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中林さんの天球儀(旧作)  作者: すたりむ
第五章:百騎行編
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2。第二証言者:トリッティ・ボウト(後)

「そもそも、こんな馬、なんに使うんだ?」


 翌日。

 平原の中を移動しながら、トリッティはカシワザキに尋ねていた。

 周囲には馬を誘導するための使用人たちが、取り引きのための馬を引き連れている。


「軍馬ってわけじゃないんだろ? 普通の馬は、合戦じゃ怖がってまず使い物にならない。それに、あんたの買った馬には、いいのもあれば悪いのもある。どう使う気なんだ?」

「べつに軍馬だけが必要なわけでもないからな。

 質の悪い馬は荷馬に、いい馬は伝令用に使うって手もある。戦争が長引いた場合は、特にいい馬を再訓練して軍馬に仕立て上げる手もある。あって損するもんじゃねえんだよ、馬ってのは」

「そりゃそうだろうが……」

「そもそもな」


 カシワザキは言った。


「馬っていうのは、移動手段としては、ものすごくコストフルだ。知ってるだろうが、馬が一日生きていくためには、それだけで大量の食い物と、そして水を必要とする。

 軍馬が普通に行軍するだけでも、その飼料と水を用意する必要がある。それを輸送するためのべつの馬が、どうやったって必要になるのさ」

「水は、水場を伝っていけばいいんじゃねえの?」

「水場って川か? 川を伝っていくルートは敵も考えるから、罠を張られる可能性も高い。それに、川沿いじゃない街道筋を移動しなきゃならないときもある。

 だから、軍隊ってのは基本的に、重い水のタルと飼料を大量に積んだ馬車と一緒じゃないと、まともに行軍できねえんだよ。普通の旅人よりずっと遅い。それでも、馬があってようやくその速度だ。人間だけでってなったら、さらに遅くなるな」

「なるほどねー……」


 うなずいたトリッティだったが、そこで意地悪に笑った。


「しかしあんた、軍隊にえらく詳しいな。それこそ軍関係者なんじゃねえのか?」

「その軍関係者の中には、軍と取り引きする商人も入るのかね?」

「そりゃあ……ええと」

「取引先の需要くらい把握してこその商人だよ。相手がなにに困ってて、なにが欲しいかを見極める。商売の基本だぜ」

「…………」


 軽くいなされて、トリッティはむくれる。


(ぜったいこいつ、怪しいと思うんだけどな)


 と思いつつも、なかなかしっぽをつかみきれない。

 いまの軍馬についての話からしても、ただの盗賊なんていう素性ではなさそうに見えるのだが……


「しかし、いい景色の場所だなあ、ここ」


 カシワザキの言葉に、我に返る。

 リガ平原は平原という名前だが、実際には高原と平原の境目くらいの高さだ。ここに来るためには、ベルキアから坂をだいぶ登ってこなければならない。

 トリッティたちが来ているのは、ちょうどその境目。リガ平原からはるか遠くまで見える、特に見晴らしのいいところだった。


「この、あっち側がフリユって国なんだろ?」

「そうだよ。つっても、俺は知らねえけど。

 あんたはどうだ、カシワザキ。フリユって行ったことあるのか?」

「いいや、残念ながら。トリッティもないのか?」

「ああ、いや、ちょっとだけならあるよ」


 トリッティは首を横に振った。


「フリユ側の、近場の村にな。牧場あるんでいろいろよろしくって、挨拶回りに行く親父に従って、俺も行ったことがある」

「そっか。厳密に国境が管理されてるわけじゃないから、行き来はできるんだな」

「途中でフリユ側の兵隊に見つかって、いろいろ聞かれてたけどな、親父。

 ともかく、フリユったって人間が住んでる国だってのは、そのときに知ったよ。俺たちと大差ない。ついでに言うと、このあたりの連中だと普通にベルキア語が通じる」

「まあ、そうなんだろうな。近いし」


 カシワザキはうなずいた。


「エリアムもそうなのか? やっぱフリユに近いところは、フリユみたいなしゃべり方するとか?」

「エリアム? いや、どうかな。エハイトンに行ったことがないわけじゃないが、そっからフリユ側に行くことはなかったからな」

「なんで言葉が地方によって違うんだろうな。みんなベルキア語しゃべれば便利なのに」

「同じことをフリユ人も、エリアム人も思ってるんだよ。なんでうちの言葉が通じないんだ、ってな」


 カシワザキはさらっと言った。

 トリッティはそれを聞いて、直接尋ねることにした。


「あんたは、どこの人なんだ? 本当にエリアム人なのか?」

「あー、言ってなかったっけ? 俺自身はエリアム人でもないし、それどころかどこの国の人でもないよ。『太陽の国』の人間っつって、通じるか?」

「……ああ、聞いたことはある」


 突如として一年半ほど前に大量に現れた、どこの国にも属さない不思議な人々。

 だから、こいつはこんなに浮き世離れした雰囲気なのだろうか。


「じゃああんたは、自分の国の言葉をみんなしゃべればいいのに、とかは思わないんだ」

「この地方でそう思っても意味ないだろ。俺の母国語……日本語をしゃべる連中なんて、それこそ俺たちの仲間内だけだ」

「寂しくはないのか?」

「そりゃあ、ちょっとはな」


 トリッティには、想像のつかない話だった。

 みんな自分と同じ言語をしゃべれば楽なのに、なんていう、さっきの子供じみた発想が非現実的なことくらいは、トリッティにもわかる。

 だけど、同じ言語をしゃべる人間自体がまわりにいない、なんていう環境は、トリッティには想像を絶していた。

 たぶんこのカシワザキという男は、信じられないほどの苦労をして生きてきたのだろう。エリアム語を習得して、地位を固めて、そしていまここにいるのだ。

 そう思うと、自分の未熟さがなんだか気恥ずかしくなってくる。


「どうした?」

「なあ……あんたは、なんで商人になったんだ?」

「俺か?」


 カシワザキは、首をかしげた。


「俺の話なんて聞いてもあんまり楽しくねえぞ。ごくごくありふれた話さ――まあ、要約すれば、惚れた女のためってところか」

「……そう聞くと、本当にありふれてつまんねー話に聞こえるな」

「ありふれてるけど、つまんねーとまで言われるとは思わなかったな」


 カシワザキは苦笑した。


「だって女のためって……一人前の男が、しまらねえなって」

「そういうことを言うのは、惚れたことが一度もねえガキだけだって知ってるか?」

「うるせえな」


 自分の未熟さをからかわれ、トリッティはむくれた。

 それから好奇心がうずいて、


「どんな女なんだ?」


 と聞くと、カシワザキは肩をすくめた。


「もう死んだ。だから聞いても意味ねえよ」

「…………」


 思わず面食らって、トリッティはカシワザキを見た。


「そんな顔するなよ。人間だからな、死ぬことだってあるだろうさ」

「えっと……でも、それでもあんたは、商人を続けてるのか?」

「そりゃそうだろ。あこがれの子が死んだからって、俺が死んだわけじゃない。

 それに俺にも友達もいるし、尊敬できる奴もいるし、守らなきゃいけないものもあるし、いろいろある――ラブロマンスの劇だったら、相手が死んだら自分も死んで終わり、でいいかもしれないがな。現実には、そうはいかねえもんだよ」

「そっか……」

「そしてそういうところまで含めて、ありふれた話だ。この世の中、こうと自分が決めた通りには、なかなか生きられないのさ」

「俺も……牧場の跡継ぎになるのは、難しいかな?」

「そりゃ、おまえさん次第だ。

 けどまあ、実際のところどうとも言えねえな。親父さんも、よくもまあこんな国境線沿いに牧場作ったもんだぜ。危なくないのか?」

「親父が言うには、相手が攻めるならまずヒーレンスかベルキアからだろうし、それを見てから逃げても遅くはないだろう、って」

「本当に、剛毅だよなあ、おまえの親父……」


 カシワザキは苦笑した。

 それから、ぽん、と彼はトリッティの肩をたたいて、


「まあ、そう不安がるな。戦争だけは怖いけどな。それ以外のことに関しては、普通にやってりゃ、そうそう危ないことなんてねえよ」

「戦争……起こるかな?」

「少なくともエリアムでは起こってる」


 カシワザキは言った。


「それも、国と国の戦いですらない、内戦だ。俺も一枚噛んでるクチではあるがね……正直に言えば、逃げれるもんなら逃げたいよ。危ないことはごめんだ」

「それでも、エリアム南軍と取り引きするのか?」

「仕事だからな」


 ごくごく平然と、カシワザキは言った。

 そして、坂道の向こうを指さし、


「見えた」

「?」

「俺の仲間だよ。この馬を取りに来た連中だ」


 見ると、確かに人々の一団が、前方にいて手を振っていた。

 カシワザキはトリッティに向き直って、


「ご苦労さまだ。ここまででいいぞ。後は俺の仲間が馬を運んでいく」

「あ、うん」


 バイガに言われたこと――特に、人質に取られるなということを思い出して、トリッティはうなずいた。

 まあ、行く手の一団には女の姿もあり、野盗の一味にはまるで見えなかったが。


「じゃあ、俺たちはこれで」

「おう」


 そうして、トリッティはカシワザキと別れた。



--------------------



(っていうのに、俺はなにをしてるんだろうな……)


 使用人たちを全部返した後、トリッティはふたたび、来た道を戻っていた。

 なんでそんなことをしたのかといえば、胸騒ぎがしたとしか言いようがない。

 カシワザキとの会話から、彼が野盗ではないということは、トリッティはもう、だいたい確信していた。

 だが、まっとうな商人のようにも、あまり思えなかった。

 思えなかったら放っておけばいい、というのは確かなのだが、好奇心が勝ってしまったのだ。

 だから、トリッティはそれを見た。


「……なんだよ、これ」


 声が、思わず震える。

 目の前の一団は、野盗なんかでは決してなかった。

 だが、商人なんかでも、断じてなかったのである。

 しっかりとしつらえられた兜や、皮鎧。そして剣。

 それらで武装した彼らは、間違いなく――


「っ、ってえっ!」

「動くな」


 取り押さえられ、トリッティはうめいた。

 油断だった。地の利はこちらが知っていると思って、隠れていれば見つからないだろうと思っていた。

 そのまま引っ立てられて連れて行かれたトリッティは、見知った顔を見つけた。


「カシワザキ……」


 あぜんとしていると、トリッティを捕まえた男が報告した。


「ソーヤ隊長。隠れていた子供を見つけました。いかがしますか?」

「ん? ああ。取引先の牧場の子供だな」


 カシワザキ――否。ソーヤといま言われた男は、そう言って笑った。


「どうこうする必要もねえよ。俺たちが最速だ。……噂が広まったりする前に行動すれば、一切の害はない。そうだろ?」

「では、放しますか」

「そうしてくれ。ボウト牧場にあまり大きく恨まれたくもないしな」

「あ、あんた……」

「よう、トリッティ。ありがとな。おかげで、エリアム南軍との取り引き、たったいま引き渡し(・・・・)が完了したところだ」


 ぬけぬけと、ソーヤは言った。


「あんた、あんたら、いったいなにをする気なんだ! これから、いったい……!」

「なんだ。知りたいのか? なら教えてやろう」


 ソーヤはにししと笑って、それから北の国境線の奥に視線を向けて、


「これから攻めるんだよ。フリユを――あの寝ぼけた国(・・・・・)を、蹴飛ばしてやりに行くのさ」


 と言った。



--------------------



 なにごともなくトリッティは解放され、そしてソーヤたちは北へ向けて走り去った。

 泡を食ったトリッティは牧場に戻って報告したが、バイガや、その場に居合わせた兵士たちには本気にされず、「幻覚でも見たんじゃないか?」とまで揶揄された。

 それが幻覚でないことを皆が知るのは、これからもうしばらく後。

 大陸の誰もが信じられないと思うような結果が訪れた、その後――トリッティの証言は、そのときになってようやく、信用されるようになる。

 彼が見たもの、それは後の世に伝え広まることになる、ある伝説の始まり。

 それは、一連の騒動の後に、こう呼ばれるようになるのだった。



 ――『宗谷俊平の百騎行』と。

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