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彼岸花によせて

作者: 矢積 公樹

 かつてこの街に網の目のように張り巡らされた川は運河としての役割を失うとともにコンクリートで蓋をされ、人の目の届かない闇に追いやられたのだが、中には暗渠を逃れたものもあり、川というよりは小さな溝のような流れをたたえて横たわっている。

 いくつか台風が通過した後の久しぶりの晴れ間に街を歩く。川沿いにはタイルが敷かれ植樹も計画的に行われた形跡があり、市民の憩いの場であってほしいという開発者の願いもいくばくかは感じ取ることができる。しかし昼下がりの穏やかな陽がさす中を歩くのは私ぐらいなもので人気ひとけはあまり無い。川沿いの景観を売りにしようとしたらしいカフェが散見されるものの、川自体は大人の背丈の2倍以上深いコンクリートの溝を流れていて、テーブル越しに窓から眺めても見えるはずもない。残念だがこの川はセーヌ河にはなれず、この街はとうていパリにはなれそうもない。

 川に沿って歩いていると、緑が濃いだけに彼岸花がいやでも目立つ。一輪だけ脈絡もなく突っ立っているものもあれば、椿の根元で10輪近く群生しているものもある。打ち捨てられた自転車のスポークの隙間から生えているものもあれば、大きな樹が並ぶその間隔を、まるで誰かに指定されたように埋めるべく肩を寄せ合っているものもある。

 人の手による植樹の他には雑草と呼ばれる類しか育たないような、アスファルトとモルタルで土を窒息寸前まで覆いつくしたようなこの街で、しかし彼岸花は狭苦しい川の土手に顔を出す。おそらくこれは堤防が土盛だったころモグラやミミズを近づけないために人為的に植えたものであろう。彼岸花の地下茎にはアルカロイド系の成分が含まれており、手あたり次第何でも食べてしまうモグラでさえ敬遠するそうだし、なにより好物のミミズもまた地下茎を嫌って寄り付かないのだから、モグラもまた彼岸花の咲いているその下に潜り込むことがなくなるらしい。

 立ち止まり、花に近づいて眺める。厳密にはいくつかの品種があるらしいが、私の目には子供の頃に野山で出会ったものと同じ花に見える。この花はどういうわけか田のあぜ道にはズラリ勢ぞろいして生えるくせに、そこから数歩先の山の斜面にはいっこうに顔を出さず、まるで人が「行くな」と言われれば数歩で引き返してくる犬の、その足跡を眺めるようだった。杉や檜を植えた人工林にはその下を流れる小川に沿ってちらほらと顔を見せるのに、その先の原生林ではその目立つ赤い花を咲かせようとしなかった。民家の軒先に咲くことなどまずありえないのに、その家人が参拝する神社や寺の裏にひっそりとたたずむ石仏の傍には、それが自身の義務であるかと言わんばかりに派手な花をいくつも咲かせていた。

 彼岸花は折ったり踏みあらしたりしてはならない、また野山に咲く花を持ち帰ってはならないと教えられて育った。地下茎から生えてくる花を花台に活けても長持ちしないし、いくら季節を表現するとはいえ他の花とは似ても似つかない、仰々しさと妙な艶めかしさを含んだその姿は禁欲的で慎ましい寒村の農家の床の間にはとうてい不釣り合いなものである。

 長じて、この花の救荒植物としての側面を教えられた。モグラも食わぬ地下茎だが、掘り出して水にさらすと水溶性のアルカロイドが抜けることで食用に適するようになるのだという。かつて農村を容赦なく幾度も襲った飢饉の、骨がらみの飢えから逃れるために先人達は彼岸花を、手に取って愛でることは無くとも、決して切らしてはならない、それこそ赤い非常線のように手元に置いておくことを遠い昔に決め、それを子々孫々受け継がせることにしたのであろう。この花さえ咲いていれば、この先も自分達の子孫は生き延びてくれるのだというおぼろげな、だが強い確信を抱いたのであろう。

 野山を駆け回る子供達がいなくなった田畑のあぜに咲く彼岸花は、その無慈悲な手に折られ足に踏みにじられることもなくなったが、どれだけ数を誇ってその赤く豪奢な花を空に掲げても、もはや誰も誉めそやしたりはせず誰も足を止めて眺めたりはしない。コンクリートと鋼板で固められた土手はもはや彼岸花の地下茎を必要とせず、その役割を失った花は、それでも季節が巡るたびに緑の樹々の下にその姿を見せる。私の眼には、瞼の奥に浮かぶ故郷の花と、この街の川辺に咲く花は同じ地下茎で繋がっているのが見える。

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