7。観測粒子砲:不確定性関係の不正利用(後)
「ちょ、おまえなにナチュラルに世界滅ぼそうとしてんの!? ていうか、なに考えてるの!?」
「あれ、説明しなかった?」
中林はこくん、と首をかしげた。
そうこうしている間にも、ティアマトはどんどん大きくなり、壊れ、さらに大きくなる。
「説明されてねーよ! え、なに!? あの状況で相手の核とかが壊れるまでになったら終わりじゃないの!?」
「なんで核なんてあるって言えるのよ。そんな都合のいいものあるわけないでしょ、ゲームじゃないんだから」
「じゃあどうするの!?」
「だから最初からバイバイン問題だって言って――あー。そういえば説明してなかったっけ、バイバイン問題」
「なんだそれ知らねえ! いますぐ説明しろ! いますぐ!」
「もう手遅れだっての。それでも一応説明すると、バイバイン問題ってのはドラえもんに出てきた有名なエピソードにまつわる問題でね。簡単に要約すると、亜光速で増殖しながら宇宙を埋め尽くす巨大な栗まんじゅうの球体の話なんだけど」
「気持ち悪っ! ていうか、それが今回のこれとなんの関係が!?」
「まあ解説は後にしましょ。そろそろ本命の現象が起こるでしょうし」
「本命!? この上さらにやばいこと起こるの!?」
「だからさあ。最初から言ってるじゃない」
「なにが!?」
「プロジェクト名。天空からの突風って言ったでしょ。それで気づきなさいよ」
「だからなにが!」
「考えてみなさい。あの瀬尾春風、あの宇宙検閲官は、私たちの行動に介入してきた。それはつまり、私たちにやってもらわないと困ることがあるってことでしょ。だから」
「だから!?」
中林は俺の言葉に、増殖するティアマトを指さして、
「あんな岩に世界が滅ぼされることを許容するはずがないでしょ――彼女が手ずから、あの現象を検閲するわよ」
まるで、その言葉が合図だったかのように。
ティアマトの身体に向けて、天から光の矢のようなものが落ちてきた。
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岩に押しつぶされたとき、頭が無事で残ったのは、奇跡だった。
少なくとも、『かみさま』はそう言った。
わたしが、『かみさま』と話せるようになったのは、いつからだっただろう。
もう覚えてない。たぶん、森に行くことが決まったよりは、前だった気がする。
気づいたら自然に、話せるようになっていた。というか、いつもいるのが当たり前みたいな『かみさま』だったのだ。
口は悪かったけど、『かみさま』のことが、わたしは大好きだった。
だけど……
身体のうち、頭を除いては全部、壊れてしまったらしい。
それでもわたしが生きていられるように、『かみさま』はがんばってくれた。
とてもがんばってくれたけど、しばらくして、『かみさま』は言ったんだ。
無理だ。生きていられたとしても、出られない。
その言葉と共に、『かみさま』は消えた。
わたしは、それでも信じていた。
あの『かみさま』が、いつかわたしを助けに来てくれるって。
だって、わたしと『かみさま』は、一緒にいるのが当たり前だったのだ。
だから必死でわたしも、命をつなごうとがんばった。
がんばって、がんばって、がんばって――
たぶん一年くらい過ぎて、わたしは気づいた。
わたしは、置いて行かれたんだ、って。
それから先、わたしはなんとか動こうとした。
身体のうち、生きているのは頭だけだったけれど。頭だけで動く方法をいろいろ試してみたりしてみた。
身体が壊れたおかげで、おなかがへらなくなったのはとても便利だった。そうでなければわたしは死んじゃってるかな、と思った。
わたしはただ、知りたかった。
わたしはわたしで、普通に生きていけることをこうやって、示したのに。なんで『かみさま』は帰ってこないのか。
わたしを置いていった『かみさま』が、いまなにをしているのか。どうして置いていったのか。それを知りたかっただけなのだ。
だけど、それが果たせないまま――
何十年経ったかわからない頃、わたしの身体は、なぜか大きくなっていた。
というか。わたしを押しつぶしていた岩が、わたしの身体になっていたのだ。
おかげで、わたしはなんとか、這い回って洞窟を動くことができるようになっていた。
その結果わかったのは、この洞窟はとうの昔に、入り口がつぶれて出られなくなっているということだった。
わたしは失望した。
だけどしばらくして、そんなに事態は悲観的じゃないことに気がついた。
だって。
入り口がないなら、岩を食べちゃえばいいんだ。
そうしてさらに年月が経った。
洞窟の石を片っ端から食べ尽くし、わたしの身体はちょっとした岩山になっていた。
こうなるとけっこう困ったことがあって、まわりのやんちゃな魔物とかが、体当たりしたり蹴っ飛ばしたりして、頻繁に身体が欠けるのだ。
でも、その問題もわたしはがんばって解決した。
要するに、欠けた分を取り戻すほど、元通り以上に直しちゃえばいいのだ。
攻撃すればするほど膨らむ岩に辟易したのか、しばらくしたら、ちょっかいをかけてくる魔物はいなくなった。
そんなこんなで暮らしていたある日、すごく久しぶりにわたしは、人間の気配を感じ取った。
その頃になるとわたしも、岩の扱い方にはかなり慣れてきていたので、ちょっと人型っぽい人形を作って、近くの街まで偵察に行かせることにした。
そして、『かみさま』を見つけた。
ずいぶんとやんちゃになった『かみさま』を見て、わたしは懐かしさと、うれしさでいっぱいになった。
どうも『かみさま』は、わたしのことがわかってないらしい。それならそれでいい。話せばわかるだろう。
ずっと聞きたかったことを聞こうと思って、わたしは『かみさま』と、話そうとして――
だけど、『かみさま』は逃げてしまった。
からっぽの身体だけ残して、『かみさま』はいなくなった。
どうしよう。どうしたらいいんだろう。
あの『かみさま』がいなくなってしまったら、わたしは誰になにを聞けばいいのかわからない。
わたしの心当たりはひとつだけだった。元々わたしたちが住んでいた家。そこに行けば『かみさま』もいるかもしれない。
もう名前も忘れてしまったあの街へ。わたしは、行くことにした。
それだけだった。
それだけだったのに、なんで――
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「しっかし、見事になんの痕跡もないな」
俺は、あたりを見渡して、そう言った。
あのティアマトが、光に包まれて消えたあたりである。あの石像が地面を移動しようとして荒れた跡くらいは残っているが、肝心の石の塊が、きれいさっぱり消えてなくなっていた。
俺の横で中林が、ふふんと胸を張り、
「言った通りでしょう?」
「……言わなかったよな? 最後の仕掛け」
「誤差の範囲よ。結果としてキンバリアは守られた。なにか文句ある?」
「ありまくるけど、後回しだ。
マリイが部分的にとはいえ、食われたってんだ。なんか痕跡とか残ってれば修復できるかもしれんし、探さないと」
「残ってるかしらね? いくらマリイがデタラメって言っても、こんな状態でなにが残るって……宗谷、あれ!」
「ん?」
俺が言われた通りにそこを見ると。
そこには、上半身、肩から上だけが残された、少女の亡骸があった。
亡骸だと思った。
そんな状態のものが生きてるとは、思わなかったからだ。
だが、そうではなかった。その身体は頭だけを振って、はいずって進もうとしていたのだ。
「うわ……なにあれ。さすがに予想外なんだけど」
「……そうなのか?」
「え、なにその反応。まさか宗谷、あれも私のいたずらだとか思ってない?」
「まあ三割くらいは可能性を考えていたけど。
つーか、それ以前の問題だろ。あの子の顔、おまえがこの前作った幻影とそっくりじゃん。中林」
「え? なんで?」
「俺が知るかよ。でもまあ」
俺は肩をすくめた。
「ティアマトってのがマリイの身体だってんなら、そういうことじゃね? 本来のマリイの身体だけは、瀬尾も消さなかったってことだろ。あんな風に」
「でも……このまま放置してたら、また同じことになるかもしれないわよ。私たちにはあの現象がなんであるか、理解できてないんだから。それにあの状態で生きてるなんてのは、もう生物の範疇じゃ――」
「うきっ」
「うわ、キノシタ!? なんでここに!?」
気がつくと、いつもの猿が俺の横にいた。
だが、なんか様子が違う。
いつものひょうひょうとした様子ではなく、なぜ自分がここにいるのか、疑問に思っているような……
「うきーっ」
叫んで、キノシタはぴょんぴょん跳びはね、南の方へ去って行ってしまった。
「なんだったんだ……あれ」
俺がつぶやくと、
『ま、これ以上身体を借りるのも、なんだと思ってな』
声が聞こえた。
いや、声と言っていいのか。
俺が振り向くと、そいつはゆらゆら揺れる、青白い炎みたいな身体で、笑った。
「マリイ……あいつといたのか」
『悪いね。今回は解決策、本当に思いつかなかったからさ。
だが、ここまでやってもらったなら、私が逃げるわけにはいかないだろう。最後は私が、な』
言ってマリイは、その青白い身体で、ゆっくりと少女の身体に近づき始めた。
『よう小娘。久しぶりだな』
「あ……なん、で……」
少女は。
小さく、そうつぶやいた。
それは、おそらくとても苦しい行為だっただろう。そもそも肺がほとんどない身体では、声を出すのにも限界がある。
それでも、彼女は小さい声で、しかしはっきりと言った。
「な、んで……わたしの、こと……置いて、いって……」
『それがおまえの疑問だな。じゃあ答えよう。
死んだと思ったからだ。死んだものは仕方ないから、外に出て、べつの身体を再構築して家に帰った。後はまあ、いつものように暮らしていただけだったんだが、存外私を殺そうとする連中が多くてな。対処に苦労しているうちに、気づけばもう百五十年だ』
「そんな……に、経った……んだ……」
『ああ』
マリイはうなずいて……そして、手を差し伸べた。
『よく、生きてた』
「あ……」
『百五十年。私の見込み違いだったな。私がいなくても百五十年、自分で生き延びたんだ、おまえは。
だから、元に戻ろう。いままで待たせて済まなかったな、相棒』
「うん……うん……!」
マリイの青白い影と、少女の亡骸は、一つに重なって。
そして、気がつけば。いつものマリイがそこに、ぽつんと立っていた。
「マリイ……」
「いま触ってくれるなよ、シュンペー」
マリイは言った。
「服とガワは用意したが、なにしろ内臓がスッカスカだ。食って肉を調達するまで、なんつーか、生きてると言える身体じゃない状態で我慢するしかないな」
「結局……おまえの肉体とおまえは、和解できたのか?」
「最初から喧嘩してないよ。私も彼女も、やりたいようにやって、こうなっただけだ」
マリイは静かに言って、笑った。
「だが……へんな気分だな。百五十年、苦労したのは私だけだと思っていたが――苦労させていた方だったとは。私もしょせん、世間知らずのお嬢ちゃんだな。まだまだだ」
こうして。
ティアマト事件。エリアムを文字通り揺るがせた大怪獣の災厄は、ごくごく静かに幕を閉じることになった。
魔術紹介:
『天空からの突風』
習得難易度:不明 魔術系統:中林式? 備考:厳密に言えば魔術ではない
物理法則を限界を超えて逸脱することにより、瀬尾春風の力を誘導して対象となる現象を打ち消す技。
本質的に行っていることは瀬尾春風の力の行使であるため、厳密に言うとこの技は魔術ではなく、物理法則の一部を利用しただけである。
魔術を始めとする、なんらかの『不思議な現象』に対するジョーカーとしてのみ機能する、対異常最終兵器。まさにティアマトのようなものに対してしか有効に機能しない、中林の切り札である。
……なお、余談であるが。物理法則の一部である瀬尾春風は、その制約上、法則に従ってしか自らの力を振るうことができない。
したがって、「なんかティアマト気に入らないから消去」みたいなことは、彼女にはできない。あくまで、あらかじめ定めた領域を逸脱した現象に対するカウンターとしてしか、この力は起動しない。そのルールを破ることは瀬尾自身にも不可能。
だからこそ、中林は意図的にティアマトに限界を突破させる必要があったのである。