1。フーコーの振り子(後)
以下、俺の知っている事情補足。
ことの発端はなにかと言うと、神殿長・星見役としての中林の業務のひとつである、学者の研究計画の査定なのだった。
中林はこの業務のために、年内の研究中間報告をチェックし、必要あれば直させる作業をやっていたのだが。
「これ、明らかに出し過ぎじゃないの?」
と、ある日彼女が、マリイに相談した。
これは私怨というわけではなく、実際にあのパナル・カルマナルカとかいうおっさんの研究は、素人の俺から見ても、明らかに過大なほどの資金が支出されていた。
「ああ、そいつな。なんか貴族にかなりの後援者がいるらしくてな。
神殿としても簡単につつけないんだよ。可能なら出し渋りたいんだが、おまえケチつけられるところあるか?」
「まあ、つけろと言われればつけられるんだけど」
「よし、やっちゃえ」
というマリイのゴーサインによって、中林は攻撃モードに移行。
といっても、第一段階はまだ、そこまでの大事ではなかった。
中林はまず、相手の書いた書籍にある間違いをいくつも書き出した。そして、その上で『この研究には大きな間違いが含まれるので、まず間違いを正すための研究をしなさい。そのために必要な予算を組み直すので再申請』みたいな形で相手に書類を送り返したのである。
ところがこれに相手が激烈に反応した。つまり、取り巻きを連れて、マリイに直談判しに行ったのである。
マリイは即座に突っぱね、パナルに対して、中林と交渉しろと言った。そこで中林の執務室に取り巻きを連れて訪れたパナルと中林は論争になった。
中でも最大の隔たりが、地面が球体であるか平面であるかの論争である。中林は、地面が平面であればどんなに遠くの山や島でも見える一方で、海の向こうの大地はしばしば見えないことがあるという事実を指摘し、パナルはその議論を認めなかった。
業を煮やしたパナルは、中林の執務室を追い出された後も諦めず、マリイに再度直談判。辟易したらしいマリイに中林は呼び出された。
パナルは、中林が過去に自分の研究を侮辱していること、そして今回も不当な嫌疑をかけて嫌がらせをしていることを説いた。そして同時に、自分の研究がいかに正当で壮麗で美しいものであるか、また神学的にも神殿の教えと整合的で倫理的であるかを述べ、自分の研究に賛同しない中林は神の敵である、とまで言った。
一方で、マリイに意見を求められた中林は、それらに一切反論せず、
「実験をしましょう」
――というわけで、あの公開実験を提案したのだった。
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「ちなみに、その最初の時には中林は、単に『私が勝ったらおとなしく再申請ね』という程度しか要求してなかったんだが……公開実験の費用負担を巡って、パナルの奴がごね出してな。それでマリイが面倒になったらしくて」
「それで、負けた側が全財産没収?」
「没収した財産から費用出せばいいだろって話になったんだよ。
パナルの奴もかなり渋ったんだが、自信がないのかって散々煽られてなあ。それで誓約書とかいろいろ書かされて、ああなった」
「んー……」
俺の言葉に、キリィはこくん、と小首をかしげた。
ここはエハイトンにある、キリィの別邸である。普段は国から雇われた管理人が整備していたここは、キリィが中林の(名目上の)補佐役についたことで、必然的に俺たちの家になった。
宗谷俊平、ナイエリ・ボナペド、中林宿李、そしてこのキリィことキリアニム・フェ・バルチミ。バルチミ家の4人は、ここエハイトンでも相変わらず共同生活だ。キンバリアの家は、シオじいさんが代わりに管理している。
もっとも、外向けの地位は、いまでは中林がいちばんえらくなってしまったのだが……おまけに、俺や中林にはえらく微妙な仕事も多く回されてきて、うかつにしゃべれないことも多くなってきた。
今回の実験の詳細も、終わったからようやく、こうやってキリィに話せることになったのである。
「どうした、キリィ? なんか気になることでも?」
「えっと、たしかあの実験、行われることになってから、実行までにそこそこ時間、かかってたよね?」
「ああ。まあね」
「じゃあわたしとソーヤが前にやったようなこと、やってるんじゃないの?」
「あー。それな」
以前、それこそパナルともめて中林の身が危なくなったとき、中林はいったん俺所有の奴隷から、キリィの所有に、そして神殿預かりへと変わった経緯があった。
あれと同様に、パナルは今回、知り合いに財産を一時的に預かってもらい、実験が終わった後に返してもらうことができる。
「実はそれ、やろうとしてたんだよ。パナル」
「あ、やっぱり」
「だけどマリイが激怒してな。『そんなことするんなら自信がないと見なして不戦敗にするぞ』ってたたみかけた」
その結果、パナルは必要最小限の家財以外は、本当になにも他人に預けることができていないはずである。
結局、権力最強ということだ。こざかしい策など、力で踏みつぶす相手の前には、なんにもならない。
「では大勝利ということでいいんじゃありませんの?」
と言ったのは、エアである。
なぜかこいつ、エハイトンまでついてきたのだった。そしてなぜかよくバルチミ家に出入りしている。
暇なんだろうか。まあ、キリィが退屈しないのなら、それが一番だろうけど。
「悪の御用学者は滅び、中林の名声はさらに上がった。それでよろしいじゃありませんの。なんでソーヤが暗い顔をしてるんですの?」
「……いや。普通に敵を増やした気がしてならなくてな。今回の騒動で」
具体的には、あの学者先生のバックにいた貴族連中を。
だがエアは鼻で笑った。
「それなら手遅れですわよ。マリイ師が発掘した神殿の重役という時点で、一部貴族たちには既に憎悪の的ですわ。
ソーヤもそのあたりのこと、もう重々承知ではないかと思っていましたのですけど」
「ああ……例の、神殿と貴族の対立って奴か?」
でも実はそのあたりの経緯、微妙によくわからないんだよな……
「ていうか、エアはどういう立場なの? おまえも貴族じゃなかったっけ?」
「……まるでキリアニムは貴族じゃないみたいな言い方ですわね」
「いや、そういうつもりじゃないけど……」
「ふん。貴族にもいろいろいるということですわ。古い貴族と、新しい貴族がいるんですわよ。
ソーヤも、もうエリアムでは軽い立場ではないのですから、少しは歴史を学びなさいな」
「そりゃ勉強したいのは山々だけどさ、そういうのってどこに資料あるんだ?」
「それこそ学者に聞けばいいじゃありませんの」
「……そりゃそうだ」
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「というわけでミッタ、ちょいとそのへんの話教えてくんない?」
「うぅ~っ、それどころじゃないのですよーっ」
俺の言葉に、目の前の女の子は不満げに答えた。
この、神官衣を適度に着崩すことにかけてはエリアム一(俺調べ)のおしゃれさんの名前は、ミッタリンダ・フリス。
世にも珍しい四級市民である。
「ナカバヤシさんの実験の後始末まで任されて、ミッタは過剰労働状態なのですー! ソーヤも手伝って欲しいのですっ」
「だから手伝いに来たんだって」
「手伝いに来たならそういう無駄話は後回しにするですっ。ほら、早くそっち座って!」
「はいはい」
言いながら俺はミッタの向かいの机に座り、積まれた羊皮紙の一番上に目を通した。
ここしばらくの騒動で、えらくエリアム文字に慣れてきた俺である。文字が読めないと、業務ができない。
「って、なんだよこれ。大神殿の改築設計図の認可案件じゃん。こんなでかいものが、なんでおまえのとこに回ってきてるの?」
「だからナカバヤシさんが実験にかかりきりになったせいで、ミッタがこの案件までやることになってるですっ! 正直給料と釣り合わないですー!」
「……ああ、なるほど」
つっても、中林、実験の実務にはほとんど関わってなかったはずなんだけどな……
実はサボりの口実に使ってないか?
「まあ秘書官は大変だな……っと、サインは俺がするわけにはいかねえぞ。秘書官であるおまえがやらねえと」
「キリアニム様の秘書官であるソーヤなら別にいいと思うのです。いいからちゃっちゃとサインするのです」
「知らねえぞ、後で怒られても」
「こんな仕事ミッタだって知らねえですっ。ただでさえ師父さまからの課題がまだ残ってるですのに、なんでこんな無駄作業にミッタが駆り出されてるですかっ」
「まあ、書類仕事なんて無駄作業ばっかだってのは認めるけどさ……」
言いながら俺は中林の名前のサインをさらさらと書いて羊皮紙を脇によけた。
「で、まあこの程度の仕事ならやりながら雑談もできるだろ。なんで神殿と貴族がこんな風に対立してるのか、そのへんの経緯を教えてくれ」
「なんでミッタに聞くのかわからないのです」
「おまえ学者の卵じゃなかったっけ?」
「神学者がなんで歴史話できると思ったのか教えて欲しいのです」
「……無理か」
「まあ、ソーヤよりは知ってるとは思うのですけど」
ミッタは言って、はあーっ、と長いため息をした。
「ああもう、やめやめっ。ミッタは疲れたのです、そこのやかんでお茶入れて休憩するですーっ!」
「はいはい。つうか、やかん使うためには火が必要じゃん。おまえこのクソ暑い中普段からそんなことしてんの?」
「知らないです? ナカバヤシさんが再発見した属性魔術によって、火属性を使ってあっためたお茶がいまエハイトン大神殿の中では大流行なのです」
「…………」
え、そこまで大事になってたの?
俺、ここんとこ神殿にずっといたのに、知らなかった……
「そのやかんは魔術で作った保温やかんなので、常に中の水はあっつあつなのです。気にせずソーヤはミッタにお茶を入れてねぎらうといいのです」
「はいはい、わかったよ」
言ってお茶の準備をする俺。
「そもそも、ソーヤは「四級市民」という称号について、どのくらい知っているのです?」
「ん? なんか世襲でしかほとんど手に入らないって聞いたけど」
「まあ、そうです」
ミッタはあくびをしながら言った。
「そもそも、エリアム王国の起こりの前、エリアム半島はアイゲングレンと似た状況だったですよ」
「アイゲングレン……ああ、エリアムの東にあるっていう、別の細長い半島?」
「かつてこの大陸ではフリユ帝国が一番大きかったので、フリユ大陸と呼ばれているですけど。そのフリユ大陸の南の三本柱――ジナイ、エリアム、アイゲングレン。このうちジナイにはジナイ古王国が、アイゲングレンにはアイゲングレン都市国家群が、それぞれ昔からあったのです。
でもエリアムは割とばらばらで。南はジナイからの移民が作ったエリアム諸国連合が統治してたのですけど、北にはアイゲングレンからの移民と、少ない土着民が住むいくつかの都市国家群があるだけだったです」
「ふむふむ」
俺はうなずきつつ、壁にかけられている地図を見た。
測量技術が未熟なエリアムの地図なので正確さは望むべくもないが、それでもこの半島のだいたいの形はわかる。
エリアムという名の半島は、逆さになったTの字みたいな山脈で、南側と、北側の東西に分かれている。
北側の東を「北エリアム」と呼び、北側の西を「西エリアム」と呼び、南側は単純に「南エリアム」と呼ぶ。そのあたりのことは、俺も一応は知っていた。
そしてこのエリアム王国は、北と西のエリアムを領土としている。
「400年くらい前に、拡大期に入った大国フリユが、この北エリアムを一気に征服したのです。
それはうまくいったのですけど、その時のフリユの将軍が造反を起こして。北エリアムで独立を宣言し、フリユ本国と戦って勝ち、エリアム王国を樹立しました」
「フリユ本国って……たしかフリユの首都オーリーリュって、このエハイトンからそれほど遠くないよな? よく独立できたな」
「その頃はまだ、フリユの首都はオーリーリュじゃなくて、東のリリクって街だったですよ。
まあともかく、その頃にエリアム王国は、権威を必要としてたですよ。なにしろ本来、王家なんてぽっと出のフリユの一将軍だったですから。だから、エリアム神殿を作って、宗教的に王を神聖なものとして祭ったです」
「あー、まあ、ありそうな話だな」
言いながら俺は、注いだお茶をミッタの前に置いた。
「でもジナイの聖者信仰とか、アイゲングレンの精霊信仰とか、それから土着の信仰とはぜんぜん教義が合わなかったですから。そこでエリアム王国は、強制的に信仰を改めさせ、どうしても改めないひとたちは、アイゲングレンとジナイ系は四級市民、それ以外の土着民は五級市民として、奴隷以下の暮らしを強要したですよ」
「大変だったんだな……」
あれ? でも……
「けどいまの四級市民、べつに虐げられてないよな。おまえみたいに」
「そこはマリイ師の偉大さなのです。
マリイ師は不死身の身体と偉大な魔力で、150年前に神殿の長となられました。そして我々の生活を大幅改善してくださったのです。ミッタがこうしていい生活できるのも、ぜんぶマリイ師のおかげなのですよ」
「……あー。なるほど」
だいたい事情はわかった。
四級や五級市民にとってマリイが救い主であるというのはもちろんだが……たぶんその裏で、一級市民たちの既得権益を、大量に削ったりしたんだろう。でないと、そんな改革は普通、できない。
だから神殿と貴族は対立してると。
「つまり全部マリイのとばっちりじゃねえか!」
「わっ、いきなり叫ばないでなのですっ」
「おい、聞き捨てならんな。誰のとばっちりだって?」
「うわ、悪の元凶が来た」
「わーっ、ミッタはなにも言ってないですよ!?」
扉を開けて現れたマリイに俺はうめき、ミッタは叫んで頭を抱えた。
「なんだよ。気に入らないなら言えよシュンペー。内臓ひとつと引き替えに聞いてやる」
「嫌だよ。つーかアレだよ。話聞いたら神殿と貴族が対立してんのおまえのせいじゃん。なんとかしてから言えよ」
「あー。やっぱシュンペーもそう思うか。貴族なんて皆殺しだよな?」
「物騒な翻訳するなよ!」
「だが、実際そのくらいしないと対立なんて解消せんぞ。
いま、エリアムの実権は、実質的に私がにぎっている。それにもかかわらず貴族や王に神殿と対立できる余地があるのは、要するに私が大虐殺を望んでいないからだ。だからおまえが言ってることは、そういうことだ――私に、皆殺しを要求してる」
「……悪かったよ」
「悪いとは言わんさ。だが軽率ではあるな。
シュンペー。権力ってな、面倒くさいんだよ。面倒くさいが、それでも付き合っていかなきゃいけないものだ。でないと、悪党どもが好き放題するからな」
言いたい放題言って、マリイはすたすたと去って行った。
ていうか、マジでなんでいまこの部屋に来たんだ、あいつは……
相変わらずの地獄耳である。
「――毎度思うのですけど、ソーヤって割と、命知らずですよね」
「そうか?」
「あの状況でどうやったら普通にティア・マリイと話せるのか知りたいものです。
……なんの話してましたです?」
「歴史の話だろ。
ああ、そうだ。じゃあだいたいわかったけど、そうすると神殿と敵対してない貴族ってのは」
「だから元からたいした権益を持ってなかった貴族と、新しい貴族です」
「そっか。そういやエアの奴、割と新しい家系なんだっけ」
だいたい構図はつかめた気がする。
「もっとも、それはつまり味方の貴族というのは、たいした権力を持ってないのが大半、ということにもなるのですけど」
「そうだよな……というか、敵対している貴族には、王族とかも含まれるんだろ?」
「王族は神殿最大の敵なのですよー。できる限り関わらないほうがいいのです」
「そうするよ。触らぬ神に祟りなしだ」
「あはは、神殿の人間がそれを言ったらおしまいですよー」
などとほのぼの会話をしていると。
「た、た、大変なのだーっ!」
ばたん、と扉を大きく開けて、ナイエリが現れた。
「なんだよ。どうしたナイエリ、ねこしっぽでもつかまれたのか?」
「そんなことするのはおまえだけなのだ! ていうか、それどころじゃない!」
言ってナイエリは、俺に手紙を差し出してきた。
「?」
「おまえに呼び出しだ」
ナイエリは言った。
「王族の方から、お前を直々に指名だ」
「…………」
「…………」
どうやら。
触らぬ神に祟りなし、とは、どうやってもいかないらしい。
【フーコーの振り子】
地球の自転によって生じる見かけ上の力、いわゆる「コリオリの力」を測定する装置です。
コリオリの力は、wikipediaに視覚的に理解できるgif画像があったと思うのでご参照ください。
僕がこのコリオリの力に最初に触れたのは野尻抱介さんの『サリバン家のお引っ越し』という作品だったように記憶しています。(間違ってたらすいません)
僕はあまりSFには詳しくないのですが、こういうさらっと科学的な用語が出てくる雰囲気いいなあ、と思いながら読んでいたので、なんとなくこの作品もその影響が出ている気がします。
しかし、自分の作品を読むと、とても「さらっと」書いているとは言えず……ままなりませんね。




