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中林さんの天球儀(旧作)  作者: すたりむ
第3章:暗殺計画編
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4。フェルマー予想(前)

 前にも言ったことだが、『ナイムの小魚亭』という軽食屋がある。

 第三街区の、第二街区との境目付近にあるここは、俺が気軽に乗り合い馬車で行ける位置にあることもあり、時間があるときには昼飯を食いに行く、そんな店なのだった。

 今日もこの店は大忙し。昼時だからか、家族連れや老人などの姿が目立つ。

 その店のカウンターに俺はいま座っていて、こうして飯を食べている。

 連れは特にいないはずなのだが、いま俺の横には一人の男が座っていて、食事を取りもせずに居座っている。


「そんな態度だと浮いて目立つぜ」

「……わかっておる」


 相手は重々しげに言った。

 ――この相手の素性を、俺は相変わらず知らない。

 わかっているのは、この相手が『マリイの殺し方』を求めているということだけである。

 とはいえ。


「あんたもよくよく迂闊なことが多いな」


 と、素直な感想を口にする。


「なにがだ?」

「なんか内偵に来た奴がいたぜ。マリイの秘密を外部に漏らそうとしてるだろって」

「…………」


 相手の表情は変わらない。

 まあ、そんなもんだろう。だから俺は続ける。


「マリイ直属……って風にも見えなかったがね。敵か味方かも判然としない。とにかく、冷や汗もんの状況だったぜ。対応間違ってたら、俺の首が飛びかねなかった」

「だろうな」

「んで、とりあえず適当な嘘情報ばらまいて退散させたが、一応確認しておくぞ。アレ、あんたらの仲間ってんじゃねえよな? 仲間だってんなら、あんたらの信用ランクも1ランク減だぜ――なにしろ、適当な嘘でもって俺の口を滑らせて、ただで情報を手に入れようとしたってことだからな」

「無論だ」


 男は重々しく、うなずいた。


「おそらくは、我々と別系統のなにかの組織の手先であろうよ。貴族の誰か……あるいは、カルア・マルジゴルドあたりの手先かもしれんがな」

「カルアさんねえ。あまりあり得そうにないと思うがな」

「なぜだ?」

「だってあの人、マリイの殺し方普通に知ってるもん。俺が嘘ついたらすぐわかるよ」


 わりと大きな声で言ったのに対して、相手はじろりとこちらをねめつけた。


「……声を小さくしろ。誰に聞かれてるかわからん」

「いやあ、それはないだろ」


 俺はへらへらと笑って、店の内部を見渡した。

 今日もこの店は大忙し。昼時だからか、家族連れや老人などの姿が目立つ。

 ――なーんて。


「だってこの店の客も従業員もみんな、おまえらの仲間だろ?」


 瞬間、空気が激変した。

 ものすごい勢いで四方八方から、俺の首にナイフが突きつけられる。

 が、俺は余裕の表情を崩さない。


「……いつから気づいていた?」

「だっていつもの店員と違うし。味もなんか微妙だし。

 挙げ句に、客層がいつもと全然違う。ここはな、市場に近いから、昼時になるとささっと食事を済ませたい市場関係者でごった返すんだよ。間違っても家族連れや老人がメインの顧客じゃねえ」

「思い上がるなよ、小僧」


 男はいらだたしげに言った。


「その気になれば貴様の首なぞ、いつでも刎ねられる。あまり我々の神経を逆撫でしないほうがいいと、忠告させてもらおう」

「え、この戦力でおまえら、マリイに勝てる気なの?」

「…………!?」


 慌てて窓の外を見る男に、俺はけらけら笑った。


「馬鹿、そういう意味じゃねえよ。いま外にマリイはいねえさ。

 だが覚えておきな。俺がおまえらとの取引に応じるのは、おまえらがマリイよりも俺に高値を付ける可能性があるからだ――その可能性がないと見切ったならば、俺は、たとえばこのタイミングで、外にマリイを呼びつけてる」

「……貴様」

「思い上がるな、か。そっくりそのまま返させてもらおう。

 あまり俺との取引を甘く見ないほうがいい。薄氷の上を渡っているのは――おまえらの方だぜ」


 俺は、ナイフを突きつけられたまま、余裕たっぷりにそう返した。



--------------------



「なーんて言っちゃってさ、実はおしっこ漏らす寸前だったんじゃないの、シュンペー?」

「当たり前だろマジで! あーもうひどい目にあった、なんで俺がこんな修羅場渡らなきゃいけねえんだよ!」


 リシラの言葉に俺はどなり返した。

 ここはリシラの工房である。まだ弟子を雇っていないため、ここに来る人間はごく少数だ。


「待ち合わせ場所を指定されて行ってみて店員やら客に違和感を覚えた時の、俺の冷や汗ったらなかったぞ……! とっさにはったり用意して切り抜けたけど、あそこで相手が気が変わったとか言って斬りかかってきたら一巻の終わりだ」

「危なかったねー。というか、店員さんは大丈夫だったの?」

「魔術で眠らされてたようだったな。まあ、そのへんは派手にやったりしないだろ。あいつらはいま、マリイに目を付けられたら終わりって立場なんだから」


 だからこそ、俺自身も今回傷つけられることはないと読んでいたのだが。それでも怖かった。


「ていうか」


 と、言ったのは中林だ。

 今日は比較的業務が少ないので、こいつもいまこの工房に来ている。関係者が勢揃いだった。


「危ない橋渡るわねえ。マリイの暗殺計画あぶり出すために、あえて相手に味方するふりをするなんて」

「おまえな。これ、おまえの暗殺計画を阻止するための試みでもあるんだからな」

「知ってるわよ。マリイの側近が不自然死しまくってるって話でしょ?」

「ああ」


 マリイの側近はおそらく、あいつらに暗殺されている。その理由は要するに、マリイ自体が殺せないからだ。マリイを殺さずに力を削ぐ方法はそれしかないから、あいつらはそうしている。

 だからこそ――だからこそ。俺は『マリイ本体を殺せるかもしれない』というエサを撒くことで、中林に矛先が向くことを阻止したのだ。


「それもこれも全部、おまえがあれだけ目立つことをしちまったせいなんだからな。あの公開実験の影響、思ったよりずっとでかいぞ」

「まあねー。個人的には、パナルの資産なんて欠片も要らなかったんだけど。なんかマリイが勝手に付け足しちゃったから、あの『勝った方が財産総取り』って条件」

「おまえ自身はよく飲んだよな、あの条件。負ける可能性とか考えなかったの?」

「え、そんな可能性なかったでしょ」

「いや。たしかにおまえの推論だと、ここは地球からちょっと離れたところにある惑星だって話だったけど。それが外れてて、実は地面が板って可能性だって残ってたんじゃないのか?」

「あのね、宗谷。フーコーの振り子があの大きさじゃないといけないって、なんで思うの?」

「……は?」


 中林は、まったく宗谷は頭悪いなあ、というジェスチャーをした。


「そりゃ、確実にコリオリ力だけを検出するならあれくらい大がかりな実験装置が必要だけど。雑にでいいなら、フーコーの振り子実験自体は実験室でできるわよ。2メートルくらいの装置で。

 だから私は、あの公開実験の前に予備的にもう実験結果を確かめてたの。そのときに装置は回ってたから、そこで私の勝ちは確定していたのよ」

「…………」


 ひどい話である。マジで。


「逆にパナルの奴が乗ってきたのが意外だったわ。私から提案があった時点で、実験室で予備的に調べたりしなかったのね」

「まあ、そういう発想の人間じゃなさそうだったからなあ」

「現実を描写するために理論を作るんじゃなくて、理論に現実が合うべきってタイプよね。

 あーもう、ああいうのが学者面してるから近代以前は嫌なのよ。ピタゴラスが弟子を論破できなくて腹いせに処刑しちゃった話とかもあるけど、ああいう学者の恥部みたいなのが禁止されてないのよね」

「へえ。そんな話あるんだ」

「あら。知らないの? 割と有名な話だと思うんだけど」

「ピタゴラスなんて例のアレしか知らねえぞ。三角形の斜辺の二乗がなんたらっての」

「三平方の定理ね。まあ、あれと関係する話なのよ、いま言った処刑云々ってのも。

 三平方の定理は直角三角形の話なんだけど、処刑に関係してたのは、その中でも特別な三角形――斜辺以外の二辺の長さが同じ、直角二等辺三角形。その短い辺と長い辺の比率についての論争だったのよね」

「ん? えーと、ちょっと待ってねナカバヤシ。いまそこに砂箱あるから、図に書いてみていい?」

「あら。リシラもこういうの興味あるの?」

「数式嫌いじゃないんだよねー。ええと、短い二辺が同じだから……こう?」


 言いながらリシラは、砂箱(底の浅い箱に砂が敷き詰められたもので、職人同士が簡単に消せる図を書くために使っている道具だ)に手際よく直角二等辺三角形を書いていく。


「これでいい?」

「問題ないわ。それでリシラ、短い辺の長さが1ベクタであるとき、長い辺はどれだけの長さになるかしら?」

「えー、そんなのわかんないよ。1.4くらい?」


 わかんない、と言いつつあっさり答えるリシラ。やっぱり理系である。

 ちなみにベクタというのはエリアムでよく使われる長さの単位だ。


「だいたい合ってるけど、正確じゃないわ。日本語には「ルート2」という便利な言い方があって、それが厳密な正解。

 で、さっきの話に戻るけど。ピタゴラスって数学者は、すべての数が分数で表されるべきだという信念があったひとなのよ。宇宙はすべて分数でできているとか言っちゃうくらいでね。彼の率いる団体も、学問の団体なのか宗教の団体なのかよくわからない感じだったみたい。

 ところが、ある日弟子が、いま言った「ルート2」――つまり、直角二等辺三角形の短い辺と長い辺の長さの比が、分数では絶対に書けないことを証明しちゃったのよね」

「あー……」


 なんか、展開は読めた。


「で、口論になって。でもピタゴラスは、弟子の証明に間違いを見つけられなかったけど、弟子の理論を認めるわけにもいかなかった。それで残った手段が――」

「弟子をぶっ殺して、なかったことにするってことか。えげつねえな」

「実際には殺したんじゃなくて口止めして、口止めを破った弟子を処刑したとか、そもそも全部が伝説だって説もあるけどね。まあ、紀元前だし、あり得ないとは言えない話よ」

「パナルも、そういうタイプだったわけか。処刑する権力がなくてまだマシだったな」


 というか、中林を論破できないからマリイに告げ口、というパナルの行動は、智恵でどうにもできないから権力でなんとかしようという構図なわけで、そう考えるとピタゴラスの逸話そのものである。


「うーん……ナカバヤシ、その『証明』って、僕にわかるレベルの話?」

「あら、リシラは興味あるの? こういう話」

「まあ鍛冶屋に必要あるかって言ったら、あんまりないんだろうけど。でも、わかるなら理解しておきたいじゃん?」

「でも、このレベルの事実ならエリアムでも知られてるわよ? それこそバルチミ家の蔵書の中に書いてあったし」

「文字が読めれば苦労しないよ」

「……そうだった。エリアム、文字教育とか普通してくれないものね。

 まあ、軽くヒント与えておくから自分で解いてみなさい。分数で書けると仮定して、その分母と分子のどちらも偶数であることが示せるの。だからもっと小さい数の分母と分子からなる分数で書ける。このプロセスは何回でも繰り返せることになるから、この分数の分母も分子も、無限に2で割れる数になるけど、そんな数存在しないよね、って証明よ」

「へー。なんかできそうな気がしてきた」

「無限降下法っていうのよ。自然数の一部分を取ってくると必ずそれに最小数があるって性質を利用した証明でね、他には――」


 得意げに数学トークをしていた中林だったが、そこでふと、沈黙した。

 俺は不安になって、中林に尋ねた。


「おい、どうした? 急に黙って。気味が悪いんだけど」

「失礼ね。私は宗谷と違って日々を真剣に生きているのよ。無駄な思考時間は欠片もないわ」

「おまえの言い分が失礼だよ!」

「無限降下法……そっか。そういう手があったか……」


 俺の突っ込みにも反応せず、ぶつぶつつぶやく中林。

 やがて。


「決めたわ」

「なにを?」

「講義する話の内容。ずるずるとここんところ、決めきれないまま考えあぐねていたけど、今日の雑談で定まった」

「そりゃよかったけど、また反感買う内容はやめてくれよ?」

「大丈夫。むしろ逆よ」


 中林は、自信満々にそう言った。


「見てなさい――私の立場を守り、講義としても成功させる。完璧なプランを実行してやるわよ」

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