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中林さんの天球儀(旧作)  作者: すたりむ
第2章:出世編
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4。わたしはナカバヤシの味方だよ(後)

 その後、大きな波乱もなく手続きを終え、とりあえずまずは中林をキリィ所有に変更。翌日にまた手続きで神殿預かりにするということで話がまとまった。


「つうことで、また明日も神殿に行かなきゃいけないみたいだ」

「苦労をかけるわね」

「たいした苦労じゃねえよ」


 ベッドでまだ寝ている中林に、俺は肩をすくめた。


「ま、安心しろ。俺の知っている範囲では、この街のえらい人たちのかなりの部分は、この件についてはおまえの味方だ。だから安心してベッドで寝てて大丈夫だ」

「そう。でも、いまはエロいことしないでね? ちょっと全身痛いから、その、困るっていうか」

「なんでいつもはエロいことしてるみたいな話になってんの!?」

「いや、しかしここは積極的にエロいご奉仕をするべき時なのかしら。こう、後で恩返しを請求されないために既成事実を」

「おまえは自分を安売りしすぎだ!」

「でもほら、自分のところの舎弟を助けたお礼に出てくるのが高々タイやヒラメの舞い踊りだった時点で、相手に気がないってことに気がつくべきだったと思わない? 浦島太郎」

「どこに話が飛んでるんだよ!」

「乙姫様のエロいご奉仕の話だけど」

「聞いてねえ!」

「そこに行くと私は明朗会計で安心の物件だと思うわけよ。玉手箱とかいう化学兵器で男を抹殺する畜生とはひと味違うわ」

「浦島太郎ってそこまでひどい話だったか!?」

「なんであんな教育に悪い話が定番の童話になってるのかしらね……世の中わからないわ」

「俺にはおまえがわかんねえよ……」


 まあ。

 いつもの減らず口が戻ってきただけ、中林にも少し元気が戻ってきたのは、いいことではあるのだが。

 中林はけらけら笑った後、


「まあ、実際のところ、感謝するべきは宗谷よりむしろキリィに対して、の方がいいのかもしれないわね」

「そりゃそうだな」


 俺はいつでも中林の味方だが、キリィまでそうとは限らない。

 だが、キリィは今回、迷いなく中林の味方でいてくれた。


「キリィだけじゃないぞ。パーティで仕掛けを見てくれた貴族たちや、神殿もおまえの味方だ。

 ま、そのへんはおまえの発明がちゃんとしたものだったからだ。自分を誇っていいんじゃないのか?」

「そういうことじゃないのよ」

「ん?」


 中林は、いつの間にか笑みを消していた。


「私はね、宗谷。最初、自分が間違っているのかと思ったのよ」

「自分が?」

「そう。ここのところ、私が見ていたエリアムは、このバルチミ家とその周辺だけだったから。実はエリアムではこんな穏やかな環境は普通ではなくて、ああいう風にたたきのめされるのが普通なんじゃないかと、そういうことを――恐れていた」

「…………」


 そんなことはない、とは、俺は言えなかった。

 俺自身の言葉である。「ここはエリアムであって、日本じゃない」――日本では常識的な倫理としてあることが、エリアムでは、ないかもしれない。

 それは俺も、この一年痛感したことでもあるし、……おそらくは中林にも、いろいろあったんだろう。

 奴隷として売られる前に、中林になにがあったのか、俺は聞いていない。

 たぶん、いろいろなことがあったのだろう。最初に会ったときに、キリィの姿を見ただけで拒絶したくらいに。

 エリアムという名のこの国、それ自体を拒絶するほどに。


「他のひとたちも、そりゃあ、味方してくれることはありがたいけどね。

 でも、その理由はいろいろあるけど、基本的には感性か、利害によるものでしょう? 神殿が味方してくれるのは、その方がいい理由が複数あるから。シグ氏が味方してくれるのは、私やバルチミ家と縁があったから。エアさんが味方してくれるのは、負い目と、親切心と、同情のため。宗谷は特別だけど、特別すぎて参考にならない。

 いまのところ、キリィだけよ。キリィだけが――単純な倫理観・・・から、私の味方をしてくれている。その見方に、私は救いを感じた。エリアムでも、私が間違っていると思うことを、間違っていると思ってくれるひとがいる。それが私の、救いだった」


 中林はそう言って、口を固く引き結んだ。


「そして、だからこそ言える。こんなことがまかり通るんだとしたら、エリアムの社会秩序は、土台から間違っている。

 私はエリアムを憎んでいて、その憎しみは正しいものだと思うのよ」

「…………。

 憎んでいる、か」

「ええ、そうよ。

 だから、是が非でも日本に帰らないとね。ここで骨を埋めるのはごめんだわ」


 中林はそう言って、……ようやく、少しだけほほえんだ。


「あーあ、けどどうしたものかしらね。本当に日本、帰れるのかしら」

「まあ、地道にやってくしかないな」

「学者先生からデータを提供してもらう手もダメになったし」

「学者先生と別の経路とか、ないのかね?」

「星見役? たしか占星術の管理だから、神殿がやってるんでしょ?」

「そうみたいだな」

「ちょっと宗谷、えらい神官になって私にデータをよこしてくれない?」

「おまえはまたすぐにそういう無茶を言うよな……」


 ていうか、神官になんてどうやってなるんだよ、と言いかけて、気づく。


「そういや、シグが言ってたな。魔術実習生には神官になりたい奴もなるって」

「魔術実習生? なにそれ」

「いや、俺も伝聞だからわかんないけど。なんかそういう制度があるって」


 俺はシグから聞いた乏しい情報を中林に話して聞かせた。


「って話だったんだけど」

「魔術実習生ね、ふむ」


 中林は少し考え、


「私も受けられるのかしら?」

「んー、どうだろ」


 奴隷が受けられる制度なのか、という点に関しては、特に聞いてなかった。


「宗谷から魔術について教わったはいいけど、やっぱり知識不足なのよね。この世界の魔術体系について一通り、一度、フォーマルに教わっておきたいと思うのよ」

「そうだな……とりあえず、明日神殿に行ったときに、調べてみてくるよ。シグがいればシグでもいいし、いなくてもラザメフ神官なら教えてくれるだろ」

「お願いね。明日はちょっと、私はまだ動けないと思うけど」


 言って、中林は……どことなく、普段より気弱げに、ほほえんだのだった。



--------------------



「……で。なんでナイエリがついてきてんの?」


 翌日、神殿の入り口にて。

 俺に問われたナイエリは、こくん、と首とねこしっぽをかたむけた。


「なぜにいまさら聞く? 普通、家を出るときに聞かないか?」

「いや、そのときはねこしっぽに癒やされていたので思い浮かばなかった」

「おまえホントにしっぽが好きだな……」


 あきれたように言う、ナイエリ。


「で、なんでナイエリがついてきてんの?」

「おまえが朝ごはんの時に言っただろう、魔術実習生の話を。それで今年の出願期限が迫っていると気づいて、慌ててやってきたのだ」

「……受けるの?」

「もう2年も受けてるぞ。バルチミ家の使用人たるもの、魔術の素養もきちんと積まねばならんからな!」

「それは使用人と関係のある技能なのか……?」


 ナイエリの使用人観も、微妙にエリアム一般とずれている気がする。


「まあ、でもなんとなくそれでわかった。短期講座みたいな形で、誰でも受けられるんだな?」

「お金を寄付すればな。そうそう、今朝ソーヤが言ってたことだが、ナカバヤシのような奴隷でも問題なく受けられるぞ。

 奴隷でも成績優秀ならば神殿スタッフに勧誘されて市民権をもらえることもあるので、だいたいの場合それ目当てで、みんな必死に勉強しているのだ」

「そっか……じゃあ、俺のポケットマネーからってことで学費を出すのもアリだな……」


 そういう経路で神殿に入れば、天文台のデータも使わせてもらえるかもしれないし。


「というか、ナカバヤシは腹黒なくせに抜けてるのだ。ああいう直接暴力に出られたときに備えて、きちんと魔術と武芸の鍛錬は積んでおくべきなのだ」

「まあ、エリアムだとそうなのかもしれんけど」

「そうしてれば、あの学者野郎にいいようにされることもなかったのに!」

「学者野郎って……」

「野郎で十分だあんな奴! せっかく用意していた打ち上げ会が、そんな雰囲気じゃなくなって台無しになったんだからな!」

「あまりにも私怨すぎる!」


 しかし、ホントに嫌われてるな、あの学者先生……

 身から出た錆とはいえ、このままだとマジでキンバリアの地を二度と踏めなくなりそうである。

 と。


「む、あれはなんだ?」

「また掲示板だな。なにか張り出してあるのか?」


 俺たちは人だかりの向こうを見る……が、やっぱり細かい字すぎて、なにを書いているのか取れない。

 ていうか、この前の学者先生のときより多いぞ、この人だかり。


「ナイエリは字って読めたっけ?」

「ちょ、ちょっとだけ……」

「じゃああの文書はちょっと無理かあ。なにが書いてあるのかな」

「ふむ。解説が必要かね?」

「うおわああああ!?」


 ナイエリがびーんとねこしっぽを立てて絶叫する。

 俺は後ろを振り返って、


「えっと……誰? おじさん」


 言葉に、知らないおじさんはにたりと笑って、


「なに。ただのこの神殿の神職の一人よ。おぬしはあれであろう? ラザメフの奴と懇意の」

「あ、ども。お世話になってます」

「ワシに礼を言う必要はないわい。世話をしとるのはラザメフだからのう。

 それより張り紙じゃ。これは大事じゃぞ。なにしろいまのエリアムで、最も偉い人間がこのキンバリアにやってくるんじゃからな」

「え、それって王様ってこと?」

「あ、いやいや。失言失言」


 おじさんはおおげさに手を振って、


「言い間違えたわい。いまのエリアムの「神殿」で、最も偉い人間であった」

「ああ、そういうこと」

「その名もマリイ・ネッツ・エルフェリオ・マティア! すごいぞ、なにしろ生ける神号持ちだ。そうそういるものではないぞ?」

「神号?」

「おお、知らぬか。そういえばお主は、太陽の国出身という話であったのう。

 よろしい。エリアム語におけるマトの名前講座を開いてくれよう」


 おじさんは言って、うぉっほん、と咳払いをした。


「そもそもエリアムにおけるマトという語彙は、わりと近年になって使われだした用法でな。本来、エリアム古語においては、神殿にまつられるべき偉大なものを「アト」と呼んでおったのよ」

「アト……」

「そう。しかしお主も知っておるかもしれんが、エリアム語は接頭語を付けて変化するのが大好きな言語でのう。アトに付く接頭語「ル」「グ」「ム」の3つが、現代エリアム語ではアトの頭にもうついてしまってな。「ラト」「ガト」「マト」という具合なのだよ」

「あれ、ガトって……」


 それも接頭語じゃなかっただろうか?

 たとえば、だいぶ前に中林が読んでいた偉大なる叡智の書(ガタラニス・ボロスタ)という本。これの「ガタラニス」というのは、「ガト」とい接頭語と、「カラニス」という智恵を表す言葉の、合成である。たいていの言葉は、「ガト」をつけると「すごいもの」という意味になる。

 という話をすると、おじさんはうなずいた。


「であるな。本来の「グ」接頭語は、これは「概念」を表しておる。時間、権力、死、そういったものが該当する。

 本来ならば「神殿で祭られるほどすごい」という意味での「ガト」接頭語なのだがのう。最近は濫用されまくっておって、本来の意味などとうに忘れ去られておるのう」

「概念……なのか」


 なるほど。智恵は確かに、概念である。


「次に「ル」接頭語は、「自然」を表す。ほれ、ラティールという地名を聞いたことがないかな?」

「ああ、テイル山の敬称だっけ?」

「そう。いまから200年ほど前、西エリアムと北エリアムをつなぐ隘路がテイル山のふもとに見いだされたとき、時の王によって送られた敬称である。

 これも「ラト」と「テイル」をくっつけてできた語彙であるな」

「なるほど。……てことは」

「そう。最後の「ム」接頭語は、人間を表す」


 だんだんわかってきた。


「じゃあ「マティア」ってのは……」

「さよう。祭られるほど偉い人間を表す「マト」と、教える立場を表す「ティア」の合成であるな。先生の神、師神マティアというわけだ」


 おじさんはそこまで説明して、にやりと笑った。


「ラザメフの言によれば、お主らは技術者をひとり、世に売り出したいようだが――

 案外、このマリイ師に売り込むのが一番早いかもしれんぞ?」

「……考えておきます」

「はっはっは、そうするとよい。

 お、シグ・ナズムが来たな。では、ワシはこれで失礼するわい」


 言ってほがらかに笑い、おじさんは去っていった。

 人なつこいおじさんだったなあ、と思っていたら、入れ替わりにやってきたシグはいぶかしげにこう言った。


「ソーヤ。おまえ、いつから神官長どのとあんなに仲良くなったのだ?」

「…………」


 先に言えよ。なにが神職の一人だ。

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