできたところである。ねこしっぽ……もとい。だいたいキリィと同じくらいの年齢の女の子が、正門を見張っているのが見える。
「見覚えあるか、キリィ」
聞くと、キリィはこくんとうなずいた。
「ナイエリ・ボナペド。昔のうちの使用人……で、間違いないと思う」
「わかった。まあ、手荒にしない程度に捕まえるとするか」
言って、俺はふたりに手で静止しておくように指示し、こっそり彼女の近くに忍び寄る。
彼女は気づかず、いわゆるぐぬぬ顔でなんかバルチミ家のほうをにらみつけている。
俺はなにも考えず、とりあえずしっぽをつかみ取った。
「ふぎゃあああああ!?」
「おお、ぴくぴく動いてる。おもしろい」
じたばた暴れるナイエリはとりあえず置いといて、俺はそう感想をもらした。
「なに、な、なんだおまえ!? は、はなせ、離せー!?」
「うーん。離せったってそうはいかないなー。それ、ふにふにふにふに」
「あ、やめ、ちょ、ふにゃああああああ!?」
しっぽをいじると、彼女は奇声を上げて地べたに座り込んだ。
「さてさて、とりあえずなんでこんなことをしてるのか、話してもらおうか」
「おまえに話すことなんてなにもない!」
「そっちがそうでも、こっちには聞きたいことがいっぱいあるんだよ」
「えい、疾風の矢弾!」
「うわ危なっ!?」
びゅがっ! と相手が放った光の矢をあわててかわす。
あ、ねこしっぽ離しちゃった。
「ていうか、いまのガチの戦術用攻撃魔術じゃねーかよおい。死んだらどうするんだ?」
「黙れ不審者! キリィさまをたぶらかす悪魔が!」
びし! と人差し指とねこしっぽで俺を指す、ナイエリ。
「いや。客観的に見て不審者はおまえの方だと思うんだがなあ」
「そんなことない! おまえが不審者だ!」
「だそうだが、どう思う? キリィ」
「え……?」
呼ぶと、キリィはひょこん、と後ろから顔を出してきた。
「ナイエリ。なにしてるの?」
「き、ききききききキリィさま!?」
「危ないからダメじゃない。あんなの人に向けて撃ったら」
「い、いえこれにはそのやんごとなき事情があって!」
わたわた手を振って叫ぶナイエリ。
まあ、そんないいわけはどうでもいい。
「で、なんでおまえこんなところで毎日監視してるのかと、なんでうちに募集した使用人が来ないのかを吐いてもらおうか。おら吐け」
「うぐぐ……! そ、そんなのあたしが知るか! あたしは、ただキリィさまが無事であるかが心配でここに来ていただけだ!」
「なら直接訪ねてくればいいだろうに」
「おまえみたいな不審者のいるところで聞いたって、キリィさまが本音を話してくださるもんか!」
「不審者て。俺、なんか悪いことした?」
「しっぽつかんだ!」
「それは今日の話だろうが」
「外見がうさんくさい!」
「そうか?」
「内面もうさんくさい!」
「おまえがなんで俺の内面を知ってるんだよ」
もうなんかめんどくさくなってきた。
「じゃあとりあえず使用人が来ない理由を言えよ。おまえが追い返してるんじゃないだろうな?」
「…………」
ぷいっとそっぽを向く。
「あら。そう言えば」
と、後ろからひょこっと中林が顔を出した。
「ん、なんだ中林」
「その子、たしか正門前で訪れた客を追い返してたことがあったわね」
「え。マジで?」
「ええ。なんなら、門番のおじさんに聞けば証言してくれるんじゃない?」
……じー、と見ると、ナイエリはぷいっと目を逸らした。
「やっぱおまえが犯人か!」
「し、仕方ないだろう! あたしのじっちゃんに頼まれた、大切な仕事なのだ!」
「え、シオ爺が関わってるの?」
困惑したように、キリィ。
ナイエリはしまった、という風に口をふさいだが、後の祭り。
「誰だ? そのシオ爺って」
「シオ・ボナペド。みんなが出て行く前は、うちでいちばんえらいひとだったんだけど」
「つまりそいつが元凶か」
「だだだ、だって仕方ないんだ!」
「なにが仕方ないってんだよ」
「じっちゃんは、キリィさまの家にいま使用人が行っても、不幸になるだけだって思ってる」
ナイエリが言った。
「だから、不幸になる人間を少なくするために、止めなきゃいけないんだって。……それがじっちゃんの決定なんだ。だから」
「その割には、俺は止められなかったけどな」
「し、仕方ないだろう! あのときはバタバタしすぎてて、まだそんな余裕なかったのだ……!」
釈明するナイエリ。
まあ、事情はわかった。
「どうしようか? これ……」
言うと、中林が答えた。
「どうもこうもないわ。状況としてはかなり手遅れに近いもの」
「手遅れ?」
「ええ。ナイエリちゃんに念のために聞くけど、あなたたち平行して噂を流してるわよね。バルチミ家の内情がいまボロボロだから就職するのは得策ではない、へたをすると給金を払われないかもしれない、とかなんとか」
「な、なぜそれを……!?」
ナイエリが、くわっ、と目を見開いてねこしっぽをぷるぷるさせる。
「おいおい。どういうことだ?」
「つまり、あらゆる手を使ってうちに使用人が来るのを妨害しようって手よ」
「なんで?」
「それは当人に聞くしかないけど。
でもまあ、なんとなく想像はつくわね。キリィ、あなた使用人が全員出て行く前に、何ヶ月も給金を滞納してるんじゃない?」
「え、なんでわかるの?」
びっくりしたように、キリィ。
「おい。聞いてないぞ、そんなこと」
「そんなの想像すればわかるでしょ、宗谷。何年も付き合ってきた使用人が1人残らず出て行く異常事態よ。
それだけの修羅場にならなきゃ、ここまでの事態にはならないわよ」
「そ、そうか」
「そうすると、どうすればいいかってのも自ずとわかってくるわよね」
「ん、なんだそれ?」
言うと、中林はほほえんで、
「そのシオってじいさんに、直談判するのよ。それがいちばんでしょ?」
と言った。
魔術解説:
『疾風の矢弾』
習得難易度:C 魔術系統:エリアム式
エリアムにおける基本攻撃魔術のひとつ。魔力で弓を作り、光の矢を放って攻撃する。
アレンジひとつで刺突・打撃のどちらにもでき、殺傷力もそこそこと、リーズナブルで使いやすい。
が、一撃で人を殺せるガチの戦闘攻撃魔術なので、そのへんの人が使えるといったことはまずない。使える人間は専門の魔術戦士などがほとんどである。
……ついでに言うと、エリアムでは理由もなくこの術を人に向けて撃つことは、禁止されている。