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中林さんの天球儀(旧作)  作者: すたりむ
第1章:結婚詐欺編
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8。修羅場と覚悟と手助け(後)

 事態が落ち着くのを待ってからキリィの後をこっそり追い、安全に帰宅したのを確認してから自分も帰宅。

 そのまま特になにもせず、夜を迎えた。


 キリィがどうするかはわからない。とりあえず金庫からこっそり金を持ち出されたときに判別できるように、金の数え直しだけはしておいた。

 窓の外を見る。中林の姿はいまは見えない。といっても、バルチミ家の庭はとても広いので、また見えないところでなにかやってるのだろう。


 ……ずきり、と胸が痛む。


(やめときなさい。前と同じになるだけよ)


 中林の言葉が、いまも刺さっている。

 前と同じ、という言葉がどういう意味を持つか、あいつにはわかっているのだろうか。

 ――彼女は。

 あのとき、なにを思っていたのか……


(やめろ)


 考えを振り払う。

 いまさら思い出しても、どうにもならない――それこそ。

 過去のことなど、本当にどうにもならない。

 いまのことを考えよう。


 俺は、キリィを突き放した。

 それは自覚している。リシラに語った内容は、半分は欺瞞だ。

 あるいは救うことができるかもしれない。あっちに行きかけたキリィを、俺が呼び戻すことは不可能ではないかもしれない。詐欺にまた会いかけているあいつを、引き戻すことができるかもしれない。

 でも、それじゃあだめなんだ。


(それじゃあ、一時しのぎにしかならない。次に同じ事があれば、同じ過ちを犯すだけだ)


 だからあえて放棄した。

 助けられる選択肢を、欺瞞によって排除した。


 ――違うな。

 苦笑する。欺瞞というなら、この思考こそが欺瞞だ。


 たぶん俺は、結局のところ怖いのだろう。

 また助けられなかった、というのが、怖いんだろう。

 また徒労に終わるのが、たまらなく嫌なんだろう。

 だから逃げた。


(最低だな)


 認めよう。俺は、失敗するのが怖い。

 キリィを助けようと手を伸ばして、その手をふりほどかれるのが、たまらなく怖い。

 救いようがない。ひどい話だ。結局俺は、


(なにも得ることができない――)


 馬鹿じゃないのか、と思った。

 他人のためになにかやったってなにも得られない、という中林の話は正しいが、同時に決定的に間違っている。

 行動を起こしてなにも得られないとしても、行動を起こさなくてもなにかが失われることがある。

 だったら、なにかやったほうがマシなんじゃないのか。


(……よし)


 決意して、俺はベッドから立ち上がった。

 ともかくキリィと話そう。どうするかはそれから決めて――なんて、思っていたら。

 こん、こん。と、ノックの音。


「はい?」


 問う声に、扉の奥の声が返した。


「えと。……キリィですけど」



--------------------



 相談に来た、と言ってキリィがしたのは、まさに昼間の話だった。

 男の素性も、件の結婚詐欺師くんで確定。というか、この期に及んで相手はこう言ったらしい。

 曰く、自分は詐欺をしたつもりはない。

 単に、事情があって身動きが取れなくなっていただけだ。ようやくキンバリアに帰って来ることができたのが昨日のことだった。

 金はまだ必要だが、少額で済む。もう迷惑はかけない。

 云々。


「ぜったい嘘だって思ってるのに……否定しきれなくて。

 今度会ったらしっかり拒絶しないとって思ってたのに……身がすくんで、できなくて」


 キリィが、ぽつり、ぽつり、と言う。

 俺はそれを、静かに聞いていた。

 ――助けを求めてきた、か。


(なら、俺は応えないとな)


 自分から破滅を望む相手にはなにもできない。俺は昼間、リシラにそう言った。

 だが、キリィは破滅を望んでいない。

 危ういラインではあるが、踏みとどまった。

 つまりは、俺が助けられるってことだ。

 助けられるなら――助けることに、躊躇なんてない。


「そうだな。いろいろ言いたいことはあるが。

 まず金が少額で済む云々は無視しろ。「少し」から入って、だんだん額を大きくしていくのは詐欺の常套手段だ」

「あ、うん」

「それで。キリィ的にはどうしたい?」


 言うと、キリィはくしゃっと顔をゆがめた。


「……もう、相手の言葉を信じるつもりは、ないんだ」

「そっか」

「わたしは、この件でみんなにすごい迷惑をかけた。それはあいつのせいでもあるけど、自分のせいだとも思ってる。

 だから、わたしは――決着をつけたい。はっきり、相手に勝って、後顧の憂いをなくしたい」


 きっぱり言った。

 ……なるほど、な。


「今日会いにいったのも、そのためか」

「うん」

「なら話は簡単だ。もう会うな」

「え?」


 予想外の言葉だったのだろう。キリィが目をぱちくり、とした。


「会っちゃダメ……なの?」

「ああ。会うな」

「でも、それじゃやっつけられないよ?」

「会えばぜったい言いくるめられる」

「それは、でも!」

「キリィ。おまえは、自分が弱かったからあいつにだまされたと思っているんだろう。半分は当たりだが、半分は不正解だ」


 まあ、たしかに、弱っていたというのはあるんだろう。

 キリィは親をこの年でなくしている。その気弱になったところに相手がつけこんだ、という側面を、全部否定するつもりはない。

 だが。


「詐欺師ってのはな。相手をしたらその時点で負けみたいな連中なんだよ。

 話し続ければいつかは必ずだませるから、あの職業はやっていける。逆に言えば、話によって負かすことはぜったいにできないのが詐欺師だ。勝つためには、そこを覆すところから始めなきゃいけない」

「覆す……?」

「そう。話さない。拒絶する。追い返す。詐欺対策の基本はそれだ。話を聞いちゃだめだ。言い負かそうとしちゃだめだ。詐欺師と戦うための武器は長い弁舌ではなく、「帰れ」の一言なんだ」

「…………」


 キリィが、複雑な顔で黙る。

 まあ、そうなんだろう。

 たぶんキリィの心情としては、相手の言葉を否定して勝ちたかったんだろう。でも、それは危険だ。

 下手をすると、別のタイプの詐欺に引っかけられる可能性すらある。

 だから、俺は迷いなく最善手を指示した。


「一ヶ月程度かな。門の前に来たら追い返させろ。入り込んできたら一喝して追い返せ。無理なら俺かナイエリか、あるいは守衛のおっさんを呼べ。そして外出を避けろ。これを徹底すれば相手は近寄れない。相手だって金にならないのにずっとこっちに執着してはいられない。すぐにいなくなる」

「……わかった」


 キリィが、こくんとうなずいた。


「明日には、中林とナイエリにもこの話は伝えておく。最大限警戒するから、安全な場所でおとなしくしていてくれ」

「うん」


 言って、キリィは立ち上がった。


「ありがとう、ソーヤ。相談に乗ってくれて」

「その程度ならいくらでも」

「それと。……助けてくれて、ありがとう。嬉しい」


 言って、彼女は部屋を出て行った。

 ばたん、と扉が閉まる。

 ……ふう。


(助けてくれてありがとう、か)


 それを言われるだけの価値が、俺にあるんだろうか。

 下手をするとキリィを見捨てていた、この俺に。


(ともかく、キリィが一線を越えないでいてくれて、よかった)


 それこそ、相手にまた言いくるめられてどうしようもなくなる可能性だってあったのだ。そこは僥倖と言うべきだろう。

 後は相手が諦めるまでキリィを守りきるだけ……とか思っていたら、こんこん、とノック。


「はい?」

「あの。キリィ……なんだけど」

「え?」


 なんで戻ってきたんだろう、と思いつつ、扉を開ける。

 キリィはなんだか、とても申し訳なさそうに、


「あのさ。外出するなって話だったよね?」

「あ、ああ。そう言ったけど」

「明日、神殿の公式参拝日で、貴族はみんな行くことになってるんだけど」

「…………」

「……だめ?」



 とりあえず、明日は俺がついていくことで話をまとめることにした。

 やれやれ……どうなることやら。

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