2。奴隷と本と天体観測(後)
その後。
神殿での面倒くさい奴隷所持登録処理をなんとか終え、適当な屋台で昼ご飯を済ませた後、俺たちは中林を連れて屋敷にやってきた。
中林は屋敷の様子を見て、
「人がいない洋館って殺人事件とか起こりそうよねー」
「なぜそれを楽しそうに言う……?」
「ちなみにわたしは推理ものではみんなに逆らってひとりで部屋に戻った挙げ句に死体で見つかるタイプよ」
「そんな情報はいらん。ていうかだな、中林。ちょっと状況を説明するから」
「説明しなくても見ればだいたいわかるわ」
「そ……そう?」
「ええ。もちろんよ。……そう。宗谷がそんなエロいことを」
「絶対おまえはわかってない!」
ていうか、エロいことから離れろ。
「まあ冗談はともかく、そうね。本来ここにいた住人がいなくなったのはここ数日以内。理由は事件性のあるものではなくて、おそらく金銭関係のトラブル……ってとこかしら」
すらすらと中林が言った。
「合ってる?」
「……おまえは探偵か」
「失敬ね。私は探偵でも推理小説マニアでもない。ただの学者よ」
「学者って、やっぱ天文関係?」
言うと、中林は一瞬口ごもり、
「どっちかというと代数学が主な専門なんだけどね」
と、日本語で言った。
「代数学……ねえ。たしかに、あんまり探偵っぽい職業ではないな」
「ええ。まあ一般教養で解剖学は取ったことあるから、検死のまねごとくらいならできるけど」
「…………」
ありがたくない教養だった。
「まあ、それはとにかく」
中林は言語をエリアム語に戻した。
「いちおう念のために確認しておくけれど、合ってるのよね? 私の推理」
「つか、なんでわかったんだ?」
「数日以内ってのは、庭や屋敷の荒れてない具合を見ての判断よ。
事件性がないと判断したのは、兵士の量を見て。貴族の家で大事件があって人払いしているとかなら、兵士がもっと詰めているでしょ。それで、他にいちばんありそうなのはって考えたら、お金がなくなったというのを真っ先に思いついたから」
「ほー……ナカバヤシ、すごい」
「褒められると悪い気分じゃないわね。
で、なんでそんなことになったの? いままでキリィとしゃべった印象からだと、あなたがそんなに使い込むなんてけっこう大事っぽいじゃない」
「その……結婚詐欺に」
「うわ最低。男とかみんな死ねばいいのに」
「ちょっとそれは言い過ぎじゃね?」
中林の思考の飛び方は、なんか、すごい。
「あら宗谷。なんでまだ死んでないの?」
「なんで俺が死ななきゃいけないんだ!?」
「いまの男子のトレンドは自殺よ。自殺系男子。流行ると思うわ」
「そんなトレンドはいらねえ! つうか流行らねえ!」
「じゃあ自害系男子で」
「同じだっ!」
「なら自傷系男子。美少年がリスカとか超萌えるわー。襲いたい」
「病的な嗜好を陳列しているところ申し訳ないが、俺はそもそも美少年じゃねえ」
「あら、言われてみれば」
中林はぽん、と手を打った。
そして首をかしげ、
「美少年じゃない男に存在意義はあるのかしら……」
「いちおう言っておくが、おまえがそういう発言する度に世間的なおまえの好感度はどんどん下がっているんだぞ」
「大丈夫よ。私、美人だから」
「性格ブスめ……」
「まあ、そんなコントはともかく」
中林はぽん、とまた手を打った。
「それで目標はなに? とりあえず生活していくこと?」
「お家再興、だそうだ」
「再興ね。ふむ」
中林はちょっと考えて、
「領地は? 秋には税収があるんじゃない?」
と言った。
「うん。それはあるけど……」
「いくら?」
「ええと、キリィ。いくらだ?」
「んとね、16ドートカスム」
……知らない語彙が出てきた! ぴんち。
「16ドートカスムね。ふんふん」
しかも中林はわかってる。大ぴんち。
「む。なによ宗谷。へんな顔して」
「いや。……その、ドートカスムってなに」
「麦の計量単位よ」
「あ、そうなんだ」
「転じて、田畑の測量単位にもなってるんだけど、今回の使い方はこちらね。
ふむ。そうすると金貨換算で500枚程度は確保できるのかな?」
「す、すげえ量だな……」
と、いうか。もうそれだけで再興できるんじゃね?
と思ったのだが、中林ははぁ、と吐息。
「他の収入は?」
「使用人たちに任せてたから……よくわかんない」
「そう。じゃあ、この予算内でどうにかするしかないわけね」
中林はそう言って、口を閉ざした。
……?
「なんだよ。500枚あれば十分やってけるだろ。なんか問題でもあるのか?」
「まあ、宗谷がそう思うならいいんじゃない?」
中林はそっけない返事。
……なんか言いたいことでもあるんだろうか?
「それより天体望遠鏡はどうなったの?」
「あ? ああ、知り合いの工房に預けてある。今日必要か?」
「まあ、焦らなくてもいいけど。明日には欲しいわね。
工房に行くってのなら私も連れて行ってもらえる? 見てみたいものがいくつかあるの」
「ああ。そりゃいいけど」
「助かるわ」
言って、中林はにこりと笑った。
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そんなわけで、また夜。
今日もあの黒い月が出てるのかな、と思って窓際に行くと、外に中林がいた。
「おーい、中林」
窓を開けて呼ぶと、彼女は振り返っててくてくと歩いてきた。
「なによ宗谷。寝てないの?」
「いや寝るけど。なに見てたんだ?」
「星よ」
中林は、なぜか胸を張って言った。
「夜にわざわざ外に出て見るものなんて、星以外にないでしょう」
「まあそうかもしれないけど。でも星の一角はへんな月のせいで見えないんだろ」
「そうみたいね。なんであんなことになったのか知らないけど」
中林はそう言って、鋭い視線を空に向けた。
「エリアム人によると、悪い魔法使いがあれをやったせいで地上に魔物が大量発生したとかいう話だが」
「魔法、ね」
中林は自嘲するように言った。
「悪い冗談みたいだけど、本当に実在するのよね。この世界には」
「そうだな」
誰もが使えるわけじゃないが、使っているのを見ても誰も驚かない。
そんな「当たり前」の光景は、最初はカルチャーショックだった。
まあ、がんばって習得したけど。
「やっぱり、中林にとってもショックだったのか? 魔法」
「さあ? そんなでもないわ。少なくとも、異世界に飛ばされる現象のほうがショックだった」
「まあ、それも超常現象と言えば超常現象だがな……」
「あら宗谷。それは超常現象じゃないわよ。ただの物理現象」
「え?」
なんだそりゃ。
「どういうことだ? 俺たちがこの世界に飛ばされたのは、実は現代科学が解明していた超ワープ理論で説明つくとかそんなのか?」
「そんなわけないでしょ。そうじゃなくて、もっと根本の話」
「……?」
「そうね。こういう話をしましょうか。錬金術って知ってるかしら?」
「えーと。名前だけなら」
「鉛を金に変える学問ってことは?」
「まあ、そのくらいなら知ってる」
「じゃあそれが科学でない理由は?」
「え。そりゃ、だって……」
そんなこと言われても困る。
「わかんない?」
「いや……その。錬金術からまともなところが分化していって化学ができたって話はよく聞くけど」
「それは歴史の話でしょ。そうじゃなくて、いま錬金術って言われたら詐欺の代名詞みたいな扱いじゃない。そういうことになった根本の理由を問うているのよ」
「……えーと」
言っている意味がよくわからない。
「いや。だって鉛を金になんてできるわけないじゃん」
「そうよ。それが正解」
「は?」
「通常の化学反応じゃ、鉛から金はどうやったってできない。その事実が明らかになったから、錬金術は科学でなくなったの。そうでしょ?」
「あー、まあ、ね」
中林はそこでぴっ、と指を立て、
「そこで逆転の発想。もし鉛を金にすることが可能だったなら、錬金術は科学になっていたんじゃないかしら?」
「……ははあ」
そこまで言われると、さすがに俺もなにを相手が言おうとしているかわかってくる。
「なるほど。つまり魔術も、それが可能であるなら科学される対象ってことか」
「そういうこと。
超能力とか、予言とか、宇宙人とか、幽霊とか――そういったいわゆる超常現象というのはね。目の前で起こってたらもうそれはただの現実なのよ。少なくとも、超常ではあり得ないわ」
「まあ、そりゃそうかもしれんな」
手から炎が出るのが普通だったら、誰も手から炎が出ることを超能力とは思わないだろう。ただの能力――いや。動作だ。
歩くとか走るとか、持ち上げるとか飛び上がるとか、そういうのと同列のところに炎を出すという項目が加わるだけ。
それだけの話だ。
「じゃあ、おまえにとってはあのブラックホール化した月も、ただの物理現象なのか」
「もちろんそうよ。
でもあれ、ブラックホールじゃないわよ? 念のために言っておくけど」
「ん……? 断言する根拠でもあるのか?」
「ええ。ブラックホールってね、近くを通る光を重力で曲げるのよ。レンズみたいにね。だから、もしあれがブラックホールだったら、重力レンズの影響で後ろの星はへんな見え方するはずよ」
「へええ。そうなんだ」
「……ま。でも、ブラックホールというのは面白い見方ね」
中林はそう言ってほほえんだ。
「その発想はなかったわ。……なるほど。でもたしかにそうよね。最初私は、単に完全に光を反射しない天体だとばかり思っていたけれど。元は見えていたものが見えなくなったというのなら、それは光を反射しない膜みたいなもので覆われているって考え方もできるかもしれない」
「膜、か」
「ええ」
彼女はうなずいて、
「その物理的実体はわからないけど。でも観測させないって点では、その膜はたしかに事象の地平面と呼ばれるに足る性質を満たしていることは事実よね」
「……うん? あ、うん」
よくわからない単語がでてきたのだが、とりあえず流しておく。
と、彼女はいたずらっぽく笑った。
「宗谷。宇宙検閲官仮説って聞いたことある?」
「……ごめん。そういうのぜんぜんわかんない。俺、文系だから」
「理系でも宗谷の年くらいなら、知らなくてもおかしくはないと思うけどね。
まあ、とにかくブラックホールみたいなのの中が典型的なんだけど、どっかに特異点ってのができるのよ。特異点ってのは物理的な状態を計算しようとするとおかしなことになるっていう点なんだけど」
「うんうん」
「で、その特異点は、計算上は我々に見えるところにも現れるかもしれないってことが知られているんだけど、なぜか望遠鏡でいっぱい観測してもそういうのはひとつも見つけられていないのね。そこで、偉い学者さんが言い出したのが、『まるで特異点が検閲されるかのように、この世には特異点が我々に見えるところに発生しないカラクリがあるんじゃないか』ってこと。この仮説が、コズミック・センサーシップ・ハイポセシス――まあ、日本語に訳すと宇宙検閲仮説、あるいは宇宙検閲官仮説っていうことになるわけね」
「ほうほう」
相づちを打つ。
細かいところはよくわからないが、おおざっぱにはわかった気がする。中林、わりと説明はうまい。
「でまあ、センサーシップって英語にはたしかに検閲って意味と検閲官って意味の両方があるわけで、日本語訳はどっちも間違っていないんだけど。でも言葉がちょっと特異でしょ? 検閲官なんて」
「まあ、物理学の用語としてはちょっと変な感じだな」
「そうでしょう? というか、この用語からはなんか、宗教のにおいを感じるのよね」
「……しゅ、宗教?」
「アインシュタインは」
と、中林は俺の困惑を無視して続ける。
「物理法則を神と呼び換える言い方を好んでいたって聞くけど。検閲官って言い方はなんか、検閲元の存在を連想させるのよね」
「あー、そういうことか。つまり、神様がそのトクイテンを見ることを禁止しているってニュアンスを感じるって言いたいのな」
「あるいは悪魔かも知れないけどね。
まあ、神でも悪魔でもどっちでもいいわ。とにかく、その宇宙検閲官仮説というのは、我々がなにかを暴こうとする行為に対する敵対者の存在を空想させるってこと」
「うん。まあ、そうかもしれないな」
「宗谷と話していて、それを思い出したわ」
「……えーっと」
話が、さっきからちょいちょい飛躍してついていけない。
「だからさ。悪い魔法使いとやらが、あの膜を作ったってのが伝説なわけでしょ?」
「あ、うん。まあそうみたいだな」
「なんのために、って思うじゃない。でも宗谷がブラックホールとか言ったおかげで、ああ、検閲を逃れるためなのかな、って思ったのよ」
「検閲って……」
「そ。宇宙検閲官の、検閲」
「神様のか」
「あるいは悪魔のね」
言って、彼女は苦笑する。
「私らしくない発想かしらね。ちょっと飛躍が過ぎるし。
でもまあ、そういう裏があるとしたら、伝説もそれなりに説明がつくかなって思ったの。その魔法使いはもしかしたら――物理法則に逆らおうとしたのかもしれない」
「……なるほどねえ」
学者の発想はよくわからんなあ。
それにしても、月をブラックホール呼ばわりしたところからそこまで話がふくらむとは思わなかった。
「ふう」
彼女は吐息して、それからあくび。
「眠くなったわ。もう寝る」
「ああ。そうするといい」
「宗谷も夜更かししないようにね。明日からいろいろたいへんなんだろうし」
「まあな。……というか、いざとなったらおまえにも手伝ってもらうからな、金策」
「ふーん。まあいいわよ」
「余裕って顔だな」
「任せなさい。なにしろ、私は一般教養で経済学の授業を取ったこともあるんだからね」
胸を張る。
へえ、と思ったのだが、中林は俺の顔を見て困惑したように、
「なんで笑わないの……?」
「え。なんでってなんで?」
「おかしいわね。たしかに若干知的に高度ではあったけれど、それでも標準的な中学生以上には誰でも爆笑必至のブラックジョークだったのに」
「いろいろ突っ込むところはあるがとりあえずひとつだけ言っておくと、誰でも笑えるブラックジョークなんてねえよ」
「なるほど。宗谷はブラックジョークはダメなタイプだったのね」
「いや。それ以前にどこが面白いかわからないんだけど」
言うと、中林はきょとんとして、
「え? だって経済学が金儲けに使えるわけがないじゃない」
「……そ、そう」
とまあ、こんな感じで。
ひょんなことから仲間に加わったこの中林宿李というやつは、偏屈で、相当な変わり者で、わかりづらくて、そのくせ話していて退屈しない、面白い変人なのだった。