2。第二証言者:トリッティ・ボウト(後)
「そもそも、こんな馬、なんに使うんだ?」
翌日。
平原の中を移動しながら、トリッティはカシワザキに尋ねていた。
周囲には馬を誘導するための使用人たちが、取り引きのための馬を引き連れている。
「軍馬ってわけじゃないんだろ? 普通の馬は、合戦じゃ怖がってまず使い物にならない。それに、あんたの買った馬には、いいのもあれば悪いのもある。どう使う気なんだ?」
「べつに軍馬だけが必要なわけでもないからな。
質の悪い馬は荷馬に、いい馬は伝令用に使うって手もある。戦争が長引いた場合は、特にいい馬を再訓練して軍馬に仕立て上げる手もある。あって損するもんじゃねえんだよ、馬ってのは」
「そりゃそうだろうが……」
「そもそもな」
カシワザキは言った。
「馬っていうのは、移動手段としては、ものすごくコストフルだ。知ってるだろうが、馬が一日生きていくためには、それだけで大量の食い物と、そして水を必要とする。
軍馬が普通に行軍するだけでも、その飼料と水を用意する必要がある。それを輸送するためのべつの馬が、どうやったって必要になるのさ」
「水は、水場を伝っていけばいいんじゃねえの?」
「水場って川か? 川を伝っていくルートは敵も考えるから、罠を張られる可能性も高い。それに、川沿いじゃない街道筋を移動しなきゃならないときもある。
だから、軍隊ってのは基本的に、重い水のタルと飼料を大量に積んだ馬車と一緒じゃないと、まともに行軍できねえんだよ。普通の旅人よりずっと遅い。それでも、馬があってようやくその速度だ。人間だけでってなったら、さらに遅くなるな」
「なるほどねー……」
うなずいたトリッティだったが、そこで意地悪に笑った。
「しかしあんた、軍隊にえらく詳しいな。それこそ軍関係者なんじゃねえのか?」
「その軍関係者の中には、軍と取り引きする商人も入るのかね?」
「そりゃあ……ええと」
「取引先の需要くらい把握してこその商人だよ。相手がなにに困ってて、なにが欲しいかを見極める。商売の基本だぜ」
「…………」
軽くいなされて、トリッティはむくれる。
(ぜったいこいつ、怪しいと思うんだけどな)
と思いつつも、なかなかしっぽをつかみきれない。
いまの軍馬についての話からしても、ただの盗賊なんていう素性ではなさそうに見えるのだが……
「しかし、いい景色の場所だなあ、ここ」
カシワザキの言葉に、我に返る。
リガ平原は平原という名前だが、実際には高原と平原の境目くらいの高さだ。ここに来るためには、ベルキアから坂をだいぶ登ってこなければならない。
トリッティたちが来ているのは、ちょうどその境目。リガ平原からはるか遠くまで見える、特に見晴らしのいいところだった。
「この、あっち側がフリユって国なんだろ?」
「そうだよ。つっても、俺は知らねえけど。
あんたはどうだ、カシワザキ。フリユって行ったことあるのか?」
「いいや、残念ながら。トリッティもないのか?」
「ああ、いや、ちょっとだけならあるよ」
トリッティは首を横に振った。
「フリユ側の、近場の村にな。牧場あるんでいろいろよろしくって、挨拶回りに行く親父に従って、俺も行ったことがある」
「そっか。厳密に国境が管理されてるわけじゃないから、行き来はできるんだな」
「途中でフリユ側の兵隊に見つかって、いろいろ聞かれてたけどな、親父。
ともかく、フリユったって人間が住んでる国だってのは、そのときに知ったよ。俺たちと大差ない。ついでに言うと、このあたりの連中だと普通にベルキア語が通じる」
「まあ、そうなんだろうな。近いし」
カシワザキはうなずいた。
「エリアムもそうなのか? やっぱフリユに近いところは、フリユみたいなしゃべり方するとか?」
「エリアム? いや、どうかな。エハイトンに行ったことがないわけじゃないが、そっからフリユ側に行くことはなかったからな」
「なんで言葉が地方によって違うんだろうな。みんなベルキア語しゃべれば便利なのに」
「同じことをフリユ人も、エリアム人も思ってるんだよ。なんでうちの言葉が通じないんだ、ってな」
カシワザキはさらっと言った。
トリッティはそれを聞いて、直接尋ねることにした。
「あんたは、どこの人なんだ? 本当にエリアム人なのか?」
「あー、言ってなかったっけ? 俺自身はエリアム人でもないし、それどころかどこの国の人でもないよ。『太陽の国』の人間っつって、通じるか?」
「……ああ、聞いたことはある」
突如として一年半ほど前に大量に現れた、どこの国にも属さない不思議な人々。
だから、こいつはこんなに浮き世離れした雰囲気なのだろうか。
「じゃああんたは、自分の国の言葉をみんなしゃべればいいのに、とかは思わないんだ」
「この地方でそう思っても意味ないだろ。俺の母国語……日本語をしゃべる連中なんて、それこそ俺たちの仲間内だけだ」
「寂しくはないのか?」
「そりゃあ、ちょっとはな」
トリッティには、想像のつかない話だった。
みんな自分と同じ言語をしゃべれば楽なのに、なんていう、さっきの子供じみた発想が非現実的なことくらいは、トリッティにもわかる。
だけど、同じ言語をしゃべる人間自体がまわりにいない、なんていう環境は、トリッティには想像を絶していた。
たぶんこのカシワザキという男は、信じられないほどの苦労をして生きてきたのだろう。エリアム語を習得して、地位を固めて、そしていまここにいるのだ。
そう思うと、自分の未熟さがなんだか気恥ずかしくなってくる。
「どうした?」
「なあ……あんたは、なんで商人になったんだ?」
「俺か?」
カシワザキは、首をかしげた。
「俺の話なんて聞いてもあんまり楽しくねえぞ。ごくごくありふれた話さ――まあ、要約すれば、惚れた女のためってところか」
「……そう聞くと、本当にありふれてつまんねー話に聞こえるな」
「ありふれてるけど、つまんねーとまで言われるとは思わなかったな」
カシワザキは苦笑した。
「だって女のためって……一人前の男が、しまらねえなって」
「そういうことを言うのは、惚れたことが一度もねえガキだけだって知ってるか?」
「うるせえな」
自分の未熟さをからかわれ、トリッティはむくれた。
それから好奇心がうずいて、
「どんな女なんだ?」
と聞くと、カシワザキは肩をすくめた。
「もう死んだ。だから聞いても意味ねえよ」
「…………」
思わず面食らって、トリッティはカシワザキを見た。
「そんな顔するなよ。人間だからな、死ぬことだってあるだろうさ」
「えっと……でも、それでもあんたは、商人を続けてるのか?」
「そりゃそうだろ。あこがれの子が死んだからって、俺が死んだわけじゃない。
それに俺にも友達もいるし、尊敬できる奴もいるし、守らなきゃいけないものもあるし、いろいろある――ラブロマンスの劇だったら、相手が死んだら自分も死んで終わり、でいいかもしれないがな。現実には、そうはいかねえもんだよ」
「そっか……」
「そしてそういうところまで含めて、ありふれた話だ。この世の中、こうと自分が決めた通りには、なかなか生きられないのさ」
「俺も……牧場の跡継ぎになるのは、難しいかな?」
「そりゃ、おまえさん次第だ。
けどまあ、実際のところどうとも言えねえな。親父さんも、よくもまあこんな国境線沿いに牧場作ったもんだぜ。危なくないのか?」
「親父が言うには、相手が攻めるならまずヒーレンスかベルキアからだろうし、それを見てから逃げても遅くはないだろう、って」
「本当に、剛毅だよなあ、おまえの親父……」
カシワザキは苦笑した。
それから、ぽん、と彼はトリッティの肩をたたいて、
「まあ、そう不安がるな。戦争だけは怖いけどな。それ以外のことに関しては、普通にやってりゃ、そうそう危ないことなんてねえよ」
「戦争……起こるかな?」
「少なくともエリアムでは起こってる」
カシワザキは言った。
「それも、国と国の戦いですらない、内戦だ。俺も一枚噛んでるクチではあるがね……正直に言えば、逃げれるもんなら逃げたいよ。危ないことはごめんだ」
「それでも、エリアム南軍と取り引きするのか?」
「仕事だからな」
ごくごく平然と、カシワザキは言った。
そして、坂道の向こうを指さし、
「見えた」
「?」
「俺の仲間だよ。この馬を取りに来た連中だ」
見ると、確かに人々の一団が、前方にいて手を振っていた。
カシワザキはトリッティに向き直って、
「ご苦労さまだ。ここまででいいぞ。後は俺の仲間が馬を運んでいく」
「あ、うん」
バイガに言われたこと――特に、人質に取られるなということを思い出して、トリッティはうなずいた。
まあ、行く手の一団には女の姿もあり、野盗の一味にはまるで見えなかったが。
「じゃあ、俺たちはこれで」
「おう」
そうして、トリッティはカシワザキと別れた。
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(っていうのに、俺はなにをしてるんだろうな……)
使用人たちを全部返した後、トリッティはふたたび、来た道を戻っていた。
なんでそんなことをしたのかといえば、胸騒ぎがしたとしか言いようがない。
カシワザキとの会話から、彼が野盗ではないということは、トリッティはもう、だいたい確信していた。
だが、まっとうな商人のようにも、あまり思えなかった。
思えなかったら放っておけばいい、というのは確かなのだが、好奇心が勝ってしまったのだ。
だから、トリッティはそれを見た。
「……なんだよ、これ」
声が、思わず震える。
目の前の一団は、野盗なんかでは決してなかった。
だが、商人なんかでも、断じてなかったのである。
しっかりとしつらえられた兜や、皮鎧。そして剣。
それらで武装した彼らは、間違いなく――
「っ、ってえっ!」
「動くな」
取り押さえられ、トリッティはうめいた。
油断だった。地の利はこちらが知っていると思って、隠れていれば見つからないだろうと思っていた。
そのまま引っ立てられて連れて行かれたトリッティは、見知った顔を見つけた。
「カシワザキ……」
あぜんとしていると、トリッティを捕まえた男が報告した。
「ソーヤ隊長。隠れていた子供を見つけました。いかがしますか?」
「ん? ああ。取引先の牧場の子供だな」
カシワザキ――否。ソーヤといま言われた男は、そう言って笑った。
「どうこうする必要もねえよ。俺たちが最速だ。……噂が広まったりする前に行動すれば、一切の害はない。そうだろ?」
「では、放しますか」
「そうしてくれ。ボウト牧場にあまり大きく恨まれたくもないしな」
「あ、あんた……」
「よう、トリッティ。ありがとな。おかげで、エリアム南軍との取り引き、たったいま引き渡しが完了したところだ」
ぬけぬけと、ソーヤは言った。
「あんた、あんたら、いったいなにをする気なんだ! これから、いったい……!」
「なんだ。知りたいのか? なら教えてやろう」
ソーヤはにししと笑って、それから北の国境線の奥に視線を向けて、
「これから攻めるんだよ。フリユを――あの寝ぼけた国を、蹴飛ばしてやりに行くのさ」
と言った。
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なにごともなくトリッティは解放され、そしてソーヤたちは北へ向けて走り去った。
泡を食ったトリッティは牧場に戻って報告したが、バイガや、その場に居合わせた兵士たちには本気にされず、「幻覚でも見たんじゃないか?」とまで揶揄された。
それが幻覚でないことを皆が知るのは、これからもうしばらく後。
大陸の誰もが信じられないと思うような結果が訪れた、その後――トリッティの証言は、そのときになってようやく、信用されるようになる。
彼が見たもの、それは後の世に伝え広まることになる、ある伝説の始まり。
それは、一連の騒動の後に、こう呼ばれるようになるのだった。
――『宗谷俊平の百騎行』と。




