3。フェルミのパラドックス(前)
夕方、中林の執務室にて。
「とまあそんなわけで、例の装置もらってきたんだよ」
「そう。やっと着いたのね、リシラ」
俺の言葉に、中林は羊皮紙にペンでなにか書き込みを続けながら言った。
「これでもうちょっと、自分の研究の時間が取れるといいんだけど」
「ここんとこ働きづめだったからなー。でもまあ、学者達からのあの実験の受けはよかったし、これでおまえも動きやすくなるんじゃないの?」
俺は気楽に言ったが、中林はなぜかじろりとこちらをにらんできた。
「え、なにその反応」
「悪意があって言ってるわけじゃなさそうね。……あのね、いま私がなにをやってるか、わかってるの?」
「書類仕事だと思ってたんだけど。なに、違うの?」
「講義計画」
「は?」
中林は、ため息をつきながら髪をわしゃわしゃやって、
「この前の実験で評判が上がりすぎて、学者連中からぜひ講義してください! って依頼がひっきりなしに来てるのよ。それで断り切れなくなって」
「……た、たいへんだな」
「ああもう、これじゃ天文データどころの話じゃないじゃないの!」
どん、と机に突っ伏して、中林。
「せっかくエハイトンで神官になればデータさわり放題と思ってたのに。データ書庫の検索性は悪いし仕事でそんな時間もないし、これならキンバリアの方がまだ動けたわよ」
「いっそのこともう、学者連中と連携して共同研究してみたらどうだ? 神殿の人手は使いにくいだろうし、その方が効率いいんじゃねえの?」
「そんなのあいつら受けるかしらね。なんか講義の依頼のときも、珍獣の珍講演を期待してる口調だったわよ?」
「……ダメかな」
「いまの信用力じゃダメでしょうね。なにかブレイクスルーがないと」
「もう一回公開実験とかやるか? ピサの斜塔のアレみたいなの」
「ピサの斜塔って、あのガリレオ・ガリレイがやったことになってる奴?」
「そうそう。……ことになってるって、実際はやってないの?」
「伝説だって聞いたけど。
それに意味ないでしょ。あの実験……というか、類似の実験がどこかでやられていたとして。それは『重いものほど早く落ちる』っていう学派が有力で、論争になってたからインパクトがあったんでしょ。私、その件で誰にも論争吹っかけられてないわよ」
「あー。まあ、それはそうかもなあ」
「それにぶっちゃけ、重いものほど早く落ちるしね」
「へ?」
あっさり言われた言葉に、固まる俺。
「なによ宗谷、意外そうな顔をして。キン肉マン読んでないの?」
「いや、ソースがキン肉マンはさすがに無理だと思うぞ?」
「まあキン肉マンは冗談だけど。でも有名だと思うんだけどなあ。アリがどんな高さから落ちても無事とかいう奴、どっかのテレビ番組でやってなかったっけ?」
「そうなの? え、でも……なんで?」
俺の常識と著しく食い違うので、不安になるんだけど。
「だからね、物体が落ちる速度に関係する法則はふたつあるのよ。
ひとつは、重いものほど強く下に引かれる。もうひとつは、重いものほど動かしにくい。このふたつの法則が釣り合っているから、理想状態では物が落ちる速度に重さは関係ないって話になるわけ」
「ああ、うん。まあ、それはわかるけど、ならどうして重いものが早く落ちると?」
「空気抵抗があるでしょ」
「あ」
ようやく話がつながった。
「空気抵抗の強さは物体の形状で決まって、重さは関係ない。
だから、「強く下に引かれる」の法則は関係ないけど、「動かしにくい」の法則は関係するわけ。結果として、軽いほうが空気抵抗によって落体の速度が落ちるから、落下は遅くなるわ」
「へええ……なるほど」
「ちなみにそんなわけだから、人間も落下速度は一定値を超えないわ。魔術とかを使ってその「一定値」で地面に激突する衝撃に耐えられるなら、高度一万メートルから落下しても生き延びれるかもね」
中林はそう言って、横に置いてあったポットを取ってカップに水を注いだ。
「……それ、お湯?」
「なんでお湯だと思うの? 沸かしてないから普通に水でしょ」
「いや。この前ミッタから聞いてな。属性魔術でお湯を沸かしてお茶するのが神殿で流行ってるんだって」
「えー? このクソ暑い時期に? エリアム人の感性はどうなってるのよ」
「俺が知るかよ」
「んー、でもまあ考えてみると、衛生面では一度煮沸したほうがいいのかしらね……私も検討だけはしてみようかしら」
中林は水を飲みながらそう言い、
「まあ、学者の信頼というか、人手を確保したいなら、やれることはいくらでもあるのよ」
「え、そうなの?」
「そう」
中林は、少し物憂げな表情でうなずいた。
「要はエリアムの実権握っちゃえばいいのよ。そうすれば部下に指示してやりたい放題」
「おまえ実はすっげえ物騒なこと考えてねえか?」
「宗谷が考えてるようなことではないと思うわ。けど……物騒と言えば、物騒かしらね」
「どういう意味だ?」
「宗谷はさ」
中林は唐突に、こちらに身を乗り出した。
「初代ゴジラって、見たことある?」
「なにを唐突に……いや、話の筋を伝え聞いてるくらいだな。核実験で突然変異した怪獣が東京にやってきて、暴れるんだろ?」
「そう。それで、その最後はどうなったか知ってる?」
「ええと……ごめん、なんか聞いた気がするけど、忘れちゃってる」
俺が正直に言うと、中林はうなずいた。
「まあ、見たことないなら、そんなもんでしょうね。
解説するとね、芹沢さんって科学者が発明した新兵器でゴジラを倒すんだけど、彼はその新兵器が広まるのを恐れて、ゴジラと一緒に死ぬのよ」
「あ、思い出した。オキシジェンなんとか」
「オキシジェンデストロイヤーね。まあ、名前はどうでもいいのよ」
中林は言った。
「というか、なんでもいいのよ。ゴジラが放射能から生まれたって設定、核兵器をからめたテーマ設定。ここから考えれば、この兵器って要は核爆弾それ自体の暗喩でしょ」
「まあ、そうなんだろうな」
「つまるところあの映画はこう言ってるのよ。『フォン・ノイマンとか死ねばよかったのに』」
「いや、それは言い過ぎじゃねえの?」
俺は言ったが、中林は首を横に振った。
「昔は私も冗談のつもりでこういう話をしてたんだけどね。……最近、ちょっと思うところがあるのよ」
「というと?」
「さっきの話だけど、エリアムの実権をにぎるってのはたいしたことじゃないわ。ここの農業技術はかなり稚拙だからね。産業革命前の、農業革命みたいなのを技術指導してやれば一気に生産量が上がって、その功績をダシにすれば部下とか領土くらいもらえるでしょ」
「ほう。たしかにそれは平和的な解決策だな」
「……平和的、かしらね?」
「ん?」
中林は、深刻な表情を崩さない。
「いまのプランを実行に移すとして、百年後、エリアムってどうなってると思う?」
「あー、ああ、理解した。人口増加で戦争が起きるって話だな」
俺が言うと、中林は虚をつかれたような顔をした。
「え、一足飛びでそこまで理解する? 宗谷ってそんなキャラだっけ?」
「おまえ微妙に俺を馬鹿に……まあいいや。
いや、歴史は得意分野だったからな。習ったことがあるんだよ。中世にヨーロッパで三圃制農業ってのが浸透して人口が増えた結果、領土の拡大運動みたいなことが行われて、いっぱい戦争が起こったって」
たとえば十字軍や、スペインの国土回復運動など、その時代の大戦争の遠因は農法の改良による人口拡大だと、俺は教わった。
「まあ、いい線行ってるわね。
実際、今回話してたのは三圃制ではなくノーフォーク式だから、そこまでやったら次は産業革命ってことになる。ちゃんとやれば150年後には、エリアムはイギリスみたいに、太陽の沈まない大帝国になってるかもしれないわね」
「まあ、でもそれはその時代の連中の責任だろう。確かに戦争は起こるかもしれないけど、おまえの責任って話にはならないんじゃねえの?」
「そこまでならいいのよ」
「え?」
中林の深刻な表情は、まだ崩れない。
「宗谷。産業革命期のイギリスで、どのくらいの経済成長が起こってたか、知ってる?」
「え? いや、それは知らないけど」
「私も一般教養で習っただけなんだけどね。労働人口一人当たりGDPの成長率が、1%に満たなかったそうよ。
私たちがエリアムに来る前の日本は、不景気だとか成長が止まってるとか言われてたけど。この「労働人口一人当たりのGDP成長率」っていう基準で考えると、21世紀に入ってもまだ、「産業革命期より急激に成長している」のよ。これがなにを意味しているかわかる?」
「……いや」
「私が見るところ、産業革命の前と後では、人間社会は根本的に違うのよ。というか、人間の感性が違う。
産業革命で人間社会は変わった。なにが変わったか? 簡単よ。人類は、『科学の発展が人類の暮らしを豊かにしうる』ということに、気づいたのよ」
中林の深刻な表情は、深みを増していく。
「それより前の時代では、いくつかの例外を除いては、科学の発展は知識の発展でしかなかった。人々の大半は科学なんてどうでもよかったし――実感として、さほどの恩恵も受けていなかった。
だけど産業革命で、人々は科学が役に立つらしいことに気がついた。その結果どうなった? 科学に、予算がつくようになった。様々な国や企業が科学を研究することを奨励しはじめて、その結果人類は爆発的に発展して、発展して、発展して――それで、たった200年足らずで、原爆に行き着いた」
「……!」
ようやく。
話が見えてきた。
「私は、農業革命でエリアムの人口が増えて覇権をにぎるってだけなら、それほど気にしてないわ。べつに戦争が絶対悪だって感性も持ってないし――けど、それでことは終わらない。
すでに私は、『公開実験で論争の決着を着けられる』という知識を、エリアムに与えてしまった。これに『活版印刷術による効率的な知識の散布法』『農業革命による余剰人口の増加』『電力や蒸気の使用による生活の向上』あたりが重なっていけば、たぶん250年くらい後には、エリアムも原爆を作ることになる」
「……それは」
「私はフォン・ノイマンが死ぬべきだったとも、芹沢さんが死ぬべきだったとも思わない。科学の発展はよいことだと思うし、原水爆が絶対悪だとも実のところ思っていない。だから初代ゴジラにはまったく共感できないわ。
だけど、核爆弾というのは、人間が人間を滅ぼせる兵器なのよ。人類が自分自身で全滅することができてしまう――その事実は不幸なことだと思うし、そういう恐怖を抱かないで済むエリアムは、地球人類より幸福だと思う」
中林は、ようやく顔を上げた。
「私はこの幸福を、私自身の身勝手でエリアム人から取り上げたくはない。
いつかは、エリアムも核爆弾にたどり着く。そして人類が絶滅する危機を自覚する不幸に見舞われる。でも、その事実を知らない時間を、私の都合で短縮することは、やりたくない」
彼女は、決意と諦念の混ざった、複雑な表情で、こう締めくくった。
「エハイトンがゴジラに襲われるのは――もっと後でいいと、私は思うのよ」
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「でシュンペー、カクバクダンてなに?」
「思い切り盗み聞きしてやがったなこいつ……」
「失敬なこと言うなよ。廊下を歩いてたら聞こえただけだ」
しれっと執務室の外で待っていたマリイに、俺はため息をついた。
「日本語は私もたしなんでるがね。全部の語彙を知ってるとは言えない。今回特にわからなかったのはその単語だ。なんなの?」
「核爆弾ってのは、簡単に言えば都市ひとつを一発で吹っ飛ばすすごい兵器だ」
「ほー。そりゃすごい」
「例の実験でわかったように、地面は球形なわけだが。うちの故郷では、その球の反対側から核爆弾を正確に目的の都市に打ち込む技術があってな」
「無敵じゃないか」
「敵国も持ってるんだ、その技術。数千発の核爆弾と一緒にな」
「……あー」
マリイも理解したようだった。
「戦争起こったら即、両国全滅か。ぞっとしないな。
なるほど。まあ趣旨はわかったよ。たしかにそりゃ、うかつに手を出さないのが賢明だ」
「俺もそう思う」
「単にナカバヤシが新たな農業技術を知ってて黙ってるってだけならおしりぺんぺんで吐かせるだけだったんだが。あいつもいろいろ考えてるんだな」
「なんでおまえおしりぺんぺんにこだわるの?」
「拷問係のミツヒロが好きだからな」
「そのひとそんな物騒な役割だったの!?」
「いや、いまはまだそうでもないけど。でもなんかミトゴーモンとかいう拷問好きっぽいヒーローが好きだって言ってたから」
「読みがちげえよ! つうか拷問好きのヒーローなんざいてたまるか!」
「え? 私は好きだよ拷問。つうか一方的に蹂躙するのが嫌いな奴なんているの?」
「おまえはヒーローじゃなくて邪神だろ!」
「まあ、とはいえ」
マリイは少しだけ真剣な表情になって、言った。
「さっきみたいな話は、おまえら二人だけにとどめておけよ。
ナカバヤシはエリアムの発展のための技術を隠している、なんて話が流布したら、私はともかく、他の連中がまた騒ぐだろう。ただでさえナカバヤシは目立ちすぎてちと敵が多い。考えとけ」
「……わかったよ」
内心、邪神という言葉に反論はなしかよと思いつつ、うなずく。
と、俺はそこで思い出した。
「そういえば、通信機を届けようと思ってたんだった」
「ツウシンキ? なんだそれは?」
「遠くから信号で情報を届ける機械だよ」
「へえ。そりゃ面白い」
マリイは興味を持ったようだった。
「後で説明書と機材一式をおまえの執務室に運び込んで、明日の朝にでも家からテストで信号送るから」
「うーい。んじゃなるべく笑える文面で頼むよ」
「笑える文面ねえ……後で笑えないっつって怒るなよ?」
「笑えすぎたっつって逆ギレするくらいのレベルでよろ」
「無茶言うな」




