10。剃刀と爆発と中林さんの天球儀
気がついたら夜だった。
あれから数日、まだ身体は回復していない。来てもらった医者によると、毒のダメージが思いのほか深刻だったんだそうな。
中林の最初の手当てがよかったものの、そうでなければちょっと危なかったらしい。怖い怖い。
そんなわけで寝たきり生活だったのだが、なんとなく寝ているのも退屈になってきた。足の痛みもだいぶ引いてきたし。
なので、散歩がてらに外に出ることにした。
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「で、やっぱ観測してるのな」
庭に出たら、案の定中林が空に望遠鏡を向けていた。
「あら宗谷。いい夜ね」
「ここで会う度にその挨拶してるな、おまえ」
「よくない夜なんてないもの。
明けない夜がないようにね」
「語呂はいいが、意味不明だな」
「それ以上を語るなら、まず「よい」という概念をwell-definedにしてから語りましょうか」
相変わらず、中林は言ってることがよくわからない。
まあ、そういう奴だ、と思えば、そりゃそうなんだけども。
「日本に帰るめどはついたのか?」
「まだ遠いわね」
そっけない答え。
「まあ、この前の日食で、だいぶ進んだんだけども」
「あー。そういや、日食終わったんだっけ」
寝てたからまったく見られなかったんだよなあ。残念。
「日食でしか観測できない現象を見るんだっけ。結局、なにを見たかったんだ?」
「秋の星座だけど」
「……え。どゆこと?」
なんか普通に観測できそうなものが出てきて面食らう。
「いや。秋になるまで観測できないでしょ、秋の星座は。
それが、待たなくても見えるなんて、信じられない僥倖ってやつよ。おかげで、必要なデータがありったけ手に入ったわ」
「そんなもんか。まあ、たしかに早ければ早いだけいいんだろうけどな」
そもそも春に日食が起こると秋の星座が見えるっての自体が初耳だったのだが、まあそれは言わないでおこう。100%馬鹿にされる。
中林は小さく笑って、
「結果として、――仮説の、最後の裏付けが取れたわ」
「……? 仮説?」
またなんかへんなこと考えたのか、と思っていたら、中林は目を望遠鏡から外し、
「宗谷。この世界のおおざっぱな位置がわかったわ」
「い、位置?」
「ええ。
私たちは間違っていた。突如としてファンタジーな世界に呼び出されて、異世界召喚もの作品の主人公みたいな状況に置かれて、それでうっかり、異世界だと思い込んでいたのよ。
だからいままで、誰も気づかなかった。私たちはみんなだまされていた。いや、正確には思い込んでいたの。この世界は、異世界なんかじゃない」
中林は強い意志のこもった目で、しっかり俺の目を見て、言った。
「この世界は、我々の世界と同じ宇宙にあるし、地球からそこまで離れているわけでもない。同じ銀河系、おそらくは同じ銀河腕の内部、そして時間旅行もたぶんほとんどしていない。私たちが見ている夜空の中に、それもおそらく可視範囲の星々の中に、私たちの太陽系があるわ」
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しばらく、言葉が出なかった。
中林宿李。この変人は、いったいいつの間に、どれだけ先に進んでしまうのか。
「……えっと。
俺がわかる範囲で、理由とか話せる?」
「まあ、宗谷の理解力次第ね」
「わかった。がんばるから教えてくれ」
「いいでしょう」
中林はうなずいて、にやりと自信を持って笑った。
「まあ、最初にやってたのは物理法則のチェックよ。電気系のチェックは特に応用上重要だったから念入りにやった。結果は完璧。発電機を含めて、ほぼ完璧に地球同様に作用したわ」
「あ、ああ……まあ、それはこの前のいろんな電化製品が動いてたのでわかるけど」
「次に気になったのが、物を熱した時の法則ね。あらゆる物は高熱にすると光を発するわけだけど、その発光パターンが地球上と大差ないみたいなのね」
「……ほほう」
「ということは、おそらく高温の物質の温度と色の関係は私たちの宇宙と同じ法則に従っていると考えられるってこと。つまり、太陽と同じ色の恒星があったら、それはたぶん太陽と同じ温度なのよ」
「ふむふむ」
なんかさっきから、相づちしか打てない自分がいる。
……しょうがないじゃん。俺文系だもん。
「たぶんステファン・ボルツマン定数については、地球上とほぼ変わらないと私は推定したわ」
しかもなんか知らない単語出てきたし。
早くも挫折感を味わいつつある俺には気づかず、中林は宇宙を見上げる。
「次にやったのが、天体の運行法則の確認よ。この世界でもやっぱり天文学の学説には天動説と地動説があって、主流派は天動説よりではあるけど地動説派もそれなりにいる、って感じみたいなんだけど、そのへんの学説対立に巻き込まれても仕方がないので、私は重要な客観的事実だけ集めていったわ」
「客観的事実?」
「この世界がどのくらいの速度で一年を過ごしているか。惑星は他にあるか。惑星の運行規則はどうなっているか。そしてこれがいちばん重要で――地球で唱えられた惑星の運行法則で、この規則を説明できるかどうか」
「説明、って?」
「つまり、ケプラーの法則どおりに惑星が動いてるかってことよ」
「……ほうほう」
それは聞いたことのある単語だ。
たしか、惑星は楕円軌道を動くとか、そういうやつだったよな。
「で、どうだったんだ?」
「ばっちりよ。
といっても、計算はかなり難しかったけどね。なにより難しかったのが太陽質量の算定でね。これはもう主系列星で色が大差ないから私たちの太陽と同じくらいって推定から始めて、データとすりあわせていくしかなかったわ。後はまあつまんない常微分方程式の計算だから、中学生でもできるんだけど」
「……俺の知ってる中学生と違うんだけど」
「その計算から推測するに、万有引力定数もどうやら地球と同じくらいみたいなのよね。驚くべきことに」
無視しやがった。ちくしょう。
「このへんで、たぶん宇宙の基本法則は我々の世界とこの世界で共通してるって思ったので、私はオッカムの剃刀を適用することにした」
「その用語も知らないんだけど……悪い、物理はどうも苦手で」
「オッカムの剃刀だったら、これ哲学用語だけど」
「もっと知らねえよ!」
俺と中林、どんだけ知識差あるんですか。
彼女は笑って、
「知らないことを責めてるわけじゃないわよ。
そうね。オッカムの剃刀については、純粋論理じゃなくてある種の経験則みたいなものよ。同じ現象を説明するよりシンプルな理論に、より大きな説得力があるっていう。複雑な天動説でデータを説明するより、シンプルなケプラーの地動説のほうを採用しなさい、とか」
「ほう」
なんだかわかったようなわかんないような。
「このオッカムの剃刀を使って、私は「この世界は、我々のいた地球と同じ宇宙にある」と考えることにした。その方が、違う宇宙だけど「偶然」物理法則が似ているっていうより、ずっとシンプルだからね。
となると次は、位置が気になってくるわよね。地球から近いか遠いか――これについては最初から、私は確かめる方法を思いついていた」
「ん、というと?」
「銀河の分布よ」
彼女はそう言った。
「銀河ってのはたいてい、ものすごく遠いからね。地球から数百光年離れたくらいじゃその見かけ上の位置関係は変わらない。
だから我々が地球の近くにいれば、銀河の散らばり方というのは同じように見えるはずなのよ」
「ああ、なるほど。……で、それも正しかったと」
「もちろん。ばっちりだったわ。
ただ……それだけだと、時間の方はわからないわよね」
「時間?」
「ええ。
飛ばされたとき、未来に何万年も飛んだのか、あるいは過去に飛ばされたのか。あるいは、ここははるか過去や未来の地球なのかもしれない」
「そ、そんな可能性もあるのか?」
「ありうるわよ。たしかに周辺の星の分布は地球とぜんぜん違うように見えるけど、そもそも太陽系自体が銀河の中で運動しているわけだし、時間が経てば星の分布は変わるもの。
そのへんを見分ける手段はこれまでのやり方じゃ足りないわ。ただし」
「ただし?」
「もし同じ銀河系だっていうのなら、ひとつだけそれを特定するための現象があるってのもわかっていたわ。
近場で起こった、とても珍しい現象――それも、文献の記録に残るレベルの、真の意味での超常現象。その名前くらい、宗谷でも知ってるんじゃないかしら?」
「なんだよ、それは?」
問うと、中林は笑って、
「超新星爆発よ」
と言った。
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その名前は、俺も聞いたことがあった。
重い星が、その一生の最後に大爆発を起こし、ものすごい光を発する現象。
たしか某国営放送の番組とかで見た気がする。
「具体的には10万倍とか、もっと上になったりするんだけどね」
中林が言う。
「珍しい現象で、しかも記録に残りやすい――となれば、検証する価値はある。そう思った私は、ひとつの超新星に狙いを定めたの」
「それは……」
「西暦1885年、アンドロメダ座S星という超新星。こいつはアンドロメダ銀河内で起こった爆発で、にもかかわらず我々の銀河から肉眼で見えるほど明るかったの。
隣の銀河まで肉眼で観測できる超新星となるとかなりのレアものよ。これが過去100年程度の時間で発見されていた場合、偶然似たような現象が起こったとは考えにくいからね。そうなると、時間移動を我々がしていないことの有力な証拠になる」
「で、どうだったんだ?」
「あったわよ、もちろん」
力強く、中林は言った。
「だいぶ前に取られちゃったけど、もともとこの世界に飛ばされたときに私は時計を持っていてね。この星が24時間より若干早い周期で回っていることは確認済み。
そして一年が367日。この誤差を考慮していろいろ文献を漁った結果、たしかにアンドロメダ銀河に新しい星が見つかったって記述があったわ。見つけたタイミングは数年ほど早かったけど、それは地球から十数光年離れていれば自然に説明がつく。光が届く時間がその程度ずれるのは、この距離だと当然ありうるからね」
「じゃあ……時間移動はしていなかった、ということか」
「ただね、問題がひとつあったのよね」
中林はそこで、ふう、と吐息した。
「問題って?」
「見つかったのが秋だったのよ」
「あー」
話が最初とつながった。
「つまり、アンドロメダ銀河自体、この国では秋にしか見られない天体でね。
そこで最後の詰めに、直接望遠鏡で確認しておきたかったのよ。記述にある天体が本当に実在するか――そして、日食の日に、それは果たされたわ」
「……そう、か」
結論は出た。
おそらくこの世界――違った。この星は、我々の太陽系と同じ銀河系に所属するひとつの恒星の、そのまわりを回る惑星で。
そしておそらく、我々が見ているこの星空のどこかに、太陽系がある。
「すごいな、おまえ」
「ふふん。そうでしょ」
胸を張る中林。
……今回ばかりは、本当に舌を巻くばかりだ。
見慣れぬ異世界。乏しい観測機器。少ない観測証拠。
そんな状況からここまで一気に調べ尽くしてしまった中林の頭脳は、たしかにすごい。
しかし……まだ、わからないことがある。
「でもさ。結局何十光年かは離れてるんだよな」
「まあ、そうでしょうね」
「じゃあどうやって帰るんだ? 光速で飛ぶ宇宙船作っても数十年はかかるんだろ?」
「そんなSFな帰り方は考えていないけど」
「え、じゃあ……?」
中林はにやりと笑って、
「考えてみなさいよ、宗谷。宇宙はとても広大で、少なくとも数百億光年って範囲で広がっているの。それなのに、私たちが飛ばされたのはこんな近場の、地球そっくりな惑星だったのよ。この意味がわかる?」
「え、ええと……」
「答えはひとつ。我々が移動した手段が、距離に依存するなにかだってことよ。だから、こんな近場にしか移動できなかった」
中林は不敵にほほえんだ。
「さあ、これでしっぽはつかんだわよ。
この先をどう動くかはまだ未定だけど。とりあえず私たちがこの惑星に飛ばされたメカニズムの、その一端をもう私はつかんでいる。
――ええ、手放すもんですか。この調子でぜんぶ解明してやるわ。
そしてその手段を使って、私は地球へ帰る」
宣言した。
途方もない推論の果て、己の知性だけを頼りに、地球への帰り道を探し当てるつもりだと。
そう、彼女は言ったのだ。
(……すげえな)
さっきと同じようで、少し違う。そんな感慨が、自分を取り巻いている。
溢れんばかりの知性を使って推論したことまでは、才能で片付けられるだろう。
でも、こいつは。
(これだけ困難な状況にあって――ちっとも、あきらめていない)
それが、どれだけ困難なことであるか、俺は知っている。
いま、ようやく俺は、この中林宿李という人間の本性に出会った。
その正体は、天才でもなければ学者でもない。
恐ろしく強い、精神力の塊だ。
「まあ、そのへんの意味では、宗谷に感謝しないといけないわね」
と。
ふと、中林はそんなことを言った。
「え。俺、なんか感謝されることしたか?」
「まあ、望遠鏡を貸してくれたのもそのひとつだけど」
「あー」
そういやあれって俺のなんだっけ。
あまりに自然に中林が使っているので、自覚がなかった。
「でも、それだけじゃないのか? その言いぐさだと」
「ええ。
だって、宗谷がいなければ、私はあきらめていたかもしれないもの」
「は?」
あっさり、中林はそう言った。
……あれ。さっきまでの感動はどこに?
「なんで俺が? あきらめるのをやめろとか言ったっけ?」
「言われたくらいであきらめない奴は、最初からあきらめないわよ」
「いや。そりゃごもっともだけど」
「私が希望を見いだしたのは、宗谷の魔術よ」
と。中林が言った。
「魔術って……まあ、魔術使えるけどさ」
「でしょう?
最初、信じられないって思ったわよ。魔術っていうのはこの世界の物で――それを日本人が使えるというのは、可能性としてはあったはずなのに、私は考えてもいなかった」
「…………」
それは。
たぶん、中林だからこその、思い込みだったんだろう。
厳密に物理法則を吟味しようとする中林だからこそ、魔術なんて地球人が使えるはずがない、と思い込んでしまったんだろう。
「そういや、いつ俺が魔術を使えるって知ったんだ、おまえ?」
「リシラに聞いたわ」
「あー。なるほど」
「最初はびっくりしたわよ。でもそれで、ひとつ可能性を見いだせたわ。
日本人でも魔術が使えるなら、私にだって使える。使えるなら――魔術を使って日本に帰る道だって、あるかもしれない。
その思い切りがあったからこそ、私はここまでこれた」
中林はそう言って、ほほえんだ。
「まあ、だからありがとうって話。
一方通行の好意で申し訳ないけど。あなたが魔術を使えることを知ったから、私はあきらめないでいられたのよ」
「……そっか」
それは、たぶん中林の意図したよりも、はるかに重く俺の心にひびいた。
俺が魔術を覚えた理由は彼女のためで、でもその彼女はもういない。
だけど、それは無駄じゃなかった。
魔術の習得という、俺が無駄になったと思っていたものは、思いもよらない形で中林を支えていた。
それは運命めいていて、しかしたぶんこの中林あたりが聞けば、偶然だと鼻で笑うだろう。
たぶん偶然なんだろう。
けれど――その偶然を、俺は手放したくない。
俺は中林のほうを向き直り、
「なあ、中林」
「手助けならノーサンキューよ」
「ノータイムで断るなよ」
俺が言うと、中林は吐息した。
「前にも言ったじゃない。そういうのはやめとけって」
「言われたな、確か」
「私はあなたの代償行為に付き合う気はない」
「わかってるよ」
俺は言った。
「俺は知ってる。おまえは、「彼女」とは違うって」
「……?」
「それを今から証明してみせる。……あのな、中林」
「なによ、宗谷」
俺は息を吸い込み、
「もう東京が壊滅して、残った日本は仙台と大阪に分かれて内戦始めたって話……知ってるか?」
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それが。
俺と彼女が大げんかし、ひいては彼女が死に至った、その原因となる情報だった。
東京は魔物が闊歩する魔界となり、残った人々は死にものぐるいで逃げ惑っていること。
そして異変の影響を受けなかったその他の地域は、どこがイニシアチブを取るかで揉めたあげく、内戦を始めたこと。
以上は、複数の「最近エリアムに来た日本人」から得た情報である。
俺たちが日本から遠ざかっているうちに、どうやら日本のほうも、とんでもないことになってしまったようだった。
中林は俺の言葉を、しばらく黙って聞いていたが、
「……アメリカは?」
と聞いてきた。
「わかんねえ。噂によると、仙台のバックについてるって話だが」
「なら帰ったらしばらくはアメリカに移住かなあ。聞いた感じだと、日本に残ってたらまともに研究できそうにないし」
あっさり、言う中林。
……ほら、やっぱり。
こいつは、「彼女」と違って、その程度じゃ動じもしない。
あのとき、帰るかどうかについて議論の末に喧嘩になった俺たちとは、そもそも信念の強度が違う。
「ま、それは日本に帰る目処が立ってから考えればいいことよね。
他に有益な情報はある?」
「いまのところは特にない。
けどおまえ、この情報を得てもやっぱ、日本には帰りたいんだろ?」
「そりゃまあ、ね。だってこの国には、私が読みかけで置いてきた論文がないし」
中林はあっさり言った。
俺はそれを見て、小さく笑った。
「……なによう。薄気味悪いわね」
「失敬だな。
まあいいや。とにかく、だったら手伝ってやるよ。手は多いほうがいいだろ?」
「私は「彼女」じゃないわよ」
「知ってるって言ってるだろ」
しばらく、沈黙が続く。
俺は確信を得た静かな表情で、中林の顔をじっと見つめていた。
やがて、中林はふっと笑った。
「後悔しても知らないわよ」
「そんときゃ、指さして笑え」
「ふん」
……こうして。
地球に帰りたいと願い、そのためにすべての知性を賭ける女、中林宿李。
すべてを失いながら、それでも生きていく道を探す男、宗谷俊平。
このふたりのタッグは、今日この日から、活動を開始した。
「あ、じゃあとりあえずその望遠鏡の片付けお願いね」
「俺、怪我してるんだけど!?」
【追記】
ブロマガに後書き、書きました。
http://ch.nicovideo.jp/stairlimit/blomaga/ar1235558
【2021年3月追記】
ブロマガが終わるということなので後書きをseesaaに退避しました。
https://stairlimit.seesaa.net/article/ar1235558.html
他の章も随時退避していきます。




