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中林さんの天球儀(旧作)  作者: すたりむ
第3章:暗殺計画編
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4。フェルマー予想(後)

 そして、あっという間に中林の講義の日になった。


「楽しみだなあ。なに話す気なんだろうなあ、ナカバヤシの奴」

「ナチュラルにおまえが俺の横にいるのが不思議なんだけど……暇なの? マリイ」

「暇じゃねえよ。殺すぞ」

「じゃあなんでここにいるんだよ」

「そりゃナカバヤシの愉快講演だぞ。カルアたんを質に入れても見に来るだろ、常識的に考えて」

「おまえが仕事をどう処理してここに来たのかだけはわかったよ」


 ていうか、あのひとが機嫌悪いと俺もとばっちり食らうから、やめて欲しいんだけど。


「つうか、いまバレてないからなんとかなってるけど、これおまえがいるってバレたらやばいんじゃねえの?」

「騒ぎになるだろうな。だが大丈夫だ。見よ、この完璧なまでの変装!」

「麦わら帽子とか室内で被る奴初めて見たわ。つーか、かえって浮いてる」

「ふふふー。かわいいだろ。惚れ直したか?」

「なんで惚れてること前提なの?」

「え、エリアムの男はみんな、惚れないと殺すって言ったら私に惚れるぞ?」

「それは惚れてると言っていい状態なのか……?」

「まさに殺し文句だな」

「そのまんまのな」


 ひそひそ声で馬鹿な話をする俺たち。

 まあ、浮いてるとは言ったが、聴衆が死ぬほど多いので、さほどマリイも目立ってない。


「でシュンペー。おまえの関係者はどのくらい来てるんだ?」

「キリィはどっかにいるんじゃないかな。もちろん、一人だと危ないからナイエリを護衛に連れてるだろう。ミッタは課題でそれどころじゃないって言ってた。あとリシラは講義を手伝う係なんで、むしろ裏方」

「案外いるな。やはりナカバヤシの注目度は高いということか」

「まあ、公開実験の後だからなあ」

「それでこそ、この大講堂の使用許可を無理やり出させただけのことはあるって話だ。本当はナントカという名誉講師のジジイの記念講演がある予定だったんだが、無理やり日程ずらしてねじ込んでな」

「おまえ、そういうことするから恨まれるんだぞ……」

「いいんだよ。聴衆だって、そのジジイの数倍はナカバヤシに期待してるだろ。

 お、出てきたな。それとなんだありゃ? 文字が書かれた木板を演壇に並べ始めたぞ?」

「ああ、それは事情聞いてる。なにしろエリアムには黒板がないからな。資料作るのも一苦労だって中林の奴がぼやいてた」

「コクバンってなんだ?」

「緑がかった黒い板でな。チョークっていう、白い粉を固めた棒をこすりつけると削れて白い線が書ける。拭けば消えるから、講義で大活躍」

「ほー、そりゃ便利だな。そのうち、うちでも予算つけて発明させよう。

 ん、あの木板に書かれてるのは数式だな。なになに……3×3+4×4=5×5? 当たり前じゃないか。なんだありゃ」

「俺に聞くなよ」


 言いながらも、俺は首をひねる。

 たしかに、これはこの前に雑談で話した、ピタゴラスの定理でよく出る組み合わせである。直角三角形の短い辺の長さが3と4なら、斜辺の長さは5である……とかいう、そういう話。

 あの雑談で中林が講義の着想を得たというなら、こういうのが出てくるのはわからなくもないが……


「お、中林が出てきたぞ。シュンペー」

「講義開始だな……どうなることやら」

「事前におまえはどういう講義か聞いてないのか?」

「聞いても俺の頭じゃ数学の話なんてわかんねえよ」

「なんだおまえ、こういうの苦手なのか? 意外だな。日本人はだいたい数字に強いと思ってたんだが」

「そりゃ、エリアム人よりは強いかもしれんけどさ……」


 なにしろ、エリアムには二桁の足し算すらできない人間が多いのである。

 俺だってさすがにそのレベルは苦労しない。そういう意味では「数字に強い」と言えるだろう。もちろん、だからといって中林の数学力に対応できるわけもないのだが。

 と、中林がこちらにちらりと目線をやって、それから口を開いた。


「なんか聴衆にティア・マリイと似たのがいるけど、当てて問題解かせて笑いを取れって趣旨かしらね?」


 どっ、と会場が笑いに包まれた。


「――よし、全員殺す」

「待て待て待て落ち着け! みんな冗談だと思ってるだけだから!」

「ははは馬鹿だなあ宗谷。私だって冗談のつもりに決まってるじゃないか」

「そ、そうか……?」

「だから冗談で全員殺してもいいよな?」

「冗談じゃねえよ!」


 俺たちが見苦しくやり合っているうちに、中林の講義は始まっていた。


(…………)

(見たところ、普通の講義だな)


 最初は、リシラの前でやったような、ピタゴラスの定理と直角二等辺三角形の話。

 次に、その三角形の辺の長さに対応する数の話。

 3の二乗と4の二乗を足し合わせると5の二乗になる。このように、第一の数の二乗と第二の数の二乗が第三の数の二乗と等しくなるような自然数は、ああやって見つけられる、こうやっても見つけられる。そういう話が始まった。

 中には12と35と37とか、33と56と65とかいう組み合わせも出てきて、俺もかなり驚いたものである。よくこんなの出てくるなあ、なんて感心しながら聞いていたのだが。


(…………)

(……………………)

(………………………………)

(え?)


 おいおいおい。

 これ、まさか――


「と、このように。

 二乗を四乗に変える――つまり、第一の数の四乗と第二の数の四乗が第三の数の四乗と等しくなるような自然数の組み合わせがあるとすれば、第三の数がもっと小さいような、同じ条件を満たす組み合わせが存在することがわかりました。この操作は何回でも行えるので、ある自然数より小さな自然数が無限に存在することを意味しますが、そのようなことができるはずがないので、このようなみっつの数は、絶対に存在できないことがわかります」


 いましゃべった内容が書かれた木の板をこんこん、とたたきながら、中林は言った。


「さて、ところで。

 四乗で存在しないことがわかったみっつの組ですが、これは私の故郷である太陽の国では、三より大きな乗数であれば全部、存在しないことが示されています。

 私はこの定理の真に驚くべき証明を知っているのですが、木板が狭すぎて書くことができません。そこで、これはみなさんへの宿題(・・・・・・・・)とします」


 中林はさらっと言って、ほほえむ。


「期限は一年。三乗のみでけっこうです。私が正しいと納得できるような、いま述べた非存在の証明を提出した人間がいた場合には――その中で最も早かった人間に対して、この前の公開実験で私がパナル・カルマナルカから得た財産を賞金として全部進呈しましょう」


 どっ、と大講堂が騒がしくなった。

 当たり前である。パナルの財産といったら、そこらの貴族よりもずっと多かったのだ。その全額が賞金となれば、これはお祭り騒ぎになること確実である。

 ただし――


(いや、無理だろ、これ……)


 と、俺は思わざるを得なかったのだが。


「以上で私の講義を終わります。

 ご静聴ありがとうございました」


 こうして、中林の講義は、最後に一波乱を抱えて、終了した。



--------------------



「なあ……あれ、無理だろ?」


 終わった後、中林の執務室で俺は、開口一番そう言った。

 一緒についてきていたマリイは、きょとんとした顔で、


「え、無理なの?」

「無理だと思うぞ」

「四乗のときの証明は私でも理解できるレベルだったから、三乗のときだけでいいなら楽かなーと思ってたんだが」

「おまえ、それはあれがどういう問題か知らないから言えるんだよ……なあ、中林。あれ、フェルマーの最終定理(・・・・・・・・・・)だよな?」

「そうよ」


 中林は平然と答えた。


「ていうか、宗谷ってあれ知ってたのね。その方が意外だわ」

「なんか噂でしか聞いてないけどな。解かれるのにすんごい時間がかかったんだろ?」

「ええ。そうよ」


 中林は平然と言った。

 横にいたリシラが首をかしげた。


「そんなに難しいの? あの問題」

「おまえは解けるのか? あれ」

「やってみたけど、うまく行かなかった。『全部3の倍数になる』とか言えるのかと思ったら、うまく言えないんだよねー」


 リシラは肩をすくめた。

 中林はうなずいて、


「そうね。マリイもリシラもいるし、ちょうどいいからこの問題の話をしておきましょうか。

 昔、フェルマーという弁護士がいたのよ。どーも人付き合いが悪かったらしくて、余暇の時間をもてあましていた彼は、趣味で数学をやってたわけ」

「ほうほう」


 マリイとリシラが身を乗り出した。

 俺もあんまり詳しく知ってるわけじゃないので、興味深く聞かせてもらうことにする。


「で、古代ギリシアの数学の本を読んでいて、気ままにそれにメモ書きをしてた彼は、そのままメモ書き付きの本を残して死んだ。

 ところがその子供が抜け目がなくてね。親のフェルマーはその本の書き込み以外にいろいろな数学の業績があって名前を知られていたから、『フェルマーの書き込み付き』の本を印刷して、出版して稼いだのよ」

「微妙に情けない話だな……」

「まあ、ともかくそれで、フェルマーのメモが世に出ることになった。

 その書き込みの多くは未解決問題の予想とか、証明できるとかいう書き込みだったんだけど、そのうちひとつを除いては他の数学者たちによってすぐに正しいこと、あるいは間違ってることがわかった。ところがそのうちひとつ、『真に驚くべき証明を発見したが、余白が少なすぎて書けない』という書き込みと共にあった問題だけが、正しいことも、間違っていることもわからないまま残った。それが――」

「フェルマーの最終定理、だよな」

「まあ、証明されてないんだから『フェルマー予想』って呼ばれるべきだと主張するひとも多かったけど。いまは証明されてるから、フェルマー=ワイルズの定理って言われることも多いわね」

「なるほど。あの講義のときに木板が狭いとか贅沢言ってると思ったら、あれはパロディだったのか」


 マリイが感心したように言った。


「だけど最終的には解かれたんだよな? 何年かかったんだ?」

「360年」

「…………」


 マリイは沈黙した。


「360年よ。言っておくけど、問題が数学者から無視されていたなんて事実はないわよ――長い間この問題は懸賞金付きだった上に、それ以外でも注目を浴びて、歴史上名前が残っている数学者が次々と参加していったにもかかわらず、最終的な解決には360年を要したのよ」

「うええ、そんな難しい問題だったの!?」

「おまえ、それを1年で解けっていうのはいくらなんでも無理じゃないのか?」


 口々に言うリシラとマリイに対し、中林はしかし、静かに首を振った。


「私はそうは思わない」

「どうして?」

「一つ目に、私が出した問題は、フェルマー予想の一部でしかない」

「ああ、そういえば三乗だけでいいって言ってたな」


 俺は中林の講義の、その最後の言葉を思い出した。


「そうよ。不完全な証明ではあるけど、オイラーがすでに三乗を証明してる。これはたしかにかなり高度な証明ではあったし、しかも不備があったけれど、私はこの証明が出てきた場合には準正解として、賞金を与えるつもりよ」

「ふうん。それで、その証明が出てきたのは何年後だ?」

「だいたい100年後」

「……やっぱ無理じゃねえの?」

「まだ全部の理由を言ってないわよ。……二つ目に、私たちがなぜフェルマー予想の証明に苦戦し続けたかというと、それは『正しいかどうかわからない』からだったのよ」


 中林は静かに、そう言った。


「実際、フェルマーの書き込みには間違っていたのがあった。だから、フェルマーはもしかしたらこの場合も間違えてたのかもしれない。

 なので数学者はこの問題に取り組むとき、常に「証明できるかどうか」と、「反例があるかどうか」を、交互に考えていく必要があった。正しいという確信がない定理を証明するのは、そうでない場合よりはるかに難しくなるわ。20世紀になって、コンピュータで数百万乗以下のすべてのものについてフェルマー予想が正しいことが示されてからは、さすがに疑う人間はもういなかったと思うけどね」

「じゃあ……」

「でも今回は私が、解決できるっていうお墨付きを与えてる。だからエリアムの人間は迷う必要がないわ。これだけで難易度は激減。天才なら1年で解ける範囲まで来ていると思うわ」

「……そういうもんか?」

「かの天才数学者ジョン・ナッシュだって言ってるのよ。人間、問題が未解決だと知らなければ案外解けるものであるって」

「それはそのひとが天才だったからなんじゃねえの?」

「まあ未解決問題を期末試験に出した言い訳がそれなんだけどね」

「ひどい話だな!」


 確実に、中林以上にひどい。


「で、三つ目の根拠だけど」


 中林は言った。


「私は四乗の証明を公表している。あれはフェルマー自身の証明なんだけど……他の場合に応用しやすいように整えたバージョンを、わざわざ公表したのよ。ここまで状況が揃えば、本当に1年で解く人間が現れるかもしれないわね」

「そうなのか……」

「まあ、無理だろうけど」

「最後でちゃぶ台引っ繰り返した!?」


 ていうか、無理なんかい。


「いやあ、だって複素数使うんだもの、あの証明。その概念の補助なしだとさすがに無理でしょ」

「だから最初から無理だって思ったんだよ、俺は……」

「わかんないわよー。ガロアやラマヌジャン級の天才がエリアムにいないとも限らないもの。もしかしたら本当に、1年で解いてくるかもしれないわ」


 楽しそうに言う中林に、マリイが尋ねた。


「だがその場合でも、おまえが証明を正しいと認めなかったら賞金は渡さないのだろう?」

「あら。じゃあ条件追加する? 正しい証明が出なかったら神殿に寄付でもいいわよ?」

「え、マジかよ。財政状況的には助かるけど」

「元より、今回懸賞つき問題を出題したのは、それも狙ってたのよ。宗谷が、私が目立ちすぎて暗殺される可能性とかを危惧してたから。賞金付き問題があれば挑戦者のみんなは私が死ぬと困るだろうし、パナル・カルマナルカの財産を奪ったってのも、個人の財産にしなければうらみは減るだろうからね」

「そういう話か。ならたしかに、そうした方が無難だな」

「……まあ、それに」


 中林は楽しそうに言った。


「心の奥底で、私は本当に望んでいるのよ。エリアムの人間の中に、この問題を1年で解いてくる天才がいることを。その可能性を。

 それができるんなら、エリアムも捨てたものじゃないかもしれない。だとすれば、私が持っているもうひとつの(・・・・・・)未解決問題・・・・・――それも、エリアム人に託すことを、本格的に考えてもいいわ」

「もうひとつの、未解決問題?」

「ええ。私が日本で挑戦していた、ある問題。現時点で本当に未解決の問題。その証明の、最後のピースになるはずだった論文を、私が研究室に置いてきてしまったせいで解決できない問題。それを――」


 中林の言い方は、まるで――祈るようだった。


「『リーマン予想』を、エリアム人に託すことを考えてもいいわ」

【フェルマー予想】

詳しくはサイモン・シンの「フェルマーの最終定理」をご参照ください。ぶっちゃけあの本がよく書けすぎていて、webで調べられる内容もほとんどあの本をタネ本にした内容になっちゃってます。

あとジョン・ナッシュの、期末試験に未解決問題云々の逸話は「ビューティフル・マインド」の書籍版を参照ください。映画版じゃダメですよ。あれは書籍は伝記ですが映画は創作です。


フェルマーの最終定理の最もすごいところは、書籍にもありますが、これほど困難な問題なのに「定理の主張だけなら、小学生でもわかる」ことだと思います。

他に著名で、かつ解かれた難問でこの条件を満たすの、四色問題くらいじゃないですかね。もちろん、リーマン予想はこの条件を満たしません。上の書籍に出てきた問題だと、ケプラー予想もあまりわかりやすくはないですよね。


この回を書くに当たって苦労したのは講義の形式です。常識的なファンタジー世界の状況だと黒板とチョークはほぼ無理だと思っていて、それに類する講義するとしたらどういう形式になるかなあ、と考えた結果、木板をあらかじめ用意して並べるという、すごい人件費がかかる内容になりました。でもまあ、エリアムくらいの文明レベルで講義するとしたらアレしかないかなあ……と思います。光の魔術で文字作るとかも考えたんですが、たぶんそんな高レベルなことできるほど中林は魔術使えませんからね。


(2017/10/1追記)

小説用に自分が作った四乗の証明が間違っていたので、正しい形に本文を訂正しました。

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