9。騒動と戦いと諦めない心(後)
すぐに視界は開け、住宅街の中にぽつんと開けた広間みたいな場所に出た。
このへんの住宅街はたぶんキンバリアの街ができた頃からあったのだろう。区画整理がされていないため、かなり乱雑である。
その、乱雑に散らかった街の、へんに間の開いた広間に、そのふたりはいた。
「放してっ。放し……痛っ」
「うるさい、暴れるな!」
「キリィ!」
叫ぶと、キリィがこちらを向いた。
が、その身体を強引に引き寄せた男がいる。
「近寄るな!」
「……てめえ、あのときの!」
間違いない。昨日キリィと話していた、あの男だ。
そいつは、刃物をキリィに突きつけて動きを封じながら、
「くそ、やっぱり俺を司直に突き出すつもりだったんだな! だが一歩でも近づいてみろ! この女の命はないぞ!」
「……てめえ」
「ソーヤ……!」
キリィの顔が、くしゃっと歪む。
頭に、かっと血が上った。
(いかん。落ち着け)
こういうときこそ自制だ。なにより、最悪の事態は免れたと言える。
最悪の、事態。
自分がなにもできずにいるうちに、
(――そんなことはどうでもいい!)
頭から考えを追い払う。
「キリィ……なんでここに?」
「……逃げられないだろうって思ったから。せめて、投降して罪を軽くするようにって言いにきたの」
キリィが、青ざめた顔で言う。
「でも、そしたら、わたしがあいつらを呼んだんだって言われて……」
「身から出たサビだろうが……そんなの、キリィのせいにしてんじゃねえよ」
「ええい、うるさい! 実際におまえみたいなのが寄ってきてるだろうが!」
男が叫んだ。
「てめえ、恥ずかしくねえのかよ! キリィはおまえが詐欺師だって知って、それでもなんとか助けようとしたんだぞ!」
「やかましい! 投降して捕まるのが、なにが助けだ!」
「悪いことしたら罪をつぐなうのは当然だろうが!」
「うるさい! 俺は悪くない! 言いがかりをつけて悪いことにしてるのが貴様らだろうが!」
「その言い訳は裁判所で言えよ! 通るんならだけどな!」
「誰が裁判なんかに出るか!
は、だが都合がいい。貴族の娘が人質ならば、逃げられる可能性も増す。のこのこ出てきてくれたのは助かった……!」
にやり、と邪悪に笑う男。
……うわあ。典型的すぎる悪党だ。
と、キリィが力なく笑った。
「……キリィ?」
「あはは……」
なにか、ちょっと抜けたような笑い。
「わたしが、戦わなきゃいけないって思っていた相手は、こんな程度だったんだね」
「キリィ……」
「ソーヤ。わたしのことは放っておいていいから、衛兵たちを呼んできて」
「おい!?」「貴様!?」
ふたりとも声を上げる。
「いまは、このひとをなんとかするのが先よ。
わたしのことは後回しでいい。お願い」
「き、貴様、そんなことすればこの女を殺すぞ! いいのか!」
「ソーヤ、早く! こんなやつ、野放しにしちゃいけないよ!」
髪の毛を引っぱられて、涙目になりながらキリィが叫ぶ。
俺は――はあ、と吐息。
「なあ。キリィ」
「ソーヤ!」
「そんなんでおまえ、本当にいいのかよ」
無視して、言葉を続ける。
「そんなクソくだらない男にだまされて、ヤケになるのは簡単だけどさ。正直、その男の命におまえの命ほどの価値なんてねえよ。
そんなのを捕まえるのと引き替えにおまえが死ぬなんて、馬鹿げている」
「そんなこと……!」
「人間ってさ」
言葉を続ける。
「いろんな生き方があるし、いろんな目的ってのがある。悪を許さないってのもそのひとつで、たしかに悪い生き方じゃない。――が、そりゃおまえの生き方じゃないだろ」
「それは……」
「別におまえが貴族のお嬢さんだから言ってるんじゃねえぞ。
なあ、キリィ。たいていの人間にとって、悪と対決するなんてのはどうでもいいことなんだよ。悪は日常を壊すから悪なのであって、たいていの人間にとっては――自分の生き方が守れれば、それでいいんだ。
悪を倒すのはいいことだ。でも、それは生命と引き替えであってはならない。生命は、悪と対決するためにあきらめていいような、簡単なものじゃないんだ」
一年前。俺は――俺たちは、アクシデントで元の自分たちの生き方を失った。
それは……その種のことは、ある種の不幸ではある。
あるが、しかしその不幸を乗り越えるための努力は、不幸の元凶を倒すための努力でなんかあってはならない。
そんなのは、そんなので命を賭けるのは、土台から間違いなんだ。
「けど、ソーヤ……わたしはもう、手遅れだよ」
「手遅れ?」
「うん。……だってさ、こんなくだらない相手にたぶらかされて、全部台無しにしちゃったもん。
もう元の日常なんて戻ってこないし、それにいろんなひとに迷惑かけた以上、わたしにはもう――」
「黙れ」
即座に否定する。
「そんなことは認めない。おまえの日常が壊れたとしたら、新しく俺が作る。それだけの話だ」
「ソーヤ……でも、それは」
「日常に戻ることが許されない奴なんていねえよ。いるとすればそれは悪党だけで、そしておまえは悪党じゃない」
しっかり、相手の目を見る。
「あきらめるなよ、キリィ。
おまえは俺に相談した。どうにかしたいって言っただろ。相談した奴が、相談されたのより先に放り出してどうするんだよ」
「……ソーヤ」
「なんとかしたいと思ったんだろ。この状況を突破して、取り戻したいものがあるって宣言したってことだ。
それを……勝手にあきらめてるんじゃねえよ! 勝手に放り出してるんじゃねえよ! おまえのために奔走している人間たちと一緒に、自分の人生を簡単に手放してんじゃねえよ!
俺はぜったいあきらめない! こんなクソくだらねえ事件で俺たちの生活を壊されてたまるか! おまえがあきらめても俺はやるぞ! ぜったいに――守ってみせる!」
絶叫する。
言葉の半分は、ここにいない誰かに向けて。
俺は、自身の意地を、はっきりと叫んでいた。
「…………」
キリィが沈黙する。
しばらく、無言が続いた。
「――そっか」
「?」
「ソーヤって、そういうひとだったんだなって」
言って、キリィは笑った。
「お話途中で悪いけどさあ」
男が憎たらしげに言う。
「要するにこの女の命は惜しいんだろ? なら、とっとと失せてくれないかな! でないと――」
「馬鹿かてめえ」
「うん?」
はあ、と俺はため息をついた。
「逃がすわきゃねーだろこの場で。てめえがいるからキリィが危ない目にあうんだ。ここで決着つけさせてもらうぜ」
「貴様……状況がわかってないな!? この女の命は俺が握ってるって、」
「なあ。なんのために俺が、この長話で時間稼ぎしてたと思ってる?」
「な、え、あ!?」
相手が青ざめ、俺がにやりと笑う。
「後ろだ。――いまだ、ナイエリ!」
「なに!?」
男があわてて後ろを向く――直後。
「瞬きを盗め!」
相手がはったりにひっかかった隙に一瞬で突撃した俺が、男とキリィの間に割り込む。
「な、」
「拳よ打て!」
がん、と音を立てて、相手の身体がくの字に折れ曲がった。
が、同時に。
ずぶり、と嫌な感触が、足に突き立った。
「!?」
「ソーヤ!?」
キリィが悲鳴を上げる。
男の持っていた短剣が、俺の足に突き刺さって、右ももを貫通していた。
――ええい、構うか!
「キリィ、早く衛兵呼んでこい!」
「あ、えと、」
「早く! こいつは俺がここで足止めする!」
言うと、キリィはあわてて後方へ走り去っていく。
「く、ははははあ!」
倒れていた男が、笑いながら起き上がった。
「やってくれたな! やってくれたな貴様! よくもやってくれたな!」
「……はん。当たり前だ」
ももの激痛に顔をしかめながら、言う。
「てめえみたいな悪党に好き勝手させるのもいいかげんこりごりだ。
そろそろ決着つける時だぜ」
「できると思ってるのか、その傷で!」
「さあね。ただまあ――」
にやりと笑う。
「どっちみち、おまえの命運は尽きてるだろうな。援軍が来た時点でジ・エンドだ」
「なら、貴様の命だけでも奪ってやる!」
「やらせねえ」
燃えるような目を、相手に向ける。
「俺は生きることをあきらめない。そう決めたんだ」
「あきらめなければ、なんでもできると思っているのか!」
「できるかどうかは、俺が決める」
静かに言って、右手を開手のまま前に向ける。
左足を後ろに下げ、いわゆる半身の状態に移行する。
(痛みが強い……集中はできない。複雑な魔術は使えないな)
冷静に分析しつつ、
「おら、なにしてる! さっさとかかって来いよ!」
「……なめるな!」
相手が突撃してきた。
(よし、それでいい!)
実は逃げられるのがいちばんまずかった。この足じゃ追えない。
そして相手の手にも刃物はない。あるいは手品的になにかしまっているのかもしれないが、とにかく見える範囲の脅威は肉体のみ。
だから俺は、躊躇なく左足から踏み込んで相手の腕をかいくぐり、
相手の襟を取って、
内股の要領で、後ろに向けて思いっきり放り投げた。
「うぎゃあああ!?」
ずしゃあああああ! と、相手がすごい勢いで地面を転がる。
即座に追撃――しようとして、ずきり、と足に強い痛み。
(くそ、負担ないように注意したつもりだが――やっぱ傷口開いちゃったか)
けっこうな量の血が流れていく。抜くと出血がひどそうだからそのままにしているが、戦闘やるなら抜いたほうがいいんだろうか。
そんなことを考えていたら、不意に小さいめまいがした。
「!?」
見ると、小さな針が肩口に刺さっている。さっきの掛け合いの際に仕込まれたか。
「は、はは……! これで貴様もおしまいだ!」
「――……そうかい」
(毒針の類だな、こりゃ)
傷口から感じる、ぴりぴりした感触を見て、そう判断する。
相手はボロボロの身体で立ち上がり、壮絶な顔で俺を見た。
「すぐに痺れて動けなくなる! そうなったらおしまいだ! 息の根止めてやる!」
「……悪いが、そいつはできねえな」
「なんだと!?」
「その前に決着をつける」
針を引き抜いて、一歩踏み出す。
めまいがしてよろけそうになったが、なんとかこらえた。
相手の顔が青ざめた。
「く、貴様――まだやる気なのか!?」
「毒が回る前に片付けるぜ。
おら、始めるぞ」
「き……」
ぎり、と相手が歯を食いしばる。
拳よ打てによる打撃に、投げによる打ち身。相手のダメージだってかなり深刻なはずだ。
ここで退く選択肢は俺にはない。
「貴様……貴様あああああああ!」
激昂して、男はふらつく身体でこちらに殴りかかってきて、
「あら宗谷。なにやってんのこんなところで」
と、そこで予想外の声がかかった。
「な、貴様は……!?」
「中林!?」
やばい、これは予想外だ……!
こんな体調じゃ、いくらなんでも中林のフォローまではできない。最悪だ。
と、思ったのだが。
「そこにいるのが犯人? いまシグが包囲網固めてるわよ。じきに逃げ出せなくなるわ」
「な……!」
男はその言葉に、目に見えて動揺した。
そして俺と中林を交互に見つめた後、
「くそっ!」
叫んで、逃げ出した。
「ま、待て……!」
叫んだが、相手はもう止まらなかった。
後を追おうにも、この痺れた身体じゃどうにもならん。
中林は俺のほうに近寄ってくると、
「毒、吸い出せるかしら。ちょっとでもよくなるといいんだけど」
「……ああ。そうだな」
「ったく、無茶しすぎよ。あんな悪党、あんたが命張って戦う価値もないんだから。しゃんとしなさい」
言いながらてきぱきと俺の傷の応急処置らしきものをしていく中林。
俺は、はあ、とため息をついた。
「面目ない。……捕まえられると思ったんだがなあ。ちょっと欲張りすぎたか」
「え、もう捕まると思うけど?」
「は?」
俺は声を上げた。
「え、だって、包囲網はまだ固まってないんだろ?」
「そんなわけないでしょ。だったら私がここに来たりしないわよ」
中林はあっさり言った。
「じゃ、じゃあ、さっき言ったのは……」
「ああ言えばここから逃げ出すでしょ? もう実際には逃げられないのにね。馬鹿な奴」
言った直後、どかーんという爆発音と悲鳴が、遠くから聞こえてきた。
「ほら、あの通り」
「…………」
俺はため息をついて、空を仰ぎ見た。
この程度の相手だったのだ。
わざわざ相手にする必要なんてない――キリィにそう言ってたのは、俺だったのに。
(結局、一番ムキになってたのは、俺だったのかね)
中林は小さく笑って、
「ま、ご苦労様。
これでバルチミ家もしばらくは安泰でしょ」
と言った。
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それ以降の記憶はほとんどない。
気がついたら俺はバルチミ家の中にいて、手当て済みの状態で寝っ転がっていた。
ナイエリにはぶん殴られた。無茶しすぎ、だそうだ。
キリィは泣き笑いみたいな感じで、生きててよかった、と言った。
中林にはまだ会ってない。
あの詐欺師の結末には多少関心がないわけでもなかったが、まあシグがそのうち教えてくれるだろう。
結局。
バルチミ家を揺るがした一大事件、その主犯の詐欺師との決着は、こんな形でつくことになったのだった。
魔術解説:
『瞬きを盗め』
習得難易度:E+ 魔術系統:エリアム式
脚力の強化術式。
この手の単純な強化術式は最も基本的な魔術なので、習得難易度は高くない。
代償として、割と燃費が悪い。短距離走向きの魔術。




