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中林さんの天球儀(旧作)  作者: すたりむ
第1章:結婚詐欺編
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5。自炊と人間原理と彼女の夢(後)

 その夜。


「なんとなくいると思ったが、やっぱりいたか」


 外に出てみたら、庭で望遠鏡を空に向けている中林を見かけた。


「あら宗谷。いい夜ね」

「そうだな」


 中林は会話しながらも、望遠鏡から目を逸らさない。

 ていうか、


「望遠鏡って下からのぞくイメージがあったが、横からのぞくんだな。それ」

「レンズじゃなくて鏡で映すタイプだからね。

 このレベルの鏡でも作るのはたいへんだって、親方が言ってたわ。精密観測ならともかく、量産用ならレンズのほうがこの世界のテクノロジーレベルとは合うかもしれないわね」

「そうなんだ」


 俺はそもそも、レンズ以外を使う望遠鏡の存在を知らなかったわけだが。

 ……でもたぶん、彼女なら。

 彼女なら――こんなとき、なんて言っただろう。


「ねえ」


 気づくと、中林が声をかけてきていた。


「なんだ?」

「この望遠鏡を作った――いえ。設計したひとなんだけど」

「ああ」

「日本人よね。どんなひとだった?」

「……聞いてどうするんだ?」

「そうね。まあ、あんまり聞いても意味がないかもしれないけど。

 ただ――そのひとはどこまでたどり着いていたのかって。それが気になったのよ」

「たどり着いていた……?」


 よくわからない言葉に、首をかしげる。

 中林はうなずいた。


「まあ、あるいは私となにもかも違う発想のひとかもしれないけどね。

 どうしてそのひとが望遠鏡を作ろうとしたのか、あなたにはわかる? 宗谷」

「――地球に帰るため、だ」


 さらりと答える。

 中林はうん、とうなずいて、


「でしょうね。まあ、みんなそれは考えることだろうし」

「俺はあっという間に諦めたけどな。彼女は諦めなかった。

 この世界の謎を解き明かして、いつか地球に帰ってやるんだって躍起になっていたな」

「そのために天体望遠鏡を作ったの?」

「うん。まあ、俺にはどうしてそうなったのかよくわからなかったけど」

「魔術の影響を排除するためよ」


 即答。

 中林は、ふう、と吐息した。


「そもそもね、この世界の物理法則がどうなってるか、そこから考えなきゃいけないのよ」

「物理法則?」

「そうよ。でないと、我々の世界とこの世界がどう違うかもわからないし、どう違うかがわからなければ、どうやって我々がここに来たかもわからない。そしてどうやって我々がここに来たかがわからなければ――」

「帰る方法もわからない、か」

「そういうこと」


 中林はそう言って、にやりと笑った。


「でね、物理法則を試す最初の関門は、やっぱり私たちの身体自身ってことになるのよ」

「身体?」

「そう。人間原理――というのかしらね、これも。つまり、私たちが生きているということは、私たちが生きていけるような物理法則になっている、ということよ」

「……う、ん?」


 ちょっとよくわからない。


「だからさ、人間の身体を動かすのっていろんな物理法則が関係しているじゃない。

 素人でもわかる例で言うと、たとえば人間は酸素が吸えないと死んじゃうでしょ。ということは、私たちが死んでいない以上、この世界の大気には酸素があると考えていいって話になるわ」

「あー。そういうこと」

「……とか、最初はそう考えていたんだけど。

 実のところこの理論には穴があるわ」

「ん、どんな?」

「魔術、よ」


 ふん、と中林は不愉快そうに言った。


「あんな感じで、めちゃくちゃな物理法則外の挙動が許されるなら、話は違ってくるわ。極端な話、私たちが生きているのは酸素の代わりに魔術で動いているからかもしれないじゃない」

「そ、そんな可能性があるのか?」

「ま、可能性を言い出したら、『ぜんぶ幻覚』って可能性だってあるんだけど」


 中林が肩をすくめた。


「そこまで突飛なのになるとさすがに検証可能性がなくなっちゃうし、検証できるところから考えるのが科学ってものだからね。

 それで私が考えたのは、人間の手の及ばない宇宙空間なら、魔術の影響はとりあえず考えなくていいんじゃないかってこと」

「だから望遠鏡か」

「そ。宇宙の法則を見て、そこから物理法則を検証するために――というわけよ」


 言って中林はほほえんだ。

 俺はうなずいたが、


「けどさ、あの月はどうなんだ?

 あれも天体だけど、魔術の影響はあるみたいだけどな」

「そうね。それは危惧したことだったわ。

 だけど、私はあれこそただの例外だと思っている。月以外の天体に人間がなにかをしたという伝承はエリアムにはないし、実際こうして見る夜空は、地球とそこまで変わっては見えない」

「てことは……」

「ま、違う宇宙に移動したのか、同じ宇宙に移動したのか。空間移動だけなのか、時間移動もしたのか。そのあたりはまるで見当がついていないけど……まずは、夜空から地道に調べるしかないわね」


 言って、中林は挑戦的に空を見上げた。

 その視線が、彼女のものと重なる。


(……ああ)


 だから俺は、ためらってしまった。

 俺は知っている。もしこいつが彼女と同じなら、間違いなく伝えなければいけない、ひとつのことを。

 だけど。


「……っっ」

「? なにしてるの、宗谷?」


 中林が不思議そうに問う。

 俺は、しばし逡巡して、


「なあ」

「なに?」

「俺、おまえの力になって――」


 そこで、言葉が止まる。

 それ以上へ踏み込むことを、俺はたぶん、本能的に恐れている。

 だけど――


「やめときなさい。前と同じになるだけよ」



 ……っ。



 中林は、そう切って捨てた。


「……なんでだよ」


 自分でも驚くほど、低い声が出た。


「なんで、おまえが」

「事情も知らずに、知ったかぶった物言いをされるのが気に入らない?」


 中林は、刺すような目で俺を見た。


「たしかに私は、宗谷の昔のことなんてほとんど知らないわ。工房で聞きかじっただけ。だけどそれでも、あなたがいましようとしたことはわかる。

 あなたは私の夢に手を貸そうとした。だけどそれはなんで?」

「それは……」

「もっとはっきり言うとさ」


 中林は身を乗り出した。


「死人の代わりにされるのは、まっぴらごめんだっつってんのよ。私は」

「…………」

「断言するけど、それは不純な動機よ。そして不純な動機であなたが得られるものはなにもない」

「俺はなにかを得たいってわけじゃない」

「でも満足したいんでしょう? 無駄じゃなかったと思いたいんでしょう? この望遠鏡が役に立ったって、だから自分の努力は無駄じゃなかったって、そう思い込みたいんでしょう?」

「…………」

「彼女の夢。工房で聞いたところによれば、それは地球に帰ることだけじゃなかったみたいだけど。まあ地球に帰ることに限定してもどうでもいいのよ。どっちにしても――それは、彼女の夢よ。あなたのじゃない」

「そんなこと……」

「わかってるとでも? ではここから先もわかるでしょう、宗谷。私の、地球に帰るって夢は私の物よ。

 それはあなたの物じゃない。成功してもあなたの手柄じゃないし、失敗してもあなたの――違うわね。

 正確には、あなたが成功や失敗について語ることすら許されない。それは、私が決めるものよ」


 きっぱりと。

 中林は、俺を突き放した。


「それは彼女も同じこと。

 宗谷はその彼女が道半ばで倒れてショックかもしれないけど、彼女にとってそれが失敗だったのかどうか、それすら本当はわからない。それを決められるのは――あなたではないのよ、宗谷」

「だけど、それは!」

「なにも得られないってのはそういうこと。

 私を手伝ったところで、あなたに得られるものはなにもない。あなたは私を彼女に見立ててなんらかの代償行為を行おうとしているようだけれど、それで得られるのは自己満足。そしてそれは不当な自己満足よ。

 ――そんなことで満足するのは、彼女の人格を冒涜しているに等しい」

「な、――」


 中林はふう、と吐息して、小さくほほえんだ。


「ねえ、宗谷。夢を追うっていうのは、そういうことなのよ。

 夢は、その成功も失敗も、ぜんぶ自分で背負うから夢なのよ。そして、夢を託すことも。

 もし彼女の夢を私が代わりに叶えるとして、それで彼女の夢が果たされたと判定していいかどうかは、彼女だけが決めていいの。それは宗谷の夢じゃない。だから、私に彼女の夢を託すことは、あなたがそれをやるのは、決定的に間違っている」

「…………」

「私は私の道を征く。あなたは、あなたの道を見つけなさい」


 言って。

 中林はもう、それ以上俺に振り返ろうとはしなかった。



--------------------



 屋敷の中に戻ると、ナイエリがにやにやして待ち構えていた。


「なんだよ」

「ふふふ……みーたーぞーっ」

「なにを?」

「あの女におまえが振られるところをだ! ざまみろ!」


 言って、びし! とねこしっぽと人差し指で俺を指す。

 とりあえずねこしっぽをひっつかんだ。


「ふぎゃっ!?」


 ばたん、と倒れてじたばたするナイエリ。


「き、貴様なにをするかーっ!?」

「うるせえ。それよりちょっと顔貸せ」

「な、なんだ……ってしっぽ引っぱるな! 手を離せー!」


 ずりずりずり。

 引っぱって、とりあえず部屋のひとつに引っ張り込む。


「ここでいいだろ」

「うぎぎぎぎ……! な、なんだ! なんかあたしに用なのか!?」

「いや。単に相談事だ。主に金回り関係の」


 ぴた、とねこしっぽが硬直する。


「か……金回り?」

「そうだよ。この屋敷の金欠具合については知ってるだろ?

 ただでさえ借金してるってのに、未払い給金をぜんぶ補償しなきゃいけなくなったんだ。このままじゃ首が回らない」

「うう……それはおまえのせいだろ!」


 びしびし! と指とねこしっぽが俺を指さす。


「まあ、たしかに提案したのは俺たちだけど」

「そうだろう! じっちゃんの言うとおりにしていりゃよかったんだ!」

「でもキリィの望みだからな。仕方ないだろ」


 その一線は守りたいのである。


「だいたい、貴族にとって給金未払いで使用人から総スカンって相当な不祥事だろ。それを放置してどうにかさせようとした、おまえらの発想がどうかしている」

「う、うるさいな……! しょうがないだろ。キリィさまがあんな状態になっちゃったら、もう終わりだって誰もが思ったんだから」

「責めはしないさ。だが状況がこうなった上で、うちに戻ってきたんなら協力しろ。中林は協力してくれそうにないし、キリィにこういう泥臭いのは無理だ」

「う……わ、わかったよ」


 しぶしぶうなずくナイエリ。


「で、金策するって話だよな。どうするつもりだ?」

「そうだな。とりあえず商売……なんだけど、この国って商売やるのに許可って必要だったっけ?」

「鉄とかたばこなんかは許可制だったと思うが。

 普通の物品だったらべつに登録しなくても商いは自由だが……けど、ノウハウなしで商売しようとしても、そうそううまくは行かないぞ?」

「うーん……どうしたもんかな」


 かといって、それ以外の金策ってのも無理っぽいんだよな……


「そうだ! 使用人をいっぱい雇って、総出でべつのところで働いてお金を稼げば……!」

「そんなことやらせるうちに雇われる使用人なんていねえよ」

「そうだ! べつの貸金業者に借りた金で返済すれば……!」

「貸金業者間の情報網でバレてブラックリストに載るな。つーか紹介したシグの顔にまで泥を塗るぞそれ」

「うううううー……」


 頭を抱えるナイエリ。


「そんなこと言ったって、お金儲ける方法なんて考えたこともないもん……!」

「以前はバルチミ家って、税収だけで運営してたのか?」

「あたしはよく知らないが、鉱山の収入があったと思う」

「その収入は?」

「キリィさまが売り払って消えた」


 ……ですよねー。


「とすると、商売しかないか……」

「わかった。どうにかするしかないんだな」

「そういうこった。明日から市場を見て回って、いろいろ挑戦してみるしかないか」

「よし! がんばるぞ!」


 おー、と腕を振り上げる俺たち。

 こうして。

 第一次、バルチミ家の財政をどうにかするの会が旗揚げするに至ったのであった。



 ……まあ、とにかく。

 いまはたしかに、夢よりも現実をどうにかしないといけない時期だった。

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