8。天地創造:因果律の破壊(後)
「やっほー。力、使わせてもらったわよ」
「ほらね、だから言った通りでしょう、宗谷くん。
私は『敗北を告げる者』。だというのに、このざまだもの。『敗北した方が都合がいい』状況を作り上げて私をこきつかうなんて、本当に前代未聞だわ」
瀬尾は陽気な中林に、抗議するように言った。
俺は、瀬尾になんと声をかけるべきか迷って、
「約束を果たしに来てくれたのか?」
「本当は約束も踏み倒そうかと思ったんだけどね」
瀬尾は苦笑した。
「だけどまあ、ここまで来たらどっちも同じだし。私もまあ、なにも語らずにってのは腹の虫が収まらない。だから出てきたの」
「そうか……で、今度こそ、種明かししてもらえるんだよな?」
「そりゃあ、いいけど」
瀬尾は言って、肩をすくめた。
「私はどちらかというと、君が解説すべきだと思うなあ、中林さん。私も全知ではないからね、君が私についてどこまでちゃんと理解しているのか、どのくらい正確にわかっているのか、興味があるわ」
「あら、そう? まあ、いいけど」
中林は軽く請け負って、そして笑った。
「それじゃあ私から解説しよっか、宗谷。
そうね、どんな用語がいいかな? 一昔前に流行った『世界線』って用語が便利かな?」
「その用語、私は嫌いなんだけど。正確な物理用語じゃないし」
「そう? 瀬尾って物理畑のひと?」
「使えるものはなんでも使う。それは君と大差ないよ」
「まあいいわ。じゃあもっと単純に『世界』って呼びましょうか。宗谷、実はこの世界はね、『世界B』なの」
中林はごく平然と、そんなことを言った。
「それは……ええっと、星の差じゃないんだよな? 地球と違う異世界っていう話とは違うレベルの話なんだよな?」
「もちろん」
「世界Aってのは、どういう世界だ?」
「世界Aは、世界Bを作るベースになった世界よ。
そして、瀬尾は元々、世界Aの住人だったわけ」
中林は言った。
瀬尾からの反論がないところを見ると、正しいのだろう。
「で、世界Aは、世界Bよりもずっと自由に人が不思議な力を使える世界だったの。
私たちが使っている魔法だけじゃなくて、もっといろんな奇跡みたいな力が飛び交っていた。当然世界Aでは、地球とエリアムをつなぐワープゲートもあったはずよ。場合によっては、エリアムにワクチンを持った医者がやってきて、天然痘を撲滅してたかもね」
「ふむ。それで?」
「その世界Aで、たぶん私たちが経験しているのと同じ大惨事が起きた。そうでしょ、瀬尾?」
言われた瀬尾は、こくん、と素直にうなずいた。
「ええ。『東京圏の崩壊』……あの禍々しい現象が、起きてしまったわ」
「そういうこと。世界Aと世界Bに共通しているのは、それね。私の予想だと、瀬尾がどうしても消したかったのはあの現象。だけどどうしても消せなかったのもあの現象。……でしょう?」
「本当に忌々しいほど理解されてるわね」
瀬尾は渋面で言った。
「えーと。俺にわかるように説明。ぷりーず」
「つまりね、宗谷。瀬尾は、あんなトンデモ現象が起こらない世界を願ったのよ」
中林が言った。
「あんな大災害が起きて、人々がたくさん死んで。これじゃいけないと思った瀬尾は、物理法則を根本からたたき直すことに決めた」
「物理法則を?」
「ええ。つまり、一定以上の奇跡みたいなものは、その善悪を問わず、一律で禁止する世界を作り直そうとしたの。そんな世界ができあがれば、みんな不幸にならずに済むでしょう?」
俺はぽかーん、とした。
発想のスケールが違い過ぎる。世界を作り直す、ときた。
「どうしてそこまでのことをしようと思ったんだ?」
「それは瀬尾しか答えられないことね。どうなの?」
「どうなの、と言われてもねえ……」
瀬尾は苦笑した。
「ひとつだけ言うなら、中林さんの言う『世界A』では、そんなことが当たり前のように起こってたのよ。奇跡が日常茶飯事の世界なら、人々の発想も変わってくるでしょう?」
「まあ、そう言われてしまえば、そういうもんか」
「ただし、中林の説明にひとつだけ、根本的な勘違いがあるから指摘しておくわ。私はあくまで、本来は『東京圏の救済』だけを目指していたのよ」
「東京圏の救済?」
「ええ」
瀬尾は目を伏せて、言った。
「あの痛ましい事故で失われた人々を救済する。そのために、あの事故そのものを、世界の改変でなかったことにする。それが、私の目的だった」
「それを、やろうとして。でもできなかった。なんで?」
「だって、論理矛盾を起こすから」
瀬尾は口をとがらせて言った。
「私が世界を救おうと思うためには、その動機となるあの事故がなければならない。でもあの事故を消してしまうと、私が世界を救おうと思わなくなる。結果として私の思惑が潰えてほとんど同じような事故が起きる――堂々巡りよ。これを解消するためには、『あの事故だけ』は許容するしかない」
「じゃあ、この『世界B』は……」
「ええ。私が妥協した結果生まれた世界。『あの事故だけ』存在を認めて、それ以外の物理法則に反するありとあらゆる奇跡を、善悪を問わず、一律に禁止したのがこの世界よ」
瀬尾は言って、中林を見た。
中林は首をかしげて、
「え、なに?」
「気になっているのは、どうしてそれを中林が知ったかよ。私、そこまで大きなヒント、言ったっけ?」
「どっちかっていうとこの状況、それ自体がでっかいヒントでしょ」
中林はそう言って、笑った。
「あまりにも都合がよすぎる異世界転移。これに人為的に誰も介入してなかったら、私はそちらの方が驚きだわ。どう考えても、『原型となる世界』があって、それを真似して誰かが作ったとしか思えなかった。
そして、そうだとしたら、関わっているのは二人以上だということもわかっていたのよ」
「あら、それはどうして?」
「だって、日本に帰れないじゃない。いま」
中林はあっけらかんと言った。
「私たちの魔術で簡単に地球とエリアムを行き来する方法、ないでしょ。つまり、この魔術を構成している原理と、違う原理で私たちはエリアムに飛ばされた。最初はそれで混乱していたんだけど、いまから考えれば、簡単につじつまが合うわ。エリアムへの転移魔術は『世界A』の魔術。私たちが使えるのは『世界B』の魔術。そういうことでしょう?」
「そういうことよ。『世界A』の魔術……というか、例の東京圏の崩壊事件。その余波で飛ばされたのがあなたたち。一方で、それと同じやり方での移動を禁止しているのが私ってわけ」
「…………」
一見して、致命的に見えることを、瀬尾は言った。
つまり、瀬尾の説明によると……
「俺たちは、地球には帰れない……?」
「さて、そこまで一足飛びで結論に行くのは早計よ、宗谷。
もうちょっと瀬尾と話をしましょう。まだまだ、聞きたいことは山ほどあるんだからね」
「お手柔らかに頼むわ」
瀬尾は苦笑して言った。
「で、じゃあ確認だけど、瀬尾。あなたがやっているのは、『世界A』の魔術による、物理法則の変異の阻止――そういうことでいいのね?」
「私がやっている、と言っていいのか、もはや判断できかねるけどね」
瀬尾は肩をすくめて、言った。
「私がやったのは厳密には、物理法則の追加よ――奇跡を禁止する法則を追加した。厳密に言えば、この『瀬尾春風』という人間に見える私は、物理法則そのものなのよ」
「そう。そして、あなたに勝つためには、物理法則に違反しなければならない。
けれどその違反はあなたが禁じている。結果として『世界B』の誰も、あなたに打ち勝つことはできない――さんざん言っていた『不動点』って、そういうことでしょ?」
「そう。だから私は『敗北を告げる者』。私の姿を見た者は、そのときにはもう、物理法則を覆す企みをひっくり返されて敗北しているわけよ。とはいえ」
瀬尾はまた苦笑して、
「今回はそれをさらに逆手に取られたわけだけど」
「また確認だけど。あなたがやったのは、あなたの人生を基点として、その人生を生み出せるように、世界の歴史を逆算して作り替えたことよね? 『奇跡が禁止された』条件下でちゃんとあなたが生まれて、そして実際に『奇跡を禁止する』ように歴史を作った。そうでしょ?」
「そう。その意味でも『不動点』なの。あなたの言い方に従うなら『関数微分方程式の解』って言うのかな? ともかく、私の人生が動かないように楔となって、他のすべてのことを、私が作る法則に従って改変したわけ」
瀬尾はうなずいた。
中林もうなずいて、
「つまり……それにティアマトは都合が悪かった。ということは、そういうことなのね」
「そういうこととは?」
「だから、そういうことでしょう?」
中林はとぼける瀬尾に、歯をむき出して笑った。
「私たちがあなたの人生に影響を与えている。その影響がないと、あなたの計算はどうやっても完成しなかった。だからこの場で私たちが全滅してしまっては困る。……そうなんでしょう?」
--------------------
俺は絶句した。
内心で、確かな納得があった。
瀬尾春風。この厳格な『物理法則』が、なぜか俺たちに肩入れしてくれるとすれば。その動機は、それしかない。
「……否定できないのが悔しいな」
瀬尾の言葉で、それは肯定された。
つまり、瀬尾の人生に、俺たちか誰か――ともかく、エリアムと縁のある誰かが関係していて。
その関係がないとどうやっても、瀬尾の人生はうまく行かなかったと。
だから、瀬尾の人生をうまく行かせるために、瀬尾は俺たちを手伝わざるを得なかったのだ。
「あのパウちゃんって子は、そのためによこしたわけでしょ?」
「いや、それだけのためじゃないんだよ。あの子はあの子で、またいろいろ事情がある。
とはいえ、ついでに活躍してもらったのは事実ね。私は、彼女を通じて、エリアムの歴史を都合良く塗り替えた」
「つまり」
中林は、瀬尾をにらみつけて、言った。
「あるわけだ。方法が。――エリアムから帰る道が」
「あるよ?」
瀬尾はあっさりと、断言した。
「あるけど、それ以上のヒントは言わないよ。ただでさえ今回、君たちに私は肩入れしすぎた。これ以上はさすがに、不公正ってものだ」
「…………。
まあいいわ。わかった」
中林はうなずいた。
「後は私がやる。あなたがどう思おうと、私は地球への帰還を諦めない。場合によっては、あなたに敗北を味わわせても……ね」
「言ってくれるわね。
でもまあ、中林。一応勘違いしないでもらいたいんだけど、こうやって肉を持っている状態の私は、本当に未来のことを知らないのよ。そうでないと矛盾を起こすからね。だから私は、中林が地球に帰ったのか、帰らなかったのか、本当に知らないのよ」
「そう」
「ええ。それにね、私は中林のこと、そんなに嫌いじゃないよ。
中林も宗谷も。できれば本当の私の人生に関わって欲しいくらい、楽しい連中だったわ。だから――」
彼女は小さく、本当に楽しそうに笑って、
「期待しているよ。君たちの旅の成功を」
言って、闇にかき消えるように消えた。
急に夜の静寂が帰ってきたような錯覚を、俺は覚えた。
いたはずの人物が消えたことで、なにかとまどいを覚えたというのか。
俺にわかるのは、たぶんパウと違って、瀬尾と俺がふたたび出会うことは、たぶんないだろうということ。
今回のこれは、特例の中の特例だったのだろう。
神にも等しい『宇宙検閲官』が、その検閲の手助けのために協力を求めてきたというのが、今回の事件。
本当に、最初に出会ったときに彼女が言ったとおりに、宇宙の根源に関わる大事件だったのだろう。でも……
「結局、特異点を探るだけでは、地球に帰る道はわからない、か」
「仕方ないでしょ」
中林は肩をすくめた。
「そう一足飛びに行けるわけじゃないことくらい、私にだってわかっているわよ。
でもまあ、希望は出てきた。少なくとも地球に帰ることが不可能じゃないことが、今回の件で確定したわ」
「そうだな」
俺はうなずいた。
「次は、どうする?」
「やることは山ほどあるわよ。できる限り地球人を集めて、情報を収集したい。どうやって転移してきたのか、転移したときに気づいたことはないか。そういう情報を集めていけば、なにかのヒントが得られるかもしれない」
「なるほど」
「見てなさいよ――私はあきらめない。必ず、地球に帰るんだから」
中林は、星空に向けて、誓うように言った。
俺はそんな彼女を、なんともなしに見ていたが、ふと。
「そういやさ、中林」
「なによ、宗谷」
「だいたいの謎は解けたと思うんだけど、ひとつだけわかんないことがあるんだよな」
「なにが?」
「いや。そもそもイストリッチでおまえ、なんで俺に助けを求めたの?」
そこだけが、まだ説明されないまま残っていた。
確かに、ティアマトを見て、これはヤバいと感じるところまでは、中林らしかったけれど。
パウはおろか、瀬尾の情報すらなかったあの時点で俺を呼んで、それでなにができると思ったのか――
「……ぷっ」
「笑われた!?」
「いやーあははは。宗谷ってアレね。やっぱ結局ガキよね」
「しかも見下された! 質問にも答えないで!」
「さー明日も早いからそろそろ寝ましょ。仕事山積みなんだから」
「聞けよ答えろよ気になるだろ! おい、マジでこのまま終わらす気か! おーい!」
いろいろあったが、結局は元通り。
俺たちは、このエリアムの日常に戻る。
いつか地球に帰る、そのときを目指して。
――そして彼女は、今日もまた、望遠鏡を空へと向ける。
(『第三の物語:星の姫と英雄戦争』第一部『中林さんの天球儀』完)