1。屋敷と女主人と金欠(前)
朝起きると、俺の隣に美少女が眠っていた。
「…………」
「むにゃ……ダメだようシュンペー……」
「…………」
「だからダメだって……そんな大きいの入らないってば……」
美少女はそんな言葉をつぶやきつつ、幸せそうに寝入っている。
俺は当然のように、真顔かつ無言で気配を殺しつつベッドから起き上がり、昨日まとめておいたかばんの中の荷物から呪符を一つ取り出してぺたりと床に貼り付け、音を立てないように静かに外に出てドアを閉めた。
ふう、と吐息して、
「爆ぜよ」
直後。爆音と悲鳴が、朝の宿を揺るがした。
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「まったくひどいじゃないか! 僕がシュンペーを喜ばせようと思ってやったことにあんな仕返しをするなんて! 常識外れにも程があるってもんじゃないか!?」
「うるさい黙れ馬鹿。貴様の意見は聞いてねえ」
半眼でにらみつける。
俺の目の前の美少女は、部屋内部で炸裂した打ち上げ花火にたいそうご立腹のようだが……あれは人として当然の行為だ。
「なんだよう。美少女が一緒のベッドで寝てるのがどう不愉快だってんだよ。言ってみろシュンペー」
「いや、たとえ美少女だからって目が覚めたら一緒のベッドで寝ているというシチュエーションはリアルで遭遇したらかなり心臓に悪いと思うが……」
まあ、本来ならそれもあり得ないが百歩譲って、美少女だったら許せると仮定してもだ。
問題は、こいつが実は美少女ではないことなのだった。
「つうか、おまえ自分で美少女とか名乗って恥ずかしくないの?」
「外見は最大の武器だろ。使える限りは使うのが僕の方針さ」
そううそぶくこの美少女――もとい、リシラ・ファグニは、「外見だけ」美少女である。
外見だけ、と言っても、よくある「喋るとボロが出る」とかそういう生半可なレベルの話とはわけが違う。
こいつの外見は、常時発動の魔術なのだ。
幻覚纏、という奇病。というか、生まれつきの体質。
いや。魔族特性、とか言うんだっけ。この国では。
それのせいでこいつは「自分の外見が自動的に美少女になる」という、死ぬほどやっかいな特徴を持っている。
ちなみに実体は男。触ってみるとわかるが胸板けっこう分厚い。声はまだ声変わりしていないそうなのでかろうじて少女にも聞こえるが、声変わりしたら野太い声を出す美少女男の誕生である。
想像したくもねえ。
「む。なんだよう急に顔をしかめて。あ、わかった。ひょっとして僕に恋した?」
「いいかリシラ。冗談でももう一度同じことを口にしてみろ。冗談抜きの打撃をおまえに叩き込む」
俺は半眼で言った。
ちなみに冗談抜きの打撃とは、打撃魔術でブーストした鉄拳のことである。重ねた煉瓦どころか、ちょっとした石造りの家の壁くらいなら一撃で破砕できる程度の威力はある。
「あっひゃっひゃ。そりゃ物騒だ」
リシラはにへらにへらと笑っている。……ぜんっぜん本気にしてねえな。こりゃ。
俺は本気だけどな。そのうち間違いなくこいつの顔面はへこむ。
「つーかマジでなにしに来たんだよ。冷やかしなら帰れ」
「冷やかしとは失礼だなあシュンペー。あ、そうか。今日はアレだから気が立ってるのか」
「アレってなんだよ」
「ほれ。引っ越しして住み込みで働くの、今日からだろ?」
「ああ……」
そう。
荷物をまとめていたのも、それが理由。今日から俺は、ある家に引っ越しをして、そこで住み込みの使用人として働くことになっているのだ。
「バルチミ家だっけ? 僕は下町の住人だから見たことはないけど、いまの当主はシュンペーより下のお嬢さんだったはずだよ」
「そうらしいな」
「よし。押し倒せ」
「やだよ。おまえがやれ」
「はっはっは。やだなあ。貴族相手にそんなことしたら確実に縛り首じゃないすか」
「なら俺にもやらせようとするなよ」
「いやあ。でもシュンペーならルックス的には悪くないから、案外いけるんじゃ」
「いけるとしてもいかねえよ」
投げやりに言う。
……言外に、それ以上踏み込むなという雰囲気をにじませて。
「ふうん。案の定、まだ引きずってるんだね」
だというのに、リシラは踏み込んできた。
「彼女の思い出、壊したくないって気持ちはわかるけどね。君は生きてるんだよ、シュンペー」
「…………」
「生きてる人間は、生きているだけで責務を負う。……だっけかな。神殿の教えだけど、その言葉はいま君にとって必要なんじゃないかな?」
「かもな」
小さくつぶやく。
責務、か。
それは、俺にとって、この異世界で生き抜くということだ。
「ま、そんなことよりさ」
リシラは気楽に笑って、
「完成したよ。例のアレ」
「……アレ、か」
「そ。テンタイボーエンキョー……だっけ。仕様通りに作って完成した。工房に行けばいつでも渡せるって、親父が言ってた」
テンタイボーエンキョー、というのは、日本語で言っている。天体望遠鏡はこっちの世界にはない概念だから、対応する語彙もないのだった。
遠めがね、みたいな用語は作ろうとすれば作れなくもないが、相手に通じない以上、無駄に造語しても意味がない。
「わかった。時間あるときに取りに行くよ」
「おう。じゃ、朝ご飯食べたら行こうか」
「行く? どこへだ?」
「だから、送っていくって言ってんのさ。どうせシュンペー、場所もよくわからず聞きまくって行くつもりだったんだろ?」
「……まあ、な」
「だから僕が案内してやるっての。ほれ、さっさと食堂に行く行く」
「だああ、押すなよおまえ!」
ウザく絡んでくるリシラを押しのけながら、渋面で俺は言った。
……やれやれ。
(気を遣わせちまってるな。……我ながら、ふがいない)
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さて、ところで。
朝食を食べ終えた俺――宗谷俊平がいま歩いているこの通りは、キンバリアという町の中央大通りである。
「こうしてみると、俺はこっち側に来たこと、ほとんどないな」
「でしょ? いっつも下町ばっかだもんね、シュンペーってば」
「まあ、市民権持ってないしな。上流階級のいるところで捕まったらちょっとやばい、とは思っていたんだが」
歩くにつれてだんだん立派になっていく町並みを見ながら、言う。
この町、というか、エリアムの町並みはどこもそうだが、中央に神殿があって、町の門から神殿に向けて大通りがあり、神殿に近づくほど金持ちや貴族が住む家が多くなっていく。
……まあ、「どこもそうだ」と言うほど、俺はエリアムを知らないんだけど。せいぜい北のラマネイスとここくらいしか、行ったことがない。
西にはレイングラハ、東にはエハイトン。それからやや南の旧都アカイン。エリアムではこのへんの街がいちばん有名なのだが、俺はまだ、行く機会に恵まれていなかった。
「でもこのあたりにもそこそこいるよ? 太陽の国のひと。主に商店だけど。商売はやっぱうまいみたいだね」
「まあ、基礎教養としてほとんどの奴は計算ができるからな。その辺は重宝されるかもしれん」
太陽の国。つまりは、日本だ。
一年前。ある日突然起きた災害で、俺を含むたくさんの日本人がこの世界に放り出された。
たくさん、というのは本当にたくさんで、たぶん数万は軽く行ってるんじゃないかな、と思う。もしかしたら一桁上かもしれない。
さすがにそれだけの量の人間が大量移住、となると社会的にも認知されるわけで、いまエリアムでは日本人は「太陽の国の民」という名前で認識されるようになっていた。
「そういやさ、リシラ。国外では俺たち日本人って、どんな風に認識されてるんだ?」
「僕に聞いてわかるわけないじゃん」
「……まあ、そうだな」
「けど、エリアム半島では同じなんじゃないかなあ。南だってそんなに扱いは変わらないと思うよ?」
「南……エリアム諸国連合か」
「そう」
エリアム半島には山脈が複雑に絡み合っており、それによって北部、西部、南部と分かれているのだが、北部と西部はエリアム王国、南部はいま言ったエリアム諸国連合が治めている。
細かい歴史までは知らないが、「エリアム」と言ってもいろいろあるのだ。もちろん、エリアムの外にはさらに、いろいろな国がある。
この世界全体がどういう姿をしているかなんて、それこそ誰も知らない。いや、球形はしているようだけど。
それこそ北の港町ラマネイスに行って、そこで確かめた話だ。
(ほら、港では見えなかった向こうの陸地が、山に登ると見えるでしょう? それは地面が丸まっている証拠なのよ――)
「シュンペー、どしたの?」
「なんでもない」
俺は強引に思考を修正した。
「それにしても、貴族ってどんな連中なんだろうな」
「太陽の国にはいなかったの?」
「昔はいたみたいだけどな。
ええと……たしか、正確な名前は「一級市民」なんだっけ?」
「そだよー。一級が貴族。まあ二級もそれに近いものだけどね」
「三級が普通の市民で……四級と五級は、そもそもめったにお目にかかれない、と」
「だね。
シュンペーも、おつとめ終わったら三級になるんだよ」
「そうだな」
エリアムの貴族は、他人に市民権を付与する権利を持っている。
相場としては一ヶ月の奉公でもらえるという話だ。他国からエリアムに流れてきて、エリアムに定住したい人間は、だいたいこの制度を利用している。俺も、そのひとりというわけだ。
「市民権あると安定感違うよねーやっぱ。警察の対応もいいし、いきなりさらわれて奴隷として売られるってこともないし」
「ああ。だから、期待はしてる」
「まあ僕も、どうせならシュンペーをこっそり奴隷登録しちゃおうかなと思ったこともありますけどねぐふふふふふ」
「おまえ俺になにを期待してるの?」
「家事スキルけっこうあるじゃんシュンペー。手に入れちまえば毎日けっこうな朝ご飯が!」
「朝ご飯のために人権蹂躙されてたまるか。
……っと、あれか? バルチミ家」
「お、そだねー」
もう場所は中央付近。あたりはでかい立派な邸宅しかない高級住宅地である。
「じゃ、僕はもう帰るけど。ひとりで大丈夫?」
「大丈夫だ」
「いじめられても泣かない?」
「なんでいじめられるの前提なんだよ」
「いやあ、だってあるでしょ、新人いびり。あのレベルの豪邸だよ?」
「おまえの考える豪邸の基準はなんなんだ」
言いつつも、俺はちらりとバルチミ家の邸宅を見た。
でかい。
このあたりはでかい邸宅が多いと言ったが、それにしても破格である。日本じゃちょっとお目にかかれないレベル……というか、個人邸宅だと思えるレベルじゃない。小さな学校ひとつくらいあるかも。
まあ、住み込みの手伝い人とかがほとんどだし、その住居も入ってるんだろうけど……
「シュンペーも住み込みだよね?」
「そうだな。だから、あの宿ともお別れだ」
「なんか遠くなっちゃうけど、ちょくちょく遊びにきてよね?」
「そりゃ、まあ、暇があればな」
「そして隙あらば、バルチミ家の令嬢をゲットして連れてきていただけると!」
「しねえっつっただろ。ていうか、連れてきてどーすんだそんなん」
「え? だってシュンペーと僕は魂の友だからして女の子は共有財産でしょ?」
「いっぺん死ねテメエ!」
しっしっと追い払うと、リシラはじゃーねーと手を振ってその場を後にした。
俺はため息をついて、改めて邸宅に向き直る。
(マジで並じゃねーな……がんばらないと)
考えて、俺は正門へと歩き出した。
魔術解説:
『爆ぜよ』
習得難易度:D 魔術系統:エリアム式 行使条件:呪符
あらかじめ準備しておいた呪符に魔力を通し、爆破する魔術。
威力は呪符の精度に依存する。精度をわざと落とせば弱くなるし、がんばれば強くなる。
この術のよいところは、呪符を使うことで「狙った場所に、狙った威力を」実現させることで、その一点を除けば通常の攻撃魔術の方が使いやすい。
【2018年1月2日追記】
書き方が7~8年前の自分の手癖だったため、後との統一のために修正しました。以下、結婚詐欺編全体で同様に修正しています。