5。自炊と人間原理と彼女の夢(前)
その日の晩。
厨房に入ろうとしたら、さっと止められた。
「……えーと」
目の前の女の子は、なんか視線だけで俺を殺せそうな目でにらんでいる。
とりあえず、尋ねてみる。
「なんでここにいんの? ねこしっぽ」
「ね、ねこしっぽって言うな! あたしの名前はナイエリだ、ナイエリ・ボナペド!」
「あーうん、名前は知ってる。んでねこしっぽ、なんでおまえここにいんの?」
「だからねこしっぽって言うなー!」
じたばた暴れる。……おおお。しっぽがひょこひょこしておもしろい。
「いいからどけよ。厨房使えないと困るだろ」
「待て。厨房は使用禁止だ」
「なんで?」
「おまえは信用できんからだ!」
びしっ! と人差し指とねこしっぽで指さす。
「ねこしっぽ触っていい?」
「なんでそんな話になる!?」
「いや、なんとなく」
「い、いまは厨房の話だろ! ねこしっぽは忘れろ!」
「なにを言う。話題はねこしっぽからいったん脱線しただけで、中心は常にねこしっぽだ」
「おまえもう帰れ!」
じたばた暴れるねこしっぽ――もとい、ナイエリ。
いやあ……しかし、想像以上に癒されるわあ、ねこしっぽ。
じゃれつきたい。
「な、なんなんだこいつ……薄気味悪い……」
「失敬なねこしっぽだな」
「だからねこしっぽと……はぁ。もういいや。とにかく帰れ」
「嫌だ。もっとねこしっぽ見たい」
「おまえは厨房に用があるんじゃなかったのか!?」
「あー、うん。晩ごはんの今日の当番は俺だからさ。作らないとみんな飢えて死ぬ」
「当番だと? キリィさまのお口に入れられる物を、おまえごときが作っていいと思っているのか!」
「じゃあ誰が作るんだよ」
「専用のコックだ!」
「この屋敷にそんな奴いねえよ」
というか3人しかいない。
「人手がないんだ。交代で食事当番やるしかないだろ。わかったらどけ」
「黙れ! というか交代ということは、あの女奴隷まで作ってるということか!?」
「うん。キリィもな」
「なん……だと……!?」
「なんでそこで後ずさる?」
ねこしっぽがぷるぷる震えている。
「なんだよ。キリィに作れるかどうか心配してるなら気にしなくていいぞ。俺も手伝ってるから」
「そういう問題じゃない! こ、高貴なるキリィさまを、す、炊事にこきつかうなど……!」
「なんだよ。ひとり暮らししたことある俺の経験から言えば、自炊スキルは超有用だぞ。ただ単に使えるってだけじゃなくて、いつでも自活できるって自信をつけることもできる」
「だ、黙れ黙れ黙れ! わかった、貴様は信用ならん、今日はあたしがここの食事を作る!」
「つってもなあ。再雇用の契約したわけでもなし、そんなことしても給金はでないぞ?」
「給金なんぞいらん! おまえらに任せるより、あたしのほうが万倍マシだ!」
「わかったわかった。そんなに作りたいなら作っていいから。ほれ材料」
「おわ!」
どさっ、と買ってきた食材を渡す。
「じゃ、早めに頼むな」
「お、おう! 任せておけ!」
やけっぱち気味に言うねこしっぽ……じゃない、ナイエリを背に、俺は歩き出した。
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「……おいしくない」
キリィが言った。
「が、ぐ……!」
「こら、キリィ。無償でごはん作ってくれたひとにそういうこと言っちゃいけません」
「うん。それはわかってるんだけど……」
キリィは困り顔で、
「でもこれ、わたしのほうがうまく作れる……」
「ま、まあ、修練が不足してたってことで。今回は許してやろうぜ」
「……ん」
キリィはうなずいて、まずそうにもくもくと食べ始めた。
「そんなに言うほどまずいかしらね、これ?」
一方、本を読みながらそんな論評を下したのが中林である。
「べつに酸っぱいにおいとかしないし味もあるし、毒も盛ってないしいいじゃない」
「おまえの基準はちょっと低すぎだ。あと本読みながら食うのやめれ」
「働かなくてもただで食べれるし」
「それは味の論評とは関係なくないか?」
「なに言ってるのよ。ただのランチはおいしさが数倍になるってアメリカの有名な経済学者が」
「おまえ経済学になんか恨みでもあるの?」
ふと見ると、ナイエリがぷるぷると屈辱に震えている。
「あたしの食事を廃棄物扱いしやがって……ちくしょう」
「まあまあ。落ち着いてこのまずいスープでも飲め、ねこしっぽ」
「おまえはあたしにけんかを売ってるのか!?」
ふがーと叫ぶナイエリ。……うーん。やっぱねこしっぽはいいなあ。
「挙げ句に、奴隷とキリィ様が同席して飯を食うなど……ありえない。ありえない……」
「なんだよ。べつにキリィは嫌がってないじゃん」
「そういう問題じゃない!」
「そういう問題だよ。一緒に飯食う人間を選ぶのは大切なんだぞ?」
連帯というのはそういうところから生まれるものだ、というのがうちのじいちゃんの言葉である。
「というか、ナイエリ」
キリィが言った。
「なんであなたここにいるの?」
「はい! じっちゃんから言われて参りました!」
「シオから……?」
「悪い奴からキリアニム様をお守りするように、とのことです!」
びし! と背筋とねこしっぽを伸ばして、ナイエリ。
キリィはそれを見て不思議そうに、
「ソーヤがいれば十分なのに」
「そ、そいつは信用しちゃダメです!」
「なんで?」
「うさんくさいからです!」
きっぱり言うナイエリ。
……うさんくさい?
「俺、うさんくさいか?」
「もちろんだ。なにを企んでるかわからん!」
びしり! と人差し指とねこしっぽで俺を指してナイエリが言う。
「失敬だなあ。なにを企んでるかわからんなんて言葉は、中林にでもくれてやれよ」
「え、私は悪いことしか企んでないわよ?」
「…………」
さらりと言いやがったな。こいつ。
ナイエリは深くうなずいて、
「そうだな。だからやっぱり貴様のほうが怪しい!」
「えっと……」
突っ込むのも面倒になったので、俺はナイエリのしっぽをひっつかんだ。
「ふぎゃっ!」
ひっくりこけるナイエリ。
「ななな、なにをする貴様!」
「あ、なに? ひょっとして弱点?」
「弱点とかじゃないわ! びっくりしただけだ!」
びしっ! としっぽを向けてくるナイエリ。
もう一度ひっつかむ。
「ふぎゃあああ!」
やっぱりひっくりこけるナイエリ。
「やめんかあ! なにするんじゃ貴様!」
「やっぱ弱点なんだな」
「弱点じゃないわい!」
「ふーん……いいこと聞いたわ。メモメモ」
「邪悪女もメモしない!」
ふぎゃー、としっぽを逆立ててナイエリ。
「……まあ、とりあえず来てくれるならそれでいいか。じゃあキリィ、こいつ使用人契約しといていいか?」
「いいと思う。でもご飯当番からは除外して」
「がーん!?」
こうして。
バルチミ家一同に、ナイエリ・ボナペドという新しい仲間が加わったのだった。




